【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第42話 英傑との激闘、その一部始終

 

【証言1 松手(まつて)川緑地付近土手】

 

 島田と田中は幼馴染であり、今は私立湯ノ石商業高校でバッテリーを組む仲であった。山田の投げる速球を田中が受け止める。それだけで名だたる強打者たちを討ち取ってきた。

 

 

 

 しかしそれも中学時代までの話だ。

 

「俺、もうピッチャー辞めようかな」

 

 松手川の土手で、島田は小石を川に投げ入れながら、ボソリと呟いた。春から入部してきた新入生に速球で負けたうえ、肩の負傷でろくに練習ができていない。身長の伸びがとまり、中学時代までのフィジカル差で圧倒する投球が効かなくなってきた。

 

「泣き言言ってんなよ。まだいけるだろ」

 

 田中は土手に膝を立てて座りながら呟き返す。突風が吹き荒れる。今日はやけに風が強い。目の前を新幹線が往来しているかのごとく、風が無尽蔵に吹き荒れている。空に蓋をした雲から、ポツポツと雨が降り始めていた。

 

「ライトにコンバートしようかな。ライトならレギュラーに入れるかもしれんし」

 

「俺はお前の球以外受けるつもりはねぇよ」

 

「今の俺のヒョロ球なんて、お前じゃなくても捕れる」

 

「いい加減にしろタコ。いつまでいじけてんだ」

 

 二人は言い争いは次第にヒートアップしていき、ついには島田が田中の胸ぐらを引っ掴む事態にまで発展する。

 

「見ろよ、今の俺の投げる様を!」

 

 島田は田中を突き飛ばし、足元にあった石を引っ掴んで、川に向かって投げた。

 

 

 

 小石は真っ直ぐ川の水面に突き刺さり――。

 

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 

 後の友人との会話で島田は「水面が突然弾け飛んで、水飛沫が五メートルぐらい上がった」と言い、田中は「水道の蛇口から出る水を手刀で切ることあんだろ? あんな感じで川がぶった斬られた」と友人に言いふらしていた。また、たまたま同地点付近にある橋を通りかかった老人は、「川が流れと逆らうみたいに飛沫をあげて、上流のほうに人間ほどの物体が水切りみたいに飛んでいった」と家族に語り、軽くあしらわれていた。

 

 島田と田中は目の前の事態に呆気に取られ、どちらともなく逃げるようにその場を立ち去った。川辺から離れた後、雨に打たれ、息を切らした二人は、わけもわからないまま笑い合った。いけんじゃん、お前。ばか、あんなん投げてたら、お前が死んじまうよ。

 

 

 *

 

 

 一年後の夏、湯ノ石商業高校が島田と田中のバッテリーが快進撃を見せ甲子園出場を決めることになるのだが、この物語とは無関係な日常であり、ここではこれ以上語られることはない。

 

 

 

 

 

 

 

【証言2 湯ノ石公園】

 

 湯ノ石公園のベンチで森本はクリアファイルを片手に俯いていた。ダメだ、泣いてはダメだと考えるほど、涙がじんわりと滲み出す。人に優しいことしか取り柄のなく、引っ込み思案な森本にとって、就職活動はあまりにも険しい試練であった。

 

 

 

 それに、なぜだか最近肩が重くて動くのも億劫で、外を出歩くことさえつらかった。もっと外に出て行こうと思っても、体が動かない。どうして私はいつもこうなのだろう。ああ、帰ってお母さんに報告するのが今から辛い。

 

 ぽつりぽつりと雨が降ってきても、森本はスーツ姿のまま、傘も刺さずに雨に打たれていた。化粧が落ちてもかまうもんか。どうせ私には似合わないもん。

 

 

 

 どのぐらいそうしていただろうか。ギャン、と遠くで犬の吠える声が聞こえて顔を上げると、青白い炎が目の前にあった。

 

 冷たい雨などないかのごとく、青い炎は瞬き、消えていった。

 

 ずっと伏目がちだった森本は知る由もないのだが、青白い炎はこの十数分間で、公園内で数回目撃されていた。刀を所持した眼鏡の大男が闊歩しているという目撃情報とともに、一一〇通報が相次いでいた。

