期末試験が終わって3ヶ月。
あの日の出来事は、時間が経っても頭から離れなかった。
──黒づくめの男。
全身黒で、サングラスをかけて、駅前のベンチ近くで佇んでいた。
母さんを見て涙を流し、「また会う気がする」と言い残して去っていったあの男。
正直、忘れたくても忘れられなかった。
あの日から、駅前を通るたびに「またいるんじゃないか」と無意識に探している自分がいた。
そして今。
中間試験がようやく終わり、解放感に包まれた金曜の夜。
健太は「ゲーセン行こうぜ!」といつもの調子で誘ってきて、僕たちは数時間遊んで、笑い疲れて駅まで歩いてきた。
冬の夜の空気は冷たく、吐く息が白い。
ロータリーに並ぶ街路樹は小さな電球で彩られ、イルミネーションがきらきら瞬いている。
人のざわめきとバスのアナウンス、その中に紛れて──僕は、異質な気配を感じた。
「……っ」
背筋が勝手に伸びる。
そこにいたのは、やっぱりあの男だった。
⸻
黒いレザージャケット、黒いパンツ。下着も黒だとわかる黒さ。
あの日と変わらない“黒”のオーラをまとって、ベンチの前に立っていた。
ただ、サングラスはしていない。
見える瞳は深い黒で、けれどどこか遠くの光を映しているようだった。
気づけば、健太は帰りのバスに駆け込んでしまっていて、僕はひとり駅前に残されていた。
偶然にしては出来すぎている。
男はゆっくり僕の方を向き、低い声で言った。
「……君だな。あのときの」
心臓がドクンと跳ねる。
「覚えてます。あの日、駅前で……泣いてましたよね」
僕の声は少し震えていた。
男は小さく息を吐き、苦笑するようにうなずいた。
「泣くつもりなんてなかった。ただ、彼女を見た瞬間、理由もなく涙が出たんだ。自分でも驚いた」
“彼女”──母さんのことだ。
母さんを見て泣くなんて、普通じゃない。
だけど、その目は真剣で、嘘を言っているようには見えなかった。
「また会おう」
男は背を向けて去ろうとした。
⸻
「……あなたは、何者なんですか」
気づけば、僕の口から勝手に問いが漏れていた。
周囲が無音になる。
その瞬間だった。
ジャジャジャン♪
ロータリーに設置された古いスピーカーから、有線放送が流れ始めた。
町内会の有線放送なんて普段は演歌か懐メロが定番なのに、その夜流れてきたのは場違いなほどドラマチックなイントロ。
──彩花が教えてくれた曲だ。
昔のアニメ映画、確か「ガンダム」とかいう作品の主題歌。
タイトルは「ビヨンド〜」なんとか。
放課後、彩花にイヤホンで聞かされた時の記憶が、鮮明によみがえった。
偶然にしては出来すぎている。
駅前全体が、その曲のために舞台装置に変わったようだった。
⸻
男は静かに振り返り、僕をまっすぐに見た。
街灯の光が瞳に反射し、深い黒の奥にかすかな光を宿している。
「俺は……向こう側から来た」
低い声が夜気に溶ける。
その言葉が何を意味しているのか、僕にはまったく分からなかった。
けれど、“ただの比喩”じゃないと、直感が告げていた。
鳥肌が立つ。
風が強く吹き、電飾の光が一瞬にして滲んだ。
男は続けた。
「俺はまた現れる。それが宿命だからな」
それだけ言って、人混みの中へと溶けていった。
黒い背中はすぐに見えなくなり、残されたのは有線放送の曲と、人々のざわめきだけ。
バスが到着するアナウンスが鳴っていたが、僕はしばらく動けなかった。
“向こう側”ってどこだ?
あの人は一体何者なんだ?
心臓の鼓動がまだ耳に残っている。
ポケットに突っ込んだ手のひらは汗ばんでいて、冷たい夜気と混じり合って落ち着かない。
3ヶ月経って、再び現れた“黒い男”。
母さんの存在と何か関わりがあるのは確かだ。
僕の中に、小さな不安と、大きな謎が残された。
──必ず、また会う。
その言葉が駅前の夜に、静かに焼き付いた。