【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第33話 五つ目の怪談 桜の下の死体

【ミツル】

 小さくまたたく星の光をかき消すように、丸みを帯びてきた月が夜空を明るく照らしている。ミツルは部屋の窓からそれを眺めていた。

 

 もう深夜二時を過ぎているというのにミツルは全く眠くなかった。いくら枕に頭を埋めても、家族旅行前のように体の高揚を止められなかった。だからこうして窓辺で体を冷ましていたのだが、目が覚めるばかりで体はちっとも冷めなかった。

 

 あの桜を見てからだ。大人には見えていなかったあの桜を目撃してから。

 

 

 

 

 

 

 滲むように輝いていた桜の花びら。その異様な美しさがそこにあることが信じられず、ミツルは思わず駆けよった。

 

 校庭の桜は、薄く光を帯びながら、堂々と咲き誇っていた。風に揺られても薄紅色の花を散らそうともせず、季節外れの狂い咲きは、夜闇の中でただ静けさを保っていた。甘い香りと可憐な花で人を引き付けるその姿に、ミツルは恐怖が沸き上がってくるのを感じた。

 

 後ろから有希と加賀が追いついてきた。

 

 

 

「すごい……。こんなことってあるんですね! 先生!」

 

 

 

 珍しく有希が頬を紅潮させながら加賀に話しかける。しかし、加賀は「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。

 

 

 

「なんの話だ?」

 

「いやいや、この桜ですよ! 狂い咲きって言うんでしょ? どういう原理なんですか?」

 

 有希が右腕を振って桜を示すが、加賀はどこか焦点があっていない。

 

 

 

「……どこか咲いているのか? どの辺だ?」

 

 

 

「え、いや、全体的にですよ。もう大分散っちゃっていますけど。来年までは見られないと思っていたのに」

 

 加賀は有希の横顔をまじまじと見つめてから、助けを求めるようにミツルを見る。

 

 ミツルは加賀の目に困惑の色を読み取ってから、もう一度桜に目を向ける。桜は見る見るうちに散っていく。頬を少し撫でるくらいの風なのに、枝は不自然に大きく揺れる。ざわざわと音を立てて花を散らす様は、声にならない叫びを上げる妖《あやかし》のようだった。

 

 ふと桜の根元を見ると、ぼんやりとなにかが見えた。空間が陽炎のように揺らめき、形あるもののように動いているのだ。ミツルはそのそばに近寄ろうと一歩踏み出す。

 

 

 

「みっちゃん!」

 

 

 

 自分を呼ぶ声にミツルは足を止めた。横を見ると、陽子が駆けよって来るところだった。そばに加賀の存在を確認すると「うちのミツルと有希がお世話になっております」と頭を下げる。加賀も慌てて「こんな夜半に呼び出して――」と返す。しばらく当たり障りのない会話が続く。二人の会話が終わるのを有希が腕を組んで待つ。当たり障りのない会話の合間に有希が割り込む。

 

「ねえ、お母さん、これを見てもなにも思わないの?」

 

「え? なに?」

 

「なにってこの桜の――あれ?」

 

 ミツルも視線を桜に戻す。既に花は咲いておらず、ほのかな桜色は消えていた。ぼんやりと辺りを照らしていた彩りもなくなり、今は影の濃い薄いでしか色の識別がわからなかった。暗闇で静まり返る桜の木は、もはや人を魅了する力はなく、ただの校庭の木と化していた。

 

 有希の言葉を半分聞き流しながら、陽子は加賀に再度頭を下げ、二人を連れてその場を立ち去る。

 

「ちょっと、なに訳わかんないこと言ってるのよあんたは。もう、恥ずかしい――」

 

「本当だって! みっちゃんも見たでしょ!?」

 

 ミツルは不安げに頷く。「ほらあ!」と有希が母親に向き直る。二人の問答を聞きながらミツルはもう一度桜を振り返った。桜の根元のぼんやりとした影のような物は見えなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 かりかりと床を歩く音がしてミツルは自室を振り返る。白い子犬がこちらをじっと見つめていた。ミツルは微笑んでベッドから降りる。

 

 ひょっこり帰ってきた子犬は左耳を怪我していた。尖っていた耳の先が欠けているのだ。体のあちこちにも砂が付いていて、どこで何をしていたのか非常に心配になっていたが、当の子犬はけろりとしている。

 

 ミツルはその頭のふさふさの毛を優しく撫でる。子犬は目を細めたりすることもなく、ふてぶてしくこちらを見つめてきている。

 

