【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【改造人間】
「写しを打ち倒して、夕立城に居座る元凶もやっつけて、めでたしめでたし……ということでいいのか?」
俺はひしゃげたガードレールの上に座り込む。あたりにはいまだ炎の揺らぎが見え、タイヤが焼け焦げたが鼻を狂わせていた。
「これだけの騒ぎだったんだ。深夜とはいえ現実世界への影響はでかいだろうし、戦闘の幻波に当てられて、狂化する幻魔も多いはずだ。写しの残滓が与える災いもでかいだろうな」
無名は額に手を当ててため息をつく。
「そうやな。誰かさん方があきれるほどに暴れ散らかしてくれたけん、この街はとんでもなく不安定やわ」
「ひどいな。そんなやつら、さっさとしょっ引いたほうがいいぞ」
「本当にね。ひっそりと戦うということを知らないのかしら」
「無名、そんな奴らさっさと捕まえよう。協力するよ」
無名は冷ややかな視線を俺たちに向けてくる。
「安心せぇ。もう捕まえとるわ」
そう言って、たんと右足で地面を叩いた。不可視となっていた右足の法衣が姿を現わした。くねくねと蛇行した法衣は、俺の右手首に絡みついていた。ほかの二人も同様に仲良く捕縛されている。
「おい、本当に捕まえる奴がいるか」
さすがに連戦後に法衣本体を引きちぎる余力はない。クローイもメイファも肩をすくめるだけで抵抗はしない。こうなることは織り込み済みだったのだろう。
「それに、街の異変対応についても、ひとまず大丈夫やわ」
「なんで?」
クローイの問いに、無名が右手で空を指さす。
「綴喜が超特急で帰ってきてくれたけん」
その言葉を聞くと同時に、ふわりと絹のような幻波が頬を撫でた。
見上げると、はるか上空に魔法陣が張られていた。その中心に、巫女服のボブヘアーの少女の姿が見えた。白い羽衣をはためかせ、手にした扇を太陽に捧げている。
「……あの子が本物の綴喜か」
本物の綴喜……ということは、あれがこの土地の守護者か?
綴喜はゆったりとした動作で舞を続ける。魔法陣の周囲には、白面をかぶった神職が座り、それぞれ楽器を演奏しているようだ。かすかに笛の音が澄んだ空から降りてきている。
右に左に回る途中で、おもむろに扇で天を指し示した。その先には旅客機ほどもある一匹の金色の鳩が姿を現わした。綴喜が続いて舞うと、彼女の隣に弓を構えた男が現われた。
儀式の内容はなにもわからない。だが、結末はわかる。俺はポケットから新しい葉巻を取り出す。
「結局土着の守護者がいいように治めて終わりか。俺たち流浪人は毎度居場所がないな」
「だけど、それが正しいよ」
クローイのいつにない真剣な物言いに答えるように、男の弓が放たれた。
矢は鳩の軌跡が作り上げた金色の円の真ん中を通り抜け、花火のように弾けた。早朝の薄明りを浴びた光の結晶は、夜明けを祝福するように街に降り注ぐ。
「いつだって勝者は、その土地の者たちであるべきだ。僕らは七人足らずの侍でいいんだよ」
綴喜の舞を喜ぶように、祈願の鳩が空を旋回する。
俺は天に向かって煙を吐いた。この光景は俺が見るには少々眩しすぎる。
似たような心持なのだろうか、メイファが落ち着かない様子で無名を急かす。
「それで、私たちはどうすればいいの? 牢屋に閉じ込められる前にやらなければならないことがあるんだけど」
「……ひとまずミツルとルガールの元へ向かうわ。まだ戦うべき相手は残っとるけんな。お前さんらもそれが目的やろ? 影縫のトラップは対策されとるやろうけど、ルガールの鼻があれば追えるかもしれん」
「ああ、それなら――」
提言しようとして、やめた。あとでアルファに問い合わせて、依頼の内容を再確認してからでいいだろう。単独で動くか、協力するかはそれからの判断でいい。
俺たちは街の大通りを歩いた。片側二車線道路を左右に配した路面電車のレールは、怪物の進行によって原型がないようにひしゃげているが、徐々に元の姿に戻っていく。道路だけではない。周りの建物も、アーケード街も、キラキラと輝きを放ちながら焼け焦がれ崩壊した姿から逆行していく。
