異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第136話

 神は久しぶりに、懐かしい学問の府の門を叩くことにした。

 新田 創(にった はじめ)が『テッセラクト・ボイジャー』の転移機能を使って降り立った場所は、彼がこの異世界生活の最初期に訪れ、そして「魔法」という概念の基礎を学んだ場所。

 魔法学院『アカデメイア・アークス』。

 

 黒曜石で造られた荘厳なゴシック建築の校舎は、相変わらず威厳と静寂を纏い、天を突く尖塔の周りには、箒に乗った生徒たちが鳥のように飛び交っている。

 かつて自分がここで「基礎魔素操作」の授業を受け、うっかり太陽のような光球を作り出して騒ぎになったことなどを思い出しながら、創は苦笑した。

 今の彼は、あの頃のように無防備な初心者ではない。数多の世界を渡り歩き、神と崇められるほどの力を持ち、そして何より、究極の暇を持て余したスローライフの探求者だ。

 

 彼は人間の姿のまま、慣れ親しんだ学院長室の扉をノックした。

 

「……どうぞ」

 

 中から重厚な声が響く。

 創が扉を開けると、書類の山に埋もれていた長い白髭の老人――アルバス・フォン・クロイツェル学院長が顔を上げた。

 そして来訪者の姿を認めると、その厳格な顔をくしゃりと崩し、椅子から立ち上がった。

 

「おお! これはハジメ殿! お久しぶりですな!」

 

「ご無沙汰してます、学院長。お元気そうですね」

 

 創は、日本政府の前で見せるような尊大な態度は一切見せず、かつてここでの生徒であった頃と同じ、少し砕けた敬語で挨拶をした。

 ここでは彼は「神」ではなく、規格外の才能を持つ「卒業生」であり、「友人」だ。

 

「いやはや、ハジメ殿が来られるとは。また何処かの世界で、面白いことでもしておられたのですかな?」

 

「まあ色々と。月に行ったり、過去に行ったり、まあ忙しくしてましたよ」

 

「ほう、月……過去……。相変わらず、我々の想像の及ばぬ次元のお話ですな」

 

 アルバスは苦笑しながら、手ずから極上のお茶を淹れ、ソファに座った創の前に置いた。

 湯気と共に立ち上るハーブの香りが、研究室の古書の匂いと混ざり合う。

 

「……して本日は、どのようなご用向きで? また何か、我々にご教授いただけることが?」

 

「いや、今日は逆ですよ」

 

 創はティーカップを手に取り、一口啜ってから言った。

 

「以前、学院長にお願いしていた研究の進捗を聞きに来たんです。……ほら、あの『回復魔法』の件」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アルバスの目の色が教育者のそれから、真理を探究する魔導師の鋭い光へと変わった。

 彼は立ち上がり、部屋の奥にある厳重な鍵のかかった棚から、一冊の分厚い羊皮紙の束を取り出した。

 それは魔導書というよりは、膨大な研究論文の塊だった。

 彼はそれを創の前に、うやうやしく広げた。

 

「……ご報告いたします、ハジメ殿。……進捗はバッチリでございますぞ」

 

「おお、本当ですか」

 

「……貴殿より賜りました、あの『怪我治癒ポーション』。……あの液体の持つ神秘的な効能を、我々魔導師の総力を挙げて解析し、それを純粋な魔力操作のみで再現する術式の構築……。……苦難の道のりでしたが、ついに一つの完成形へと到達いたしました」

 

 アルバスは震える手で、その術式が記されたページを指し示した。

 そこには、複雑怪奇な魔法陣と膨大な計算式が、びっしりと書き込まれていた。

 

「……従来の回復魔法、いわゆる『治癒術』というものは、術者に高度な医療知識を要求するものでした。

 骨がどう繋がっているか、血管がどう走っているか、神経がどう作用しているか。……それらを完全に理解し、魔力で細胞の一つ一つを誘導して修復する。……それはもはや魔法というよりは、神業に近い外科手術であり、習得できる者はごく一部の天才に限られておりました」

 

 創は頷いた。

 彼もかつて回復魔法を覚えようとしたが、そのあまりの面倒くささに「ポーション飲めばいいじゃん」と投げ出した経緯がある。

 

「ですが、この新しい術式は違います。

 ポーションの原理……すなわち『対象の肉体を負傷する前の正常な状態(イデア)へと概念的に回帰させる』というプロセスを、魔法式として組み込むことに成功したのです」

 

 アルバスの声に熱がこもる。

 

「……これにより、術者は患部の詳細な構造を知る必要がなくなりました。

 ただ『治れ』という強い意志と、この術式を展開する魔力さえあれば、誰でも……そう、学生であっても致命傷を癒やすことが可能になったのです!

