【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【小悪党】
男はサングラスで太陽の日光から目を守り、悠々自適にサマーベッドに体を寝かせていた。目の前のプールでは、信者の子どもたちが歓声を上げながらビーチボールを投げ合っている。プールサイドには信者の配偶者が子どもたちをぼうっと見守っている。
男の絶理『検体Xの備忘録』は自らの肉体を捨て、新たに作り上げた肉体に魂を移す能力。捨てた肉体は約一年間意思をもって逃避行するので、己を狙う敵はすべて身代わりの足跡を追うことになる。男はこれまで、幻覚法理と自らの絶理を駆使して、数多の死線を潜り抜け、幾千の追っ手の目を眩ませてきた。
「うるさくてすみませんな」
赤色のネクタイを身に着けたスーツ姿の信者がフルーツサワーとグラスを手に、老人の横に腰掛けた。シルクハットを目深にかぶっている。
「ここまで逃れれば追ってもこないでしょう。ゆっくりしていってください」
「いや、油断はできません。奴らは海を渡ってきてもおかしくありません」
老人はしわがれた声で言った後、両手を上げて歪んだ笑みを浮かべる。
「最もここなら、追ってきたところで返り討ちでしょうがね」
指し示された屋根の上に立つ二人の監視役は、真っすぐに屋敷外を注視していた。ヴェルナーが捕まり、新世紀派の幹部に軒並み捜査の手が入るなか、残党はこの財閥の敷地に集まってきていた。残された手練れたちは、戦いを求めて飢えている。
「×××さんは戦闘もできるのですかな?」
「もちろんです。ただ嫌いなんですよ。自ら戦いの場に出向くのは」
信者からグラスを受け取りながら返答する。
「戦ったって勝てますがね、それより私の興味は憑依法理についてでしたから。貴重なサンプルが取れたので、もう奴らには用がないんですよ」
老人は自身の法理をさらに進化させるために、他人の体を乗っ取る憑依術に強い関心を示していた。老人が夢見ているのは、幻魔の血に頼らない不老不死。現状の絶理では使用する幻力が大きすぎるがゆえに精神の擦り減りが起こってしまっているので、さらなる改良を夢見ていた。
「元は逃亡先として日本を選んだだけだったんですがね。ちょうど協力者に紹介してもらって地方術師となったんです。その行き着いた先が獣憑きで有名な土地だったんで、興味本位で実験を始めることにしたんですよ」
「その協力者というのは誰なんです?」
「は? ああ、誰だったかな。……いや、そもそもそんな簡単には教えられませんよ」
「誰なんです?」
前のめりに聞いてくる信者に気圧されて答える。
「サマエルという法理師ですよ」
信者は深く息を吸い込んで、サマーベッドにその身を投げ出した。
「……それで?」
息を吐きながら先を促してきた。
「ああ、こっくりさんという儀式でいろいろやっていたときに、一匹の小狸を見つけましてね。そいつを使うことにしました。法理と知識を授けていたら、すぐに懐きましたよ。私がちょっと誇張した歴史を教えたら、それをすっかり信じ切りましてね。狸はずっと虐げられているとか、ニンゲンどもにわからせてやらねばならないとか。あんまり急に教えると不審がると思って、数年かけてじっくりと仕上げていきましたよ。おかげで苦労した」
老人はグラスを口に傾けて、味を堪能してから続ける。
「そのうち強力な血を持った少年が現われましてね。その二人を合わせて、どんな妖ができるのか試すことにしたんです。ヴェルナーに過去の絵を調べさせて適当な予言をでっちあげてもらってね」
「それで、まずは吸血鬼の力を発現させるために七不思議を広めた」
「そうです。たまたま海外から来た化け物が暴れてくれていたんでね。利用させてもらった。七不思議の実現には、こちらでもいろいろ準備もしていたんですが、運がよかった。……あの小妖怪は決行の段階でも本気じゃなかったようですが、化け物たちが暴れたときに危機感を覚えたようでね。あんな小競り合い、海向こうじゃよくあることだというのに。島国の妖はやはり平和ボケしていますな」
老人はワインを嗜むかのようにグラスをゆらゆらと回す。
「それでもまだうじうじしているから、檄を飛ばしてやりましたよ。『悔しくないのか』とか『この街を守れるのは君しかいない』という具合にね。そしたらアレは、震えながら頷いたんですよ。目に涙を浮かべて『私、やります』って震え声で。あれはっ、クフッ、いや失礼っ。あまりにも、滑稽でっ。あんな小妖怪に、いったいなにを守れるというのかっ」
