【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【犬っころ】
訳のわからねぇ絡繰部屋から脱出して、そこに突き落とした綴喜をぶん殴ってやろうと天守部屋に駆け戻ると、すでに女の姿はなく、代わりにミツルが似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべていた。
「遅かったじゃないか、ルガール」
「……テメェ」
「……おお、犬っころといえど、憑き物に遭っていることはわかるようですね」
「当たりめぇだッ! 畜生の匂いがプンプンしてかなわねぇぜ」
「今の今までいいようにやられている野良犬がなにを抜かしているのやら――」
俺はその喉元に噛みついてやろうと飛びかかるが、奴が右手を振るうと霊圧で柱に叩きつけられた。
「まあ落ち着いてください。その姿じゃ、天と地がひっくり返っても私には勝てませんよ」
一際大きな爆発音が城を震わせた。その音を聞いて、奴から愉悦の笑みが溢れる。
「丑三つ時になったら、もっとおもしろいものを見せてあげますから。それまで私の苦労話を聞いていただけませんか?」
「……」
「本当に、ここ数日は心が張り詰める日々でした。海外の化け物たちは暴れ出しますし、そのなかにはあのクローイがいましたからね」
そうだ。クローイだ。あいつがいて、なぜこいつを見逃していたんだ?
「少年のおかげで顕在できたものの、その時点では私の、妖狸の力は微々たるものでした。犬っころの姿のあなたにすら勝てるかといった程度の力。ですから、怪談話が進行するまでは、おとなしく隠れているつもりでしたが、あの黒猫の存在が邪魔でした。隠匿は私の得意分野でしたが、あの黒猫の探知能力だけはどうしても掻い潜れないとわかっていました。だから、
奴は霊圧をふっと抑えてみせた。目の前にいるのに、その存在が危ぶまれるほどの、か細い痕跡。
「彼女にだけは存在を感知できて、しかしほかの化け物どもには感知できない程度の霊力を維持しました。私は
「……どういうこった? お前はいつから俺たちの前にいたんだ?」
「
俺は咄嗟に言い返そうとして、口をつぐんだ。
思い返してみると、確かにクローイと妙に会話が噛み合わない部分はあった。霊圧を飛ばしてきたときも、クローイだけ唐突に言葉を発していた。無名の記憶消去後に独りでブツクサ言っていたのは転移の呪文だと思っていたが、こいつと会話していたのか。
俺の表情の変化を読み取ったのか、奴は憎たらしく困り眉で微笑んだ。
「あまりクローイを責めないでやってくださいね? あの乱戦以降、彼女はずっとボロボロの状態だったんですから」
その通りだ。途中で気づけなかったのは仕方ない。問題はそこじゃねぇ。
なぜクローイは、
俺の思索は、奴の浮ついた言葉に阻まれる。
「彼女の信用を得つつ、怪談話の畏れの力が集まるのを待ち、本物の綴喜の長期不在で桜を狂い咲かせました。本当はもっと長く咲かせられればよかったんですが、『桜の下の死体』の怪談としての畏れを得るには充分でした。怪異の力を借りて、初めて一定の力を得ることができたのです。あなたと会話できたのは、その翌日のことでしたね」
「そうだな。あそこでテメェを殺しときゃよかったぜ」
「綴喜の姿を知る無名にだけは会わないようにしながら、しかし夕立市内にいると誤認するように嘘の情報を流し続けました。同時に、少年を七番目の怪談の怪異として吸血鬼の力を覚醒させ、この夕立城に連れて来られるように誘導しました。怪談の次は、世界で謳われている予言を実現させなければなりませんから」
つまりはミツルを吸血鬼として覚醒させたうえで肉体を乗っ取り、これから予言を実現させてさらに力をつけようとしているってことか。
「……わからねぇな。そこまでみみっちい動きをしながら、なぜ俺たちを生かしている? 牢屋から脱獄させたのもお前だろう?」
「脱獄させたのは正確には私ではなく、
「そうだ、お前はわざわざ俺たちの助太刀までしたじゃねぇか」
「あそこで死なれていたら困るんですよ。予言を本当の意味で実現させるには、それなりの
奴は歓喜に震える右手を押さえながら呟く。
「私は試練に打ち勝てる……! あと数手ですべてが報われる。謳われた力を手に入れてさえしまえば、あの桃九郎や……
霊力が漏れて、奴の霊体がミツルからブレ出して見えた。
俺は一抹の希望をもってミツルに呼びかける。
「おいミツル! お前散々結界をぶっ壊しといて、簡単に乗っ取られるとはどういうこった!? さっさと出てこねぇか!」
奴は再び俺に向き直って、両腕を広げてみせる。
「無駄ですよ。私の契約は、予言と吸血鬼の力が混ざり合う前に、
「……お前をぶっ飛ばしても吸血鬼の力は消えねぇって認識でいいか? ミツルの不死の力は使えても、ミツルから不死の力を奪ったわけではねぇと」
「そういうことになりま――」
奴が言葉を言い終わる前に柱を蹴って四方八方に駆け巡った。子犬の姿でも、目にも止まらぬ斬撃ぐらい出せる。ミツルがちょっとやそっとで死なねぇなら存分にやってやる!