「昨日からいろんなことがあったよ」

 

 ミツルは白い子犬に話しかける。

 

「昨日は理科室で突然倒れちまったし。その後教室ではポルターガイスト現象が起こって、今日は裏門の御札に始まり、赤いスカーフを付けた黒猫が突然現れては消えるし――」

 

 子犬がぴくりと反応する。

 

「変な大男に会うし、帰ってきてお前がいなくなったと思ったら、桜が咲き乱れていたんだよ? 俺、どうかしちまってんのかなぁ?」

 

 子犬は語らない。ただこちらをじっと見つめてくる。この目つきの悪ささえなかったら可愛いチワワなのに。そもそもなんでこの子犬を拾ったんだっけ。

 

 ミツルは頭を撫でている手を止める。子犬がすっとこちらを見上げた。

 

 唐突に思い出した。

 

 声が聞こえていた。あのときは空耳だと思っていた。しかしこの犬に話しかけているとき、確かに青年の声が聞こえていたはずだ。

 

 さらにミツルは思い出す。最近の学校の怪談。『騒ぐ理科室』、『裏門の御札』、『透明の猫』、『怪人X』、『桜の下の死体』、そして――。

 

 

 

「……お前が、『喋るチワワ』なのか?」

 

 

 

 思えばこの犬と出会った頃からおかしなことが起こっている。噂の話を聞いたのもその頃だったし、その怪談話が現実に周囲で起こり始めたのも、この子犬が家に来て二週間と経っていない期間にだ。

 

 この犬はひょっとして、()()()()()()()()()()()

 

「どうなんだ? チワワンコ?」

 

 子犬はじっとこちらを見つめてくる。青い瞳は昔テレビで見た洞窟の海の色にそっくりだった。その瞳の奥に何を考えているのだろうか。

 

 子犬は鼻を持ちあげる。ミツルが固唾を飲んで見守る中、ゆっくりと口を開く――。

 

 

 

 ぺろり。

 

 

 

 小さな下でミツルの手をちろちろと舐め始めた。

 

 ミツルは大きく息を吐く。それはそうだ。馬鹿馬鹿しい。廊下に黒猫が現われたり、悪戯で御札が門に貼られたりすることは現実にありえることだ。理科室でビーカー類が割れたことや今晩の桜の狂い咲きは、一般的にあり得なさそうな出来事ではあるが一応なにかしらの説明がつく話だろう。だが、犬が突然話し始めることはありえない。そこだけはどう考えても現実的に説明のつく事柄ではない。

 

 つまりはそういうことだろう。ミツルは子犬を抱き上げながら考える。今までのは起こった出来事に噂をねじ込んでいるだけだ。子犬が現実に話すことはあり得ない。きっとチワワが喋ったという噂がいつか流れるだろうが、それは噂に踊らされて聞いたと勘違いしている生徒が騒いでしまっただけだ。奇妙なことが起こっているわけではない。

 

 ミツルは子犬を胸の中に抱きながら首元を撫でる。そうだ、なにもおかしなことなど――。

 

 

 

 ピシッ。

 

 亀裂の入る音がした。

 

 

 

 次の瞬間、ガラスが粉々に割れるような音が響き、白い煙がミツルの目を刺激した。思わず目を瞑ると、今度はなにかが体にのしかかってきた。ミツルは悲鳴を上げる間もなくベッドに押し倒される。

 

 ガラスの割れる音に続いて聞こえてきたのは、自分の者ではない息遣いだった。

 

 ミツルは恐る恐る目を開く。ミツルに覆いかぶさるように銀髪の青年が目の前にいた。口をあんぐりと開け、尖った犬歯が覗いている。青い瞳も見開かれている。青年も驚いているようだ。

 

 青年はしばらく自分の両手を見つめた後、こう呟いた。

 

()()()()()()()、こりゃあ……」

 

 そう言いたいのは自分の方だ、とミツルは思う。

 

 

 

 

 

【学舎の亡霊】

 桜が散り切ったのを見届けて、私はしょんぼりと夜の街を彷徨います。私がウカウカしている間に、刹那の桜吹雪が起こってしまいました。本来であれば守護者が抑えなければならないのに。想像以上に校舎内の霊圧上昇が速く、うまくコントロールできませんでした。

 

 

 

 件の少年もあの季節外れの桜吹雪を見ていました。その瞳はすでに妖しく輝きを放ち、幻魔としての覚醒が近いように感じます。

 

