異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第13話 【交易世界編】 魔法使いの商談

 石工のジャックと別れた新田 創(にった はじめ)は、彼の教えてくれた通り、街で最も高い時計塔を目指して歩き始めた。

 活気のある広場を抜けると、道はより整備され、建ち並ぶ店の品揃えも明らかに高級になっていくのが分かった。ショーウィンドウには、美しい織物や精巧な銀細工、旅には便利そうな上質な革製品が並んでいる。行き交う人々の身なりも、広場にいた労働者風の人々とは違い、仕立ての良い服を着た裕福そうな商人が増えてきた。

 時折、すれ違う人々の会話の断片が耳に飛び込んでくる。

「南の国の干ばつで、綿花の値段がまた上がるらしいぞ」

「王都で新しい劇場が建つそうだ。こりゃあ、建材の需要が高まるな」

 この世界の経済が、確かに動いている。その生々しい息遣いを肌で感じながら、創は自分がこれからやろうとしていることの重大さと、そして面白さに、改めて胸を高鳴らせていた。

 

 やがて、目的の建物がその威容を現した。

「……でかいな」

 思わず、声が漏れた。

 ジャックが言っていた通り、石造りの重厚な三階建ての建物が、周囲の木造の店々を見下ろすように鎮座している。壁には、等間隔で大きなガラス窓が嵌め込まれていた。この世界において、これだけ大きな歪みのないガラスをふんだんに使うことが、どれほどの富の象徴であるか、創にも想像がついた。

 建物の正面には、重厚な楢の木で作られたであろう両開きの扉。その上には、世界樹のような大樹と天秤を組み合わせた紋章が刻まれた、真鍮製の立派な看板が掲げられている。おそらく、あれがラングローブ商会の紋章なのだろう。

 扉の前では、屈強な傭兵と思しき二人の門番が、鋭い視線で出入りする人々を監視していた。

 中からは、上質な服を着た商人や、大きな荷物を抱えた使用人たちがひっきりなしに出入りしている。その誰もが、自信と活気に満ち溢れていた。

 創は、自分のTシャツとチノパンという場違いな格好を少しだけ気にしながらも、覚悟を決めてその重い扉へと歩を進めた。

 

 一歩、建物の中に足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のような、静かで、しかし熱気を帯びた空間が広がっていた。

 一階は、広大な取引ホールになっているらしかった。

 床は磨き上げられた大理石で、高い天井からはいくつものシャンデリアが下がり、室内を明るく照らしている。壁際には、背の高いカウンターがずらりと並び、その向こうでは何十人もの帳簿係たちが、羽根ペンを走らせたり、算盤のような道具を弾いたりと、猛烈な勢いで働いていた。

 彼らの動きは統率が取れており、この商会がいかに巨大で、優れた組織力を持っているかを物語っていた。

 創は、その圧倒的な光景に一瞬気圧されそうになったが、すぐに気を取り直した。

 大丈夫だ。どんなに相手が大きく見えても、これから提示する「商品」の価値に比べれば、赤子のようなものだ。彼は自分にそう言い聞かせ、一番手前にあった受付カウンターへと向かった。

 

 カウンターの中にいたのは、まだ若い、しかし怜悧な目をした青年だった。彼は、山積みの書類から一度も顔を上げることなく、事務的な声で尋ねてきた。

「ご用件は?」

「ええ、少し」

 創は、できるだけ落ち着いた、そして自信に満ちた声で答えた。

「私は、旅の商人をやっております。この度、非常に希少で、価値のある品が手に入りまして。ぜひ、こちらの責任者の方に直接お目通りを願い、お話をお伺いしたいのですが」

 その言葉に、青年はようやく顔を上げた。

 そして、創の奇妙な服装を値踏みするように一瞥すると、ふん、と鼻で笑った。

「責任者、ですか。あいにく、会頭は多忙な身でしてね。あなたのような、どこの馬の骨とも知れない旅商人の相手をする時間はありません。用件なら、私が聞きましょう」

 その態度は、明らかに創を見下していた。

 だが、創は怒りもせず、動揺もせず、ただ静かに微笑んだ。

「そうですか。それは、残念だ。この品は、おそらく貴方の商会の、いえ、この国の歴史を塗り替えるほどの価値があると思うのですが……。まあ、ご縁がなかったということでしょう。他の商会を当たってみることにします」

 創は、わざとらしく大きな溜め息をつくと、くるりと背を向け、その場を立ち去ろうとした。

 それは、計算ずくの「駆け引き」だった。

「……お待ちください」

 背後から、焦ったような声が飛んでくる。

 創は、内心でほくそ笑みながら、ゆっくりと振り返った。

 受付の青年は、先ほどの尊大な態度はどこへやら、少し狼狽したような顔でこちらを見ていた。

「……あなたが、そこまでおっしゃるのなら。一度、上に話を通してはみましょう。ただし、もしその話が我々の時間を無駄にするような与太話だった場合は、それ相応の対価を支払っていただくことになりますが、よろしいですかな?」

「ええ、結構。その時は、私のこの首でも差し出しましょう」

 創が、にこやかにそう言うと、青年はごくりと喉を鳴らし、慌てた様子で奥の部屋へと消えていった。

 

 それから、待つこと約十分。

 この世界の十分が、地球のそれと同じ長さなのかは分からないが、創にとっては永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。

 やがて、奥の扉が開き、先ほどの青年が戻ってきた。

 その顔には、困惑と、ほんの少しの興奮が浮かんでいる。

「……お待たせいたしました。会頭が、直接お会いになるそうです。こちらへどうぞ」

 

