【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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【第一部完】第75話 リリスの大展望室にて クローイ・サリヴァン

【次元の魔女】

 

 時は少し遡り、グリニッジ子午線における五月二十日午後三時二十七分。

 

 

 

 ショートカットの少女がロンドンにある図書館の書庫を足早に歩いていた。忙しなく本をめくって文字をなぞっては棚に収め、次の棚へと迷うことなく移動する。

 

 フルコースを手順よく作り上げていくシェフのような熟練した動きに、司書は首を傾げて通り過ぎる。一度は見逃したものの、やはり気になって仕方がない。

 

 再度少女を見かけた付近の棚を伺いみるが、人の気配は消えていた。不思議そうに首をひねる司書の背後で、古ぼけた灰色の本がぽうっと光り、やがて元のくすんだ色を取り戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クローイがリリスの大展望室に入室すると、巨大な歯車の中央に置かれた地球儀がギリギリと音を立てて回転していた。所々ピンの打たれたその大地球儀の周りには、ピンポン玉サイズから成人男性ほどの大きなものまで、大小さまざまな地球儀と鳥かごが吊り下げられていた。剥きだしの地球儀は速度こそ違えど、一様に上下しつつ回転しており、鳥かごに入れられた地球儀は檻の底で力なく転がっていた。

 

 その数多の駆動とは対照的に、部屋の四方の棚に敷き詰められた万色の本は暗がりで埃をかぶったまま静止している。

 

 

 

 ギリギリと歯車がゆっくりと動く。外周上に設置された月に腰を掛けて、リリスは分厚い本を読んでいた。月の周囲には色とりどりの本が読み手に捲られるのを心待ちにして衛星のように月の周囲をゆっくりと回っている。

 

 

「クローイ。二十七分と三秒前に言ったはずです。この部屋でのミルクは認めません。ちゃんと外で――」

 

 

 顔を上げたリリスは、「あら」とわざとらしく目を瞬かせた。

 

「今度は『(おさ)』が来たのですね。日本でのドタバタはひと段落したのですか?」

 

「白々しい。今日『僕』が来ることは知ってたくせに」

 

 

 

 リリスが軽く人差し指を振ると、待機していた本が螺旋状に配置された。本の階段を歩いて降りてくる。

 

「風の噂で聞いたのですが、ついでに××××を捕まえたらしいではないですか。お手柄ですね。私も鼻が高いです」

 

「随分と早い風だね。まるでご主人が風を起こしているみたいだ」

 

 

 歯車の回る速度に合わせて、クローイはゆっくりと歩く。

 

 リリスは歯の凸部分に腰かけて、足を組んだ。長いローブがふぁさりと膝を滑る。

 

 

「お土産はどうです? 頼んでいたものはありましたか?」

 

「今度郵送で送っておくよ。でもご主人が欲しがっていたキーホルダーはまだ見つけてないよ」

 

「ええ!? あんなかわいいのにどこにも売っていないんですか?」

 

「多分別のキャラに食われてるよ、これ、キャラクター売り場」

 

 キャラクターグッズ売り場をおさめた写真を表示させて、スマホを渡す。リリスはスマホを受け取って、目を細めている。

 

「……あんなにかわいいのにいなくなるはずがない。夕立市のご当地キャラじゃなかったんですかね?」

 

「ほかのキャラじゃダメなのかい?」

 

「……ん~なんかどれもビビッときませんね」

 

「……」

 

「あ、この宇宙人みたいなの可愛いじゃないですか。これがほしいです」

 

「ご主人」

 

「待ってください、ぬいぐるみ、いいですね。キーホルダーとこのぬいぐるみを――」

 

 

 

「今回の事変の黒幕は、()()()だろ」

 

 

 

 ガタン。音を立てて、歯車が動きを止めた。規則正しく動いていた地球儀は地面すれすれまで落下し、こと切れたように静止した。天井から黙が降りてきて、床から冷気が這い上がる。

 

 

 

「……()()?」

 

 

 

 世界を止めたリリスは、挑発的な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今回の事変の責任は僕にある。彼女が僕に嘘をついて、僕にしか見えていないことに気づかなかった。最初に出会ったときにちゃんと調べていれば、彼女が名乗ったときに嘘をついていたことぐらいわかっていたはずだ」

