【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【ミツル】
二人の男子生徒の喧嘩が発端となった集団ヒステリック。目の前にいる生徒指導の近藤の話によると、教師陣はそのように捉えられているようだ。
ミツルは職員室横にある小さな応接室で、近藤と担任の斎藤から先ほどのことについて、聴取されていた。ミツル自身は動揺して覚えていないが、拳で鏡を割り、俊介と胸倉をつかみ合って怒鳴り合っていたらしい。かすかに右手が痛む。
思考がまとまらない。近藤の話が頭に入ってこないので、近藤の後ろに視線を移す。仰々しい黒色のソファー。背もたれの後ろに立つ斎藤は、悲し気に口角が下がっている。その後ろにあるガラス棚には賞状やトロフィーなどが飾られており、金色に輝く優勝カップは部屋の景色を反射していた。
反射。優勝カップに映し出された、ゆがんだ自分の姿を見る。今は、姿を確認できる。教師たちが駆け付けたときにはすでに通常の鏡に戻っていたらしい。
あるいは。
膝の上で絡めた両手に、一層力が入る。
「……保護者の方には連絡させてもらうけどね、弁償というわけじゃないから。反省はしてもらわないといけないけど、あまり思いつめすぎないようにな」
近藤はうつむいているミツルと視線を合わせようと前にかがみこむ。これまでの中学校生活において、比較的優等生だったミツルが起こした騒動ゆえに、叱責よりも疑問や心配が勝っているようだ。同じように体育教師に連れていかれた俊介だとこうはいくまい。自責の念でさらに視線が落ちる。
自分はこれからどうなるのだろうか。ここにはいられないだろうから、引っ越すのか。ローンがどうとか言っていたのに、ごめんなさい。ルガールは自分をどうする気なのだろう。用が済んだら、去っていくのか、それとも丸飲みにして――。
「優しい大人に囲まれているようですね」
とん、と肩をたたかれる。続いて、首元に冷たい感覚。下を向くと、いつの間にかネックレスがかかっていた。細い鎖の先には、金色の指輪が通されている。
顔を上げる。
世界が青白く変色していた。部屋の内装も、置かれている物体は変わらず、ただ生気だけが抜き取られていた。目の前の近藤と斎藤は目線を合わせてなにかを確認し合う姿勢で固まっている。
世界が、静止していた。
「よかった。この世界まで壊されていたら、ゆっくりお話しすることも叶いませんので」
振り返ると、赤髪の女性がミツルの後ろの棚に並べられた本の背をなぞりながら歩いていた。窓の前で振り返り、深々と頭を下げる。
「初めてお目にかかります。私は、ヴラドール家の侍女を務めさせていただいております、メイファと申します」
想像する侍女とは正反対の軍服のような服装ながら、その所作は柔らかく、無駄がない。右腕は包帯で固定されていたが、両手を重ねてお辞儀している様を幻視できた。
「お迎えに上がりました。ミツルお坊ちゃま」
青白い光を背中に受けながら微笑むメイファの姿は、後光の指した聖職者のようであり、地獄へ誘う死神のようにも見えた。
【ミツル】
「ご安心ください。その指輪を通したネックレスをつけているかぎり、ミツルお坊ちゃまはこの空間でも動けます。それに、鏡に姿が映せるように、法理も組んでおきました」
メイファは職員室へと直接通じるドアを開け、ミツルに入室を促す。ミツルは言われるがままに職員室へと足を踏み入れる。
見知った教師たちはみな固まっていた。苦笑しながら談笑する六年生の教師陣、デスクで宿題を採点しているのは、昨年の担任だった田中先生だ。奥のほうでは同じクラスの女子生徒数名が涙ながらに体育教師になにかを訴えかけている。縦長の室内を効率よく使えるように、デスクが三列に並べられている。
ふと、窓の向こうでなにかが揺れ動いた気がした。自分たち以外は静止しているはずなのに、いったいなんだろう。
ダンッと音がして、ミツルは振り向く。
真ん中の列のデスクの上にメイファが飛び乗っていた。
「私の種族はニンゲンですが、今や幻想世界の住人として生きております」
静止した世界で、デスクの上をツカツカと歩いていく。それは言葉で語るよりも雄弁に、メイファが尋常ならざるものであることをミツルに悟らせた。
「ミツルお坊ちゃまの身の回りで起きている出来事は、すべて幻想世界の荒くれものどもが悪さをしていることが原因です」
「……昨日ルガールから聞きました。異変が起ころうとしているって」
「ルガールが?」
メイファは振り返って訝し気な表情を見せた。
「……あの子犬も困ったものですね。正体をばらすなんて」
「ルガールのせいじゃないよ。俺が……俺の力が暴走して、ルガールの術を解いたんだって」
ミツルはメイファに厳しい眼差しを送る。
「メイファさん、あなたは知っているんですか? 俺の中に流れる力を」
「……そうでしょう。貴方様は知らなければならない。
あの日。
あの日がいつのことなのか、言われなくても、わかる。
「七年前の、電車事故の日……」
「記憶があるのですか?」
「わからない……記憶なのか、夢なのか、もうわからないから」
ずっと疑問に思っていた。炎のなかで、ミツルに手を差し出す少女。
「
メイファは眉を少し動かした。
「夢の中で何度も出てきた。炎の中で、俺に手を差し伸べる金髪の女の子。あれは現実に起きていたことなんですか?」
メイファは少しの間目を閉じて、静かに口を開いた。
「夢でも幻でもございません。その手を差し伸べた少女こそ、すべての発端にございます。貴方様の体が水の流れを拒絶するようになったのも、日光よりも月光を好むようになったのも、鏡に映らなくなることも、すべてその差し伸べた手がはじまりなのです」
ミツルの頭のなかで、ここ数日の自分の体に起こった変化がフラッシュバックする。
メイファはデスクから飛び降りて、ミツルの視線を受け止める。
「そのお方の名は、アンジェラ・レドモンド・ヴラドール。バルカン半島の統治者にして、不死の君主として君臨する、吸血鬼一族のヴラドール家の第三女にございます」
「ミツルお坊っちゃま、貴方様はこれから、吸血鬼として生きなければなりません」