異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第127話

 東京西新宿。

 冬の乾いた風が、地上二百メートルのヘリポートを容赦なく吹き抜けていた。

 

 その寒風の中、日本国総理大臣である宰善茂は、身を切るような冷気も忘れたかのように、額にうっすらと汗を滲ませながら、直立不動の姿勢を保っていた。

 彼の隣には、官房長官の綾小路俊輔、そして内閣情報調査室理事官の橘紗英。

 この国の運命をその双肩に担う三人の最高権力者たちが、まるで神の審判を待つ罪人のように、あるいは奇跡の再来を待ちわびる敬虔な信徒のように、ただ一点、空虚な空間を凝視し続けている。

 

 彼らの視線の先には、黒塗りの漆器で作られた広大な祭壇が鎮座していた。

 だが今日、そこに供えられているのは、いつものような金銀財宝や精密機械ではない。

 

 香りだ。

 圧倒的な、そして暴力的なまでの芳香の塊。

 

 祭壇の上には、最高級の桐箱に収められた、世界中から厳選されたスパイスの山が築かれていた。

 インドのマラバール産の黒胡椒、スリランカのシナモン、バンダ諸島のナツメグ、そしてサフランの真紅の柱頭。

 それらが放つ複雑怪奇で濃厚な香りは、新宿の冷たいビル風に乗って、あたかもここが異国のバザールであるかのような錯覚を、周囲に撒き散らしていた。

 

「……総理。予定時刻です」

 

 橘が、その氷のように冷静な声で囁いた。

 彼女の、完璧に結い上げられた髪が、風にわずかに揺れる。

 

「うむ」

 

 宰善は短く頷いた。

 喉が鳴る。何度経験しても、この瞬間だけは慣れることがない。

 

 大国の首脳との会談よりも、国会答弁よりも、遥かに重く、そして遥かに不条理な緊張感。

 なぜなら、これから現れる相手は、人間の論理も国際法も、物理法則さえも適用されない、正真正銘の「特異点」だからだ。

 

 空間が揺らいだ。

 音もなく、光もなく、まるで世界というキャンバスの一部が不自然に歪んだかと思うと、次の瞬間、そこには一匹の黒猫が座っていた。

 

 夜の闇を凝縮したような艶やかな毛並み。

 全てを見透かすような、理知的な翠色の瞳。

 

 賢者・猫。

 その小さな体躯の中に、国家一つを、いや惑星一つを容易く翻弄するだけの力を秘めた、気まぐれな神の化身。

 

「うむ。ご苦労」

 

 賢者・猫は、その場に集まった日本のトップたちを一瞥すると、まるで近所の公園に散歩に来た老人のような気軽さで声をかけた。

 そして、祭壇に積まれた莫大な価値を持つスパイスの山に目を向ける。

 

「……ふむ。今月も豊作のようじゃな。向こうの料理人どもが首を長くして待っておるわ」

 

 彼は前足を軽く振った。

 ただそれだけの動作で、数百キログラムにも及ぶ香辛料の山が、物理的な質量を完全に無視して、空間ごと削り取られるように消失した。

 

 次元収納。

 そのあまりにもあっけない「納品」の完了を前に、宰善たちは改めて深々と頭を下げた。

 

「……お気に召していただければ幸いです、賢者様。……また、先月ご用命いただきました最高級の茶葉と、職人が手ずから焼き上げたカステラも、あちらの包みに……」

 

「お、お気が利くのう。茶菓子は大事じゃ」

 

 賢者は満足げに髭を震わせると、それらも次々と亜空間へと放り込んでいく。

 一通りの「集金」が終わると、賢者はその場にちょこんと座り直し、前足で顔を洗い始めた。

 その仕草はどこにでもいる猫そのものだが、彼が口にした言葉は、世界情勢の核心を突く鋭利なナイフのようだった。

 

「……さて。……最近、お主たちはずいぶんと空の上で『はしゃいで』おるようじゃのう?」

 

 その唐突な指摘に、宰善の心臓が早鐘を打った。

 やはり見ていたのだ。

 

「……は、はい。……恐縮ながら、ご賢察の通りにございます」

 

 宰善は、冷や汗を拭うことも忘れ、直立不動のまま答えた。

 