 

 

 

 リリスは薄く微笑んだまま動かない。

 

「だが言い訳させてもらうと、彼女をきちんと調べなかったのは、ご主人から事前に綴喜の情報を共有されていたからだ。彼女の顔と名前と特徴がね。綴喜は、遍路姿の女性として記憶されていた。だから、僕は彼女に会ったときに、彼女が記憶の人物と相違ないかどうかの確認はしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 リリスはわざとらしく口元に手をかざす。

 

「あら、私が綴喜だと思っていた人物は、別人だったということですか。うっかりです」

 

 

「……ミツルにかけられたトラップもそうだ。記憶を改竄しようとしたときに襲ってきた逆行法理。あのレベルの法理がなぜミツルにかけられているのかわからなかったけど、事前にご主人がミツルと会って法理をしかけておいたんだろう」

 

「憶測に過ぎませんね。私がやったという証拠はない」

 

 

「あの黒幕ぶっていた男が出会ったとされるサマエルと名乗る法理師。ご主人が使い分ける百の名前のうちのひとつだ」

 

「百ある名前をすべて覚えたのですか? やはりあなたは優秀です」

 

 

「偶然にもサマエルと名乗る法理師が、数日前に日本に渡航したという記録が残っていた。その男は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを最後に行方がわからなくなっている」

 

「なんと、とんだ偶然があるものですね。しかしサマエルなんて名前、ありふれていると思いませんか?」

 

 

「……ご主人、基本的にご主人の悪戯には目をつぶるつもりだけどね」

 

 

 リリスの水色の瞳をはたと睨みつける。

 

 

「今回は少々腹が立っている。遠因とはいえ、あんたの悪戯のせいでミツルは魔に落ちて、妖狸は死んだ。月の影が破壊された影響で、ニンゲンたちは畏れを取り戻し、不安定な状態にある」

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 間髪を入れずにリリスが言い切った。

 

 

「よいことではないですか。クローイ。もう一度自分が言ったことを復唱してみなさい。『ニンゲンたちは畏れを取り戻し、不安定な状態にある』。まったくよいことではないですか」

 

 

 リリスは歯車を降りて、クローイのそばに歩み寄る。

 

 

「あの街のニンゲンたちは、真の意味で社にお参りをすることでしょう。あるいは城の妖についてあらためて調べることでしょう。狸含め、あの土地の神も妖も力を得ることができます。神職ですら刑部狸の恐ろしさを知らぬ世代に移り変わる頃合いでした。今回の一件で自分たちがなにを相手しているのか、実感できたはずです」

 

 

 リリスは棒立ちのクローイの周りを、ゆっくりと回る。

 

 

「畏れが満ちることはニンゲンたちにとって悪いことばかりではありません。注意散漫な事故は減り、ナイフを持った少年は臆病風に吹かれて道を誤らずに済みます。手を合わせて祈ることは自分を、世界を見つめ直す儀式です。自分が生かされていることに気づかずに感謝を忘れ、のうのうと日々を消化するよりよほどマシだとは思いませんか」

 

 

 クローイは前を見据えたまま動かない。リリスはスマホを片手に持ったまま、淀むことなく歩き、語り続ける。

 

 

「鏡会も管理局も、痛み分けという形で決着をつけられた。貴方たちは罰を受けるでしょうが、影とはいえあの隠神刑部を打ち破ったのです。噂は広まり、格が上がることでしょう。そうだ、ことが落ち着いたら、あなたたちの活躍を知り合いの作家もどきに書かせましょう。迷惑のかからないように、地名や固有の名前は少し変えてね。そうすればあなたたちはもっと潤いますよ」

 

 

 クローイの横から手を伸ばして、胸ポケットにスマホを返す。

 

 

「全体で見れば利益のほうが大きかったはずです。むしろいちばん代償を被ったのは私ですよ。万象法廷に厳重注意を受けて、ここに半幽閉状態ですからね。まあいいです。ちょうど読みたい世界もありましたし」

 

 

 クローイは苛立たし気に声量を上げた。

 

「復唱しろと言われたから復唱しようか。『遠因とはいえ、あんたの悪戯のせいでミツルは魔に落ちて、妖狸は死んだ』。彼らは無知のなかで流された被害者だ。戦闘狂の幻魔が巻き込まれるのとはわけが違う――」

