朝の商店街は、まだ半分眠っているように静かだ。
パン屋の前を通ると、甘い匂いが漂ってくる。
僕はその香りを吸い込みながら、
「朝のパンって、なんでこんな幸せな匂いなんだろ」と呟いた。
そのとき、隣で母さんがにっこり笑った。
「ねぇ〇〇くん、この匂い、絵にしたら美味しそうだと思わない?」
母さんのそういう発想、毎回ずるいと思う。
「匂いを絵にする」なんて言葉、普通出てこない。
けど、それが母さんらしかった。
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パン屋の店主、坂本さんがちょうど店先に出てきた。
「あっ、〇〇さん!おはようございます!」
「おはようございます〜。今日もいい匂いですねぇ」
母さんがそう言うと、坂本さんは一瞬で顔を真っ赤にした。
「は、はいっ! あのっ! よかったら焼きたてのクロワッサン、試食どうぞ!」
「いいんですか? わぁ、嬉しい!」
……はい出た、“聖域(サンクチュアリ)効果”。
朝から町の人を光で包む能力。
母さんがクロワッサンをひと口かじって、
「うん……これ、描きたいくらい美味しい」って笑った瞬間、
坂本さんはパン切り包丁を落としそうになった。
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その日の夕方。
母さんがスケッチブックを広げていた。
覗いてみると、そこにはパン屋の店先。
湯気をまとったパンたちが並び、
ガラス越しに笑う坂本さんが描かれていた。
「すご……なんか本物よりあったかいね」
僕が言うと、母さんは照れくさそうに笑った。
「だって、あの人、パン焼いてる時すごく幸せそうだったんだもん」
その言葉が、なんだか妙に心に残った。
母さんの絵って、見えるものを描くんじゃなくて、
“感じた幸せ”を描いてるんだと思う。
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次の日の朝。
パン屋の前に、人だかりができていた。
店の壁に、母さんの描いた絵が飾られていたのだ。
その下には「この町に香る、朝の笑顔」という手書きの札。
坂本さんが言う。
「〇〇さんが描いてくれたおかげで、店があったかくなった気がします」
母さんは少し照れて、
「いえいえ、パンの匂いがいい絵にしてくれたんです」
お客さんのひとりが絵を見上げながら言った。
「なんか、この絵見てると、お腹だけじゃなくて心も満たされるねぇ」
坂本さんは笑いながら、
「この絵が店の看板みたいなもんです」と言った。
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帰り道、僕は母さんに言った。
「なんか、母さんの絵って食べ物よりあったかいかも」
母さんはちょっと考えてから、
「私、パン焼けないからね。せめて絵で焼いてるのかも」と笑った。
その笑顔を見て、
僕はパンの香りがもう一度した気がした。