 

 

 

 森本は突然の炎に反応する元気もなく、むしろ向かいのベンチに座る女性のことが気になった。

 

 黒色のロングコートを着た赤髪の女性は、右腕を包帯で固定しており、肩で息を切らしていた。傘も刺さずにどうしたのだろう。自分のことは棚に上げて、森本は立ち上がり、女性に声をかけた。

 

 

 

「大丈夫ですか」

 

 赤髪の女性は一瞬、驚いた表情を見せる。

 

「……見えるの?」

 

「はい?」

 

「……なんでもないわ。ライター持ってないかしら?」

 

「あ、持ってます」

 

 胸元からライターを出す。地味女のくせに、などと男子生徒から揶揄されていることは知っているが、森本はアイコスを愛用していた。

 

「ごめんなさいね。つけてくださらない?」

 

 口元に添えたタバコに、ライターで火を灯す。伏し目になった切れ長の目元に、同性ながら胸の高鳴りが大きくなる。

 

 赤髪の女性は煙を吸い込みながら、森本の右肩後方をじっと眺めていた。

 

「ありがとう……あなた、最近寝つきが悪いんじゃない?」

 

 森本が再度「はい?」と聞き返すよりも先に、女性が言葉を続けた。

 

「ジャック、×××××」

 

 瞬間、つんざくような悲鳴が聞こえた。思わず目をつぶって耳を防ぐ。

 

 ややあて目を開けると、赤髪の女性が優しく微笑みかけてきた。

 

「これで今夜からぐっすり眠れるわ。風邪を引く前に早く帰りなさいな」

 

 いつの間にか手にしていたビニール傘を森本に手渡して、赤髪の女性は去っていった。

 

 

 

 森本は両手に持ったビニール傘を抱きしめる。その瞳は幼い頃に誰しもがもっていた輝きを取り戻していた。肩の重みはすっかりなくなっていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 女性の言葉通り、その日からよく眠れるようになった森本は、地元での就職活動を辞め、単身東京へと乗り込んでいった。彼女は数年後にイラストレーターとして名を馳せることになるのだが、この物語とは無関係な日常であり、これ以上語られることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【証言3 (おう)街道商店街】

 

 市内一の繁華街である王街道商店街は、その日も盛況だった。全長四百メートル以上続くアーケード街は雨宿り場所としても最適であり、入り口付近には晴れ間を待つ人々が集まっている。タンクローリーの往来ができるほどの広さと高さがある商店街ながら、通行できるのは歩行者だけなので、多くの人の往来があってもぶつかり合うことはなく、家族連れやカップルが談笑しながら夕方のひと時を楽しんでいた。

 

 

 

 そこに路面電車が突っ込んできた。

 

 

 

 前田洋子は二歳になる息子をベビーカーに乗せながら、王街道一番町入口に向けて夫と連れ歩いていた。二人の間に会話はない。夫は七カ月前に精神の病気を理由に職場を辞めた。最初は支え合っていた夫婦だったが、一向に就職に踏み切れない夫と間に軋轢が生まれていた。カラカラとベビーカーが転がる音さえも王街道の喧騒にかき消されていく。

 

 

 

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 洋子が気付いたときには、目の前に電車が飛び込んできていた。夕立市の中心街を周り、夕立城や湯ノ石温泉などの観光名所に、あるいは夕立市駅や役所などの住民の立ち寄り処に、運んでくれた庶民の乗り物だ。それがいまや牙となって洋子の前に飛び込んできていた。レールを失った路面電車は王街道の地面を抉り、両脇の店舗にめり込みながらもスピードを緩めることなく、三人の目の前に迫っていた。

 

 洋子は咄嗟にベビーカーに覆い被さる。同時に夫の両腕が洋子とベビーカーを抱えこんだ。生死の境ではすべてがスローモーションに見えるとは実しやかに囁かれていることだが、洋子もその死ぬ瀬戸際の感覚を手に入れていた。

 

 

 

