【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第66話 憑き物落とし

【生ける死神】

 

「『ヤーヤー、もの共、遠からん者は音にも聞け、近きは寄って目にも見よ、われこそは土佐の住人、長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)なるぞ~』」

 

 

 

 

 

 

 

 浴衣姿のミツル様は、畳広間の隅で布団の上に寝かされていた。その枕元で、綴喜さんは呪文を唱えながら、人形芝居に使う武士の木偶の頭をもってバサバサと振っている。今朝方見た舞の儀式と比べると、なんとも緊張感がない。目の前で繰り広げられるこれは、民間の儀式なのかもしれない。

 

 

 

 夕立城事変が収まった後、私たちは湯ノ石温泉へと連行された。その昔、日露戦争の捕虜がこの街に移送されてきたとき、温泉を貸し切って厚遇した過去があり、その慣例に習うのだという。戦争時は捕虜を人道的に扱うことで国際的に認められたいという意図があったとのことだ。今回の場合、意図は特にないだろう。「とにもかくにも温泉入ろうやぁ」という無名の鶴の一声で温泉入りが決まった。

 

 

 

 朝から月の影が展開されて、幻魔は私たち八人のみの入浴が許可された。昼前だというのにニンゲンの影はそれなりに多く、それも納得の湯加減と、なにより湯上り後のサービスがすばらしい。この茶菓子はここで買えるのだろうか。お嬢様にお土産を買って帰らねば。

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃなにやってんだ?」

 

 

 

 ルガールは障子が開け放たれた窓際で、火照った体を団扇で仰いでいる。湯上りだからか、見慣れたツンツン頭が萎れている。

 

 

 

「この土地の憑き物落としでしょうね。チョーソなんとかって誰なのかしら」

 

 

 

 世界中で語られる憑き物の類は、一度祓えば終わりという問題ではない。一度とりつかれたニンゲンは、憑かれることが癖になってしまうことが多いので、入念に祓いを行なう必要がある。聞くところによると、この地方は動物霊の温床であり、入念な後処理が必要らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 茶をすすっていると、貸し切り部屋の障子がガラリと開いた。

 

 

 

「いやぁ、いい湯だった。俺はこの街を見直したぞ」

 

 

 

 タオルを首にかけたヴィクトールが現われた。相変わらず表情は変わらず、浴衣は少々窮屈そうだが、肌はきれいさっぱりつやつやと輝いている。

 

 

 

「この街の薬がやけに効き目が高いと思っていたら、この湯の薬効が使われていたのだな。戦闘の後は銭湯にかぎる、というジャパニーズジョークが流行るのも頷ける」

 

 

 

 ルガールが呆れたた様子でヴィクトールに向けて団扇を振る。

 

 

 

「お前さぁ、湯に浸かるときにおっさんみてぇな呻き声を上げるのやめろよな。貸し切りとはいえ一緒にいて恥ずかしかったぜ、俺は」

 

 

 

「『泳ぐべからず』と書かれてあるのに、湯に浸かった三秒後に犬かきを始めたお前に言われたくはない」

 

 

 

「まぁまぁ、みなさん湯ノ石温泉を満喫していただけたようでなによりです」

 

 

 

 儀式を終えた綴喜さんが机の前に腰を下ろす。ミツル様も目を擦りながらその右隣に座った。ヴィクトールは温泉の従業員から茶菓子を受け取り、ルガールとなにやら小言を交わしている。

 

 

 

 私もすかさずミツル様の左隣に移動する。

 

 

 

「ミツル様、どこもお体に支障はございませんか?」

 

 

 

「え、はあ、まあ大丈夫っす」

 

 

 

 ミツル様は首に手を当てながら縮こまる。

 

 

 

「綴喜さん、ミツル様の容態はどうなのでしょうか?」

 

 

 

「獣憑きのほうはもう問題ないでしょう。……ただ、混血の魔にかんしては、今の私にはどうにもできません。血の譲渡からあまりにも時間が経ちすぎていますし、残念ながら吸血鬼を祓う術を持ち得ておりません」

 

 

 

「そう、ですか……」

 

 

 

 

 

 

 

 視線を落とす。この感情はなんだろうか。万が一血が完全に消え去っていたら、私はほっと胸をなでおろしていただろう。そうであればもうミツル様が危険にさらされることはない。私もカミラお嬢様の元に戻れる。

 

 

 

 だが、一介の儀式ごときでは消え失せない血の根深さに、ほんの少し昂然したのも確かだ。名家ヴラド―ルの血が、そう簡単に消えるものか。アンジェラ様はもはや生きているのかさえ判然としないが、その血は確かにミツル様の中で生きている。

 

 

 

 昔は魔の儀式をあれほど憎んでいたのに。血の譲渡を受けずとも、私は吸血鬼に染まってしまっているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 視線を感じて顔を上げると、綴喜さんがじっとこちらを見据えていた。心の内を見透かすような瞳に耐えられず視線を外す。ほとんど会話を交わしていないが、この人は苦手だ。見た目は少女のようなのに、言動すべてがこちらを諭すようで居心地が悪い。

 

 

 

 

 

「別にいいよ、血のほうは」

 

 

 

 

 

 ミツル様がぽつりとつぶやく。

 

 

 

「薬と修行で吸血衝動をある程度抑えられるんでしょ? なら、きっとこの血と付き合っていける」

 

 

 

 ミツル様は視線を上げて、私に告げる。

 

 

 

 

 

 

 

「メイファさん、アンジェラは生きているよ」

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

「なんとなくわかるんだ。彼女は生きている。……彼女に会わないといけない。なぜ俺に血を与えたのか。知らないといけない。あのとき、なにを失って、なにを得たのか」

 

 

 

 

 

