【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第36話 いい家族になれる

【聖人ミイラ】

 

 お袖が目を丸くしたまま、僕に茶を差し出してきた。僕は咳き込みながらお袖に告げる。

 

 

 

「そんな驚かんでもええやろ。僕かて病院の世話になることぐらいあるわ」

 

 

「そうは言うても……少なくとも戦後あんたが病院のベッドで寝とる姿は見たことなかったわ」

 

 

 茶を啜る。鼻を通る狸葉の香りが、胸のムカつきを抑えてくれた。

 

 

 

 僕が麻酔で寝ている間にとんでもないことが起きていたらしい。せっかく捕縛したヴィクトールは、なぜかメイファ――調査により、赤髪の女の名前がようやく判明した――によって奪われた。クローイのおまけつきで。 なぜそんなことになったのかというと、メイファが聖清志病院を襲撃してクローイを仲間にした後、そのクローイが無線で上員ごと一時的に眠らせてしまったらしい。僕が連れていかれなかったのは、法衣が邪魔で封錠がつけられなかったからだろう。

 

 やはりクローイだ。まずあの黒猫をどうにかしないと、なにをやっても攪乱される。それだけに、一度捕縛できたのは、絶好のチャンスだったのに。

 

 そして重ねて忌々しいことに、ヴィクトールから受けた妙なガスは、湯ノ石温泉の薬湯がまったく効かない。今まで毒物の類は聖気で浄化できていたのだが、今回のこれは即死性よりも変異性と持続性を高めた、完全に足止め用の最新兵器だ。おかげであと数時間はここで寝ていないといけない。

 

 

 

 苛立ちを抑えるためにまた茶を啜る。僕の苦い表情を見て、お袖は悲痛な顔つきで頬に手を置いた。

 

 

「ほやけどどうするん? あんたがここに寝とったら、誰が戦うんよ」

 

「大丈夫や。中央から桃九郎が来るけん。少しやかましいなるけど、アイツが全部切り伏せて終わりやわ」

 

「……桃九郎って誰よ?」

 

「誰って、ゲホッ、吉備の。()()()()()よ」

 

 お袖の目が見開かれた。

 

「う、嘘やろ? なんでそんな大物が来るんよ!?」

 

「事態をさっさと決着つけたいんやわ。予言の的は夕立市だけやないけんな」

 

 当然のことだが、予言の街とされている場所は夕立市だけではない。兵庫や愛知でも急を要する事態になっていると聞く。この街は桃九郎と直属の上員だけで対処したいのだ。

 

 お袖は唇を指で撫でている。ここに来てようやく事態の深刻さがわかってきたらしい。

 

「……なんや、急に不安になってきたわ。みんなに再度呼びかけとかんと……無名さん、あんたもよ。死なんといてな」

 

「わかっとるわ……僕が死んだら、影縫で闘えるもんがいよいよおらんなるけんな」

 

 

 

()()()()()()()()()()。あんたも大事な夕立の一員なんよ? わかっとるんか?」

 

 

 

 お袖が真っ直ぐな眼差しを向けてくる。

 

 

 

「聞いとんよ。毒ガスのなかに単身乗り込んでいったって。なにをそんなに焦っとるんや?」

 

 

 

 僕はその瞳に耐え切れず、咳き込むついでに視線を外した。

 

「……僕は戦うことでしか返せん」

 

「みんながついて来とるんは、あんたの人柄よ。なんでそんなに自罰的なんか……」

 

 お袖は時計を確認してから立ち上がる。

 

「とにかく無理はせんといてよ。ウチは金平のところ行って、結界管理の手助けしてくるけんね」

 

 

 

 僕は病室を出ていくお袖に曖昧に返事をして、枕に頭をうずめた。

 

 ガスのせいか安価なジェット船に乗ったときのように頭の中が揺れている。新田診療所の薬師の話ではあと数時間安静にしていれば毒が抜けきるとのことだった。症状が治まったらどうすべきか。退院しても桃九郎があのろくでなしどもと戦っていたら、手助けをするか。いや、まずは影縫の対策本部に出向くべきか。今は念波系統の法理をすべて切っているので、情報を収集しなければ――。

 

 ブーッと、スタンドに置いていたスマホが震えた。画面を見ると、「明日坊」との名前が表示される。

 

 

 

 ああ、これこそなによりの特効薬だ。僕は安らかな表情で電話をとった。

 

 

 

「なぁんぞ、明日坊。もうかけてくるな言うたやろ」

 

「……なぜ」

 

 女性の声を聞いた瞬間、血の気が引いた。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()……!?」

 

 

 

 発信履歴を追われたのだろう。明日郎の母親の愛沙はほんの少しの恐れと、それをかき消すほどの底知れぬ怒りに声を震わせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

 

 

 

 愛沙の怒気に気圧されて、言葉が情けない笑いを纏う。

 

「変えとるよ、変えとるんやけどもな」

 

 

 

「こちらも変えました! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()! なのになぜあなたと明日郎が繋がっているんですっ!?」

 

 

 

