異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

108 / 176
第106話

 季節は冬。

 東京の空は、まるで世界の終わりを予感させるかのような、重く冷たい鉛色の雲に覆われていた。だが、その凍てつくような灰色の日常の遥か地下深く。プロジェクト・キマイラの心臓部である作戦司令室は、今、人類の歴史が始まって以来、最も熱く、そして最も奇妙な希望の炎に燃え盛っていた。

 神が置いていった究極の玩具、宇宙船。

 そのあまりにも巨大すぎる奇跡を、矮小なる人間の手で本当に制御できるのか。その答えを出すための、静かで、しかし熾烈な議論が、この数週間、この国の最高首脳たちの間で繰り広げられてきた。

 そして、彼らはついに決断した。

 この神の火を、もはや自分たちだけの秘密として隠し通すことはできないと。

 いや、隠し通すべきではないと。

 この奇跡は、閉塞感に満ちたこの世界を次なるステージへと押し上げるための、神が与えたもうた起爆剤なのだ。ならば、その導火線に火をつける栄誉と責任は、我々、最初にこの奇跡を目撃した者たちにこそある。

 そのあまりにも傲慢で、そしてどこまでも高潔な使命感の下に。

 日本の、いや世界の運命を永遠に変える歴史的な記者会見の幕が、今、静かに上がろうとしていた。

 

 その日の東京、千代田区永田町、総理大臣官邸は、一つの巨大な台風の目と化していた。

 地下に広がる大ホールを改造した、記者会見場。そこに設えられた数百の席は、国内外から集まった三百人を超える報道陣で完全に埋め尽くされ、彼らが持ち込んだ無数のカメラのレンズが、まるで複眼を持つ巨大な昆虫のように、一点を凝視していた。

 フラッシュの白い閃光が絶え間なく明滅し、人々のひそひそとした囁き声と無数のシャッター音が混じり合い、まるで地鳴りのような異様な熱気が、巨大なホール全体に充満していた。

 世界が、固唾をのんで待っていた。

 数ヶ月前、日本政府が新たに発見したと発表した、三つの不可解なアーティファクト。そして、それに呼応するかのように激化した、日米間の水面下での情報戦。世界は、その謎の答えを渇望していた。

 その喧騒から隔絶された官邸の一室。

 宰善茂総理大臣は、鏡に映る自分の姿を、静かに見つめていた。

 その顔には、もはや一人の政治家としての不安や迷いはなかった。そこにあるのは、歴史の奔流の先頭に立ち、国家という巨大な船の舵を取る船長としての、揺るぎない覚悟だけだった。

 彼の隣で、官房長官の綾小路俊輔が、その蛇のような目で最終的な原稿に目を通していた。

「……よろしいですかな、総理。……この脚本で、世界は踊ってくれますかな」

「……踊るさ」

 総理は、短く答えた。

「……いや、踊らせるのだ。……我々が望む、最高の舞台の上でな」

 

「……時間です」

 橘紗英の、静かな声が響いた。

 総理は、深く一つ頷いた。

 運命の扉が、開かれた。

 

 会見場に宰善総理が姿を現した瞬間、それまで会場を支配していた地鳴りのような喧騒が、嘘のように静まり返った。

 彼の後ろには、綾小路官房長官、そして日本の宇宙開発の象徴であるJAXAの理事長が、厳粛な面持ちで控えている。

 総理は、ゆっくりと演台へと進み出た。

 彼はマイクの前に立つと、集まった世界中の報道陣を、一人一人、その深い瞳で見渡した。

 そして、静かに、しかしその場にいる全ての者の魂の最も深い場所にまで届くかのような、重い声で語り始めた。

 

「……親愛なる我が国、日本の国民諸君。そして、この会見に注目されている世界各国の皆様」

 その声は、完璧にコントロールされていた。

「……本日、我々は、二年前に発見されました古代の巫女王『星見子の遺産』に関する、新たな、そしておそらくは最も重要な発見について、ご報告するためにこの場に立っております」

 その一言に、会見場の空気が一気に張り詰める。

「……我々が、あの飛鳥の地下神殿で発見したものは、もはや『遺物』という言葉では表現できない、一つの巨大な『奇跡』、そのものでした。……それは、我々人類が、太古の昔から夜空を見上げ、そして夢見続けてきた、一つの壮大な物語への招待状でした」

 彼は、そこで一度大きく息を吸い込んだ。

 そして、世界に向けて高らかに宣言した。

「…………我々は、船を発見しました。…………星々の海を渡る、船を」

 

 そのあまりにも突拍子もない、そしてどこまでもロマンチックな宣言。

 会見場は、一瞬の静寂の後、爆発したようなどよめきとフラッシュの奔流に包まれた。

 記者たちが、一斉に叫ぶ。

「ふ、船ですと!?」

「星々の海とは、一体どういう意味ですか、総理!」

 総理は、その熱狂を手で制した。

「……静粛に。……静粛に、願いたい。……今から、皆様には、その『証拠』をお見せいたします」

 彼の合図と共に、背後の巨大なスクリーンが明るくなった。

 そこに映し出されたのは、あまりにも鮮明で、そしてあまりにも美しい、衝撃的な映像だった。

 漆黒の宇宙空間。その中に、まるで神の芸術品のように浮かぶ、流麗な曲線を持つ真珠色の船体。

 そして、その船の窓の向こう側に広がる、息をのむほどに美しい青い故郷の星の姿。

「…………おお……」

 誰かが、呻くように言った。

 CGではない。模型でもない。

 その映像が持つ圧倒的なまでのリアリティは、それが紛れもない「本物」であることを、何よりも雄弁に物語っていた。

 

