異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第104話

 季節は巡り、冬の気配が色濃く漂い始めた。

 日本の国家中枢は、この一ヶ月というもの、一つの巨大な、そしてどこまでも奇妙な国家プロジェクトに、その全ての叡智とリソースを注ぎ込んできた。

 賢者・猫が要求した、『複製可能な木造船』。

 そのあまりにも不可解で、しかし絶対的な御神託に応えるため、日本最高の頭脳たちが、横須賀にある海上自衛隊の極秘ドックに集結させられていた。

 集められたのは、もはやただの専門家ではなかった。

 最新鋭のイージス艦を設計した船舶設計の権威。日本の伝統的な和船の建造技術を今に伝える人間国宝の船大工。そして、戦国時代や大航海時代の造船史を専門とする歴史学者たち。

 彼らは、水と油のように相容れないはずの知識と技術を、国家の威信という名の坩堝(るつぼ)の中で溶かし合わせ、一つの奇跡の産物を生み出そうとしていた。

 課題は、あまりにも困難だった。

『――そこまで文明が進んでなくても、組み立てることができるように設計するんだ!』

 宰善総理が下した、その絶対的な命令。

 それは、現代の造船技術の常識を、完全に捨て去ることを意味していた。

 溶接は使えない。精密な金属加工も、極力避けるべきだ。帆の素材は、化学繊維ではなく、麻や木綿でなければならない。

 彼らは、知恵を絞った。

 コンピューターによる流体力学のシミュレーションで、中世レベルの技術でも建造可能な、最も効率的な船体の竜骨構造を導き出す。

 日本の伝統的な宮大工が用いる、釘を一本も使わない精緻な木組みの技術を応用し、船体の強度と柔軟性を両立させる。

 帆の設計には、大航海時代のキャラベル船の三角帆と、日本の和船の四角帆の長所を組み合わせ、いかなる風向きにも対応できるハイブリッドな帆装を考案した。

 それは、もはやただの船ではなかった。

 過去と未来の叡智が融合した、異世界へと輸出するための完璧な『技術移転パッケージ』。

 一つの、動く文明そのものだった。

 

 そして、運命の日。

 神との約束の一ヶ月後。

 横須賀の極秘ドックは、荘厳な、そしてどこかこの世のものとは思えぬほどの緊張感に包まれていた。

 巨大なドックの中央には、三隻の船が、その美しい姿を静かに横たえていた。

 全長、約三十メートル。優美な曲線を描く、檜(ひのき)と杉で作られた船体。その磨き上げられた木肌は、まるで高級な家具のように、滑らかな光沢を放っている。高くそびえ立つ三本のマストには、まだ帆こそ張られていないが、その威容は、まさしく大海原を支配する王者の風格を漂わせていた。

 その完璧すぎるほどの出来栄えを前にして、このプロジェクトに関わった全ての技術者や職人たちが、我が子を見守るかのような、誇らしげな、そしてどこか不安げな表情で、その時を待っていた。

 ドックの片隅に設えられたいつもの神殿風の祭壇の前には、純白の狩衣に身を包んだ宰善総理、橘紗英、そして綾小路官房長官が、神官のように整然と列をなし、静かに神の降臨を待っていた。

 

 やがて、空間が何の前触れもなく揺らいだ。

 そして、祭壇の前に、すっと一匹の艶やかな黒猫が姿を現した。

「うむ。……ご苦労」

 賢者・猫は、その巨大な船を見上げ、その翠色の瞳を満足げに細めた。

 彼は、祭壇からふわりと飛び降りると、まるで自らの領地を視察する王のように、悠然と船の周りを歩き始めた。

 彼は、巨大な船体にその小さな前足をそっと触れ、その木肌の滑らかさを確かめる。

 マストの根元に飛び乗り、その構造の完璧さを見上げる。

 そして、甲板の上へと軽やかに舞い上がると、その鼻をくんくんと鳴らし、新しい檜の香りを、まるで極上のワインでもテイスティングするかのように味わった。

 そのあまりにも専門家然とした、そしてどこまでも猫らしい視察の様子を、日本のトップたちは、固唾をのんで見守っていた。

 やがて、賢者は甲板から飛び降りると、宰善総理の前に再びちょこんと座った。

 そして、彼は言った。その声には、心の底からの満足の色が滲んでいた。

 

「うむうむ。……これは、良いものを手に入れたのう」

 

 その一言。

 その最高の賛辞に、この一ヶ月、不眠不休で戦い続けてきた全ての者たちの間に、安堵のため息と、そして抑えきれない歓喜のどよめきが広がった。

「おお……!」

「賢者様にお認めいただけたぞ……!」

 技術者たちは、涙を浮かべて抱き合った。

 

「……素晴らしい出来じゃ」

 賢者は、続けた。

「……これならば、あの海の世界の女王も、そしてあの山岳王国のドワーフたちも、きっと満足するであろう。……良い商売ができそうだわい」

 彼は、満足げに頷くと、その三隻の巨大な木造船と、その傍らに山と積まれていた漁業用の網、そして分厚い設計図の束を、いつものように次元ポケットの中へと、まるで手のひらの上の小石でも拾い上げるかのように、音もなく一瞬にして収納してみせた。

 そのあまりにも常識を超えた光景に、初めて立ち会った造船技師たちは、腰を抜かし、その場にへたり込んでいた。

 

「さて」

 賢者は、毛づくろいをしながら言った。

「……これだけの見事な仕事をしてくれたお主たちに、褒美をやらにゃあ、商人として名が廃るというものよな」

 その一言に、司令室の空気が再び引き締まる。

 神の褒美。

 それは、常に彼らの想像を遥かに超える、奇跡と混沌の始まりを意味するのだから。

「…………よし」

 賢者は、にやりと笑った。

 その顔には、最高の悪戯を思いついた子供のような、無邪気な輝きが宿っていた。

「…………褒美は、船にかけて、宇宙船にしようかのう」

 

「…………………………………………は?」

 その場にいた全員の思考が、完全に、そして完璧に停止した。

 うちゅうせん?