 洋子が夫の肩越しに見たのは、襲いくる路面電車の前に立つ大柄の男だった。白い羽織と浅葱色の袴の男は、手にしていた日本刀を鞘から抜き、縦に力一杯振り抜いた。電車は一刀両断され、鉄が削れる爆音が鼓膜を揺さぶった。電車の切断面が両隣を通り過ぎていき、顔を伏せる。自分が発した叫び声すら聞こえなくなる。

 

 

 

 時間にして数秒であろうが、固く目を瞑り、抱き合っていた。「大丈夫ですか?」と声をかけられ顔を上げると、何事もなかったかのような日常が広がっていた。辺りを見渡すと、その場にしゃがみ込む人や、腰を抜かしている人が数人いるが、多くの人は怪訝そうにこちらを見ながら通り過ぎていく。

 

 

 

 洋子たちは帰宅後につけたテレビのニュースで知ることになるのだが、前田一家がいた一番町入り口と反対側、南町口付近では異常なほど突風が四方八方に吹き荒れ、商店のガラスが割れ、柱に爪痕のような傷がつくなどの被害が出ていた。

 

 

 

「なんにせよ、無事でよかった」

 

 

 

 夫のその言葉に洋子は強く頷く。頷きながら、じんわりと目の奥が緩んでいくのを感じた。なにより息子に何事もなかったのがいちばんだが、夫が身を挺して覆い被さってくれたことが本当に嬉しかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 洋子の夫は半年後に地元の公共施設職員として就職が決まり、二年後には二人目の子宝にも恵まれ、四人は仲睦まじく暮らしていくことになるのだが、この物語とは無関係な日常であり、これ以上語られることはない。

 

 

 

 

 

 

 

【証言4 夕立市駅商業ビル】

 

 夕立城下を南北に走る王街道は、その終点で東西にのびる銀星(ぎんせい)街へと直結する。同じアーケード街ではあるが、古くから観光街として栄えた王街道と違い、銀星街は市民の生活を支える商業の街として発展した歴史があり、それゆえ昨今の少子高齢化の煽りをもろに受けていた。

 

 いわゆるシャッター街と呼ばれるのもそう遠くないほど寂れた様相であったが、立地には恵まれていた。銀星街の終着点は四国最多の乗降人員を誇る夕立市駅の目と鼻の先にある。市内をめぐる路面電車の駅と県内の遠征の足となる夕立電鉄の駅、加えて夕立バスのバス停が一箇所に集中する夕立市のアクセスの要であり、銀星街はこの夕立市駅周辺の発展とともに再起をめざしているところだった。

 

 

 

 この未来を模索する銀星街および夕立市駅直結の商業ビルが、この日最大の戦場となった。本地点で起きた出来事は、単一の視点で語り切ることができない。以降は消去された証言の記録である。

 

 

 

 銀星街にて、刀を持った眼鏡の男と薙刀を持った着物の女と銀髪の若者が切り結んでいた。(五十代女性)

 

 銀星街直結の夕立市駅地下街にて、猫耳の少女が天井を歩き、地下街の上下左右が反転した。(七歳男児)

 

 銀星街出口にて、アーケード上の液晶パネルで流されていた地元製菓のCMが、突然双子の女性のアイコンに埋め尽くされた。警告音とともに画面から三本のコードが出てきて黒人の大男がそのコードを体に接続していた。(四十代男性)

 

 商業ビル地下一階食品売り場にて、赤髪の女が眼鏡の男にマシンガンをぶっ放していた。眼鏡の男は桃を食っていた。(三十代男性)

 

 商業ビル三階、駐車場へ直結する通路にて、銀髪の青年と黒髪の少女が動く歩道上で座り込んでいた。ともに負傷しており、反対側の動く歩道を歩く侍風の男から隠れている様子だった。(二十代男性)

 

 赤髪の女が銀星街アーケードの上からスナイパーライフルで商業ビルに向けて発砲していた。(十七代女性)

 

 商業ビル七階書店コーナーにて、大男が持ったアタッシュケースから緑色のガスが撒き散らされた。(四十代男性)

 

 商業ビル八階フードコートにて、ドーム状の飲食スペースで侍が複数名と戦っていたが、突如メタリックな蛇が階下から床を突き破って現われて、侍を丸呑みした。(六歳女児)

 