 そこら辺のハードルを、全て回避して、完全なる治癒を手にすることが出来るようになったのですよ!」

 

「おー、すごい! 流石ですね、学院長!」

 

 創は素直に感嘆した。

 それは彼が「面倒くさいから」と放置していた領域を、この世界の住人たちが自らの知恵と努力で埋めてみせた瞬間だった。

 

「俺もポーション頼みで、そこまでは魔法で出来なかったので、ありがたいです。……これ、かなり革命的じゃないですか?」

 

「……ええ、まさに魔法史に残る偉業です。……ただし」

 

 アルバスはそこで言葉を切り、少し残念そうに眉を寄せた。

 

「……効率(燃費)が悪いのです」

 

「効率?」

 

「はい。……概念的な修復を行うには、膨大な魔力エネルギーを消費します。

 ポーションという『物質』を介さず、純粋な魔力だけで、その現象を引き起こすため、術者にかかる負担が極めて大きい。

 現状の術式では、私のような熟練の魔導師が全魔力を注ぎ込んでも……そうですね、10日に1人の怪我を完治させるのが限界でしょう」

 

「うーん……10日に1人か。……コスパは悪いですね」

 

 創は腕を組んだ。

 ポーションなら一瞬で、しかも何人でも治せることを考えると、実用性にはまだ難がある。

 

「うむ。……術式の無駄を省き、もっと最適化したら行けると思うのですが……。……今の我々の理論では、これが限界じゃろうな」

 

 アルバスは悔しそうに言った。

 

「なるほど……。まあでも、ゼロからここまで形にしただけでも、大したもんですよ」

 

 創は笑顔で言った。

 

「ポーションがない時の緊急手段としては十分ですし、何より『魔法で治せる』という事実が重要です。

 この魔法、アカデメイア・アークス内で広めて大丈夫ですよ。著作権フリーです」

 

「……よろしいのですか!?」

 

 アルバスが目を見開く。

 

「……これは国家が独占すれば、巨万の富を生むほどの秘術……。それをフリーで……?」

 

「ええ、構いませんよ。

 知識は広まってこそ意味がある。

 それに、多くの人が使えば、それだけ改良のアイデアも出るでしょう?

 高位の魔法使いにとっては、切り札として重宝するでしょうしね」

 

「……おお……。……ハジメ殿……。貴殿はやはり器が違う……」

 

 アルバスは感涙にむせびながら、深々と頭を下げた。

 

「……ではこの魔導書は、学院の図書館の『賢者文庫』に収めさせていただき、後進の育成に役立てさせていただきます。……感謝いたしますぞ」

 

「はい、預けますね」

 

 創は軽く手を振った。

 これでまた一つ、この世界の文明レベルが上がった。

 自分が去った後も、彼らは自力で人を救う術を持ち続けることができるだろう。

 それは創にとっても、悪くない気分だった。

 

「……ところでハジメ殿」

 

 用件が済んだ創が立ち上がろうとすると、アルバスが呼び止めた。

 

「……もっとゆっくりしていかんか?

 ……久しぶりの来訪です。……どうでしょう、学会でも開いては?

 お主の知識を欲している生徒や教授連中は多いぞい?

 特に先日の『時空間魔法』に関する貴殿の示唆……あれについて、もっと詳しく聞きたいという声が殺到しておってな」

 

「そうですか?」

 

 創は少し考えた。

 まあ急ぐ旅でもない。

 それに、かつて学んだこの場所で、今度は教える側に立つというのも、なかなか乙なものかもしれない。

 

「……じゃあ、少し講義していこうかな」

 

 

 数時間後。

 アカデメイア・アークスの大講堂は、立錐の余地もないほどの生徒と教師たちで埋め尽くされていた。

 通路にまで人が溢れ、窓の外から覗き込んでいる者さえいる。

 伝説の卒業生(正確には中退扱いだが)ハジメ・ニッタによる特別講義。

 その演題は『時間改変による現在の変化と安全な時間魔法について』。

 

 壇上に立った創は、黒板にチョークで図を描きながら、現代物理学とSF知識、そして自身の体験をミックスした独自の理論を展開していた。

 

「……つまりですね。時間改変には、大きく分けて二つのパターンが存在します。

 一つは『過去を改変することで現在が変わる』パターン。いわゆる『バタフライ・エフェクト』を伴うものです」

 

 創は黒板に一本の線を描き、その途中から枝分かれする線を描いた。

 

