【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【聖人ミイラ】
月の影に入った夜の
「無名殿!」
白鷺寺の仁王門をくぐったところで、犬山が駆け寄ってきた。
「
僕は衣山に詰め寄る。五名配置していた影縫の気配が微弱にしか感じられない。
「こちらへ」
衣山に連れられて護摩堂へと向かうと、眠りこけた部下たちの姿があった。息はあるようだが、非常に浅い。『明枕』を打たれたか、『眩め』にやられたか。目を覚ましたとしてもすぐには幻力を行使できないだろう。
「申し訳ございません……。私は詰所で各員の無線通信役を請け負っていたのですが、気がついたら警備役が一様に気絶させられており……牢屋に入れていたマル害二人にも逃げられてしまいました」
おかしい。白鷺寺境内は、影縫関係者の感知能力と幻値の底上げがなされるように、加護が施されているはずだ。無線整理を行っていたとはいえ、衣山に気づかれないうちに全員を昏倒させるなんて、並の芸当ではない……。
僕は額を擦る。
「……マル番は? あの子はどうなっとるんぞ?」
「少年は綴喜殿が夕立城へ連れていきました」
「夕立城?」
「はい。今となってはここよりも夕立城のほうが安全だろうとのことで」
「ほんならなんで連絡がつかんのぞ――」
そのとき、僕のスマホが鳴った。
【ミツル】
爆発音は断続的に聞こえてくる。
それに加えて、先ほどから三の丸広場より近くで怒声や雄叫びがあげられていた。ミツルは大河ドラマで見た、戦国時代の合戦を思い出していた。暗闇で戦いの様子が見えない分、近くて遠い死の気配が恐ろしかった。
「大丈夫ですか?」
戻ってきた綴喜が、ミツルの隣に並び、欄干に手をかける。
「二の丸史跡公園のほうで、狸妖怪と、城の警備が争っているのです。諦めてくれるといいのですが」
狸と聞いて、ミツルは葉を頭に乗せてポンと人に化ける獣の姿を思い浮かべる。
「なぜみんな戦って……俺の力を求めて、ですか?」
「その力を求めての者、封じたい者、あるいは増幅させたい者……さまざまでしょう。もうすぐ丑三つ時ですからね。みな昂っております」
綴喜は時計を確認するように、満月の位置を確認した。
それからパンと手を叩いて、ミツルを振り返った。
「そうだ、先ほど加賀から連絡がありました」
「先生から?」
「ええ、元気そうでしたよ」
「あんなに血を流していたじゃないですか」
「ミツルさんは知らないかもしれませんが、彼はあれでも結構すごい術士なんですよ?」
「そう、なんですか……」
腑に落ちないところがありながらも、ミツルは安堵していた。大丈夫だったのだと自分に言い聞かせると、全身が弛緩して、一気に疲れがのしかかってきた。腹の減り具合から、夕食をとっていないことを思い出していた。
綴喜はじっとミツルの様子を観察してから、ミツルに問いかけた。
「初めて会ったときのことを覚えていますか?」
唐突な質問に戸惑いながらも、ミツルは思い返そうとしてみる。野川たちを気絶させた後の雨のなかで――いや、違う。たしか二日前に倒れたときに、車の中から見たはずだ。ルガールたちと一緒にいたのを目撃したのが初めてじゃないか?
