試験が終わって、一週間。
あの長い冬が嘘みたいに、日差しが柔らかくなってきた。
けれど僕の心はまだ、冬のままだった。
終わった安心より、
“結果を待つ不安”のほうが、ずっと重たい。
勉強机に向かっても、もうやることがない。
机の上に残った赤ペンと消しゴムを眺めて、
何度もため息をついた。
「〇〇くん、またため息ついた?」
母さんの声。
振り向くと、白いカーディガンに淡いピンクのエプロン姿。
いつもより少しだけ春めいた服装。
そのせいで、部屋の中まで明るく見えた。
「だってさ、結果出るまで長すぎるよ」
「うん、わかるよ」
母さんは笑って、
「そういう時こそ、ちゃんとごはん食べなきゃね」と言った。
昼下がり。
母さんは台所でスケッチブックを広げていた。
鍋の火を弱めながら、
何かを描いている。
「なに描いてるの?」
「〇〇くんの“今”」
「……今?」
「うん。“待ってる顔”って、いい表情だから」
母さんの描く線は柔らかくて、
見ているだけで少し心が落ち着く。
紙の上には、
椅子に座って空を見ている僕の後ろ姿。
机の上の鉛筆、外の光、
全部がちゃんとそこにある。
「……僕、そんな顔してた?」
「してたよ。
少し不安そうで、でも前を向いてる顔。」
なんだか恥ずかしくて、
「そういうのやめてよ」と言いながら、
でも少しだけうれしかった。
次の日。
気分転換に、母さんと商店街へ出た。
八百屋の佐藤さんが笑って言う。
「〇〇、受験終わったか!」
「はい、あとは結果待ちです」
「そっか。……お母さん、息子が受かる夢、見ただろ?」
母さんが首を傾げる。
「ううん。
でもね、昨日、桜が咲く夢を見たの」
「ほら、それだよ! 縁起いい!」
佐藤さんが声を張り上げ、
魚屋のおじさんや肉屋のお姉さんまで顔を出す。
「〇〇くん、絶対大丈夫!」
「うち、合格祝いに刺身サービスするね!」
「餅屋からも餅出す!」
気づけばまた、商店街中が応援モード。
母さんが照れながら笑った。
「みんな……ほんとに優しいね」
「“聖域”総出だな」
健太が通りの向こうから声をかけてきた。
彩花も隣で笑っている。
「〇〇くんが頑張ったから、だよ」
胸の奥がじんわり温かくなった。
焦りはまだある。
けれど、“見守られてる”って実感が、
心を支えてくれていた。
夜。
母さんはリビングの灯りを少し落として、
紅茶をいれてくれた。
「〇〇くん、焦るのは当たり前だよ」
「……うん」
「でもね、焦りって、
頑張った人にしか感じられないものなんだよ」
母さんの声は、
まるでスープの湯気みたいに、
胸の中をゆっくり温めていく。
「だから、今の〇〇くんは、
ちゃんと“頑張った人”なんだと思う」
そう言って、
母さんはそっと僕の手を握った。
「春、もうすぐだよ」
窓の外にはまだ雪が少し残っていた。
でも街灯の光に照らされた雪の上には、
ほんのりピンク色の影が見えた気がした。
日々はゆっくりと過ぎていく。
焦りも、不安も、
少しずつ柔らかくなっていくようだった。
スケッチブックの上では、
母さんの描いた僕の“待つ顔”が、
今も静かに微笑んでいる。
あの日の母さんの言葉が、
胸の奥で何度も響く。
「焦る時間もね、
あなたの物語の一部になるのよ。」
僕は窓を開けて、春の匂いを吸い込んだ。
まだ寒いけれど、
どこかで確かに“春”が近づいていた。