「……我々は、この神の船に、畏敬と、そして我々人類の未来への祈りを込めて、名を授けました」

 総理の声が、その神々しい映像の上に重なる。

「…………そのコードネームは、『やまと』」

 ヤマト。

 そのあまりにも象徴的な名。

「……そして、皆様。……この映像は、ただ宇宙空間で撮影されたものではございません」

 彼は、続けた。

「……この映像は、数週間前、この『やまと』がその歴史的な処女航海を成し遂げた際に記録されたものです。……その目的地は、皆様もよくご存知の場所。……そう、月です」

 スクリーンが切り替わる。

 そこに映し出されたのは、月の地平線から昇る壮麗な地球の姿――アースライズ――だった。

 そして、クレーターに覆われた灰色の広大な大地を、まるで子供のようにはしゃぎながら跳ね回る、五人の、宇宙服を着ていない人間の姿。

 そのあまりにも衝撃的で、そしてどこまでも楽しげな光景。

 会見場は、もはや熱狂ではなかった。

 一つの巨大な感動と、そして畏敬の念に包まれた神聖な静寂だけが、そこにあった。

 記者たちは、もはや質問をすることも忘れ、ただ呆然と、その神の御業を見上げていた。

 

 宰善総理は、その完璧な沈黙の中で、この神の船の常識を完全に破壊するスペックを、淡々と、しかしどこまでも誇らしげに語り始めた。

「……皆様。……この『やまと』の内部は、我々の理解を遥かに超えたテクノロジーで満たされていました。……まず、その制御は、高度なAIによって完全に行われております。……我々が乗り込むクルーは、ただ行き先を『思う』だけでよい。……それだけで、この船は、我々を宇宙のどこへでも、安全に、そして快適に運んでくれるのです」

「……そして、その船内は、外見からは想像もつかないほどに広大です。……空間拡張技術。……そう、SFの世界だけの話だと思われていた技術が、そこでは当たり前のように使われていました。……その居住空間は、一つの豪華客船にも匹敵するほどです」

「……そして、何よりも驚くべきは、その性能です」

 彼は、そこで一度言葉を切った。

 そして、とどめを刺した。

「……船のAIにその基本スペックを尋ねたところ、こう答えました。……この船の最高速度は、光速の10%まで加速可能であると」

 

 光速の、10%。

 その数字が持つ、あまりにも天文学的な意味。

 会見場にいた科学ジャーナリストたちが、一斉に悲鳴に近い声を上げた。

「…………10%!? ……秒速、三万キロだと……!?」

「……馬鹿な! ……それほどの速度で、人体が……!」

「……月まで、十五秒……? ……理論上は、そうなる……!」

 彼らの専門家としての理性が、完全に崩壊していく。

 宰善総理は、その熱狂を背に、この歴史的な会見の最後の、そして最も重要なメッセージを世界に向けて放った。

 その声は、もはや一国の指導者のものではなかった。

 それは、人類全体の新たな未来を指し示す、預言者の声だった。

 

「…………皆様。……この意味が、お分かりでしょうか」

 彼は、言った。

「…………火星や月に、我々人類が移住することも、もはや夢物語ではないのです」

「…………この『やまと』は、ただの船ではありません。……これは、我々人類が、地球という名の揺り籠を卒業し、星々の大海原へと漕ぎ出すための、最初の、そして最も偉大な方舟(はこぶね)なのです! ……そして、この偉大なる冒険は、決して我が日本一国だけのものであってはならない! ……これは、国境も、人種も、宗教も超えて、人類全体で挑むべき共通の夢であると、私は信じております!」

 

 そのあまりにも美しく、そしてどこまでも高潔な演説。

 それは世界中にリアルタイムで配信され、人類の集合的無意識の最も深い場所に、希望という名の巨大な錨を打ち下ろした。

 ニューヨークのタイムズスクエア。巨大なスクリーンに映し出されたアースライズの映像を前に、見知らぬ人々が抱き合い、涙を流していた。

 ロンドンのパブでは、サッカーの試合を忘れてテレビに見入っていた男たちが、静かに、しかし熱い拍手を送っていた。

 そして、世界中の子供たちが、その夜、同じ夢を見た。

 いつか、自分もあの美しい星の船に乗り、宇宙を旅するのだと。

 

 もちろん、その輝かしい希望の光の裏側で。

 ワシントンのホワイトハウス、北京の中南海、モスクワのクレムリンでは、各国の指導者たちが、その顔に深い嫉妬と、そしてそれ以上の焦燥の色を浮かべて歯噛みしていた。

 ゲームのルールが変わった。

 完全に、変わってしまったのだ。

 もはや、核兵器の数やGDPの大きさで国力を競う時代は終わった。

 これからは、『宇宙へ、誰が、いつ、どのようにして行くのか』。

 その主導権を握る者が、この星の真の覇者となる。

 そして、その最初の、そして最も巨大なアドバンテージを、極東のあの小さな島国が、完全に、そして独占的に握ってしまったのだ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。