 

 

 

「それがなんだというのです」

 

 

 氷の薔薇を落としたようなリリスの声色に、クローイは言葉を失う。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()。クローイ、あなたは夕焼けの海原を描くときに、水滴を顕微鏡で覗くのですか? 荒野の開拓者たちは、線路を敷くために砂粒ひとつひとつを拾って捨てていたと?」

 

「クローイ、あなたは細部を見すぎです。読むべきは歴史であり、時流であり、決して秒針ではありません。少差にとらわれていては前進はありえない。そんなことは数多の思考を読んできたあなたがいちばんよくわかっているはずです」

 

 

 

 リリスは哀れんだように吐息を漏らす。

 

 

「それに私のことを買いかぶりすぎですよ。なんですって? あの下等な男に夕立市を紹介して? 綴喜の情報を間違えて伝えて、少年を守るために防御法理を設定して、根室(ねむろ)で念波フレアを打ち上げて? それが一本につながると思いますか?」

 

「私は少しガンジス川に右手を浸しただけ。それだけで大河の流れが変わると思いますか? 悲劇的なことがあったとして、それは運命だったというだけですよ」

 

 

 

 

「……変わるよ。あんたなら変えられる」

 

 

 クローイは生唾を飲み込んで問いかける。

 

 

「右手を浸したのはいつだ? あの黒幕ぶった法理師と会ったときか? ミツルの住むマンションに列車が突っ込んできたときか? それとも数百年前、僕を撫でて言葉を与えたときか?」

 

 

 二人の脳内は瞬刻、十三世紀のズウィンの廃教会へと導かれた。クローイは首を振って出会いの風光を打ち消す。

 

 

「いや、過去のことはもうどうでもいい。僕がいちばん気になっているのはね、ご主人。()()()()()()()()()()()()()()ってことだよ」

 

 

 言葉を得たその時から、ずっと拭えない、安心感と圧迫感。行く先々がすべて整備されているような、かぎりない閉塞感。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ご主人はその瞳になにを写しているんだ?」

 

 

 リリス・サリヴァンは、なにを読んでいるのか。なにを願っているのか。数多の思考を覚えてきたクローイだからこそ、いまだ心の縁しか覗くことができないリリスが妬ましく、恐ろしかった。

 

 

 

()()()()()()』。

 

 

 

 クローイの微かな瞳の揺らぎを、リリスが見逃すはずもない。

 

 

「そんなに知りたいなら覚えればよいではないですか。私を」

 

 

 リリスはクローイの両手を乱暴に引っ張り上げ、自らの眉間に押し当てた。

 

 

「どうぞ? やりなさい。私の思考の奔流を見せてあげましょう。存分に覗きなさい」

 

「っご主人、よせよ」

 

 

 クローイは必死に手を振りほどこうとするが、鉄蛇に固められたように動かない。

 

 

「幻魔なのだから、奪えばよいのです。あなたがこれまで散々そうしてきたように」

 

「僕は闘いたいわけじゃ――」

 

「あの写しとの『()()()()』は私への当てつけですか? そうしたいならそうすればいい。()()()()()()()()です。やりなさい」

 

「お願い、やめて――」

 

 

 

「『()()』」

 

「っ!――」

 

 

 

 瞬間、強制的にクローイの『サトリ』の法理が発動された。黒い穴に落とされる感覚がクローイを襲う。目を固く閉じた。襲い来る思考の荒波に備えるために内側に精神防膜を構築する。ダメだダメだこんな壁では紙切れ同然だ重ねろ重ねろ重ねろ重ねろっ――。

 

 

 

 頭の中で待てども待てどもなにも起きない。自分の思考が空回りしているだけだった。クローイが恐る恐る顔を上げると、リリスが舌を出していた。

 

 

「『()()()()』ですよ、クローイ」

 

 

 リリスがパチンと指を鳴らすと同時に、ガタンと大きな音を立てて、再び世界が動き始めた。続いて指をくるりと回すと、落ちていた本たちが一斉に羽ばたいた。

 

 

「今日はロンドンに泊まりなさいな。連戦で疲れているでしょう。私の家で寝てもいいですよ。ミルクを飲むなら補充してくださいね」

 