月の影は現実世界を元に再現される世界であり、破壊されても時間経過で元に戻る仕様になっているが、影を展開したままでは修復が遅い。影内を元の状態に戻したいなら、影を一度消した状態でリセットするのが一般的だ。月の影が展開された状態でここまで修復が早いのは、あの守護者の加護のおかげだろう。先ほど巻かれた光の粉に触れると、肉体と精神面が浄化されていくのがわかる。並外れた心地よさに、歩きながらも眠たくなってくる。
俺の眠気を吹き飛ばしたのは、綴喜から届いた二度目の幻波だった。
先ほどと同じく波動は穏やかで、しかし別の冷気を帯びていた。それは達観であり、悲哀であり、無情な響きを重ねていた。
見上げた先の綴喜の背後には、巨大な桜の木が泰然と咲いていた。動きを止めて静かに頭を垂れる綴喜に変わるように、桜は花びらを散らしながら朝焼けに舞い踊る。突き刺すような殺気があるわけでもない。圧し潰すような恐怖が押し付けられるわけでもない。ただ、目にするものを平伏させる静かな妖美がそこにはあった。
この膨大な幻波は間違いない。これが奴の――。
「『絶理』」
無名が立ち止まって空を見上げていた。
「――送るんか、あの子を」
無名は、その表情に幽愁の趣を落としながら、しかし溢れ出る感情を押し殺すように、凛々しく空を見つめていた。
【彼岸】
古来狸の残滓は、夕立城のはるか西、夕立空港付近の波止場にあった。本来の目的地は南東にある、隠神刑部が封じられた岩屋であったが、衰弱しきった思念は方角を見失い、もはや海と山の香りの差異もわからなくなっていた。瀬戸の穏やかな潮風にすらよろめきながら、それでも前進を続けていた。
まだ尽きぬ。まだ尽きるわけには――。
その言葉だけを一心に唱え続ける古来狸に、感覚すら失せたはずのその魂に、桜の花びらが舞い踊り、ひとつの短歌が響いた。
百とせの狸住むてふ八つまたのちまたの
この街にて生まれ育った明治時代の俳人が残した詠であった。
その句の光景を思い描いた瞬間、目の前の景色が変わった。
瑞々しい草原のなかに、一本の線路が描かれていた。線路の背景には夕立城が山の上に立ち、石畳がしかれただけの簡素な駅が目の前にあった。草原には川が流れ、時折キュイキュイとオソの鳴き声が聞こえる。
振り返ると八つの枝にわかれた、大きな大きな榎の木があった。その根元には子どもが入れるほどの洞ができている。太き幹にはいくつもの瘤ができ、その身をうねらせながら天を覆うように枝葉を伸ばしていた。根元には百はくだらない線香が備えられ、木の周りにはすっかり日焼けした鯉のぼりが風にはためいていた。
在し日の、神木のごとく参拝された榎であった。だが、史実とはまったく異なる。駅の設立時には、榎はすでに切り落とされていた。周囲の草原と川の位置もまるで出鱈目だ。
古来狸はすぐに理解する。ここは、古来狸が夢見た世界、原風景が交錯する地点。
つーちゃんの『
まさか、北海道から、もうこの街に?
焦る古来狸の耳に、彼方から、汽笛の音が聞こえた。
遠く線路の奥に蒸気機関車が見えた。
古来狸は怯えて後ずさる。
もう一度、時間切れだというように、汽笛が鳴らされる。
嫌だ。あれにはまだ乗りとうない。
古来狸は今更怖気付いて、榎の洞に隠れようと体を翻す。
「またかくれんぼか、コクリ?」
聞き覚えのある柔らかな声に振り返ると、着物を身に纏った美女が駅に立っていた。
「お袖様……」
古来狸は優しく微笑むお袖狸の瞳から視線を切り、その場に立ち尽くす。罪悪感と後悔の念と情けなさと――さまざまな情念が入り交じり、両の手を握りしめて、ただただ体を震わせていた。
「コクリや――」
「私はっ!」
古来狸は俯いたまま声を張り上げる。
「私は悔しゅうございます!」
あふれ出る涙を、網代笠で隠す。
「住処の森を奪われ、子どもたちからは忘れ去られ、あまつさえ海の向こうの無法者どもに荒らされて……このままでは、このままでは我らは、オソたちの二の舞になりまする!」
川辺で遊んでいた、かつての同胞たちの姿を思い浮かべていた。無邪気で悪戯好きだった、遊び相手の姿を。時が経つにつれて言葉をなくしていき、森の消失とともに消え、人々から忘れ去られた友の残影を。