 やはりあの噂のせいでしょう。生徒たちがコソコソと話している、学校の怪談話。今回の桜の開花も含めて、仕組まれたように噂がどんどんと実現されていっています。七つ目の噂によって、かの少年は完全に覚醒されるでしょう。

 

 欧州で騒がれている予言と、学校で広まっている怪談話。二つの流言はやがて渦の中心にいるあの少年に吸い寄せられていくでしょう。彼自身がもつ特別な血に、大きなうねりが集約されたとき、どんな力になるのか。想像するだけで震えが止まりません。瓢箪から鬼が出されようとしているのです。

 

 しかし、私自身は力をつけることができました。大丈夫、すべては順調なはずです。

 

 ふわふわと浮いていると、学校の屋上で見知った顔を見つけました。彼女は双眼鏡を片手に膝をついて座り、考えに耽っているようです。

 

「こんばんは」

 

 私が上空から声をかけた瞬間、その場から飛び退き、鬼火を呼び寄せました。

 

「ジャック!」

 

 即座に青魂影に侵入して、こちらにライトの光と拳銃こちらに向けてきます。夜の暗さに慣れてきた目に、これは眩しい。

 

「ま、眩しいです! 私ですよ、綴喜です!」

 

 なにせ目を瞑っていたのでよくわからないのですが、青魂影でも動く私を見て、意味がないことに気づいたのでしょう。いつの間にか普通の世界に帰っていました。

 

 ライトの光が少し下がりました。よく見るとライトはジャックさんが持っていました。メイファさんの右腕は包帯で固定されており、ジャックさんが右腕の代わりになっているようです。

 

 銃口をこちらに向けたままメイファさんは虚空に疑問を投げかけました。

 

「誰ですって?」

 

「綴喜だよ。ほら、昨日空から霊圧をかけてきた亡霊」

 

「ああ、あの時の」

 

 あら。またもや見知った顔がありました。夜闇より真っ黒な黒猫さんがメイファさんの膝下に座り込んでいました。クローイさんがメイファさんに私のことを思い出させてくれたようです。メイファさんの銃口が下がります。

 

「なんの用? 生憎私はあなたと話すことなんてないのだけれど」

 

「クローイさんも、こんばんは。どうされたのです? そのごつい首輪は」

 

「ほらメイファ。似合ってないってさ。やっぱり首輪を外そう、そうしよう」

 

「話を聞きなさい」

 

 お二方から、というかほぼクローイさんから聞いた話によると、どうやらメイファさんによって首輪に爆弾を仕掛けられているらしいです。なんでも、病院で治療を受けていたクローイをたまたまメイファさんが発見し、強奪したとのこと。もうお一方、昨日の戦闘の場にいらっしゃったヴィクトールさんも、影縫の無線通信から情報を得て誘拐し、別場所で軟禁しているとのことです。なお、無名は捕縛する手段がなかったため、仕方なく診療所に放置してきたとのこと。

 

「幻魔同士で争うことは、もはや止めませんが、くれぐれも街を傷つけないでくださいね」

 

「わかってるって。それよりさぁ、この後秘密基地でディナーなんだけどくるかい? メイファのつくるコーヒーが絶品なんだよ。今までご主人が入れてくれていた黒い液体は墨汁だったのかもしれないって思うほど香りがいいんだ。ねぇメイファ」

 

「クローイ。昨日殺し合いをして、今首輪に爆弾つけている敵相手に、どうしてそんなに友達の距離感でいられるの?」

 

「僕、世界中の人と友達になることが夢なんだよね」

 

「なぜ?」

 

「そうなったら世界を相手に裏切れるから」

 

 ふうとメイファさんがため息をつかれます。付き合い切れない、といった感じで首を振った後、私に話しかけます。

 

「あなたは敵意がないようだから見逃すけど、戦いに巻き込まれたくなかったらしばらく離れることね」

 

「なにをおっしゃいます。いざと私も戦場に馳せ参じますよ」

 

 両手を広げてみせます。

 

「力をつけましたから、私の姿、以前より見えやすいでしょう?」

 

「知らないわ」

 

「確かに前よりはっきり見えるかも」

 

 秘密基地なる場所に帰るという二人とわかれました。空を見上げると、雲の合間から月が見えました。ほぼほぼまん丸のお月様。そういえば明日は満月でしたね。

 

 満月の夜は幻魔の力が最も増す、魔の時間。

 

 吉と出るか、凶と出るか。天のみぞ知るとはよく言いますが、お月様とて明日がどうなるかはわからないでしょう。

 

 

 

 どうぞ、私に微笑みくださいまし。私はお月様に手を合わせました。

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