「……賢者様より賜りました宇宙船『やまと』のおかげをもちまして……。……先日、ついに月面における多国籍都市『アルカディア・ベース』の第一期建設工事が完了いたしました。……世界中が、人類が地球という揺り籠を出て宇宙へと生活圏を広げた、この歴史的偉業に熱狂しております」

 

「うむうむ。……月で温泉に入っておったな。なかなか良い趣味じゃ」

 

 賢者はニヤリと笑った。

 その笑顔には、子供の成長を見守る親のような温かさと、玩具を与えた飼い主のような超越的な余裕が同居していた。

 

「……で? 月の次はどうするんじゃ? ……なにやらあの海の向こうの鷲と赤い龍が、赤い星……火星とか言ったか? ……あそこで陣取り合戦を始めようとしておるようじゃが」

 

 その言葉に、隣に控えていた綾小路官房長官が、わずかに眉を動かした。

 

 アメリカと中国による火星共同開発イニシアチブ。

 表向きは協力関係を謳っているが、その実態は、どちらが先に火星の実効支配権を確立するかという熾烈な開発競争であることは、公然の秘密だった。

 

「……さようでございます、賢者様」

 

 綾小路が、その滑らかな声で補足する。

 

「……両国とも、フロンティアスピリットと申しますか、あるいは国家の威信と申しますか……。……火星にコロニーを建設することに、並々ならぬ情熱を燃やしております。……既に具体的な入植計画の策定に入っており、我が国が管理する『やまと』への輸送依頼も、ひっきりなしに来ている状況でして……」

 

「ふむ」

 

 賢者は興味なさそうに尻尾を振った。

 

「……アメリカと中国は、それで良いじゃろう。……広い土地が好きそうじゃしな。……だが日本はどうなんじゃ? ……お主たちは火星には行かんのか? ……船の持ち主はお主たちであろうに」

 

 その問いかけ。

 それは宰善たちがこの数ヶ月間、国会でもメディアでも、そして国際会議の場でも曖昧な笑みで誤魔化し続けてきた、日本の国家戦略の「空白」を突くものだった。

 

 日本は火星開発に消極的だ。

 技術提供や輸送協力は惜しまないが、自らが主体となって火星に日の丸を立てようという動きは驚くほど鈍い。

 世界はそれを「日本の慎み深さ」、あるいは「経済的な慎重論」と解釈していた。

 

 だが真実は違う。

 

 宰善は、覚悟を決めて顔を上げた。

 目の前のこの超越者に対してだけは、嘘や建前は通用しない。いや、通用させてはならない。

 

 自分たちの欲望を、野心を、そして夢をありのままに晒け出すことこそが、次なる奇跡を引き寄せる唯一の儀式なのだと、彼はこの数年の付き合いで骨身に沁みて理解していた。

 

「……正直に申し上げます」

 

 宰善の声が、ヘリポートの風切り音に負けない強さを帯びた。

 

「……我々日本政府は、火星への進出には……あまり魅力を感じておりません」

 

「ほう?」

 

 賢者の目が、面白そうに細められる。

 

「……なぜじゃ? ……名誉もあろう。資源もあるかもしれんぞ?」

 

「……ええ。確かに、名誉はあるでしょう」

 

 宰善は首を横に振った。

 

「……ですが、火星は遠すぎます。……そして過酷すぎます。……空気もなく、水もなく、放射線が降り注ぐ赤い荒野。……あそこに人が住める環境を整えるには、天文学的なコストと、数百年という時間がかかるでしょう。……テラフォーミングなど、夢のまた夢」

 

 彼は、商人としての顔を覗かせた。

 

「……投資対効果(コストパフォーマンス)が、あまりにも悪すぎるのです。……アメリカや中国のような広大な国土と資源を持て余し、国家の威信を何よりも重視する大国ならば、それも良いでしょう。……ですが、我々日本は島国。……狭い土地で効率よく豊かに暮らすことを是としてきた民族です。……我々が求めているのは、名誉だけの荒野ではありません」

 

「……なるほど」

 

 賢者は納得したように頷いた。

 

「……効率か。……いかにも日本人らしい考えじゃな。……嫌いではないぞ、そういうのは」

 

「……恐悦至極に存じます」

 

 宰善は一歩前に踏み出した。

 ここからが本番だ。

 この数ヶ月、綾小路や橘と練り上げてきた、国家の命運を懸けたプレゼンテーション。

 

