【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【犬っころ】
夕立城がすさまじい速度で修復されていく。通常ならナメクジの這う半分以下のノロさでしか直らないのが、今はカメが歩くほどの速さだ。わかりづらいって? カメってのは意外と早く歩くもんなんだよ。
俺は城前の広場で胡坐をかいて休んでいた。ミツルをおぶって少し歩いてみたが、もう疲れた。どうせすぐに影縫かクローイが来ることだろう。それまでゆっくり休むとしよう。
穏やかな陽光とすっかり目が覚めた小鳥たちの鳴き声に欠伸をかいたときだった。
「終わったの?」
隣のベンチに寝かせておいたミツルが起きたようだ。
「終わったよ。俺にしちゃ少々手間取っちまったが、終わりよければすべてよしだ」
「……俺はどうなるの?」
ミツルは額に腕を置いて上を見上げている。
「憑き物にあってたからな。それをちゃんとお祓いして、吸血鬼の血をどうにかしてから、ナイトナイトだろうな」
「ナイトナイト?」
「『おやちゅみ』ってこったよ。乗っ取られる前にも言ったろ? クローイが記憶を消してくれるはずだ。早けりゃ数日で俺も子犬芸からおさらばってことだ。清々するぜ」
本当はそんな簡単な話ではないことはわかっていた。乗っ取られた状態とはいえ、力を振るいすぎた。俺が当初思っていたより、ミツルに流れる血はずっと根深いもののようだし、完全に幻界と縁を切るにはもう手遅れかもしれない。
だが、最も重要なのは本人がニンゲンに戻る、戻れるという意志だ。俺がそれを挫くわけにはいかない。今はできるだけ楽観的に話しかない。
ミツルは首だけ動かして、再生する夕立城に視線を送る。
「城……すごいね。どんどん戻っていく」
「そうだな。なんだって元通りだ」
「……俺、まだ、なにがなんだかわからないんだ」
「そりゃそうだろうよ。だからねんねしときな。後はお偉いさん方がうまくやってくれる」
俺の提言を無視して、ミツルは体を起こした。
「……いや、それより体を動かしたい気分だ」
「歩けんのか? 俺はくたびれてるってのに……まあ、こっちから出向くとするか」
俺は立ち上がって背伸びする。相変わらず体が重い。広場からは街の反対側の景色も見えた。穏やかな海の上に、もう船が一艘白波を立てている。そろそろ人々も起きはじめる時間だろう。あまりウカウカもしていられない。
「……で、出口はどっちなんだ? この城のことなんも知らねぇんだよな」
「ルガール」
「あん?」
俺は生返事を返して横にあった看板を見る。ご丁寧に英語で解説が書かれていたが、どの出口に出ればいいのかがわからない。俺がいたのは何街なんだ?
「一発殴らせろ」
「……は?」
唐突な攻撃宣言に理解が遅れた。振り返るとすでに目の前にミツルの拳があった。
【ミツル】
ミツルはじんじんと痛む右手の拳を抑える。人を――正確には人ではないが、とにかく誰かを殴ったのは生まれて初めてだった。あふれだしてくるアドレナリンに意識を持っていかれないように深く息を吸い込んだ。
「……一応殴られた理由を聞いておきたいんだけどよ」
殴り飛ばされたルガールは、唾を吐いて、ミツルを睨んでくる。ミツルはその視線に真っ向から立ち向かう。
「バカ言ってんなよ!」
ミツルは溢れ出る想いに整理をつけられないまま、言葉を走らせた。
「バカ言ってんなよ! すべて忘れるだの、なんだって元通りだの、お前らは人の気持ちを、――街をなんだと思ってるんだ!」
ミツルは走りながら殴りかかる。攻撃というには稚拙すぎるパンチだったが、ルガールは避けることなく右頬で受け止めた。
「身勝手なんだよ! 俺がどんな想いでいるのかもしらないで、これをやっとけだの、なにも手を出すなだの――挙句の果てに俺らに任せて忘れろだと!? なんてことないみたいな顔して、めでたしめでたしみたいな雰囲気出しやがって――わかってんのか、化け物が!」
「ああそうだ、俺たちは化け物だよ」
ルガールは眉間の皺を深くしながら答える。