 今、この神は、宇宙船と仰せられたか?

 そのあまりにも飛躍しすぎた、そしてどこまでも理解不能な神の御神託。

 宰善総理も、橘も、綾小路も、その口をあんぐりと開けたまま、完全に凍り付いていた。

 彼らのそのあまりにも滑稽なほどの混乱ぶりを、賢者は心底楽しそうに眺めていた。

 そして、彼は、その神の如き権能を、いとも容易く行使してみせた。

「…………ポン」

 

 そのあまりにも軽い、気の抜けた一言と共に。

 彼らの目の前の巨大なドックの何もない空間が、まるで水面のように揺らいだ。

 そして、その空間の中心から、一つの物体が、音もなく、光もなく、まるで最初からずっとそこにいたかのように、滑るように姿を現した。

 それは、船だった。

 だが、それは彼らが知るいかなる船とも違う。

 全長、約五十メートル。流れるような有機的な曲線を描く、一つの完璧な芸術品。

 その船体は、木でもなければ、鉄でもない。真珠のように滑らかな光沢を放ち、見る角度によってその色を虹色に変化させる、未知の素材で作られていた。

 翼もなければ、帆もない。スクリューも、ジェットエンジンも見当たらない。

 ただ完璧な静寂の中、それは、地面から数メートル浮き上がったまま、荘厳に、そして静かにそこに存在していた。

 宇宙船。

 彼らの矮小な人間の語彙では、もはやそうとしか表現のしようのない、圧倒的な、そしてどこまでも美しい超越存在。

「………………あ」

「………………ああ……」

 日本の最高首脳たちの口から、意味のない感嘆のうめき声だけが漏れ出した。

 モニタリングルームでその光景を見ていた長谷川教授は、その場に崩れ落ち、もはや感涙にむせびながら、「ビューティーふぉー……!」と、いつもの聖句を繰り返すだけだった。

 

「うむ。……まあ、中古の払い下げ品じゃがな。……ないよりはマシであろう」

 賢者は、こともなげにその神の船を紹介し始めた。

「……内部の空間は、見た目と違ってかなり広いぞい。……空間拡張技術というやつやじゃな。……まあ、このドックくらいなら、丸ごと収納できるくらいの広さはあるわい」

「………………」

「……それと、燃料は水じゃ」

「………………み、水でございますか!?」

 長谷川教授が、マイク越しに絶叫に近い声を上げた。

「うむ。……まあ、そこらの水道水を補給すれば、百年は余裕で動くわい。……エネルギー効率も、良いからのう」

「………………」

「……まあ、速度は光速の10%程度しか出んがな。……遅いじゃろう? ……まあ、この太陽系の中を観光するくらいなら、ちょうど良い程度の玩具じゃよ」

 玩具。

 そのあまりにも軽い一言。

 だが、その一言が持つあまりにも巨大すぎる意味を、この場にいた誰もが、その魂のレベルで理解していた。

 太陽系を、観光する。

 人類が、その揺り籠である地球を初めて飛び出し、月にその第一歩を記してから、まだ一世紀も経っていない。

 その矮小なる人類の歴史の、遥か彼方にある夢。

 それを、この神は「玩具」と呼び、そして「ちょうど良い」と評価したのだ。

 そのあまりにも絶対的で、そしてどこまでも残酷なまでの文明レベルの断絶。

 日本のトップエリートたちは、もはや嫉妬さえ感じなかった。

 そこにあったのは、ただ神の如き存在を前にした人間の、根源的な、そしてどうしようもない畏怖だけだった。

 

「…………さて」

 賢者は、立ち上がった。

「……まあ、木造の船の追加生産をまた頼むかも知れんがな。……とりあえず、今回の船のご褒美は、これで済ませるぞい」

 彼はそう言い残すと、自分が来た時と同じように、何の余韻も残さず、すっとその場から姿を消した。

 

 後に残されたのは。

 神の不在の静寂と、その神が置いていったあまりにも巨大すぎる、そしてあまりにも理解不能な奇跡の塊と、そしてその奇跡を前にして、ただ呆然と立ち尽くす人間たちだけだった。

 彼らは、しばらく無言だった。

 やがて、その沈黙を破ったのは、宰善総理の、深い、深い溜め息だった。

「………………はー……」

 彼は、天を仰いだ。

「……賢者様は、玩具だと仰せられたな」

 彼の声は、かすれていた。

「……ならば、我々は、この神の玩具を与えられた子供として、その正しい遊び方を一から学ばねばならん、というわけか。……なんと、なんと壮大で、そしてどこまでも厄介な宿題を与えてくださったものよ……」

 橘紗英が、静かに頷いた。

 彼女の氷のような仮面の奥で、その頭脳は、既にこの神の玩具を管理、運用するための、新たな、そしてより巨大なプロジェクトの立ち上げを、超高速でシミュレーションし始めていた。

 プロジェクト名、『ヤマト』。

 あるいは、『アルカディア』。

 彼女の唇の端に、微かな、しかし確かな、新たな挑戦者を前にした武者のような、獰猛で、そして美しい笑みが浮かんだ。

 日本の、そして人類の、星々の海への大航海時代。

 そのあまりにも壮大で、そしてどこまでも滑稽な物語の幕開けを告げる、静かで、そして美しい宇宙船が、今、この国の手の内に委ねられた。

 その本当の意味を、まだこの世界の誰も、知る由もなかったのである。

 

 

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