「……賢者様。……我々が真に求めている『新天地』は、宇宙の彼方にはございません」

 

 宰善はその老獪な瞳に、少年のように純粋な欲望の火を灯して訴えた。

 

「……我々が求めているのは……水があり、空気が吸え、緑が茂り……そして、人が人らしく暮らせる豊かな大地です。……我々は……火星ではなく……」

 

 彼はごくりと唾を飲み込んだ。

 そしてついに、その言葉を口にした。

 

「…………『異世界』に植民したいなー……なんて思っているのですが……。……ダメでしょうか?」

 

 言った。

 言ってしまった。

 

 異世界植民。

 それは現代の国際法も倫理も、物理法則さえも無視した、究極の侵略であり、究極の開拓であり、そして究極の夢想だった。

 

 宰善の隣で橘が息を詰め、綾小路が扇子を握りしめる手に力を込める。

 賢者の反応一つで、日本の未来が決まる。

 

 もし「愚かな」と一蹴されれば、日本の夢はそこで終わりだ。

 

 長い長い沈黙が流れた。

 ヘリポートを吹き抜ける風の音だけが、耳に痛いほど響く。

 

 やがて。

 

 賢者・猫は、きょとんとした顔で小首をかしげた。

 

「…………うむ? ……異世界に植民地でも作る気か?」

 

 その声には、怒りも軽蔑もなかった。

 ただ、今日の昼飯の相談でもされたかのような、拍子抜けするほど軽い響きがあった。

 

「……は、はい……! ……もしお許しいただけるのであれば……! ……我が国の技術と、そして民の力をもって新たな世界を切り拓き……!」

 

 宰善が必死に言葉を継ごうとするのを、賢者は前足で制した。

 

「……ふむ。……そうじゃのう……」

 

 賢者は空を見上げた。

 その翠色の瞳には、ここではないどこか、無数の世界線の風景が映っているようだった。

 

「……そろそろ良いかもしれんのう」

 

「…………えっ?」

 

 宰善の声が裏返った。

 

「…………ほ、本当ですか!? ……本当によろしいのですか!?」

 

「うむ、いいぞ」

 

 賢者はこともなげに言った。

 

「……お主たちも、魔石だのポーションだの、こちらの世界の物を上手く使いこなしておるようだしな。……それに正直なところ……」

 

 彼はあくびを噛み殺しながら言った。

 

「……ワシがいちいちあちこちの世界を飛び回って、商品を運んでやるのも、最近ちょっと面倒くさくなってきておってな。……お主たちが直接現地に行って、生産なり取引なりをしてくれるなら、ワシとしても手間が省けるというものじゃ」

 

 そのあまりにも個人的で、そしてどこまでもぐうたらな理由。

 だがその言葉は、日本政府にとっては天からの福音そのものだった。

 

「……あ、ありがとうございます……! ……感無量でございます……!」

 

「……礼には及ばんよ」

 

 賢者は楽しそうに尻尾を振った。

 

「……で、どうするつもりじゃ? ……毎回ワシが『異界渡り』で送ってやるわけにもいかんぞ。……ワシはタクシーではないからのう」

 

「……はっ。……そこにつきましては……」

 

 綾小路がすかさず口を開いた。

 

「……例えば、以前のように『やまと』のような移動手段を賜ることは……」

 

「……いや、船じゃ効率が悪いじゃろ」

 

 賢者は即座に却下した。

 

「……いちいち積み込んで、飛んで、降ろして……。……そんなことをしていたら、大規模な植民など百年かかっても終わらんわ」

 

「……で、では……」

 

「……もっと手っ取り早い方法がある」

 

 賢者は悪戯っぽく笑った。

 

「……どこか広い場所に、屋根付きで頑丈な建物を建設しておけ。……倉庫でも、ドーム球場でもなんでもいい」

 

「……建物でございますか?」

 

「うむ。……そこにワシが『ゲート』を作ってやろう」

 

「…………ゲ、ゲート……!?」

 

 橘が、その冷静な仮面を崩して叫んだ。

 

「……ゲートとは……まさか常時接続型の……空間回廊ということでございましょうか……?」

 

「うむ。その通りじゃ」

 

 賢者は頷いた。

 

