【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
第53話 封印されし者
【聖人ミイラ】
アカン! 僕は夕立市中心街にいる影縫へ念波通信で思念を張り上げる。
「(総員防幕強化ッ!)」
印行の吹いた火はうねりながら僕を飲み込んだ。
法衣と護札は炎を防いたが、それでもなお熱波は肌を刺し、爆風で数十メートル先の初山《はつやま》交差点まで吹き飛ばされた。交差点のど真ん中で受け身を取る。
木造家屋のあった跡地からは黒煙が上がり、雨が傘をたたくようなバチバチという音が四方から聞こえてきた。火の焼ける音、あるいは落下する家屋の破片の音だろう。
念波通信に聞き耳を立て、状況を確認する。
(――ん分隊、第弐分隊とともに左翼は壊滅的状況。応援求むッ!)
(こちら第七分隊、右翼の幻魔は指定の避難地まで誘導を完了。しかし、熱波が避難地域のすぐ隣まで届いている。避難場所の再検討を要請するッ!)
(こちら地方五番、綾香です。現界湯ノ石町××番にて、瞬間的にとてつもない熱と振動、異音を検知しました。友達みんな飛び起きてます。あたしも緊急出動しますか?)
(こちら低空第一隊、写しの放った燃焼は県庁前を起点に、初山交差点東十メートル先まで扇状に広がっている模様――)
情報が錯そうしている。全体の指示は第二臨時基地の統括部に任せるしかない。今はそれよりも確認しなければならないことがある。
心臓の鼓動すらかき消すような、竜のような鳴き声が大地を震わせる。印行は勝ち誇るように嘶いている。
「すさまじいな。まるでゴジラだ」
いつの間にか頭の上に乗っている黒猫がつぶやく。
「一応聞くけど、あれは本体が召喚されたわけじゃないんだよね?」
印行は黒煙にまみれた城下町を揺らしながらゆっくりと前進する。
「そうや。
「……
「言われんでもわかっとるわ!」
僕は個別の念波通信で呼びかける。
(こちら無名。伊田、応答できるか?)
(……はい、こちら伊田です)
(岩屋が隠されとる
(すでに神職百十七名と桃九郎隊長率いる上員十五名が現着して、封印措置を行なっているとのことです。ただ、写しが召喚されてからは通信が途絶えている状況です)
(……了解。あっち側から連絡あったら教えてくれ)
通信を終えて、奥歯を噛みしめる。
万全の桃九郎なら印行様相手でもなんら問題はない。だが、まだ昼間の戦闘の傷が癒えきってはいないはずだ。今夜だけは封印が解かれると、桃九郎でも危ない。
とにかく目の前の写しを早めに抑えないと大変なことになる。写しへの畏れが集まると、本物の印行様も力をつけてしまう。いや、まずは召喚者を叩くべきか? 写しの種類によって、対応も変わってくる――。
ぽぉん。
印行のほうを見上げると、宙に二匹の信楽焼が現われていた。その焼き物たちがぽんと腹を叩くと、四匹に増える。堤が鳴るたびに八匹、十六匹と数が増えていく。
一度腹を叩いた信楽焼は、近くにいる影縫たちに襲い掛かっていく。
二の足を踏んでいる間に、僕の元にも五匹の信楽焼が飛んできた。跳躍したクローイをそのうちの三匹が追う。
法衣を振るい、一匹を捕縛しようと試みるも、捕まえる寸前でパンと音を立てて体が弾け飛んだ。至近距離で飛んできた破片は法衣の防膜をすり抜け、皮膚に隠された護符によって防がれる。
自動式の炸裂弾か。
僕はもう一匹に護符を投げつけながらクローイに叫ぶ。
「動きは単調やけど破裂するけん気ぃつけぇ!」