「だからお前がこっちに来る必要はねぇっつってんだよ。ニンゲンと化け物は価値観が、なによりも死生観が違う。こっちに深く入り込んだらロクなことはねぇ! お前みたいな幸せなお坊ちゃんは、死ぬまで家族と仲良く暮らしとけよ」
「望んだことだッ! 俺が最初に望んだことなんだッ!」
「……あァ?」
当惑するルガールを他所に、ミツルは語り続ける。
「退屈だった、息苦しかったんだ、なにもかも! 一度死にかけてから、みんな甘ったるく語りかけてくるんだ。もう生きてるだけでいい、傷つかなくていいんだよって具合にな!」
ミツルはもはや対話ではなく、支離滅裂な感情を整理しようと言葉を並べていた。あの日、生き残ってから積もり積もった鬱屈とした心情を。
「福岡の隣のおばちゃんは憐れみを込めながら言ってきたよ。『いいのよ。与えられた分、人に優しくすればいいんだから』って。ふざけんな、こっちは与えられることなんざ頼んじゃいねぇ!」
初めて表に出した感情を、拳に乗せる。
「ずっと息苦しいんだよ! 愛された分愛を返すのが普通なら、わけもわからないまま命を助けられた俺は、一生正しく生きなきゃいけないのか!? 学級委員をやってりゃ……、見てくれの正しさレールを走ってれば、俺は幸せで、清廉な聖人にでもなれるのかよ!?」
ミツルはずっと窮屈さを感じていた。優しさを隠れ蓑にした行動の制限に。無償の愛にかこつけた返礼の強制に。九死に一生を得てから、ミツルはずっとあくなき劣等感にさいなまれていた。
「……ハッ! なにを語りだしたかと思えば、ガキ特有の反抗心かよ?」
ルガールは口元を拭いながら嘲笑う。
「そういう甘っちょろい発想こそ、お前が愛されてきた証左だよ。パンチひとつろくに振るえない奴が、なにをほざいてやがる!」
「俺は愛の奴隷でいたくない! 正しさの牢獄に囚われたくないだけだッ! 指針を決めるのは俺だ! 誰に感謝するのかも、なにに心を燃やすのかも、俺が決める!」
ミツルは右手の拳を握りしめる。
「決意したんだ! 体を乗っ取られたときに決意したんだ! 悪魔になってでも生きたいって! 生き残ったなら、お前らの世界の神をぶん殴ってやるって! 今更除け者にしようとしてんなよ!」
ミツルの決意に呼応するように、東の山間から太陽が顔を出し、強い日差しが二人の姿を照らし出した。
「ルガール、お前たちの世界をもっと教えろよ! お前たちの非常識さをひっくるめて、この息苦しい世界を変えてやる!」
ルガールは瞠目する。今まで受けてきたどの拳よりも深く、その言葉がルガールの脳をゆさぶった。しかし、それゆえに、ルガールは拒絶する。数百年という月日は、ルガールから甘さと希望を奪い去るには充分すぎる時間だった。
「……威勢のよさだけは認めてやるがな、テメェじゃ結局なにもなしえやしねぇよ! フラフラの俺に拳を当てることさえできねぇお前じゃあな!」
そう言い放ったルガールはミツルの左ストレートを軽く避ける。「そら見ろ」と嘲笑う顔面に、ミツルの右フックがぶち当たる。
「――ッまあ少しはやるようだがな! そんな腰の入ってないパンチを何発叩き込まれたところで効きやしねぇ。そんなんじゃ――」
言葉を紡ぐ前に再び口元に衝撃が走った。ルガールはふらついて三歩後退する。
「ッお前、なかなかやるな、蚊が止まったかと――」
その顔面に左ストレートが繰り出される。
「……ッお前の攻撃なんざ――」
右のジャブが顎をとらえる。
「……お前ッ――」
ミツルの左フックがルガールの顔面に繰り出され――。
「――いい加減にしねぇかこのクソガキがッ!」
ルガールは右拳を思い切り振りぬいた。頬に直撃したミツルは、大きく吹き飛ばされる。
どうしようもなく短気で激情家なルガールには、ミツルの若気の至りを受け止めることなど土台無理な話であった。
「黙って殴られてりゃあ、調子に乗りやがってッ! そんなに殴り合いがご所望だってんなら、受けて立ってやろうじゃねぇかッ!」
ルガールは怒気を全身からみなぎらせながら、ふらついたミツルに詰め寄っていく。
「五、六発殴られたってことはよォ! 四捨五入で十発殴り返してもいいんだよなァ!? 日本国憲法によればよォ!?」