「……まあ、どこでもドアのデカい版だと思えばいい。……一度繋げば、そこを通ってトラックだろうが戦車だろうが、人だろうが物資だろうが、二十四時間いつでも自由に行き来できるようになる。……魔力供給(ランニングコスト)はワシが持っておくから安心せい」

 

 その言葉の持つ意味の巨大さに、その場にいた全員が戦慄した。

 

 ゲート。

 それは距離と時間の概念を無にする、究極のインフラだ。

 

 もし東京にゲートができれば、その向こう側は実質的に日本の「隣町」となる。

 輸送コストはゼロに等しく、緊急時の対応も瞬時に可能。

 

 それは植民地というよりも、もはや「領土の拡張」そのものだった。

 

「……す、素晴らしい……! ……なんとなんと素晴らしいご提案……!」

 

 宰善は、膝が震えるのを必死で抑えていた。

 

 これは勝った。

 日本は勝ったのだ。

 

 火星という名の遠い荒野を目指す米中を尻目に、我々はドア一枚隔てた向こう側にある「約束の地」を手に入れたのだ。

 

「……ただし」

 

 賢者の声が、少しだけ低くなった。

 

「……問題は、その『繋ぐ先』じゃな」

 

「……あ……」

 

「……ワシが知っておる世界は、それこそ星の数ほどある。……無人の荒野もあれば、高度な文明が栄える世界もある。……魔法が満ち溢れる幻想的な世界もあれば、科学が発達した機械の世界もある。……平和な楽園もあれば、魔物が跋扈する地獄のような場所もある」

 

 賢者は、宰善の目を真っ直ぐに見つめた。

 

「……お主たち、どんな世界が良いのじゃ?」

 

「…………え?」

 

「……言ったであろう。……『火星は嫌だ』と。……ならばお主たちが望む『理想の世界』とは、具体的にどういう場所なんじゃ? ……適当に見繕ってやっても良いが、行ってから『こんなはずじゃなかった』『空気が吸えない』『重力が三倍ある』とか泣きつかれても困るからのう」

 

「…………」

 

 宰善は言葉に詰まった。

 

 どんな世界がいいか。

 あまりにも選択肢が多すぎて、そしてその可能性が無限すぎて、具体的なビジョンを描くことなどできていなかった。

 ただ漠然と「資源があって人が住める場所」程度にしか考えていなかったのだ。

 

「……人との交易を望むなら、文明のある世界が良いじゃろう。……だが、土地そのものが欲しいなら、無人の世界の方が揉め事が少なくて済むかもしれん。……あるいは資源狙いなら、魔物がうようよしておる危険な場所の方が実入りは良いかもしれんぞ?」

 

 賢者は楽しそうに、次々と選択肢を提示していく。

 

「……亜人がいる世界が良いか? ……それとも人間だけの世界か? ……魔法はあった方が良いか? ……文明レベルは? ……気候は? ……植生は?」

 

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、日本のトップエリートたちは、ただ狼狽することしかできなかった。

 

「……あ、あの……その……」

 

「……ふむ。……まだ決まっておらんようじゃな」

 

 賢者は、やれやれといった風に肩をすくめた。

 

「……まあ無理もないか。……いきなり言われても困るわな」

 

 彼は立ち上がった。

 

「……よし。……宿題じゃ」

 

「……しゅ、宿題?」

 

「うむ。……お主たちが一体何を求めて、どんな国を作りたいのか。……その『理想の世界』の要件定義書(スペックシート)を作って提出せい」

 

 彼は言った。

 

「……条件を決めろ。……『水が豊富』とか『米が育つ』とか『猫耳の美少女がいる』とか、なんでもいい。……お主たちの欲望と希望を、全て書き出してこい。……そしたら、ワシのデータベースから、それに適合する世界をいくつか見繕ってやろうぞ」

 

「………………!」

 

 宰善総理の顔色が、さっと変わった。

 それは困惑の色ではない。

 かつてないほどの巨大なチャンスを前にした、政治家の勝負師の顔だった。

 

「……わ、分かりました……! ……至急! ……至急検討させます!!! ……我々の望む最高の世界の条件を……! ……完璧なリストを作成し、献上いたします!」

 

「うむ。……では期待して待っておるぞ。……変な世界をリクエストしても良いからな? ……ふふふ」

 

 賢者は意味深な笑みを残すと、足元の空間を歪ませた。

 

