【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第60話 積み上げてきたもの

【黒猫】

 何万人もの夢枕に立ったが、年齢の制限をはじめに加えておくべきだった。若者は刑部狸の名前を知っている者すら稀だった。だが、狸伝承の語り部たちは複数名いた。語り手によって若干内容やイメージに差異はあれど、充分だ。

 

 頭にみかんの葉っぱを乗せて印を結ぶ。

 

 

 

「『狸変化――』」

 

 

 狸変化の術は、さっき信楽焼と戦ったときに、その身で覚えた。

 

 

「『――宇佐八幡奉献神杖(うさはちまんほうけんしんじょう)』」 

 

 

 僕は煙の中で、自分の身を神杖に変化させた。金色に輝く七尺の柄。六つの遊環が先端の満月をかたどった円環に通される。杖頭には黒い宝珠のついた赤い紐が二つ結ばれ、柄尻は槍のように尖っている。

 

 誰も本当の神杖の姿を思い描くことができていなかったので、彼らのイメージの集合体から作り上げた出鱈目だ。だが、これでいい。紛い物には、紛い物で充分だ。

 

 

 

 無名は宙にきらめく僕の姿を見て、一瞬怯んだが、すぐに両手でつかんで頭上でクルクルと回して見せた。遊環がしゃなりしゃなりと鳴り響き、赤い紐は電電太鼓のように円環の中心の聖膜を打ち震わせた。

 

 

 上々だ。あとは無名が答えてくれるかだ。僕が心に侵入しないことを信じて、加護を緩めて心を開いてくれるかだ。

 

 

 僕は力強く無名に呼びかけた。

 

 

(無名っ!)

 

(うっさいわ!)

 

 

 思いがけず、無名が即答する。

 

 

(そんな大声で呼ばれんでも、自分の名前ぐらいわかっとるわ)

 

 無名は杖頭を暴れている刑部狸に向ける。

 

(ほんでどうするんぞ? 適当に振り回すんでええんか?)

 

 

(基本は好きにしてもらっていいよ。その前に先に謝っておくよ)

 

 

(……は?)

 

 

 

(本当にお人よしなんだな。君って)

 

 

 

 無名が反応するよりも先に、僕は無名の心核にダイブした。抵抗をする神経の電波よりも先に思考の手足を入れ込み、彼の心身の動作権を奪取した。

 

 

 

 

 

 

【聖人ミイラ】

 やられたッ――!

 

 

 自分の体を乗っ取ろうとしてきた奴は今まで何百体といたが、完全に体の権利を乗っ取られたのは千年の歴史で初めてだった。

 

 体がダブっている。水槽に入れられたクラゲの感覚だ。呼吸はできるがもがくことすらできず、ただクローイの思考に流されることしかできない。

 

 

(こなくそ、おどれは――!)

 

 

 僕の激高すら無視して、クローイは僕の体で神杖を天に掲げた。続けて、最大出力で思念を飛ばした。

 

 

(「夕立に住まう幻魔どもよ、神の名を冠する妖狸におびえるものたちよ、聞け! 『夕立一の無鉄砲』! 有馬辺(ありまべの)無名が神杖を手にしたぞッ!」)

 

 

 ふざけんな、お前はクローイやろうがッ! なにを勝手に名乗っとる!

 

 

 僕の抵抗もむなしく、思念を飛ばされた群衆はどよめいている。四方八方に落ちていくような思念の根幹は極彩色に明滅していて、千を超える不安や期待の思念が弾けては混ざっていく。

 

 

 クローイは思念の渦の一角に、自分の視界を映し出した。神杖を印行に突き付ける。

 

 

(「今一度見よ。我らが土地を侵す異形の影を。はたしてあれが印行(いんぎょう)様であろうか!? かつて夕立の城を守り、封印後も岩屋から飛び出しては狸たちと酒会を開いて戯れていた、かの名高き妖狸・隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)様であろうか!?」)

 

 

 思念のざわつきが大きくなり、周囲が赤色に染まる。

 

 

