【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第67話 私も参ります

【黒猫】

 

「なに飲んでんの?」

 

 

 

 自販機の前で腰に手を当てて小瓶を飲んでいる無名に問いかける。

 

 

「コーヒー牛乳に決まっとるわ。温泉はここまでがセットやけんな。お前さんも飲みぃ」

 

 

 言うが早く、小銭を入れて勝手にボタンを押した。クレーンゲームのようにアームが動いて、茶色の瓶を引き抜く。

 

 

「ほい」

 

 

 自然な動作で瓶を突き出してくる。反応の鈍い僕に、無名はきょとんとしている。

 

 

「なんぞ、牛乳嫌いなんか?」

 

 

「いや、大好物だけどさ……まあいいや、ありがとう」

 

 

 瓶の蓋を空ける。幻魔なのだから殺し合いの後に酒を交わすことはままある話なのだが。……なんというか、無名の場合、こういうところが好かれる所以なんだろうな。気まずさとか敵意とか打算とかがまったくない――わかったわかった、腰に手を当てて飲めばいいんだろ?

 

 

「それにしても綴喜はよく間に合ったね。北海道にいたんだろう?」

 

 

「札幌にお袖様の親族と縁深い神社があってな。その光道を通らせてもろたんやと。札幌までは『国道40号』を使わせてもろたみたいやし、今度お礼回りせんとあかんわ」

 

 

 空き瓶をプラスチックケースに入れて、廊下へ出る。

 

 

「向こうは向こうで、冬の神様が怒ったり、念波障害が起きたりで大変やったんやと。ほやけんスマホを使えるようにしとけ言うたのに」

 

 

 念波障害、ねぇ。

 

 

 二人で会話しながら木製の階段を上がり、渡り廊下を歩いていく。二階が大広間、三階が個室の部屋となっているようだ。いそいそと歩く浴衣姿の従業員とすれ違う。

 

 

 廊下のいちばん奥の貸し切り部屋の障子を開く。

 

 

「上がったわ~。どうなんぞミツル、具合は」

 

 

 無名はミツルのいる机のそばに腰掛ける。

 

 

 

 

 

 入口の正面には和風の窓があり、ルガールが団扇をせわしなく仰いでいた。まるでなにかから目をそらすように首を伸ばして外を見ている。

 

 

 

 

 

 はたして目をそらしているその要因は、すぐそばで膝をつく綴喜だろう。物も言わずじっとルガールに視線を送っている。

 

 

 

 

 

 僕はヴィクトールの横に座り込むことにした。

 

 

「……なにしてんの、あれ」

 

 

「さあてな。それよりお前、桃九郎戦で手助けした礼金はきっちり振り込んでもらうぞ。……すみません、私の分をもう一杯いただけますか? いやはやおいしいですな、お茶というものは」

 

 

 ヴィクトールは気味が悪いほど張り付いた笑顔で、僕の分の茶と菓子を運んでくれた浴衣姿の従業員に注文する。この男は本心から笑うことがあるのだろうか。

 

 

 

 

 

 綴喜はさらに畳を擦り、ルガールのほうへにじり寄った。もう裾と裾が触れ合う距離だ。さすがにルガールも無視できなくなったのか、振り返って声を張り上げる。

 

 

「なんだよ!? なんか文句あんのか!?」

 

 

 綴喜は無表情のままルガールを見据えたまま動かない。

 

 

「言っとくがな、俺はあの化け狸に殺されかけたんだぞ。正当防衛だよ、正当防衛。日本国憲法って知ってるか?」

 

 

「私はまだなにも申しておりません」

 

 

「そうか? 顔に『謝れ』って書いてあるもんでな。せっかくの温泉だってのに、ちゃんと洗わなかったのか?」

 

 

「ありがとうございました」

 

 

 綴喜が頭を下げたので、ルガールは面食らっている。

 

 

「ルガール殿が最後に勝負を受けて立っていただいたおかげで、彼女が怨魂となる前に私の手で送ることができました」

 

 

「……ケッ、残滓が漂ってやがったのか、俺としたことが見逃しちまった」

 

 

 綴喜ががばりと顔を上げて、ルガールの瞳を見つめる。

 

