【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
文中でルガールが話している「訳のわからねぇカステラ」が想像しづらい方は、「一六タルト」で検索してみてください。程よい甘さでおいしいです。
【犬っころ】
俺とクローイは、湯ノ石温泉を見下ろせる位置にある足湯で休息していた。湯月の神職の爺が、この街に住みたいのならばまずこの街のことを知れと口うるさいので、ひとまず観光名所を巡っているのだ。人混みが面倒なので月の影を展開させてくれと要望を出したが、当然のように却下された。群れるニンゲンどもにはうんざりだ。もうしばらく日中の夕立城には行く気がおきねぇ。
クローイは俺の横で、足湯に足を突っ込んだまま、かすかに揺れる水面を眺めている。
「……なに落ち込んでんだよ」
俺の問いかけに、クローイはこちらに首を振り目を丸くした。
「……落ち込んでる? 僕が?」
「リリスに報告しに一日ロンドンへ往復してから、ずいぶんとテンション低いじゃねぇか。さっき俺が路面電車のレールに蹴躓いたときも鼻で笑うだけだったしよ。普段のお前なら、ホイッスルを吹きながらレールの周辺に立ち入り禁止テープを張り巡らせていたはずだ」
「もしかして僕って、ルガールから見てとんでもない無法者に映っているのかい?」
「俺が店選びを間違えたからか?」
俺たちの間に置かれた、ロールケーキ状の謎の菓子を指さす。
「しょうがねぇだろ。タルトって言われたらあのパイ生地にフルーツの乗ったスイーツだと思うだろうが。なんだよこの
前にクローイがパフェをたらふく食いたいと言っていたから、どこかにいい場所がないかミツルに聞いてみたら、「この街の甘いものなら、まずはタルトか団子じゃない?」と助言されたのだ。
タルト、そりゃあいい、フルーツが乗っているところはパフェと似ているし、それなら街の名物を食ったほうがいいだろうと意気揚々と店に来てみてお出しされたのが、スポンジ状の生地に餡が巻かれた郷土の菓子だったというわけだ。
あの野郎、これのどこがタルトなんだ。店の前で曖昧な表情をするクローイに、流石の俺も罪悪感を覚えた。
「さすがの『バベルの祈り』も、『ここでいうタルトとは一般的なタルトではなく、郷土菓子のことです』って注釈をつけてはくれなかったみたいだね」
クローイは小分けされた謎カステラの袋を開けて頬張る。
「でもおいしいよ。これ。買っていったらご主人も喜ぶだろうな」
口をもごもごさせて、薄く微笑みながら湯ノ石温泉を見下ろしている。そよ風に前髪がかすかに揺れ、黄色の瞳は琥珀のような秘められた輝きを落としていた。
不気味だ。大人しいクローイは、とにかく気味が悪い。こういうときのクローイは往々にして気落ちしているか、なにかを企んでいるときだ。そうだ、またよからぬことを企んでんじゃねぇだろうな? 俺は『見惚れよ』が使われていないか急いで確認する。
「ルガールはさ」
俺が眉間にしわを寄せている最中、クローイがぽつりとつぶやいた。
「自分の終着点を考えたことはある?」
なんだ、急に哲学的な。
「いやなに、無名が街の人たちからとても慕われていたからさ。こういうことを覚えるたびに、僕はなにをしているんだろう、どこへ向かおうとしているんだろうって思うことがあるんだよね」
わからんでもないが、そう突然そんなことを言われてもな。俺に小難しいことを振ったってろくな返答がないことは、こいつがいちばん知っているだろうに。
「別にいいじゃねぇか。酒飲んで、踊って、戦って、寝ればいいんだ。いつか死ぬときまで楽しめばいい。特段向かいたい場所があるわけでもねぇだろ?」
クローイは俯いたまま黙り込む。俺は眉をひそめる。
「……わからねぇな。お前に叶えられないことなんて、今や数えるほどしかねぇだろ」
「……買いかぶりすぎだよ。みんな僕を過大評価しているんだ。僕は、成果を出せるときだけちょっかいをかけて、負けそうなときは逃げてるだけの臆病者だよ」
そういって、ぱしゃりと水を蹴った。
クローイは時たまこうなる。どう考えたって天性の才能があるのに、やけに自虐的になるタイミングがある。
やはりあの性悪のそばにいるからだろうか。リリスより実力のある法理師なんて歴史上を見渡しても五人といないんだから、気にしなきゃいいのに。
「なんてね」
ばしゃと両足を湯から出した。
「しばらくよく知らない日本の土地にとどまることになったから、ちょっとホームシックになってただけだよ」
タオルでごしごしと足を拭って靴下を履き始めたので、俺も湯から足を出した。
「ご主人が言ってたよ。子犬化の法理はもう解いているけど、変に暴れたら『お座り』で
「そりゃいい。日本の夏で熱中症になるより、マントルで焼かれたほうが涼しいかもしれねぇしな。お前もどうだ?」
クローイのスニーカーを履く動作が止まる。
「聞いたか? 最近地底人どもがとある環境団体と結託して、地球の温度を上げてるらしいぜ。ついでにぶっ飛ばしにいこう。俺は暑いのがこの世でいちばん我慢ならねぇんだ」
「……いいね」
クローイは、靴紐を締めなおしてその場に立ち上がる。
「熱中症で、手足が震えるようなことがあれば、ついてきてくれよ」
そう言って手をかざして空を見上げた。俺もつられて仰ぎ見る。飛行機が、青い空に一筋の雲を描いていくところだった。
*
その後、とある広場を歩いていると、いきなり床から噴き出した水にズボンを濡らされた。時間制で噴水が作動する仕様だったらしい。悪態をついてから言い訳をしようと振り返ると、クローイはすでにシャーロキアンよろしくインバネスコートに身を包み、パイプをふかしながら「難事件の香りがするな、ホームズくん」などとほざきやがった。俺がホームズならお前は誰なんだよ。
やっぱり猫ってやつは、どうしようもなく気分屋だ。
この話は最終回を読んでから戻ってきてください。