パァン。破裂音がした。子どもたちが遊んでいたボールが割れたようだ。ひとりの子どもが呆然とした様子で立ち尽くしていて、もうひとりが慌てた様子で駆け寄っている。
それをぼうっと眺めながら、老人は語りを続ける。
「あとは予言の通りになるように少年を誘導したり、影縫の無線で誤情報を流したり……かき乱すために死んだふりまでしましたね。あとは知っての通りですよ。あんまり証拠を残されたくないんで『決死』を伝えていたんだが、ちゃんと特攻したんだろうな、あいつは」
「この×××××!」
子どもの叫び声が届いた。言葉は理解できなかったが、怒っているようだ。プールサイドの縁に手をかけた少女が身を乗り出してわめく。
「×××××、×××××!」
老人は違和感を覚えた。『バベルの祈り』を通しても言葉が通じないとは。よほど汚い言葉を使っているのだろうか。兄であろう青年が肩をなでて小声で少女を宥めていた。
信者の配偶者がこちらにしゃがみこんで謝罪の言葉を述べる。
「ごめんなさいね。あの子、ちょっと機嫌が悪いみたいで」
「いや失礼、子どもの前でする話ではありませんでしたな」
老人はちらりと配偶者の胸元を見た。Tシャツの下に花柄の水着が透けて見えた。この数年間、地方術士として規律ある生活を演じていた老人には少々刺激的であった。一度視線を外すも、再びちらりと覗き見る。
「趣味×××××」
屋根の上に座る右側の見張りの言葉に、左側の見張りが息を漏らして言葉を返している。なんだ? なぜ検閲されるように言葉がわからなくなるのだ? 老人は思わず身を起こす。
パン。
信者が手を打ち鳴らして、老人の視線を戻した。
「話を聞いていると、なかなか暗躍されていたようですね。罪悪感などはないのですか?」
「罪悪感?」
老人は嘲笑を交えつつ声を張り上げる。
「私がなにをした? 確かに多少嘘を教え、予言を実現させるための策略に奔走したさ。武器や巻物の横流しもした。だが、本質的なことをしでかしたのはあの小狸だ。私じゃない。奴の意思だ! 催眠の類の法理は……出会ったときに多少は使ったか? ……はっ、あの程度の催眠を破れない田舎者に夢を与えてやったんだ。出来の悪い奴に法理も教えてやったしな。……カスのような時間だった。……むしろあそこまでうまく使ってやったことを褒めてほしいぐらいだ! 奴のヒロイズムを叶えてやったんだからな!」
そこまで言い切って、老人は呼吸を整える。
「まあ得たものも多かった。今回得た知見はこれから時間をかけて研究するんでね。月の影を破壊するような特異体質であっても、憑依者が使用できることは注目すべきことだ。おかげであの小狸にしてはよくひっかき回せていた。あのゴロツキどもが相手じゃなければ、刑部狸の封印を解くところまではいけていたかもな」
老人は日本国外からやってきて暴れていた幻魔たちを思い浮かべていた。
「奴らとは長い付き合いになるかもしれんな。特にあの黒猫。奴とは一度手合わせ願いたいものだ。同じ幻覚法理を専攻するものとしてな」
「――なるほどね。もういいや」
ぞんざいに足を組んだ信者に、老人はひるむ。
「ところでずっと不思議だったんだけどさ」
信者は寝転がったまま、頭にかぶっているハットに手をかけている。
「君、さっきからベラベラと誰と話しているんだい?」
唐突な質問に、老人は笑みをこぼしながら言葉を紡ぐ。
「誰って、それは……」
そこまで言って二の句を告げずにしばらく呆ける。
老人の目と口が、じわじわと見開かれていく。
老人は上体を起こし、あたりを見渡した。常夏の青空が広がり、太陽光がプールの波に乱反射する。熱気で陽炎ができており、景色が歪む。
「馬鹿な……」
プールに入っていた二人の子どもの姿が、陽炎に歪んでいく。おかっぱ頭の少女はあふれ出る怒気を隠そうともせずにらみつけ、隣にいる男がその肩をさすっている。信者の配偶者は、いつの間にか屈強な大男になっているではないか。背後の屋根に立つ二人はもはや興味は失せたといわんばかりに、男を見下ろしていた。
「馬鹿なッ! いつからだ!? いつの間に私はッ!?」
老人の隣にいたスーツ姿の人物が、シルクハットを胸元に下げる。
「断じてあってはならないッ! この私がッ!」
猫耳の生えた少女が、踏みつぶしたガムを見るような目で老人を見下していた。
景色が急速に渦に飲み込まれるように収束していく。
「この私が、気付かぬまま幻覚にかかるなどッ――!」
【聖人ミイラ】
「ありえぬぷりふぇなす~ん」
