【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【生ける死神】
私がカミラお嬢様に呼び出されたのは、三日月が雲の合間から見え隠れする夜半のことだった。
裾を踏まないようにスカートを両手でつまみ上げながら、足早に赤いカーペットの敷かれた廊下を歩いた。
さすがに瞼が重い。私は胸一杯に夜の冷たい空気を吸い込んで眠気を飛ばす。カミラお嬢様は夜間行動だからいいかもしれないが、今月の私の配属は日中の西館清掃と庭園警備なのだ。今日は手持ちも少ないというのに。いつものように義務的な命令を伝えるだけなら早めに切り上げて眠ってしまいたい。
廊下の突き当たりの扉に行きついた。古びた荘厳な洋館にあって、最も新しく若々しい木の扉。長兄様御用達の木彫り師による薔薇の彫刻があしらわれている。
私は手鏡を取り出して、シニヨンにまとめられた髪を確認する。屋敷が新調したトリートメントのおかげか、ぼさぼさだった赤髪に随分とつやが生まれている。どうせ戦地に立てば元通りなのだろうが。
手鏡を仕舞って、後ろを振り返る。周辺に誰かいる様子はない。
スカートの裏に隠したレッグホルスターから『ヘンゼル』を取り出して、薔薇の彫刻めがけて射撃した。パァンパァンと乾いた四発の発砲音と、部屋内の陶器の割れた音が廊下にこだまする。
反響が収まったころ、扉の弾痕からお嬢様の声が聞こえてきた。
「入って」
私は失礼しますと断わってから扉を開ける。扉を閉めてから再び頭を下げた。
「御呼びでしょうか、カミラお嬢様」
カミラお嬢様はガラスの丸テーブルの上でケーキを食べていたようだ。右手のフォークを顔の横に掲げ、左手のハンカチで口元を拭っている。
「メイファ」
いつもの八の字眉に、今日はため息がセットでついてきた。
「命令をしたら一回殺しにかかってきてもよいと約束したけれど、最近のやり方はあまりにも雑すぎるわ」
はしたなくフォークをコンコンと机の端に当てると、弾丸が二つ、コロコロとカーペットに転がった。適当に撃って二発急所を捉えていたのなら上出来だろう。
「申し訳ございません。今日は銃器の整備を怠っていたもので。次はロケットランチャーでノックいたします」
「屋敷内での銃火器の使用は禁じておくべきだったわ……」
そう呟いて眉間をもんでいる。お可哀そうに。平時から貧血に悩まされている色白の肌は、血管と骨の所在を浮き彫りにしている。
お嬢様の自室は相変わらず物が雑多に詰め込まれていり。カーテン、ソファ、ハットスタンドに掛けられた帽子。部屋内の大多数が緋色に染められていた。奥で水滴をぽたぽたとこぼしている棚の上の陶器の破片は、薔薇が活けられていた花瓶の残骸だ。
「夜遅くに御免なさいね。なかなか二人きりになれるチャンスがなくって」
私は扉の前で立ったまま話す。
「御用件はなんでしょうか」
「とりあえず座ってちょうだい」
一礼してから部屋中央にあるソファへ歩く。
私が座ったのを確認してから、カミラお嬢様は目線を落としたまま話し始めた。
「今度、日本に行く予定があるのでしょう?」
「ええ、長兄様直々のご命令がございまして……ご一緒いたしますか? 観光する時間ぐらいは作れるかと思いますが……」
「違うの……アンジェラが日本で起こした事件に関しては知っていて?」
アンジェラお嬢様――。
私は言葉を選びながら答える。
「……七年ほど前のことですよね? 私はあの時別の任務についておりましたので詳しいことは存じ上げておりません」
アンジェラお嬢様はヴラドール家の次女、カミラお嬢様の妹様に当たる。末っ子でまだ百五十年も生きていない。まだその面影に幼さを残していた。
七年前のその日、日本への旅行から帰ってきてからアンジェラお嬢様の姿を見ていない。勘当されたのか、どこか別の施設に行かされているのか知らないが、なんらかの罪を犯し、その罰を受けたことは確かだ。
無論我々召使も突然いなくなったアンジェラお嬢様に困惑したが、屋敷を実質的に取り仕切る長兄様がアンジェラのことを話題にするなと警告したので、それ以上は誰も追及しなかった。長兄様に逆らう者などこの屋敷にはいない。
だからカミラお嬢様からその話題が出たことに驚いた。
と、同時に危険信号が頭の中で鳴り響いた。首を突っ込むな――。
「カミラお嬢様、何故今になってそのことを?」
お嬢様はトントンと人差し指でテーブルを叩いている。
ややあってお嬢様が口を開いた。
「このことはお兄様にも秘密なの。もし知られたら、きっとただでは済まない。私も口を閉ざしておこうと思ったのだけれど、知り合いの魔女から嫌な噂を聞いたから」
淡々と紡がれていく言葉に私は黙って耳を傾ける。
「日本に行くのなら、ついでに調べてほしいことがあるの。もちろん、ひっそりと。本当は私が動ければよいのだけれど、私が動くと目立つから」
お嬢様はそこで一旦話を区切った。顔を上げ、私の目をまっすぐ見つめてくる。
話があまり見えてこない。しかし面倒事には違いない。一度捨てた命だ、今更物怖じすることもないのだが、ここから遠く離れた地で犬死だけはしたくない。
私の胸の内を図ってか、お嬢様は視線を外す。
「おこづかい程度だけれど、前金を出すし、報酬だって出すわ。決して無理をする必要はない。あなたは
姿形は初めて会ったときからほとんど変わっていない。長く艶のある黒髪も、すらりと整った指先も、薄くサクランボをひいたような口元もあの時から変わらない。
素敵な髪の色ね。
死を待つだけだった私に、その言葉をくれた。
緋色の瞳に映る自分の姿を確認できる。私の赤髪よりも鮮やかな色。孤独で、死地をさまよっていた私に、居場所にくれたのはこの緋色だ。
「お嬢様。なに躊躇なさっているのか私には理解できません」
私はソファから立ち上がる。
「ただのお願いならば断固として拒否しますし――」
お嬢様の「なんで断固拒否なのよ……」という不満の声を無視して続ける。
「――命令されれば、私は必ず従います」
お嬢様は緋色を細めて、やがてテーブルの上に置いてある手紙を手に取った。
「では命令します、メイファ。詳しくはこの手紙にまとめてあります。読んだら燃やしなさい。今夜中に読むこと。いいわね?」
「かしこまりました」
私はお辞儀をしてから、お嬢様のそばに歩み寄る。右手で差し出された手紙を受け取る寸前で、窓の外を指さした。
「あ、UFO」
「は?」
お嬢様が窓の外に目を向けた瞬間に腕を引っ掴み、テーブルに置かれていたナイフを首元めがけて突き立てる。その細く青白い喉に切っ先が触れる――。
直前でお嬢様の姿が消え、ナイフが空を切った。
「雑すぎると言っているでしょう、メイファ?」
耳元で囁かれた。背後に回ったお嬢様は、親指の爪を私の喉に押し当てる。ドレスがふぁさりと舞う音が耳に届いた。
「本当にいけない子……お仕置きが必要かしら?」
よく尖った爪がピアノを弾くように私の頬を撫でる。私は高鳴る心臓の鼓動を誤魔化すように、唾を飲みこんで手に持っていたナイフを落とした。