 

「……冗談、きついよ」

 

 

 のろのろと身を起こす。相手の慈悲に甘んじる、事実上の敗北宣言のような己の言葉に、目の奥が熱くなるのをぐっと堪えた。

 

 

「まだ気づいていないようだから、ルガールに伝えておいてください。もう小型犬化の法理は解いていますから、いつでも自由に人狼化できます。不用意に暴れたら『お座り』で地球の裏側までめり込ませるとも忠告しておいてください」

 

 

 リリスは口笛を吹いて本たちに元の巣へ帰るように指示を出す。

 

 

「クローイ。あなたも日本で呆けていてはいけませんよ。月の影を壊す力の片鱗はあの少年に残っているはずです。それを会得できればあなたはさらに一段階上に行けますよ」

 

 

 振り返って、優しく微笑んだ。

 

 

「もっとも、あなたの誓いを諦めるというなら止めませんけど」

 

 

 クローイは視線を落とす。

 

 少しの間瞼を閉じてから、その瞳の水色に黄色で対抗した。

 

 

 

 

「諦めないよ。僕は必ず、あなたを超えてみせる。必ずだ」

 

 

 

 

 リリスから表情が消えた。世界が灰色に包まれて、二人の瞳だけが色を覚えていた。無風の冷気がクローイを後方へ押し倒そうとする。静寂からは程遠い耳鳴りが響く。

 

 

 それでもクローイは瞳をそらさない。耳鳴りは鼓動の高鳴りすらかき消すほど大きくなり、いずれ雷鳴を超えることが約束されている。その予感を浴びせられてなお、クローイは瞳をそらさない。

 

 

 ()()()()()()()ではないのですか? 囁きがクローイの脳髄を擽る。

 

 

 違う。()()()()()()()

 

 

 景色が遠のいていく。灰色の世界すらクローイを置いていく。それでもクローイは――。

 

 

 

「――楽しみにしていますね」

 

 

 

 リリスの顔がほころぶのと同時に、時間が正しく動き始めた。音色も色彩も輝きを取り戻した。凡庸な法理師では気づくことすら不可能な須臾(しゅゆ)の出来事であった。

 

 

 クローイは踵を返した。拳を握りしめて、刻み足で出口へと向かう。

 

 

「クローイ!」

 

 

 クローイは立ち止まる。一呼吸置いて振り返ると、リリスは両手を広げていた。

 

 

「おいで」

 

 

 クローイは拳を握りしめたままその場から動かない。動けなかった。

 

 

 リリスは口を尖らせた後、腕を広げたままクローイに近づく。

 

 子を抱きしめるようにクローイを腕で包み込むと、景色が螺旋状に歪み始めた。

 

 

「これから日本は夏でしょう」

 

 

 閉じ始めた世界を繋ぎとめるように、リリスはクローイの髪を優しくさする。

 

 

「最近の日本の夏はひどい暑さだと聞きます。水分は充分にとるのですよ。汗をかきすぎると熱中症になりますからね」

 

 

 クローイの耳元を撫でるように、灰色の魔女は妖艶に囁く。

 

 

 

「汗ばんだ手足が震えはじめたら危険信号です。()()()()()()()()()()()、熱中症には気を付けるのですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クローイは気づけば入口に使用した図書館の書棚の前に突っ立っていた。

 

 

 深く息をついて、握りしめた右手を開いてみる。

 

 じんわりと汗ばんだ手のひらを空調の風が冷やした。震える指先を隠すように再び握りしめる。

 

 

「……クソッ……!」

 

 

 クローイは拳を自らの額に当てて、しばらく書庫の前で立ち尽くていた。

 

 




ひとまず第一部完です。すべて読んでくださった方、本当にありがとうございました。読み返すと最初のほうをすべて書き直したい衝動に襲われるのですが、きりがないのでいったん明確な誤字脱字以外はこのままにしておきます。

評価やブックマーク、感想などお待ちしています。

続編は頭のなかに構成こそあれどまだほぼ書いていないので、最低でも半年以上先です。ほかに書きたいのもあるので、おそらくもっと先になります。一旦ここで「第一部 完」とさせてください。

あらためて、ありがとうございました。
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