【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【黒猫】
僕はけたたましく震えているチェーンソーの電源を切り、声を張り上げた。
「見なよ! どう考えたって僕たちが争っている場合じゃない!」
無名はじっと天を見つめている。地響きとともに浮かび上がった夕立城は、頭に血がのぼった彼の動きを止めるには充分だった。
「僕はあれを止めたい! 君もあれを止めたい! そうだろう!?」
無名は前傾姿勢になって僕を睨みつける。
「ほうやな……はようとっ捕まえんといかん理由が増えたわ」
「勘弁してくれ……僕はヒトデじゃないんだぞ? そろそろ手足を再生させるもの限界だ」
無名の法衣はどうしようもなく厄介で、捕縛したものの法理を制限する効果が付与されている。おかげで一度捕まってしまえば『切り裂け』で千切ることはもちろん、『我が身よ爆ぜて集え』で自爆再生をすることすら叶わない。ヴィクトールのように持ち前の剛力のみで引きちぎるのが解法のひとつなんだろうが、残念ながら猫にそんな力はない。事前に準備していればいくつか対処法もあるのだろうが、僕が今できることといえば、法衣で捕らえられたときに瞬時に自分の手足をチェーンソーでぶった斬って、『トカゲのしっぽ』を唱えるという力業しかなかった。これは副作用が酷い法理なのに。
「月の影が何度も破壊されている。そこで横になっている黒い影……おそらく僕が目の前で脚を切り落とす場面を見ちゃって気絶してるよ。かわいそうに。
「そう思うんやったらさっさとお縄につけぇや」
「頼む、一度君の周りを包む加護を緩めてくれよ。そうすれば僕の本心を直接見せてあげられる。敵意がないことがわかるだろうさ」
「アホ抜かせ! また記憶消す気やろうが!」
「そんなことをするわけないだろ!」
どうしたものか。僕の『防覚膜』を感知できるトラップが仕掛けられているとは思わず、さほど警戒しないまま城下町通りを走ってしまったのが間違いだった。
ここの警察機構である影縫の質が低い理由がよくわかる。探知も戦闘も捕縛もこの男に頼り切りになっていて、後継が育たなかったのだろう。
とにかく上の様子が知りたい。『燻せ』で視界を遮ろうとしたときだった。
ポォン。
小気味よい堤の音色が夜空に響いた。
続けてポンポンポンカンカンカンと乾いた木を打つ音が連なる。歌舞伎の演目が始まろうとしているようだ。この位置からでは城と山に隠されて全体像が見えないが、城の背景に白い窓――障子だ。大きな障子が夜空に展開されている。
静粛さを促すような張り詰めた音の連弾、現実と幻想をつなぐ門の出現。召喚術の一種と見て間違いない。
そして、この規模は――。
「嘘やろ……」
同じく上を見上げている無名の表情から、どれほどの猛威を呼び出しているか、容易に想像がついた。
「寄りにもよって、
【
古来狸は瓦屋根に膝をついて、息を整える。
「感じるぞっ……この身には有り余るっ……なんと強大な……」
両手からほと走る妖気に、恍惚とした表情を浮かべる。もはや憑依体から霊体がはみ出るほどに、力が渦巻いていた。
「だが、これからだ……! この力をもってしても、
古来狸はこの数日間、隠れながら存分に見ていた。立ちはだかるであろう、海向こうの化け物たちの力量を。なればこそ、油断はない。
「
古来狸の最後の一手。表情を引き締めて、両手で印を結ぶ。
「『西方いわく、
古来狸は『写し』と呼ばれる法理の詠唱を始める。
「『東方いわく、
写しとは、世に名高い幻魔の畏れを実体化させる妖術。
「『北方いわく、
その地で強く、連綿に畏れられた妖であればあるほど、その効力は増す。
「『南方いわく、
古来狸は写し出すものの名を連ねる。
古今東西、老若男女に語られるその呼名は千差万別なれど、すべて格段の畏敬の念をもって丁重に持てなされ、その幻影にすら、人妖問わずすべてのものが頭を垂れる。
「『
かの幻妖学者・
(四国は本島より隔離された別天地であり、人知の届かぬ自然が色濃く残る魔の島である。その妖怪たちの楽園を、我が物顔で闊歩する強大な妖狸がいる。)
「『写し――』」
(秀でて並び立つものなし。
「『――
ぽんっ。
狸の腹鼓の音が鳴り響いた。空に浮かぶ夕立城を迎え入れるがごとく、その背後に巨大な丸い障子が現れた。月明かりに照らされて、障子に一匹の獣の影が映る。
ぽんぽんぽんぽんぽんっ。
鼓の音が鳴るたびに、障子が開いては、次の障子が現われる。障子が開くたびに映る影絵は移り変わる。獣は宙を舞い、子を産み、配下の数が増えていく。
かんかんかんかんかんっ。
障子の開く音は拍子木のように、鼓の音に重なる。影絵の獣は城を見下ろし、侍に飛びかかり、殿を化かし、いつしか
いよぉぉぉぉぉぉ、ぽんっ。
無限に続くかと思われた障子の連弾は、掛け声とともについにその最奥を打ち開いた。
夕立城の大天守より巨大な、恰幅のよい僧が現れた。目深な遍路笠は目元を隠し、しかし尖った鼻先と犀利な牙は月夜に晒されていた。その身に黒の袈裟を纏い、首元には深緑色の数珠をかけ、獣の手には瓢箪と金剛杖が握られていた。
「印行様、お帰りなさいませ。
平伏する狸の声に反応することもなく、隠神刑部の写しは大地に降り立った。地鳴りが響き、砂埃が舞う。
月の影内の幻魔たちは、その風采を呆然と見つめていた。
写しは手に持っていた徳利を口に含んで腹を膨らませ――。
――そのままぶぅ、と街に吹いた。
吐息は灼熱の炎へと変わり、夕立市の中心街を瞬く間に炎の海へと変えた。
洒落乙な店が立ち並ぶ城下町通りが、王街道のアーケード街が、居酒屋が立ち並ぶ裏通りが、隙間なく火炎に包まれる。豪火という形容すらも生ぬるい、暴虐性に満ちた爆炎は、瞬く間に家屋を消し飛ばした。熱波が通り過ぎた後には灼熱が残り、立ち昇る黒煙が月すらも隠す。
数多の三味線を一斉にかき鳴らしたような異様で重厚な慟哭は、幻魔を震え上がらせた。
参考文献:「たぬきざんまい」富田狸通(たぬきのれん、1964年)