【全員集合】
「……あの〜、彼らはなにをなさっているのでしょう?」
「殴り合いて……もう青春ごっこやん」
「いいなぁ。僕も一回ぐらいルガールをタコ殴りにしたいよ」
「いいぞミツル、顎を揺らしてやれ」
「あのクソ犬、ミツル様になにかあったらただじゃおかないわ」
「……犬耳の方の味方はいらっしゃらないのですか?」
「ところで君が本物の綴喜なんだよね?」
「あ、申し遅れました。薬酒蔵《やくさかぐら》綴喜と申します」
「綴喜! お前さん、スマホの使い方は覚えとけ言うたやろうが」
「も、申し訳ございません、実はぱすわあど?なるものがよくわかっておらず……」
「つまづくポイントが手前すぎるだろ」
「ねえ、この法衣を外してくれない? いざというときに加勢しづらいわ」
「あかんに決まっとるやろうが。おとなしぃしとけ」
「あの、止めなくてよいのでしょうか? チラチラこちらを見て、仲裁を待っている雰囲気が伝わってくるのですが……」
「おい、賭けをしないか。どっちが勝つか」
「ミツル様に一億」
「もう、静かにせぇって。こっちは疲れ果てとんのに」
「お前たち、すべてを解決した桃九郎が帰りましたよ」
「ほら。うるさいんが増えてもうたわ。どうするんぞコレ」
「げぇ、君の顔はもうしばらく見たくないよ」
「あのですね、俺が爆速で帰ってきたんだから、ねぎらいの言葉ぐらいかけろって話ですよ。なんですかお前ら。そろいもそろってヘロヘロで情けない」
「むしろなぜもうそれだけ動けるのかが理解に苦しむな」
「ミツル様! 大外狩りからのマウントポジションで勝ちです!」
「無名、兵庫は武蔵が片付けたらしいので、今日は夕立市の観光スポットを案内してくださいよ。明美が喜びそうな土産物店を知らないといけませんからね」
「ハア? どんだけ元気なんぞ」
「ああ、もう組み合って動かなくなっちゃった。もう私が止めますからね!?」
【犬っころ】
舐めやがって、このクソガキがッ!
世間知らずのガキを殴るのは忍びねぇが致し方ねぇ。右頬を殴られたんなら左頬を殴り返すようにしときなさいって、どっかの聖典にも書いてあったはずだ。殴られた数だけは返さねぇと気が済まねぇ!
あと四発、痛って、追加で殴りやがって! 五発だ、あと五発。……オラッ、あと四発だ。ざまあみろ! あと四発、五っ、っ七発……なんでコイツ、ワンツーパンチなんて覚えてんだ、ざけんな!
クソッ、幻力を使いきっちまって力が出ねぇ。
広場には今回の騒動でやり合った奴らが集まってきやがった。地べたに座り込んで観戦を決め込んでるが、そろそろ仲裁が入るころだろう。その前に決着をつけねぇと。
神様ぶん殴ってやるんだよ。俺たちでな。
揺れる脳内に、アイツの言葉が浮かびやがった。もう数百年も前の草原での会話だ。もうその相貌すら朧げだってのに、相棒、お前の魂はまだあの原野を走ってんのか?
ふざけんじゃねぇ!
世界を変えるなどと、大それたことを! アイツがなしえなかったことを、世間知らずのガキが臆面もなくほざきやがって!
こいつもコクリも、やけくそになってるだけだ! 決死の覚悟をしたなら戻れないと思っていやがる! 自分が今いる場所が恵まれていることに気付いてねぇ甘ちゃんが!
ふらついた奴の隙をついて、肩につかみかかって、そのまま呼吸を整える。
そろそろこの戦いに仲裁が入るころだろう。どうやらあの侍野郎も戻ってきたようだ。もう戦っているのは俺たちだけってわけだ。さっさと事態を収束させたいはずだ。邪魔が入る前にわからせてやる。
ミツルの口元がかすかに微笑んでいる。肩で息を切らしているくせに、なにがおかしいってんだ? 余裕のつもりか? 言っとくが俺が全快なら一秒と経たずにお前は白目を剥いてるんだぜ? 肺が落ち着いたら、コイツを地面にたたきつけてやる。
そろそろ仲裁……
*
ガキの喧嘩と変わらない、いや、それよりも情けないじゃれ合いに愛想をつかしたのか、一羽の小鳥が広場から飛び立った。この街にふさわしい、鷹揚で眠たげな海原へと翼を傾けていく。