「……過去のA地点で干渉を行うことで、現在のB地点が消滅し、新しいBダッシュ地点が発生する。

 これは、術者自身の存在さえも消してしまうリスクがある、極めて危険な術式です。

 親殺しのパラドックスとか聞いたことありますか? ないですよね。

 まあ要するに『過去の自分を殺したら、今の自分はどうなるの?』って問題です」

 

 生徒たちがゴクリと唾を飲む音が聞こえる。

 最前列では、時空間魔法学の教授が必死にメモを取っている。

 

「……対して、もう一つ。……『現在が変わらず、新しいタイムラインができる』パターン。

 これが比較的安全な時間魔法です。

 過去に干渉した瞬間、世界は分岐し、並行世界(パラレルワールド)が生まれる。

 元の世界線はそのまま残り、新しい可能性の世界が別に生成されるわけです」

 

 創はチョークを走らせ、平行に走る複数の線を描いた。

 

「……我々が目指すべき時間魔法の形はこちらです。

 歴史を書き換えるのではなく、歴史の『枝葉』を増やす。

 これなら、現在の自分たちが消滅するリスクを回避しつつ、過去の過ちを正した『もしも』の世界を観測することができる……」

 

 講義は熱を帯び、予定時間を大幅に超過して続いた。

 質疑応答では、

 

「先生! その分岐した世界間を行き来することは可能ですか!?」

「先生! 時間の遅れを利用した高速詠唱の理論についてですが!」

 

 といった高度な質問が飛び交い、創もタジタジになりながら答えた。

 

「……まあ理論はこんなところです。

 実際にやるには、神レベルの魔力と演算能力が必要なんで、まあ君たちは『そういう理屈もあるんだな』程度に覚えておいてください。

 ……くれぐれも、過去に戻って宝くじ……じゃなくて、賭け事の結果を変えようとか思わないように。

 時空警察……いや、因果律の番人に怒られますよ」

 

 最後は冗談めかして締めくくり、講義は万雷の拍手の中で終わった。

 アルバス学院長は、涙を拭いながら創の手を握った。

 

「……素晴らしい講義でした。

 ……これで当学院の時空魔法学は、百年進歩しましたぞ。

 ……いつでもまた、教鞭を執りに来てください」

 

「ええ、気が向いたらまた来ますね!」

 

 創は笑顔で手を振り、転移魔法(といっても彼の能力だが)を発動させた。

 光に包まれながら彼は思った。

 知識を与えるというのは、意外と悪くない気分だと。

 

 

「さて次は……」

 

 創が次に降り立ったのは、中世ファンタジー風の活気に満ちた街並み。

 グランベル王国王都。

 その中心地にある、今や大陸最大の商業組織となった『ラングローブ商会』の本店前だった。

 

 彼は人間の姿のまま、裏口から慣れた足取りで建物に入っていく。

 すれ違う従業員たちは創の顔を見ると、一瞬驚き、すぐに深々と最敬礼をして道を空ける。

 この商会において彼の顔を知らぬ者はいない。

 「商会の真の主」であり、「奇跡をもたらす大恩人」であるハジメ様だ。

 

 創は階段を上がり、会頭室の扉をノックもせずに開けた。

 

「どうも、ゲオルグさん。います?」

 

 部屋の中では恰幅の良い男――ゲオルグ・ラングローブが、山のような書類と格闘していたが、創の声を聞くと弾かれたように顔を上げた。

 そして満面の笑みで立ち上がった。

 

「おおお! これはこれは魔法使い殿!

 よくぞお越しくださいました! お待ちしておりましたぞ!」

 

「相変わらず忙しそうですね」

 

 創はソファにどかりと腰を下ろした。

 

「今日は何か新しい商品の納品でしたかな? それとも集金?」

 

 ゲオルグが期待に満ちた目で聞いてくる。

 創は苦笑して首を振った。

 

「いえ、これと言った用事はないんですけどね。

 久しぶりにこちらの様子を見に来たというか……。

 実は、あの石工のジャックの愚痴でも聞いてあげようかと思ってまして」

 

「ハハハ! ああ、聖ジャック様ですか!」

 

 ゲオルグは愉快そうに笑った。

 

「あの方も相変わらずですよ。

 今や王都の観光名所みたいになってますからな、『聖ジャックの家』は。

 毎日巡礼者が家の前に行列を作って、彼が石を削る音を聞くだけで涙を流して拝んでいるとか」

 

「うわぁ……まだそんなことになってるのか……」

 

 創は顔をしかめた。

 

「……あいつ、ノイローゼになってないかな」

 