 自分に言い聞かせるように語るミツル様に、綴喜さんが身を寄せる。

 

 

 

「ミツル殿、あなたの意志はできるだけ尊重いたしましょう。なれど、こちらの世界に傾倒しすぎてニンゲン社会をないがしろにしてはなりませんよ。我々は善悪の基準からしてニンゲンとは異なります。こっちの水が苦いなら川に砂糖を流し込み、ケーキがあっても貴族に喧嘩を売るような――」

 

 

 

 そこまで聞いたところでミツル様は顔をしかめた。

 

 

 

「聞いた聞いた、知ってますよ。あれでしょ、孔子に死ぬまで良薬を飲ませたとかでしょ? 聞かされましたよ」

 

 

 

 綴喜さんは目を瞬かせる。

 

 

 

 

 

「どなたに聞いたのですか?」

 

 

 

 

 

「それは……」

 

 

 

 

 

 ばつが悪そうに視線を落とす。

 

 

 

 

 

「……俺にとり憑いてきた霊に」

 

 

 

 

 

 綴喜さんは息をのんだ後、瞳を閉じて俯いた。

 

 

 

 

 

「……そうですか……あの子が……」

 

 

 

 

 

 項垂れたまま動かなくなってしまった綴喜さんに、ミツル様は焦った様子で私に助け舟を求めるように視線を送ってきた。ミツル様、そんな瞳を私に向けていただけるなんて。湯上りの初手から団扇で扇ぎ過ぎて、距離を間違えたかと焦っていたところだったのだ。

 

 

 

 

 

「……ミツル殿は、あの子を……いえ……」

 

 

 

 

 

 綴喜さんは歯切れの悪い様子だったが、ややあて顔を上げた。

 

 

 

 

 

「ミツル殿、榎大明神(えのきだいみょうじん)という社をご存じでしょうか?」

 

 

 

 

 

「……夕立城のすぐ麓にある神社ですよね。榎の木が倒れちゃったって聞いたけど」

 

 

 

 

 

「そうです、その社です。その社におられますお袖狸様が、ぜひお会いしたいと申しておりました。江戸の時代よりこの街を見守り、民たちから愛されてきた狸神にございます」

 

 

 

 

 

「はあ……そんな方が俺になんで?」

 

 

 

 

 

「ミツル殿、今より厚顔無恥な了見を申しますこと、お許しください」

 

 

 

 

 

 綴喜さんが居住まいを正すと、ミツル様も慌てて綴喜さんに向き直る。

 

 

 

 

 

「この街の狸たちは、民から親しまれ、民に寄り添ってきた歴史がございます。確かに昔日と比べれば街の表情は随分と変わりました。山は削られ、川は流れを変えました。開拓された田畑さえ荒地となり、大洋より飛来した夜隼は城山周辺を文化ごと焼き尽くしました。大いなる時の流れが狸のみならず、狸を含めた数多の命を、幻魔の居場所を奪ってきたのは事実にございます」

 

 

 

 

 

 うら寂しい心持を隠そうともせず、その愁いを微笑みになじませる。

 

 

 

 

 

「なれどそれがすべてではございません。民たちは土地に根差した風土を慈しみ、後世に残そうと汗を流しておられます。生きているのですから、恩恵を忘れることもございましょう。生きているのですから、過ちを犯すこともございましょう。されど、風土が継承されている土地ならば、人は立ち返れます。道に迷っても、何度でも、何度でも立ち返れましょう」

 

 

 

「そしてそれは幻魔とて同じです。幻魔にも譲れない想いがあり、それを汲みあげなければ風土はなりたちません。どちらかに偏ってはならぬのです。二つの世界が両の手の平を合わせるように、温かく寄り添うことで、それぞれの世界は末永く安寧を保てるのです」

 

 

 

 

 

 綴喜さんが頭を下げた。

 

 

 

 

 

「ミツル殿、人妖入り混じる立場から、どうかこの街に、ひいてはあまねく世界に、畏敬をもって触れてくださいませ。繋がりはあなたを助け、巡り巡って世界を強く正しい方向に導きましょう」

 

 

 

 

 

 ミツル様は正解が見つからないのか曖昧に頷いてから、「わかりました」と小さくつぶやいて返礼した。綴喜さんは顔を上げて、にこやかに両手を合わせた。湯上りにふさわしい、穏やかな時間が流れている。

 

 

 

 

 

 

 

 くだらない。

 

 

 

 

 

 

 

 私は冷めた面持ちで白い歯を出して談笑する綴喜さんを見下す。

 

 

 

 要はあの小狸のことを許せと言いたいのだ。そこはいい。興味がない。湯に浸かりながら聞いた話では、彼女も勘案すべきことが色々あるのだろう。

 

 

 

 

 

 問題はそれを修飾する甘言の数々だ。幻魔と人との関わり方として、道理的にまったく正しいことを言っているが、それは空虚な理想論でしかない。双方の歩み寄りは歴史が何度も否定してきた。たとえ一時人妖が手を結んでも戦火がすべて飲み込み、容易く関係が崩れ去ることは、この国こそがよくわかっているはずだろう。

 

 

 

 

 

 この世は弱肉強食だ。弱ければ喰われるだけ。故郷の村から教わった、唯一の真実だ。なにが風土だ。生憎村を焼いて飛び出してきた田舎娘には、なに一つ響かない。

 

 

 

 

 

 やはり注視しておかなければならない。ミツル様に強く生きていただくためにも。

 

 

 

 

 

「さて」

 

 

 

 

 

 綴喜さんはポンと膝を叩いて、視線を移動させる。

 

 

 

 

 

 その視線の先には、不自然なほど首を伸ばして窓の外を眺めるルガールの姿があった。

 

 

 

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