(「否であろうッ、否であろうッ! 品性の欠片もなく、ただ嘶いて火を噴くだけのもぬけに、なにを畏れることがあろうか!?」)

 

 

 

(「対する我は何者ぞ!? お大師様の庇護を受けてより幾年の月日が流るれど、土地や風土が変わるれど、ひとつ変わらぬ事実が、お前たちのなかにあるはずだ!」)

 

 

 

 クローイは神杖を回して聖膜を打ち鳴らしてから宣言する。

 

 

 

(「夕立一の称号は、常にこの無名であった! 違うか!?」)

 

 

 

 いや、違うやろっ!? 僕の感情が怒りから焦りに切り替わる。

 

 言い過ぎやわ。見栄を切り過ぎやぞ。それこそ本物の印行様もおるし、この地に降り立った直後の綴喜にはまるで歯が立たなかったし、それにそれから――。

 

 僕の思考は、しかし共鳴しうねりを上げる思念によって塗り潰された。ばらばらだった言葉が、ひとつの名前に重なっていく。

 

 

(「「「……名ッ! 無名ッ!」」」)

 

 

 

 名を呼ばれる。名が呼ばれている。わかっているけれど。

 

 

 僕の思念が俯いていく。それでも名が呼ばれている。

 

 

 

(「「「無名ッ! 無名ッ! 無名ッ!」」」)

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「すばらしい日々じゃないか」

 

 いつの間にか、僕は座席について、映画を眺めていた。映像は、他人の記憶の中の僕の姿なのだろう。徳利片手に暴れているかと思えば、将棋盤を前にして固まっている姿に切り替わる。音声はない。ジーッとフィルムが回る音が館内に響いている。

 

 

 

「……なんの真似ぞ、クローイ」

 

 

 斜め前に座るクローイの後頭部がかすかに動く。

 

 

「君、名乗りなんて随分とやってなさそうだったからさ。代わりにやってあげたんだよ。存外、様になってただろ?」

 

 

「……あんな名乗りせんでも、偽神杖があるなら勝てたわ」

 

 

「だろうね。……でもさ、ただ勝つよりも君の存在を今一度示しておいたほうが今後のためだよ。今回の事件は写しとその元凶を打ち倒して終わりじゃない。ことが落ち着いたら、この土地の狸信仰そのものへの疑問を呈する輩が必ず現れる。夕立を守るためにも、土地の顔はちゃんと誇示しておかないと」

 

 

 土地の顔。その言葉に、焦点が遠のく。

 

 

 それは果たして自分なのだろうか。記憶もないまま流れ着いて、ただ行き場もないからとどまっていただけだ。家族との縁も疎かになって、今は扱いづらい傭兵でしかない――。

 

 

 

 

「君にこそふさわしいよ」

 

 

 

 

 そうだった。今はクローイに心を乗っ取られているから、心の内が読まれてしまうのか。

 

 

「見なよ、戦いの最中だっていうのに、ここに流れているのは、日常の中の君の姿がやたら多い。君は僕たちとは違う。居場所のない戦闘狂なんかじゃ決してない――この両手に抱いている女の人たち、誰?」

 

 

「おい、やめぇ、誰ぞ、こんな大昔の姿想像しとるんわ! 戦闘となんも関係ないやろうが!」

 

 

 声を荒げる僕を無視して、クローイが言葉を続ける。

 

 

「君は拒絶したから知らないだろうけどさ。さっき刑部狸の倒し方を探しているときに、幻魔には質問のなかでこっそり君の名前を混ぜ込んだんだよね。――サブリミナルっていうのかな――そしたら、いろんな感情が紛れていたよ。赤に青に黄に白に……いろんな色に弾けていて、全部集めたら、万華鏡を覗きこんだような景色になるんだろうなって」

 

 

 

「『怖い』とか、『強い』とか、『かっこいい』とか、『尊敬している』とかさ、そういう感情が煌めくんだよ。僕たちはそういう感情をひっくるめて『畏れ』と呼んでいる。それは、僕たちの世界では正しい呼称だ。でも、今の君には、もっとふさわしい言葉がある」

 

 

 

「『信頼』だよ。この街の人たちは、さまざまな感情を持ちながら、みな君のことを信頼しているんだ。それは一朝一夕で集められるものじゃない」

 

 

 

 映像の中の僕は、走りながら真剣な面持ちでなにか語った後、城下町通りの商店を蹴り飛んでいく。クローイの元へ拳を叩き込む姿を、記憶の主は店の影から覗いていた。ついさっきの戦やないか。衣山め、すぐに下がれと言っとったのに、影から見とったな?