 そんなことを言われても、こちら側からはどうしようもないのだ。努めて落ち着いた声色でなだめる。

 

「不思議なこともあるもんやけど、大丈夫やわ。あの、紹介した祈祷師の――」

 

「あんなのなんの役に立つっていうんですかっ! ペタペタペタペタうちの子に触って!」

 

 アイツ、あまり人様に触れる祈祷はやめぇと言うとったのに。こちらが言い訳を考える前に、愛沙はまくし立ててくる。

 

「あなたがなにかしてるんでしょう? お願いだからウチの子にかまわないでください」

 

 

 

「そうは言うても、こっちはなんもしとらんのよ。電話に出ただけで。明日坊は――」

 

 

 

 焦って半笑いのまま、思わず言葉が漏れてしまった。

 

 

 

「――才能があるんやろうな、こっちの世界の」

 

 

 

「っよくも……っ!」

 

 

 

 違う違う、そんなことが言いたいんやない。慌てた時にはすでに遅く、短く息が吸い込まれた後、つんざくような声が耳を刺した。

 

 

 

()()()()()()()――()()()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 

「わ、わかっとるよ、僕はただ――」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 

 その叫び声が電話は切れた。ガチャンを叩きつけたような音が聞こえたのは幻聴だろう。今はむなしくぷーっぷーっと音が響いている。スマホを額に当てて、しばらく固まる。

 

 切り替える間もなく、再びスマホが揺れる。画面を見ると、またも「明日坊」の名前が表示されている。

 

 

 

 切れることを祈って十秒ほど放置してみるが、一向に切れる気配はなく、意を決して電話に出た。

 

 

 

「はい」

 

「っ恐れ入ります、町田健太です」

 

 

 

 夫の健太の声だ。胸をなでおろしたのも束の間、その背後から金切り声が聞こえてきた。

 

「っすみません、少々お待ちください。――移動するから、こっち来るなよ」

 

 妻に小声で制止しながら移動する音が聞こえる。涙ながらの「明日郎に手を出したら――」という叫び声が、くぐもって遠のく。おそらくリビングの扉を閉めて廊下を歩いているのだろう。

 

「すみません、妻は子どもを守りたい一心で――」

 

「……ええよええよ、愛されとる証拠よ。僕もうれしいわ」

 

 そうだ、そうとも。子どものためにあそこまで怒れるのだ。いい母親になれるだろう。僕は乾いた笑いをこぼす。

 

「しかしあれやな、付き合い方を考えんとな、ハハ」

 

「……無名様」

 

「なんよ?」

 

「……いえ」

 

 随分と歯切れが悪い。すでに嫌な予感がする。

 

「……いずれ知られることなので、その……」

 

 ややあってえいやと言葉を言い切った。

 

 

 

「妻が、()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 

「ああ……」

 

 

 僕は天を仰ぐ。喜ばしい報告を、なぜこんな気持ちで聞かないといけないのか。

 

「それで……申し上げにくいのですが、()()()()()()()()()()……」

 

 

 

 やめてくれ。もうわかっとるけん。

 

 

 

「どうすれば……お布施をすればよいのであれば、私だけ赴きますので」

 

「ええよ、そんなんせんでも……」

 

 

 

 なにか根本的に勘違いしているのだ。いつまでも年をとらない男を、怨霊かなにかだと誤解しているのだ。

 

 違うのだと伝えたい。ただ家族の元気な姿が見られればいいのだと伝えたい。

 

 

 

 だがもう手遅れだ。畏れられすぎた。どうしようもなく憎まれすぎたのだ。

 

 

 

「結界の……もっと優秀な祈祷師を雇うけん。それでもう僕は干渉せんけん」

 

「はい……申し訳ございません……あの、正月は……」

 

「こんでええ、こんでええから」

 

「ありがとうございます! ――っいえ、そのすみません、今のは――」

 

「ええって。ほなね」

 

「――はい、失礼します」

 

 電話が切れる。

 

 

 

 静寂が重くのしかかってくる。

 

 

 

 怖いだろうに、覚悟を決めて意思を伝えてきている。いい父親だ。愛沙と明日郎と、お腹の中の子どもも含めて、いい家族になるだろう。

 

 

 

 そこに僕はおらんけどな。

 

 

 

 頭がぐわんぐわんと回る。すがるような気持ちで、お糸の遺した言葉を思い返す。

 

 

 

 死んだらあかんで。子どもも、孫たちも、ずっとずっと見守ってやらんと。

 

 

 

 お糸の羽毛のような柔らかな声は、しかしすぐに愛沙の涙ながらの訴えに塗りつぶされた。

 

 

 

 明日郎に手を出したら、×()×()()()()()()

 

 

 

 写真立ての中のお糸を見やる。

 

 

 

 お糸、僕はもう自信がないわ。

 

 

 

 胸の内でずっと沈んでいて、言ってはならないと押し込めていた言葉が漏れ出た。

 

 

 

「君と結ばれたんは、間違いやったんやろうか」

 

 

 

 僕のつぶやきに写真立ての中のお糸は優しく微笑んで、しかしなにも答えてはくれなかった。

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