 商業ビル屋上遊園地にて、観覧車の軸受に鉢巻をした侍が立ち、ゴンドラ間をパチンコ玉のように高速で跳ね回る物体と交戦していた。(十代男性)

 

 雷鳴とともに巨大な狸像が降ってきて、商業ビルの屋上を踏み潰した。(七十代男性)

 

 夕立市駅前にある憩いの場にて、幕末の志士のような格好の男が商業ビル屋上から落ちてきて、商業ビルを隣接施設ごと四つに叩き斬った。その衝撃で、一瞬雨雲に切れ間ができた。(十代女性)

 

 夕立市駅前の路面電車用のレールの上にて、血まみれの侍風の男がチワワのような子犬の首を引っ掴んで掲げてみせ、なにやら叫んでどこかに消えた。(三十代男性)

 

 

 

 他エリアとは異なり、本戦闘のおよそ三十分間は月の影の破壊は行なわれず、現実世界への物的被害は検分されなかった。その代償として、影球処理の見積もりが甘くなり、あまりにも多数のニンゲンの影の内部への感覚的侵入を許し、ニンゲンの目撃情報が二百件を超えた。中央は夕立市駅半径五百メートル以内に結界を展開、忘却法理によって本出来事はその場にいたニンゲンの記憶からは消去されることとなった。舞台を変えて起きる湯ノ石温泉街前のからくり時計両断事故も同様の処置となり、中央は幻財面で打撃を受けるとともに、影球管理面の杜撰さを指摘され、大きく信頼を失うこととなる。後に勃発する京からの久尾(くお)組の侵攻の遠因は、本事件であったと指摘する声も多い。

 

 

 結界が展開されるまでの十数分間にSNSに投稿されたテキストはすぐに削除されるも、すでに拡散された後では効果が薄く、予言の噂は加速していくこととなる。()()()()()()写真や映像には映らない程度の顕在度だったのは不幸中の幸いであった。

 

 

 

 *

 

 

 

 本件は、この物語と非常に密接に関係した非日常であり、その影響については数十話ほどのちに語られることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

【証言5 湯ノ石温泉】

 

 雨足は弱まることなく、悠久の歴史をもつ湯ノ石温泉にも降り注いでいた。

 

 

 

 四宮は湯ノ石温泉の二階の休憩室で涼んでいた。五十畳以上の広さを誇るという畳の大広間には、座布団がずらりと並べられ、十数名の温泉客が浴衣姿で思い思いに休んでいた。赤い漆器の小皿にて提供される三色団子は、地元の名物として観光客がここを訪れる要因のひとつとなっている。

 

 向かいの座布団に座る男女がスマホで小皿を写真に収めようと騒いでいるのを見て、四宮は冷ややかな視線を送る。どうせ元の淡い色合いなど無視して、色調を派手に調整して写真投稿サイトにアップするのであろう。どうせこの温泉の風情がわかっておらん。

 

 とはいえ注意することもあるまい。四宮は団子を頬張ってよく味わってから、湯呑に入ったお茶を呑む。うまい。自分も若造の頃は団子の味にしか興味がなく、茶などろくに味わっていない風情なき若者だった。今はこの一杯の茶をおしいくいただくために、舌に絡みつくほどの甘い茶菓子があることを理解している。

 

 この境地に至るまで、酸いも甘いも経験するがよい。そう思いながら顔を上げた。

 

 

 

 目の前に血塗れの侍が立っていた。

 

 

 

 頭に巻いた白の鉢巻は赤く染まりきっており、胸元からは大量の出血がうかがえた。竹箒ほどの長さがある日本刀も、鈍い朱色に輝いていた。

 

 

 

「これは参りましたね」

 

 

 

 口元から血を流し、聞いているだけで苦しくなる呼吸音を立てながら、それでも目の前の男は呟くことをやめない。

 

「今の『参りました』というのは白旗を上げたということではなく、この状況は少々骨が折れる展開だと再認識しただけの呟きですよ。負けを認めたわけではないですからね」

 

 独り言ちな男に、四宮はうろたえながらも声をかける。

 

「お、おいあんた、どうしたんだ?」

 

 四宮の言葉に、男は血の混じる唾を飲み込んでから深く息をはく。

 