「――ということらしいよっ!」
クローイは老人の頭こめかみに両の親指を突っ込んだまま声を張り上げる。夕立空港の国内線出発ロビー前はニンゲンの往来が多く、月の影の中ではクローイたちの周辺を黒い影が忙しなく行き交っていた。
クローイは親指を抜くと、老人はよだれを垂らしたまま、人形のように力なく地に落ちた。
「んだよ、とんだ雑魚じゃねぇか」
吹き抜け構造の三階ラウンジの手すりにもたれかかったルガールが愚痴を垂れる。
「配置まで組んだってのに、アホくせぇ。俺たちが出るまでもねぇとはな」
「しゃあないわ。情報がなさ過ぎたけん。まさかクローイひとりに秒でノックアウトされるとは思わんやろ」
「幻覚法理でクローイに対抗できるわけねぇだろ」
そう言ってルガールは二階に飛び降りてくる。少し遅れてメイファも続いた。
「ルガール、記憶を読ませてもらっている立場で笑わせてくるのはやめてちょうだい」
「いやあれは笑うだろ。老人がヴィクトールの胸を凝視して鼻息荒くしてんだぞ?」
「地獄のような絵面を見せてしまって申し訳ないかぎりだ」
ヴィクトールは待合スペースの椅子に腰かけた。
「しかし自白のための拷問が必要ないというのは楽でいいな。あとは痛めつけるための拷問だけというわけだ」
ヴィクトールの言葉をけん制するために睨みつける。
「僕の前であんまり物騒なこと言うなや。こいつの身柄は僕らで預かるんやけんな」
「おお、そうだったな。あとは上がうまく交渉してくれればいい。なあ、メイファ」
「そうね。長兄様からは捕縛して管理局に引き渡すように命じられていたから、私が捕縛に協力したことが証明できればいいわ」
こいつら、もう日本の法務がこの男を管理局に受け渡すこと前提で話を進めている。そして、おそらくそれは実現されることだろう。間違いなく管理局は日本法務に圧力をかけてくる。まあ日本での罪状はないに等しいから、国際犯として本国で裁いてもらったほうがいいのかもしれない。
隣に立っていた綴喜がふらりと歩み出て男の前でしゃがみこむ。と同時にクローイがツカツカと足早に階段方面へと歩いていく。
「クローイ、こいつの法理は盗めたのか?」
「よせよ、反吐が出る」
「どこ行くんだよ」
「先に街に帰る!」
「クローイ、あんま寄り道すんなよ! 白鷺寺に向かうんやぞ!」
クローイは返事もしないまま出口のある階下へと降りていった。
「ねぇ」
メイファが、僕に呼びかけてきた。
「なんぞ?」
「それ、ジャパニーズホラーみたいになってるけど」
「……は?」
下を見ると、男がガタガタと体をのたうち回らせていた。関節が意味を成していない。
「ッ!?」
急いで法衣を男の周りに展開して、護符を投げつけた。男はギシギシと横向きにブリッジしてから脱力した。しゅうと音を立てて呪怨の進行が止まる。
「……一応言っとくがクローイじゃねぇぞ。多分」
ルガールはしゃがみこんで、男の顔を覗き込んでいる。
「おいおいおいおい」
ヴィクトールが嘲笑を含んだ言葉を口にする。
「人に説教しておいて、容疑者に随分といい待遇をしているじゃないか。それともこれが日本式なのか? なあ、無名?」
「……綴喜」
僕の隣に立つ綴喜は、すでに男に背を向けている。
「私はただ、狸たちから預かっていたものを渡しただけです」
「……管理局と鏡会の者に見られとる。
「構いません。春に赴いても襖の裏から顔すら見せない無礼者どもが、私をどう
「綴喜。お前さん、ただでさえ目をつけられとるんやけん――おい、どこ行くんぞ?」
「先に街に帰ります」
「どいつもこいつもっ――綴喜、お前さんも寺に寄ってくれよ!」
綴喜も返事しないまま、階下へと降りていく。
僕はため息をついて、眼前でうろたえているルガールの頭をひっぱたく。
「――ほんでお前さんは、なにしよるんぞッ!」
「痛ッ、違ぇよ! 俺はただ『癒しの光』をかけてやろうとしたら、なぜか突然コイツ自身が発光し始めて――」
「ルガール、そこの弧線は反比例にしないと」
「メイファ、お前さんもデタラメを教えんな! とにかくいったんコイツを移送するから――やめぇルガール、浮いとる、浮き始めとるけん!」
ここまでが「転」です。(3話ぐらい前な気もしますが)
残り七話は各キャラのまとめです。
続編を1mmしか書いていないし、なんなら構想も曖昧な状態なのに当然次回があるかのような匂わせをしています。痺れますね。
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