【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【生ける死神】
「――報告としては以上になります。ご質問などございますか?」
カミラお嬢様は寝起きのキマイラのような呻き声を発しながら言葉を探している。
「……もう……あなたの行動に、どこからツッコめばいいのかわからないのだけれど……あなた、お金は大丈夫なの? 随分と火器を使用した様子だけど」
「長兄様から報酬を頂きました。それでどうにか賄えそうです」
黒焦げになった扉の外面を拭きながら答える。これ以上はいくら雑巾で擦っても消えなさそうだ。面倒な焦げ跡だこと。
振り返ると、ネグリジェ姿のお嬢様はベッドに寝転がったまま額に手首を置いていた。
「……シコクって日本のどの辺だったかしら? 知り合いがいるならお詫びのご連絡をしておかないと」
ベッドの縁から漏れた膝から下の足は、お嬢様の思考を示唆するように、力なく垂れ下がっている。
「お嬢様、その姿で寝転がったまま話すのは、はしたいですよ」
「メイファ、
「まさか屋敷に新たに『爆撃収束』の法理がかけられているとは思いませんでした」
「私もさすがに撃ち込むことはないだろうと思っていたのだけれど、念には念をでかけておいてよかったわ」
お嬢様はベッドの上で上体を起こした。髪が揺れ、八重歯が口元から垣間見える。
「それで? 件の少年の近くにしばらく身を置きたいと」
「はい。ここにいてもお嬢様にこき使われるだけですし、行き詰まり感があったので少し外の空気を吸ってきたいのです。観察処分期間中ずっと日本にいるつもりはありませんが、最低でも三年は出張という形で居を夕立市に構えようかと」
私は扉を閉めて、お嬢様のほうに向き直る。
「返答は慎重にお願いいたします」
「わかったからその下品な銃を下げなさい」
腰元に構えていたポンプショットガンの銃口を下げると、お嬢様は髪をかき上げた。
「いいわ。少年がこちらの世界に引き込まれたいちばんの要因は我が家にあることだし。こちらでもアンジェラのことは調べておくわ。もちろん、お兄様には気づかれないようにね」
アンジェラお嬢様のことはカミラお嬢様でも知らないのだ。嘘をついている可能性もゼロではないが、いずれにしても手がかりらしいものが出てくることはなさそうだ。
ミツル様にお会いできると同時に、長兄様から依頼されていた目的を達成できたのは幸運だった。あの男は、長兄様お抱えの文人がまとめた法理を盗んだのだ。知己に対する不義はヴラドール家への侮辱に等しい。あの男は、管理局に引き渡されたのち、移送途中で不慮の事故に遭うことになるだろう。
お嬢様がベッドの上で脚を組むと、さらりとレース生地が白い肌を滑る。
「それよりその少年の吸血衝動は大丈夫なの? 薬はどんどん耐性がついていくから、ちゃんと血を飲ませないとダメよ」
私は少し迷ってから、左腕の袖をめくった。
「……それは?」
「事変から三日後にミツル様に吸血衝動が起きたのですが、腕を掴まれた際に尺骨にヒビが入りました」
お嬢様の眉がピクリと動く。
私は袖を下ろして包帯を隠す。
「今はかなり落ち着いているので、おそらく月の周期が関係しています。次の満月のときに、どこまで衝動が大きくなるのか見ておきます」
「……ということは、
「本人なりの矜持があるようで……少なくとも誰彼構わず飲むのは避けたいようです」
「それは――」
お嬢様の長い睫毛が俯いて、口元が妖しく弧を描いた。
「――
妖艶に滑る牙に、じくりと首元がうずく。思わず指先で、癒えることのない噛み跡に触れた。
お嬢様がミツル様に手を出すとは思えない。だが吸血鬼はみな気まぐれでどこまでも自尊心が高い。どう転ぶのかは私にもわからない。
ミツル様を一員として認めてもらうための格が必要だ。さもなくばミツル様の身に不慮の事故が起きることになる。
ミツル様。私はどこまでもカミラお嬢様の調理人でしかありません。どうか私に、銀のナイフを持たせないでくださいまし。
*
雑巾を片付けて、懐中時計を取り出して時間を確認する。フライト前に武器の買い足しをすることを考えると、あまりうかうかしていられない。
「お嬢様。そろそろ行ってまいります」
「ええ、お土産もありがとうね。おいしかったわ」
「次に戻るのは、少なくとも三カ月以上先になると思われます」
「ええ、日本の夏は暑いらしいから、気を付けるのよ?」
「なにか最後に命じておきたいことなどございませんか」
「特にないわ」
「……自室の掃除は」
「心配し過ぎよ。クライネもいるんだから」
「そうですか」
「ええ」
「……」
「……」
「……失礼しますよ?」
「? ええ。いってらっしゃい」
お嬢様は怪訝な顔で見送ろうとする。
私は肩を落として、緩慢な動作でドアノブに触れる。
「メイファ」
悪戯っぽく笑みを含んだ声に、堪える間もなく振り向いた。
ポンポンと、ベッドの隣のスペースを叩く。
「おいで」
私はちらりと窓の外を見やる。
ジャックにお願いして、青魂影に入った。すかさずお嬢様に飛びかかって、ベッドに寝転がった。
「ちょっとっ、もうっ、鬼火に入らなくとも誰も見ちゃいないわよ」
私は青白い炎に照らされながら、お嬢様の胸元に顔をうずめる。仕方がない、青魂影内ではお嬢様から離れると静止してしまって、お話ができなくなるのだから。
「いつでも帰ってらっしゃい。光道も繋いでおきなさいね」
「はい」
「また顔の傷が増えたんじゃないの? むやみに争いごとに顔を突っ込んではダメよ?」
「……」
「おいしい日本料理を覚えたら、すぐに私にふるまうのよ。これは命令です」
「はい」
お嬢様の細い指が、私のシニヨンをほどき、粗雑な髪を梳かしていく。ここは、世界でいちばん安穏な場所だ。安らぎの波が体の内側から打ち寄せて、睡魔が忍び寄ってきた。眠りに落ちそうになるのを必死でこらえる。もう少しだけ、お嬢様の声を聞いていたかった。