「……ではな。……準備ができたら、また呼ぶがよい」

 

 彼はそう言い残すと、いつものように風のように、陽炎のように揺らめいて、すっとその場から姿を消した。

 

 後に残されたのは。

 神の不在の静寂と、そして「異世界へのパスポート」という人類史上最高の切符を約束された興奮。

 そして「自分たちで世界を選べ」という、あまりにも贅沢で、そして責任重大な選択を迫られた極限のプレッシャーだった。

 

「…………総理」

 

 橘が震える声で言った。

 その瞳には、かつてないほどの熱い炎が宿っていた。

 

「……やりましょう。……これは建国以来……いいえ、人類がアフリカの大地を出て以来の最大の選択です。……我々が、我々の未来の故郷を選ぶのです」

 

「……うむ」

 

 宰善は深く頷いた。

 握りしめた拳に力がこもる。

 

「……綾小路! ……直ちに召集だ!」

 

「……はっ。……誰を呼びますか? ……経産省、国交省、防衛省のトップですか? 経団連の会長ですか?」

 

「……馬鹿もん! ……そんな頭の固い連中だけで決めてたまるか!」

 

 総理は一喝した。

 

「……必要なのは、常識にとらわれない想像力だ! ……未知の世界をシミュレートできる柔軟な頭脳だ! ……『異世界』の専門家だ!」

 

 彼は叫んだ。

 

「……作家だ! ……SF作家、ファンタジー作家、ライトノベル作家! ……それから、生物学者、地質学者、文化人類学者、軍事評論家、農業の専門家……! ……ありとあらゆる分野の『妄想力』と『専門知識』を持つ天才たちを、今すぐ官邸に集めろ!」

 

 彼の声が、ヘリポートの風を切り裂いた。

 

「……議題はただ一つ! ……『我々日本人が最も幸福になれる異世界とはいかなる世界か?』 ……その完璧な仕様書を三日以内に作り上げるのだ! ……日本の未来は、彼らの妄想力にかかっている!」

 

「……御意!!!!!」

 

 綾小路官房長官が携帯端末を取り出し、怒涛の勢いで指示を飛ばし始める。

 

 その日の午後。

 日本中の「異世界」に関わる全ての専門家たちの下に、黒塗りの車が差し向けられた。

 

 人気ラノベ作家の仕事場に、大学の研究室に、そして出版社の編集部に。

 

「……国家の緊急召集です。……同行を願います」

 

 黒服の男たちの言葉に、彼らはペンを落とし、キーボードを叩く手を止めた。

 何が起きているのか、誰も正確には理解していなかった。

 

 だが彼らは本能的に感じ取っていた。

 自分たちの妄想が、空想が、ついに現実の世界を動かす時が来たのだと。

 

 官邸の地下、プロジェクト・キマイラの司令室は、その夜からこの世で最も知的で、そして最も混沌とした修羅場と化した。

 

 壁一面のホワイトボードには、「エルフ」「資源」「重力」「魔法」「民主主義」といった単語が乱れ飛び、日本を代表する知性たちが、顔を真っ赤にして議論を戦わせていた。

 

「……魔法があるなら、文明レベルは中世で止まっているべきだ!」

「……いや、魔導工学が発達したスチームパンク的な世界の方が、技術供与がしやすい!」

「……猫耳は必須だ! これは国民感情を安定させるための絶対条件だ!」

「……待て、地下資源の埋蔵量が最優先だ!」

 

 喧々諤々の議論。終わりのないシミュレーション。

 だがその混沌の中で、一つの明確なビジョンが、徐々にしかし確実に形作られていった。

 

 それは、日本人が心の中に抱き続けてきた、まだ見ぬ「理想郷(ニライカナイ)」の姿だった。

 

 日本の異世界植民計画『プロジェクト・アマテラス』。

 その波乱に満ちた、そしてどこまでも希望に満ちた幕開けは、こうして切って落とされた。

 

 彼らが選び取る未来が、果たしてどのような世界なのか。

 そしてその世界で彼らを待ち受けているものが、楽園か、あるいは新たな試練か。

 それを知る者は、まだ誰もいなかった。

 

 ただ一つ確かなことは、日本という国が今、その長い歴史の中で最も大きな、そして最もワクワクする「冒険」へと旅立とうとしているということだけだった。

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