「狸ばかりではございません。お大師様のお言葉通り、黒金の橋が掛けられて以来、街の妖はますます脅かされてばかりで――私はしかと見ました。彼奴等の戦いぶりを。あれは――、あれはもはや、古風な妖術で太刀打ちできるものではございません!」
古来狸は二日前の乱戦を、空から見ていた。絶対的な力をもってこの地に君臨していた無名が、海の向こうの化け物たちに追い詰められる様を。
悪戯をすぐに見破られ、呪いごとが流行るたびに拳骨を喰らわされ、暴れん坊の鬼が真っ向勝負を仕掛けてもまるで赤子の手をひねるように捕縛する。その無名が、理解すら追いつかない、殺傷に特化した法理の数々に跪かされるのを目の当たりにして、古来狸は言葉を失った。表の世界と寸分違わぬ見慣れた街がいともたやすく破壊されていくのを見て、涙がこぼれ、激しい危機感を覚えた。
幾ばくかの悪戯を仕掛ける程度の心持で動き出した古来狸が、決意を固めたのはこの時であった。すべてを投げ捨ててでも力を手にしなければならない、と。
古来狸は意を結したように顔をあげ、お袖狸に強い視線を送る。
「時代に流されるまま、仮初の安寧に呆けている間に、この街はすっかり弱くなってしまいました!」
お袖狸はなにも語らない。古来狸は堰を切ったように叫び続け、一歩一歩お袖狸に近づいていく。
「私は悔しゅうございます! お袖様とてそうでございましょう!? 榎は切り払われ、神像は侵され……、奴らにいったいなんの信心などありましょうや!?」
「畏れを捨て、繋がりすらも電子化して……辻褄合わせの虚言とその場しのぎの快楽を信仰している今のニンゲンどもに、いかような未来があるというのです!? 今一度畏れを振り撒かなければ、我らは弱る一方で、いつしか露と消えましょう!」
古来狸はついにお袖狸の肩を掴む。
「私は同胞の、狸たちのために戦いましたっ! お袖様は、いったい誰のために立つというのですっ!?」
お袖狸は、古来狸の瞳を見上げて、静かに言葉を返す。
「その狸たちが守りたかった、この街のためにです」
古来狸は息を呑む。
声も出せぬまま視線を落として、力なく、駄々をこねるように首を振った。頬に添えられた手に自分の手を重ね、そのまま膝をついて泣き崩れ、しゃくり上げながら謝罪の言葉を連ねた。『古来《ふるきよりきたる》』を名乗るにはあまりにも若すぎた小狸は、ごめんなさい、ごめんなさい、最後には年相応にわんわんと泣き声をあげ、涙が枯れ果てるまでお袖狸の胸の中で丸まっていた。
「ゆっくり眠るんよ。もう悪夢は終わったけんな」
お袖狸は、多くは語らず、ただ優しく抱擁し続ける。
二人を包むように、とうと風が吹いた。
鯉のぼりが舞い踊り、ほんの一時線香の芳りを遠ざけた。
*
「綴喜様」
お袖狸の呼びかけに、綴喜は「はい」と答えて、静々と榎の影から前に出る。
「私は一介の狸神にすぎません。人々から忘れ去られれば、潔くこの身を引きましょう」
お袖狸は、すっかり眠りこけて獣の姿になった古来狸を黒面の車掌に手渡した。影ののっぺらぼうは敬礼をして、古来狸を起こさぬようにゆっくりと乗降口を登っていく。
「なれど刑部殿は違います。民からの信仰がなくなれば――あるいはこの地に厄災が降りかかるようなことがあれば、玉砕覚悟で八百余の妖狸軍を率いるでしょう」
フィッフィーと出発を告げる笛が鳴り、列車の扉が閉まる。
「本物の刑部殿は、
綴喜は恭順の意を表して頭を下げる。
「『承りました』」
汽笛を鳴らして汽車が発車する。しゅっしゅっと黒い煙を上げながら、線路を外れ、夕立城のさらに上空へと飛んでいく。
駅に立ち、その行く末を見守る。隣に立つお袖狸は、編み笠を深く下げて零れ出る嗚咽をこらえきれずにいた。
綴喜は涙で視界をにじませ、唇を噛みしめながらも、毅然たる姿勢で高く高く走る列車を見守り続けた。
記憶のなかにある悪戯狸が、「つーちゃん、つーちゃん」と膝元を駆け回っていた狸の姿が、悪戯をしかけた無名に二人まとめて御札を投げつけられていた狸耳の少女の声が、桜の花びらとともに空に舞い上がり笑い合っていた年の離れた妹のような存在が、あの黒煙とともに消えてしまわぬように――。
句:正岡子規