「情報感謝」
クローイが右手から出した紫色の煙に包まれた一匹は、破裂することなく地面にたたきつけられる。上方から落下する一体は大雑把なレーザー光線で消滅させた。
後方から飛来する一体も、クローイはひらりとかわす。
「数が増えると厄介に――」
避けたはずの信楽焼は突如煙とともに姿を変え、獣の姿でクローイに一直線に飛び掛かった。クローイはその牙を首筋にまともに喰らう。
「クローイ!」
「っそんな大声で呼ばれなくても、自分の名前はわかってるよ」
クローイは怯みながらも嚙みついた獣の目元に手をかざす。獣はキュゥンと鳴き声を上げながら力が抜けたようだ。
眠りこけた獣をなでながら、クローイは呼吸を整えていた。
「変化の術まで混ぜてくると。……これをいちいち対処しているとキリがないね」
印行が再び空に向かっていななく。低空部隊が戦ってくれているようだが、時間稼ぎにしかならないだろう。ちんたらやっている暇はない。
「僕の『
「やめときなよ。どうせさっき僕に食らわせようとした光線の強化版だろ?」
クローイが抱えていた獣がしゅうと音を立てて消え、一枚の葉っぱに戻った。
「この影内の嫌な圧迫感からして、幻落値を最大限まで上げているんだろう? あれより強力な熱線をぶっ放したら現界への影響は計り知れない。下手すりゃ本州まで閃光が届いて
クローイの言う通りだ。いやなんならもっとたちが悪い。僕の絶理は指向性がない。味方を巻き込む可能性がある以上、迂闊には出せない。
「ほんならどうするんぞ! お前さんの絶理は?
「……答えられないけど、
答弁している隙に、再び十匹以上の信楽焼が飛来してきたので、それぞれ個別撃破を狙う。変化や狸火を織り交ぜてくる賢しさに苛ついていると、クローイの声が届いた。
「無名! 刑部狸は物語として語り継がれているんだろう!? その昔はどうやって打倒されたんだ!?」
僕は闘いながら語り継がれてきた民話を思い出す。城の守護者として慕われていたが、狼に育てられた若侍に一度やられて契約を結び、なんやかんやで謀反側に利用されて城を襲った後、最後は英雄・
かいつまんで説明すると、最後の一匹を風呂敷に包んでポケットにしまったクローイが質問してきた。
「そのイノウなんちゃらとかいう人は幻界入りしているんだろう? 呼べないの?」
「無理やわ。あの方は広島から自由に動けん」
「神杖は実在するのか?」
「ここにはない。神宮の管理で持ち出しには申請が必要やわ。すぐには出てこん」
「……狼に育てられたとかいう若侍の名前は?」
「……忘れてもうたわ」
クローイの視線がどんどん冷たくなっていく。
「し、しゃあないやろうが。そういうんを覚えるんは僕の仕事やないけん」
「……『神座入り』を近くに封印しているというのに、それに対抗する手段を備えていなかったのかい?」
「綴喜がおればどうにでもなるはずなんやわ」
「綴喜?」
クローイは目を丸くした後、目線を落とした。
「……やっぱり僕が見ていたのは偽物だったのか」
「……答え合わせは後でできるわ」
いや、答え合わせをするまでもない。本当は、
あそこまで印行様を正確に写せるのは、印行様の配下である狸しかいない。それに、僕と綴喜のことをよく知っているもの。衣山は、遍路姿の女性の姿だと言っていた。
間違いない。『写し』を行なったのは、
解決すらしていないのに、もう悔やんでも悔やみきれない。なぜ、あのコクリが……。
(至急至急、伝令です!)