綴喜はくすりと笑って、首を横に振る。
「おそらくここ数日のことを思い浮かべていると思いますが、
そうなのか。そういえば、彼女は学校の守護霊なんだっけ? 昔から見守られていたのだろうか。
「この地で言葉を得て以来、何度か生徒たちの前に姿見できる機会がありました。みな呪いごとは好きですからね。子どもたちの願いを聞いてあげることは、細やかな幸せでした」
ミツルは瞼を擦った。加賀の続報を聞いて安心してしまったのだろうか、睡魔が忍び寄ってきていた。
「あるとき、ひとりの少年が湯ノ石中学校に入学してきました。その少年の秘めたる幻力に驚いたものですが、真面目で温厚な立ち振る舞いをしており、すぐに同級生や教師からの信頼を得ていました。呪いごとに手を出すようにはとても見えませんでした」
「時を同じくして、呪いごとが学校内で流行り始めました。正確に言えば、『
なんの話だ? 澱みない綴喜の言葉に、ミツルはついていくのに必死だった。
「そのときも私は大した期待はしていませんでした。昔からの慣習の通り、小規模な騒ぎが起きて、守護者や影縫に苦言を呈されて終わりだろうと思っていました。しかし、このような呪いごととは無縁だと思っていたその少年が、一時の気の迷いか儀式に手にかけたのです。そのとき、私のなかに邪で、妖としては至極健全な気持ちが産まれました」
「『
【聖人ミイラ】
スマホの画面に映し出されたのは、少女の満面の笑顔の写真と「綴喜」の名前。
僕は叱りつけるように画面を叩いた。
「綴喜っ! 無事なんか?」
「む、無名〜。お久しぶり……あ、夜分に失礼しますぅ」
縮こまった声に、思わず語気が強くなる。
「お前さんなにしとるんぞっ! 連絡取れんままフラフラほっつき歩いてっ!」
ひえぇと可愛らしい悲鳴が電話口から聞こえる。今はその緊張感のかけらもない声が腹立たしい。
綴喜がこの地の守護者として働いていれば、もっと結界の展開は楽になるはずなのに。
「申し訳ございません、やはりすまあとふぉん?なるものがよくわからず――これ、なにゆえボタンがひとつしかないのですか――」
「今は夕立城なんか!? 合流するけん、僕が向かうまで動くんやないぞ!」
「む、向かうまでって、これからこちらに来る気ですか? 無茶ですよ」
「なんでぞ、今どこにおるんや!」
「だって、今私がいる場所、ネムロですよ?」
寸秒、言葉に詰まる。
ネムロってなんだ? 施設の名前か?
「……ネムロってなんぞ?」
「ですから、ネムロですよ。
北海道のネムロ市。
遠く離れた地の、岬の先に立つ灯台と青々とした海原の光景が頭に浮かんだ。
――
額を抑える。また綴喜がふざけているのか?
「……ま、待てや。なんでそんなとこにおるんぞ」
「なぜって……事前に申請を出したではありませんか。
桜の信仰を集めて参ります。長期不在の申請書類を顔の前に掲げて嬉しそうに左右に揺れる綴喜の姿を思い出す。
「こちらで少々トラブルがあって――しかも念波障害もあったんですよ――それで定日より伸びてしまったのは申し訳ないですが……。あ、代わりと言ってはなんですが、カムイたちにおいしい地酒を教えてもらったんですよ。帰ったら一緒に――」
「ちゃうわ、なんでや、なんでっ……綴喜がそんなとこにおれるわけないやん」
だって、ついさっき報告を受けた。綴喜は今、夕立城に向かっていると。それだけじゃない。昨日も、僕を白鷺寺まで運んでくれとったやないか。その前の乱戦のときだって――。
心臓の鼓動が早くなっていく。
綴喜が白鷺寺まで運んだと誤認したのは、桜の枝があったからだ。乱戦のときは、夜雀の能力で視界が奪われていたので、霊圧の強さから綴喜だと推定しただけだ。
綴喜の現状の報告は
――
「衣山!」
衣山は配属されたばかりで、綴喜の顔を見たことがない。
スマホの画面に表示された通話者のアイコンを、綴喜の写真を衣山の前に突き出す。
「お前さんが見たんは、この
衣山は身を乗り出して、携帯の画面を確認して――。
――やがて、首を横に振った。
「――いえ、
頭が真っ白になる。鼻の頭に桜の花びらを乗せてピースサインで笑っている綴喜の写真から、「もし、何事ですか?」という呑気な声が聞こえる。
僕は綴喜の呼びかけに返事もせずに、空の満月を見上げた。
ミツルは今どこにおる?