 

「ルガール殿、狸は決して間抜けではございません」

 

 

「……あぁ?」

 

 

「あの子からなにを聞かされたかまではわかりませんが、狸は街の人々から愛されておりますし、それゆえに力もつけております。ただその牙の矛先をニンゲンにも、幻魔にも向けていなかっただけにございます。狸は決して弱い存在でも愚鈍な存在でもありません。ただこの瀬戸内の気候と同じく、温厚なだけにございます」

 

 

「だろうな。数時間前に身をもって勉強させてもらったよ。できればあと三日ほど前に教えてもらいたかったね」

 

 

「ご理解していただけましたか?」

 

 

「なんのこったよ」

 

 

「ルガール殿」

 

 

「うるせぇな、わかったっつってんだろ」

 

 

「ルガール殿の口からきちんと申してもらわねば困ります」

 

 

「わかった、わかりましたよ。『狸は温厚で、決して間抜けじゃないし弱くもない』」

 

 

「『承りました』」

 

 

 綴喜は深々とお辞儀をして、安心したようにほへらと表情を崩した。

 

 

「ありがとうございます。ルガール殿。この御恩は必ずや」

 

 

 ルガールは呆れたようにため息をつく。

 

 

「お勤めご苦労なこったな。俺なら三日で尻尾巻いて逃げ出してるよ」

 

 

「なんともったいない。こんなよい街から逃げ出すなんて」

 

 

「……街も影縫も傷つけて悪かったよ。まあ幻魔の世界じゃ日常茶飯事だよな?」

 

 

「心配せずとも、そちらの罪状は後日きっちりと調査したうえで裁いてもらいますので」

 

 

「え」

 

 

 

 

 

「ほい、ちゅうもく、ちゅうもく!」

 

 

 ちょうど会話が一区切りついたタイミングで無名がパンパンと団扇を叩いた。

 

 

「回復したところで、さっき伝えた通り、奴さんを捕まえに行こうや。ヴィクトールとクローイで補足できとるんやろ?」

 

 

「ああ、だが俺の探知機はおそらく空港で引っかかる」

 

 

「同じく、僕も飛行機に乗られると厄介だから早めに決着つけたいね」

 

 

「上々やわ。綴喜はミツルに付いたってくれ。残りはついてきぃ」

 

 

 そう言って無名が立ち上がったので、みな一様に重い腰を上げる。ミツルは心ここにあらずという様子でぼうっと部屋の隅を眺めていた。無理もない。真っ当なニンゲンほど裏切りに弱いからな。

 

 

 

 

 

 無名がいのいちばんに部屋を出ようとして、立ち止まった。

 

 

 無名の後ろに綴喜がぴったりとついていた。

 

 

「綴喜?」

 

 

「私も参ります」

 

 

 華奢な浴衣の後ろ姿からは、確固たる意思を感じ取れた。

 

 

「いや、ほやけん綴喜にはミツルのそばにおってほしい――」

 

 

 

 

「『()()()()()()』」

 

 

 

 

 刹那、悪寒が走り抜けた。

 

 

 

 パパパァン、と音を立てて綴喜の周囲の障子が破れ、襖がガタンと大きく揺れ動いた。

 

 

 

 唐突に放たれた死の気配に、僕とルガールは飛びのいた。メイファは銃を手にしてないことを忘れて、腰に手をかざしている。ヴィクトールだけは棒立ちのまま動かず、「ほぉ」と感嘆の言葉を漏らしていた。

 

 

 

 綴喜さんはがっくりと肩を落として、自分の両頬をぴしゃりと叩いた。

 

 

 

「申し訳ございません、無名。未熟者、なんとはしたない……」

 

 

「ええよええよ、そうよな。綴喜だって許せんよな」

 

 

「一時の感情で……これでは面目が立ちません」

 

 

「そんな落ち込むなって。女将さんには謝っとこうな」

 

 

 項垂れる綴喜に無名は苦笑いで受け答えしている。

 

 

 

 

「……ビビらせんじゃねぇよ」

 

 

 ルガールは僕の隣で吐き捨てる。

 

 

 確かに驚いた。なにより、綴喜が怒りを露わにしたことは興味深い。

 