 

 クローイは前の映像を見たまま、僕に語り続ける。

 

 

 

「無名、君は身に覚えのない聖の力を崇められ、畏れられ、そのせいで自分を信じ切れないのかもしれない。それでも、君の『畏れ』は、君の『信頼』は、君自身が積み上げてきたものなんだ」

 

「そもそも自分の『真名』に心当たりがない幻魔が、千年以上前の……生前の聖の力を維持できるはずがないんだよ。君に今も余りある力があるのだとしたら、それは有馬辺無名として積み上げてきた徳なんだ。そしてその徳は決して戦功だけで得たものじゃない」

 

「だからさ、そんなに卑下してやるなよ。君の居場所は、ずっとここにあるんだからさ」

 

 

 

 映像の中の僕は、新しくつくられた狸像の前で袖に両腕を通して立っている。周囲には狸たちがぴょんぴょん飛んでいる。写真を撮ると言っているのに、狸たちが止まることを知らないから、いい加減にしろと叫んだ記憶がある。

 

 

 

「僕はね、君が少しうらやましいんだ。僕はずっと浮浪の身だからね。こんな風に出迎えてくれる場所がない。僕が死んでも、涙を流してくれる存在が、一人もいないんだ。そういう生き方をしてきたのだから、仕方がないんだけれどね」

 

 

 

 クローイが緩慢な動作で立ち上がる。

 

 

「君が目を覚ましたら、体を返すよ」

 

 

 僕に目を向けることもなく、出口へと歩いていく。

 

 

「ここは思念の中だから、現実世界との時間の流れ方は違うけどさ。この映像は多分数年分になっちゃうから、適度なところで切り上げてくれよ。せっかく名乗り上げたのに、歓声を受けた本人が黙りこくってちゃ、格好がつかないだろう?」

 

 

 クローイの後姿を見送って、目の前の映像に視線を戻す。

 

 

 

 映像は結婚式に変わっていた。よく覚えている。世間の婚礼の形態が祝言から式へと移行しつつある、ほんの百十年ほど前のことだ。映像のなかのお糸は、綿帽子と白無垢に包まれてその身を真白に染め、ただ口元の紅だけが力強く生を謡っていた。

 

 

 巫女服の綴喜が神楽を奉納している。画面の右半分に手ぬぐいの影が入る。このタイミングで、いったいなにに涙したのだろうか。この映像の記憶の主は、覚えているだろうか。

 

 

 

 式のことはよく覚えている。この画角になる席に座っていたのが、誰だったのかも、ちゃんと覚えている。

 

 

 

(あんたも大事な夕立の一員なんよ? わかっとるんか?)

 

 

 

 わかっとるよ、お袖。

 

 

 

 僕は画面のなかの伏し目のお糸に伝える。

 

 

 

 ごめんな、お糸。弱音を吐いてもうて。

 

 

 

 もうちょい、頑張ってみるわ。まだまだ僕には、繋がれる場所があるみたいやけん。ちぎれた関係も、結び直せるように、見守ってくれてな。

 

 

 

 きっと大丈夫よ。結び方は、君が教えてくれたけん。

 

 

 

 親族杯を回す間に、お袖が表情でなにか合図を送ったのだろう。視線が合ったお糸は静かに微笑んだ。かすかに頷いたように見えたのは、僕の思い上がりだろうか。

 

 

 

 その映像を少しでも鮮明に瞼の裏に残せるように、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

 

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