突如頭の中に念波通信が届く。
(無名です、どうぞ)
(伝令は、桃九郎警備隊長付になります)
桃九郎からの伝令。嫌な予感がする。
(まずは言伝をそのままお伝えします。『
【鬼狩りの英傑】
「『――長引くほどこちらが不利になります。
桃九郎の双眸には
桃九郎は、神職によって用意された神輿台の上に右膝を立てて座り込んでいた。緩く白い羽織はその身に巻かれた包帯を隠すため。左腕には
言伝を受けた伝令役は、棒立ちのままその場から動かない。
「どうしました? 早く行きなさい」
伝令役は、俯いたまま一度唾を飲み込んだ。
「……桃九郎様っ……」
ようやく絞り出した言葉はかすれ、震えていた。呼吸の音すら立てたくないにもかかわらず、カチカチと鳴る歯を抑えられない。瞬きひとつさえ憚られる。
「……む、無謀です……これと、相見えようなどっ……!」
刹那、ドォンと大地を揺るがす轟音が鳴り響き、伝令役は腰を抜かした。
簡素の祠の背後に、ニンゲンには決して見ることができない、山ほどもある規格外の大岩が聳えていた。人の胴体よりも太いしめ縄でさえ、その岩に掛けられるとひどく頼りない。数百の護符を纏ったしめ縄は八方から交差して雁字搦めに岩をつなぎ止め、そこから数十の法衣が周囲に浮かぶ神輿台へと伸びる。神輿台では巫女の舞と祈祷師の真言が捧げられ、それを補佐するために、衆多の神職が笛を、神楽鈴を、太鼓を、榊の葉を鳴らして、妖を鎮めんと祈り続ける。
その数百の祈りの音を嘲笑うかのごとく、再び岩から轟音が鳴り響く。祠の周りに構えられていた八つの篝火のうち二つがかき消され、数多のしめ縄が千切れて地面に落ちる。
「どこぞ痛むんか、童」
威圧のみを目的とした重低音の声が岩の奥から投げつけられる。
「いつもの威勢はどうしたんぞ? やけに静かやないか。そんなんやったら夕立の城下は守れんわな」
刑部狸は岩を封印しようと尽力する神職は眼中になく、ただ桃九郎だけに大言を吐く。
「儂を写しとる不埒者……
「今夜だけはダメだと言っているでしょう。一歩でも外に出てみなさいよ。問答無用で真っ二つですよ」
三度轟音が鳴り響く。千切れたしめ縄が力なく落下し、神職の複数名がその場に倒れ、悲鳴があたりをさらに混乱させる。
桃九郎は前を見据えたまま伝令役に言伝する。
「伝令、ついでに神職たちに伝えなさい。番付肆番以下は下がるように」
「し、しかし、それでは封印が間に合いませぬ――」
「この妖気にあてられるようでは、どのみち奴の畏れをためるだけです。大丈夫ですよ、いざとなったら俺がやります。俺を誰だと思っているんですか」
幾重にも潰された尋常ならざる嗤い声が轟く。
「桃六の後代よ……おどれごときが、儂の首ぃとれるとでも言うんか?」
「
その瞬間、轟音とともについに岩を砕かれた。獣の手が月夜に照らされる。久方ぶりの夜風を味わうように爪が踊り、岩の中に引きさがる。
悲鳴と怒声が混ざり合い、神職たちは砕けた岩をふさぐようにしめ縄が巻き付ける。その底知れぬ暗闇の隙間から、その顔を覗かせる。
瞳孔が開ききった、捕食者の眼光。
数多の妖怪を喰らってきた、牙のみで嚙み合わされた顎。
「愉快ぞ、まっこと愉快ぞな!
空間が捻じ切るほどの妖気が放たれる。かがり火がまたひとつ、またひとつとかき消され、辺りに夜よりも重く暗い影が襲い来る。
その身の毛のよだつ妖気を一心に浴びてなお、桃九郎は眉一つ動かさず、ただ静かに百鬼颪の鯉口を切った。
伝令役は両手を地につけながら、転がるようにその場を離れる。
甘かった。桃九郎様なら打ち倒せると。
手足をもつらせながらもようやく立ち上がり、駆け出しながら振り返る。
残された四つの篝火に囲まれた神輿台の上に座る桃九郎。その後ろに立ちはだかる禍々しい巨岩。耳を覆いたくなる怪物の驕慢な笑い声。
これでは、
伝令役は翼を広げて天に羽ばたいた。大和の英雄を、ここで死なせてはならない。その一心で、その身を軋ませながら流星のごとく無名の元へと駆ける。