「まあ、彼も最近は開き直ったようで、巡礼者相手に石屑を『聖なる欠片』として売りつけて、小遣い稼ぎをしているそうですよ」

 

「……たくましいな、あいつ」

 

 創は安心したように笑った。それなら心配はいらないだろう。

 

「そうですか。では夜にでも『陽気な猪亭』に行くと良いでしょう。

 彼は最近、変装してあそこの裏口からこっそり飲みに行っているようですから」

 

「なるほど、そうします。

 ……で、ラングローブさんの方はどうです? 景気は」

 

「おかげさまで、笑いが止まらない状態ですな」

 

 ゲオルグは腹をさすった。

 

「……『神の米』に『神の野菜』、そして『魔法の氷』による鮮魚流通。

 我が国の経済は空前の好景気です。

 周辺諸国からも商人が押し寄せ、王都の地価は三倍に跳ね上がりました。

 ……全ては魔法使い殿のおかげです」

 

「まあ、それは良かった。

 ……そういえば、スキルジェムの方は?」

 

 創が何気なく尋ねると、ゲオルグの表情が少し引き締まった。

 

「ええ、そちらも。

 ……実はですね、こちらは国王アルトリウス三世陛下が、是非とも貴殿にお会いしたいと仰っておりまして」

 

「王様が? また何か?」

 

「はい。……『スキルジェム戦術』について、直接ご教授願いたいと。

 ……騎士団長たちが、貴殿の教えられた『サポートジェム』の組み合わせを研究しているのですが、どうにも頭打ちでして。

 ……より高度な連携や、大規模戦闘におけるジェムの運用法について、魔法使い殿の知恵をお借りしたいと」

 

「……ああ、なるほど」

 

 創はニヤリとした。

 PoE(Path of Exile)のビルド構築談義ができるなら、願ってもないことだ。

 

「良いですよ。

 スキルジェムの話するの楽しいですし。

 俺も最近、新しい『ミニオン爆破ビルド』とか『オーラスタック構成』とか思いついたんで、誰かに話したかったんですよ」

 

「ホントですか! いやーありがたい!」

 

 ゲオルグは安堵の息を吐いた。

 

「陛下も首を長くして待っておられます。

 ……では明日の午後にでも、王宮の方へセッティングしておきますので」

 

「了解です。

 ……あ、そうそう。

 ついでに新しい『おみやげ』も持ってきましたよ」

 

 創は次元ポケットから、いくつかの箱を取り出した。

 中には、日本(地球)のホームセンターで買ってきた「アウトドアグッズ」が詰まっていた。

 

「……これは?」

 

「『テント』と『寝袋』、あと『携帯コンロ』です」

 

 創は説明した。

 

「……騎士団の遠征とか、商隊の移動に便利だと思って。

 軽くて丈夫で、組み立ても簡単。

 これがあれば、野営が劇的に快適になりますよ」

 

「おおお……! 素晴らしい……!」

 

 ゲオルグは目を輝かせて、テントの生地を撫で回した。

 

「……この撥水性……この軽さ……!

 これなら兵士の疲労も軽減できますし、行軍速度も上がりますな!

 ……さすが魔法使い殿、目の付け所が違います!」

 

「ははは、まあ適当に使ってください」

 

 その後もしばらく、この国の経済情勢や、最近流行りの芝居の話などで盛り上がった。

 ゲオルグとの会話は、ビジネスパートナーという枠を超えて、古い友人との雑談のように心地よかった。

 

「……では、そろそろ行きますね。ジャックが酔い潰れる前に捕まえないと」

 

「ええ、いってらっしゃいませ。……ああ、くれぐれも彼に奢りすぎないように。また調子に乗りますから」

 

「はは、気をつけます」

 

 創は手を振って部屋を出た。

 商会の裏口から出ると、王都の夜の空気が肌に心地よかった。

 魔石の街灯が照らす石畳を歩きながら、彼は思った。

 

(……いい国になったな)

 

 かつては活気があるだけの普通の街だった場所が、今では豊かさと希望に満ち溢れている。

 自分が撒いた種がこうして形になっているのを見るのは、悪い気分ではなかった。

 

 彼は鼻歌混じりに『陽気な猪亭』へと向かった。

 そこには、かつて自分に道を教えてくれた口の悪い石工が待っているはずだ。

 今日は思いっきり彼の愚痴を聞いてやろう。

 そして、最高のエールとつまみで、二人だけのささやかな同窓会を開くのだ。

 

 神の休日はこうして更けていく。

 明日は王様とゲーム談義だ。

 忙しくも楽しい異世界スローライフの一幕であった。

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