「あのですね、そんなにポンポン、俺の姿を見つけられると、困るんですよ」

 

 そう言いながら、耳元に手を当てる。

 

「柿崎、影球処理が間に合ってないですよ。そっちに人員を割いてください。……大丈夫ですよ、戦いは。俺が残り三人斬り捨てて終わりです、俺を誰だと思っているんですか」

 

 四宮は理解する。これは、このお方は、侍の英霊だ。おそらくこの地にゆかりのある戦国か、幕末時代のお侍様だ。死してなお、無念の情からこの場にとどまっておられるのだ。偶然にも、着物の浅葱色と白色の組み合わせは、四宮の敬愛する新撰組の副長・土方歳三と彷彿とさせた。

 

「お、お侍様、戦いの最中にございますかっ……!」

 

「最中ですよ最中。困ったもんですよ。……ああ、血が。ここにも妻と来る予定なのに」

 

 自分の足元にたまる血だまりが畳に吸い込まれていくのを嘆いている。

 

 

 

 ()()()()()。とうに枯れ果てたと思っていた涙腺から涙がこぼれ落ちた。この名もなきお侍様は、妻との約束を果たす前に死地に向かい、そこで散ったのだ。なんという武士《もののふ》。なんという漢。血塗れになってなお、妻のことを想っておられる! このお方の戦いの上に、今の我々の平穏があるのだ!

 

 ()()()()()()! 家族を愛せよという、天啓に違いない!

 

 

 

 四宮は両膝をついて、頭を畳にこすりつけた。

 

「お侍様、ご武運を! 貴方様の活躍は、私が語り継ぎますゆえ!」

 

 四宮の言葉に男は笑みこそ浮かべないものの、ふっと気を和らげた。

 

「今回ばかりは語り継がれると困るんですがね。ご老人。ありがとうございます。祈りだけはもらっておきますよ」

 

 ふっと短く息を吐いたのち、男は畳を力強く蹴り、そのまま姿を消した。四宮はただひたすら平伏しながら、感謝の言葉を述べ続け、向かいに座るカップルはその様子を気味悪げに眺めていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 四宮は帰宅してから温泉で出会ったお侍様の話を家族に話すも、ついにぼけたのかと軽くあしらわれた。病で死を迎える七年後までお侍様の話は続けられることとなるが、結局信じられることはなく、その話とは関係なしに家族からは愛され、温かく見送られることとなるのだが、この物語とは無関係な日常であり、これ以上語られることはない。

 

 

 

 

 

 

【聖人ミイラ】

 ガラガラと音を立ててストレッチャーが病室に運び込まれてくる。ストレッチャーに寝かされていた桃九郎は、僕の顔を見るやいなや、口元の幻力吸入器を外した。

 

 

 

「あのですね、お前の言いたいことはお見通しなんですよ」

 

 

 

 僕の表情に、心配よりも驚愕が前面に出てしまっていたのかもしれない。先ほどまで回復術を施されていたとは思えない勢いで、桃九郎はしゃべりたてた。

 

「どうせ『あれだけ大口叩いて勇み足で出ていったのに負けて帰ってくるのかよ。山岡桃九郎が負ける姿は想像できないと思った自分が恥ずかしいではないか』とか、そういうことを考えているんでしょうよ?」

 

「……そんなん思うてないって」

 

 その通り思ってしまった部分はあるが、それ以上に、本当に桃九郎が負けるなどとは思っていなかった。たとえ多対一の状況になったとしても、すべて斬り伏せると信じていたし、そう思わせるだけの実力と実績が桃九郎にはあった。

 

 

 

「お前が泣き言を言っていたんで俺も泣き言を並べますがね、五対一は聞いてないんですよ、五対一は。最初は犬っころだけだったのに、なぜだかどんどん敵の数が増えていって、最終的に五人ですよ。急造にしては連携が取れていましたし、なんなんですか、あいつらは」

 

 あの無法者どもが桃九郎の処理を優先したということは、それだけ桃九郎の力を認めたということだろう。相手には思念法理のスペシャリストのクローイがいる。協力を仰ぐことも容易だし、その気になれば一時的に思念を共有して、瞬間的な情報交換で連携も可能なはずだ。