奴は俺の高速移動を意に介することなく、構えることさえしない。
「先ほど伝え忘れておりました。世界的に名高いとは言い難いお前を、なぜ脱獄させたのか――」
俺の爪が奴のうなじを引き裂く前に、俺は地面に叩きつけられた。グランドキャニオンの滝を浴びたような圧が全身を押しつぶす。
「ひとつは、お前のような犬っころごときを野放しにしたところで、大した脅威にはならないから」
奴は俺を踏みつけながら饒舌に語る。
「もうひとつは、お前が憎き狼だからですよ、ルガール。
「……っへっ、なるほどな、テメェの原動力がわかってきたぜ」
「へえ、なんです?」
「さっきから聞いてりゃ、狼が憎いだの、九尾が憎いだの……
ふっと霊圧が消えた。俺は構わずに続ける。
「知り合いの魔女から聞いてことあるぜ、狐は神の遣いとして日本で祀られているが、狸は童話で間抜けな役回りばっかりだってな。その僻みを抱えつつも、力が足りないがゆえにコソコソ隠れて、ガキどもを騙くらかすことでしか優越感を満たせない哀れで惨めな――」
言い終わる前に俺の横腹を蹴り飛ばした。床を転がって窓の際まで吹っ飛ばされる。
奴は足音荒く近寄り、うずくまる俺の首根っこを引っ掴んだ。
「
俺を欄干に押し付ける。奴は懸命に笑みを湛えながらも、煮え滾る怒りが口元から滲み出ていた。
「あまりにも思慮の浅いお前にひとつ教えておいてやらねばな。なぜ我らが現代に置いて狐ごときに遅れをとっているように見えるのかっ……!」
バチバチと霊気が音を立てて、妖狸の姿が見え隠れし、ミツルと霊体の声が重なる。
「その昔、妖狸を恐れたニンゲンどもが、狐に助けを求めて我らを罠にはめたからだ。争いこそあれど同族だと信じていた狐の騙し討ちを喰らって以来、我らは力を失い、ニンゲンは狐に媚び諂うようになった……。社では狐がまるで神のごとく祀られ、翻って
首を絞める力が増していく。息を、吸い込むことが、できねぇっ――。
「その屈辱の日々も今日を境に変わる」
ふっと首元が緩んだ。俺は咳き込みながら呼吸する。
奴は手すりをふわりと飛び超えて、屋根瓦の上に立った。
「時来たり。人々は寝静まり、霊力が集まる丑三つ時……まずは一手進めるとしよう」
奴が右手を突き出す。爆発音と雄叫びが夜空に響いている。空が照らされてはすぐに元の闇を取り返す。
クソッ、この位置じゃ月が見えねぇ!
空を眺めようともがく俺を見て、奴があざ笑う。
「無様だな、ルガール……戦場の特等席にいる気分はどうだ?」
「――クソ喰らえっ」
手を離して俺を落とすだけかと思いきや、そんな生やさしいもんじゃなかった。奴は霊圧を込めて俺を吹っ飛ばし、本丸の広場へと叩きつけた。
俺が起き上がるよりも早く、地鳴りに体の芯まで揺らされる。寝転がったまま奴のほうを見ると、砂を巻き上げながら石垣ごと城が浮き上がっていく。
月を覆い隠すように夜闇に漂うその姿は、まるで――。
【古来狸】
「すごいぞ、これが『謳われた力』なのかっ!」
少年の高笑いが響くなか、雲が晴れる。
難攻不落と語られてきた夕立城は、満月の光に照らされて、空に浮かびあがった。
「見ておられますか、
心酔する妖狸の王と、自らを我が子のように育ててくれた親愛なる女狸の名を叫ぶ。
城を浮かせるために使っていた霊圧を鎮め、右手を空に突き上げる。
少年の後ろに、古来理の影が重なる。
「そして夢現に迷えるみなども、ご笑覧あれ!」
手にした卵を割るように、右手で空を掴み――。
「
その虚ろを握りしめると、月の影が音を立てて割れた。
深夜の散歩をしていた老人は、残業中のサラリーマンは、粘りに粘った配信者は、夕立市の天空に確かに目睹した。
ガラス片のように割れる世界の向こうに、
神職の尽力によりすぐに影は修復されるが、古来狸は高笑いしながら、からかうかのように月の影を破壊し続けた。世界は壊れたテレビのようにノイズが入り、刹那的に幻と現実が交錯する。
撮影された写真および動画は、瞬く間に拡散され、畏れは激流の渦となって夕立城に吸い込まれていく。
ようやくプロローグに追いつきました。ここからがクライマックスです。評価・ブクマなどよろしくお願いします。