 

 今朝方舞を見たときも、一緒に温泉に浸かっているときも、どこか超然的な雰囲気を醸し出す彼女は、人智どころか幻智をも超えているように見えた。彼女のような神に近い存在は怒哀が消失していて、そもそも勝負の土台にすら立たせてもらえないことも多い。

 

 

 だが彼女のなかには、確かに包み隠せない悲しみがあり、抑えきれないほどの怒りが存在するようだ。感情は力の源であると同時に、鍛えようのない脆弱性の塊でもある。

 

 

 ヴィクトールとメイファの瞳を見る。表情は大きく変わらないが、薄く小さな期待の感情がにじみ出ている。ふたりとも同じように考えているはずだ。

 

 

 

 

 人の心を占める割合が高いのなら、神であろうと御すことができるはずだ、と。

 

 

 

 

 ま、僕はもう争う気はないけどね。一応情報として記憶しておこう。

 

 

 

 

 無名は眉間に軽く皺をよせた。

 

 

 

「しかし困ったわ。今日一日ミツルについて回る人を確保しときたいんやけど」

 

 

 

 スパァンッ!

 

 

 

 タイミングを見計らったかのように、豪快に障子が開かれた。

 

 

 

「桃九郎が上がりましたよ! 所用でミツル少年が出るのと入れ替わりで入ることになったわけなんですけど、いやぁなかなかやるではないですか。泉質はともかくとして、この雰囲気ある母屋は明美も喜ぶってもんですよ。それにしてもお前たち、せっかくの温泉なんですから、もうちょっとゆっくりと湯に浸かるべきですよ。とくにルガール、なんですかお前は。早風呂にもほどがありますよ。もっと堪能しなさいよ」

 

 

 みな心なしか半身引いている。湯上りにこの饒舌さはきつい。ルガールは露骨に不快感を露わにして歯をいーっと出して威嚇している。

 

 

「出てきて早々うるせぇなテメェは。俺は熱いのが苦手なんだよ」

 

 

 桃九郎は部屋を見渡して、目をぱちくりとさせている。

 

 

「なんですかお前たち。そろいもそろって立ち上がって。まるで俺を置いてどこかに行くみたいじゃないですか。もうちょっと休憩していきなさいよ。俺に遠慮せずともいいんですよ」

 

 

「いや、遠慮させてくれ」

 

 

 無名がきっぱりと断る。

 

 

 

「まあちょうどええわ。桃九郎、ミツルをよろしく頼むわ。ミツルならこの街の観光スポットもお土産屋さんも知っとるやろ。ミツルは今プチ家出中の設定になっとるから、対応頼むわ。細かいことは外におる伊田に聞いといて」

 

「お、それは名案ですよ。流石無名。わかっているじゃあないですか。そういうことなんで少年、まずは俺が湯に浸かりながら考えた観光ルートの採点をしてほしいんですよ。地図とか持っていませんか、地図。ところでこの部屋、なんで障子が破れているんですか?」

 

 

「だ、誰なんですか、この人」

 

 

 ミツルは突然現れたお喋り眼鏡に完全にビビっている。ミツルはルガールとの殴り合いの後、ヴィクトールの背中で眠ったまま連れてこられたので、桃九郎のことは本当に知らない浴衣のおっさんでしかないのだ。

 

 

 そんなことは知ったことではない浴衣のおっさんは、自分の鞄をゴソゴソと漁っている。

 

 

「誰って桃九郎ですよ。天下に名高い山岡桃九郎です。あ、ありました。パンフレットに市内の地図が描かれていますよ。ちょっと失礼、いいですか少年。まず夕立駅で明美を抱きかかえてからひとっ飛びして夕立城の天守に降り立つでしょう?」

 

 

「の、のっけから不可能ですけど」

 

 

「ほしたら頼んだわ、ミツル」

 

 

()()()()()?」

 

 

「しかと頼まれましたよ、無名」

 

 

 ミツルのすがるような視線を、手刀を切って詫びる。まあ今のミツルには、桃九郎の大言がいい気晴らしになるだろう。多分。そう言い聞かせて、僕は足早に部屋を出ていった。

 

 

 

 

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