 

 

 

「それにですね、とにかく月の影がずっと不安定だったんですよ。影のなかに人の思念が入り込んでいる瞬間が何度もあったかと思えば、影がなくなって俺の斬撃が現実世界の物体に傷をつけるなんてことも起きていたんですよ。おまけにあの黒猫が幻覚を見せてくるもんだから、もうわけがわからないですよ。温泉街にからくり時計あるでしょう、あれをぶった切っちゃいましてね。やりづらいったらありゃしませんよ」

 

「それでも大男と犬っころと黒猫は切り伏せてやったんですがね。女に一太刀浴びせようとしたら、戦いの舞台が湯ノ石温泉本殿でしてね。この刀でぶった切って、もし影じゃなくて本物だったらどうしようと迷いが生じてしまいましたよ」

 

 湯ノ石温泉は千年以上の歴史があるとされる日本最古の温泉のひとつだ。建て替えられたという本殿でさえ明治時代に完成した近代和風建築の重要文化財であり、夕立城と並ぶ夕立市の観光名所として有名だ。

 

 法理を使えば、現実世界の建造物でも、真っ二つに斬られようが、外見上の修復は可能だ。しかし、()()()()()()()()()を癒やすことはできない。その目に見えぬ術痕の違和感にいち早く気づくのは、長くその建物に触れてきたニンゲンのほうだ。歴史ある施設に手を出すことは、幻魔世界でも重罰規定であり、なにより土着の神妖の怒りを買うこととなる。

 

 

 

 ゲホゲホと桃九郎が苦しそうにせき込み、看護士の藤田さんが心配そうに肩をなでる。

 

「安静にしててください。肺に十二ミリ弾をぶち込まれているんですから。むしろなんでそんな話せるんですか――」

 

「無名、これだけは言っておきますがね」

 

 桃九郎が枕に頭を寝かせて、視線だけこちらに向けてくる。

 

「『算盤会』を全員緊急招集して、とにかく即時の影球処理を最優先するんですよ。あんな奴らのために命をかけてやる必要はありません。あの戦闘狂どもは、自分たちがなんのために戦っているのかさえ、どうでもよくなっているんですよ。犬っころと大男は捕まえましたし、ほかの奴らだって、怪我でしばらくろくに動けないはずです。一日こらえれば、京から武蔵や大和見廻組が駆け付けます。あとは岩屋の封印だけ気をつけてっゲホッ」

 

「もう喋らんでええ。桃九郎が負けた相手や。無茶はせんよ」

 

「ケホッ、あのですね、()()()()()()()()()。言い訳をいくらでも並べられますからね。言い訳の余地があるってことは勝てていたってことで、勝てていたってことは負けてないに同義なんですよ。悔しかったら、完膚なきまでに打ちのめして、俺の口を塞いでみろって話ですよ」

 

 こじつけの達人が、無茶苦茶な理論を振りかざす。言い訳ができる限り負けではないって。

 

「ほんならもう、未来永劫桃九郎が負けることはありえんやん」

 

「だからそう言っているんですよ。俺は最強なんですから」

 

 藤田さんが視線で帰るように促してくるので、退院ならぬ退散することにした。これ以上ここにいても、桃九郎の話を延々と聞かされるだけだ。

 

 病室から出るときに会話が聞こえてきた。

 

 

 

「気を付けるんですよ、無名っ! ……からくり時計、来週までに直りますかね? 明美が悲しみますよ――」「いいから黙ってくださいって」「あのですね、俺に『黙れ』は『死ね』に同義なんですよ。マグロ知ってますか、マグロ。あれと同じでね――」

 

 

 

 桃九郎は高慢で、口うるさくて、とにかく面倒な性格をしているが、それでも嫌いにはなれない。本当のことを言うと、明美が桃九郎を選んだ理由は理解している。どうしようもなく、羨ましいだけなのだ。

 






ここが「承」の終わりです。こんな長くて訳わからん文章を追いかけてくださっている方、感謝感激雨霰です。次回から最終決戦までノンストップで向かいます。評価・ブクマなどよろしくお願いします。
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