 青年に案内され、創は取引ホールの奥にある、重厚な扉の向こう側へと足を踏み入れた。

 そこは、使用人たちの働くエリアとは一線を画した、静かで豪華な空間だった。分厚い絨毯が足音を吸い込み、壁には異国の風景を描いたであろう、見事な油絵が飾られている。

 いくつかの部屋を通り過ぎ、一番奥にある、ひときわ大きく、装飾の見事な扉の前で青年は立ち止まった。

 コンコン、と控えめなノックの後、「旦那様、お連れいたしました」と声をかける。

 中から、「うむ、入れ」という、穏やかだが芯のある声が返ってきた。

 

 扉が開かれ、創は応接室の中へと通された。

 そこは、彼の想像を遥かに超える、贅沢な空間だった。

 床には、獣の毛皮で作られたであろう深紅の絨毯。壁には、天井まで届く本棚が設えられ、革の装丁の古そうな本がびっしりと並んでいる。部屋の中央には、黒檀か何かで作られたであろう、艶やかな光沢を放つ巨大な執務机。そして、その机の向こう側。

 窓から差し込む西日を背に、一人の男が革張りの巨大な椅子に深く腰掛けていた。

 その男が、ゆっくりと立ち上がる。

 

「ようこそ、ラングローブ商会へ。私が、ここの主、ゲオルグ・ラングローブと申します」

 男は、にこやかな笑みを浮かべ、創に向かって手を差し出した。

 年は五十代半ばだろうか。恰幅のいい体躯を、上質な紫色の絹の服が包んでいる。手にした指には、これみよがしにルビーやサファイアのついた金の指輪がいくつも輝いていた。

 その顔は、人の良さそうな田舎の地主といった風情で、常に温和な笑みを浮かべている。

 だが、その目の奥。

 笑っていない瞳の奥で、鋭い光が獲物を品定めするかのように、創の一挙手一投足を冷静に分析しているのを、創は見逃さなかった。

(……ジャックの言っていた通り、あるいはそれ以上だな。これは、一筋縄ではいかない。ニコニコと人の懐に入り込みながら、こちらの全てを計算し尽くすタイプの、古狸だ)

 創は、瞬時に相手のタイプを見抜いた。

 

「これは、ご丁寧にどうも。私は……」

 創は、ラングローブの手を握り返しながら、一瞬だけ言葉を区切った。

 そして、ここで最初の、そして最大の爆弾を投下することに決めた。

(こういうタイプには、常識的な商人のフリをしても、腹の底を見透かされ、足元を見られるだけだ。ならば、最初から常識の外側から、理解不能な力で殴りかかるしかない)

 彼は、にこりと微笑み返すと、はっきりとした口調で告げた。

「私は、ハジメと申します。旅の魔法使いです」

 

「……魔法使い」

 ラングローブの笑顔が、ほんの少しだけ、凍りついた。

 彼の眉が、ぴくりと動く。

 だが、彼はすぐにいつもの人の良さそうな笑顔に戻ると、手を叩いて笑った。

「はっはっは! 魔法使い、ですか! それはまた、ずいぶんと……おとぎ話のようなご挨拶ですな。いや、失敬。東の国では、そのような自己紹介が流行っているのかもしれませんな」

 彼は、創の言葉を冗談として受け流そうとした。信じていない。いや、信じたくない。彼の築き上げてきた現実的な商売の世界に、そんな非論理的な存在が入り込むことを、彼の理性が拒絶しているのだ。

 

 創は、ラングローブに勧められるまま、机の向かいにある客人のための豪華なソファに腰を下ろした。

 すぐに、メイドがお茶を運んでくる。銀の盆に乗せられた、美しい陶器のカップ。中からは、花のような甘い香りが立ち上っていた。

「まあ、おとぎ話かどうかは、今に分かりますよ」

 創は、お茶には口をつけず、静かに言った。

「ラングローブ殿。あなたは、魔法というものを信じますかな?」

「ふむ……」

 ラングローブは、自分の椅子に戻ると、指を組んで顎を乗せた。

「商売人というものは、現実主義者でしてな。神に祈ることはあっても、目に見えぬおとぎ話を信じて取引をすることはありません。もちろん、伝説や伝承に価値を見出し、それを商品とすることはありますがね」

 その答えは、遠回しな拒絶だった。

 あなたの言うことは信じないが、もし面白い話なら聞いてやらなくもない、と。

 

「なるほど。実に、商人らしい合理的なお考えだ。私も、嫌いではありませんよ」

 創は、そう言うと、ふっと息を吐いた。

「ですが、言葉で説明するよりも、実際に見ていただいた方が早いでしょうな」

 彼は、ソファに座ったまま、すっと右の手のひらを上に向けて広げた。

 そして、魔法学院で最初に習った、あの基礎中の基礎の魔法を、ほんの少しだけ、発動させた。

 

「……では、これではどうですかな?」

 

 次の瞬間。

 創の手のひらから、柔らかな光が溢れ出した。

 その光は、徐々に密度を増し、やがて人の頭ほどの大きさの、まばゆい光の球となって、彼のてのひらの上で静かに浮遊し始めた。

 応接室の中が、まるで真昼のように、白く、清浄な光で満たされる。

 壁のタペストリーの模様が、机の上のインク瓶のラベルが、ラングローブの驚愕に見開かれた瞳が、くっきりと照らし出された。

 熱はない。音もない。

 ただ、圧倒的な光だけが、そこに物理的な存在として、確かにあった。

 

 ラングローブの、常に浮かべていた人の良い笑顔が、完全に消え失せていた。

 彼は、椅子から身を乗り出すようにして、信じられないものを見る目で、光の球と創の顔を交互に見つめている。

 その口が、かすかに震えていた。

「……な……これは……一体……? 何かの、仕掛けですかな……? 燐光石か、あるいは……」

 彼は、必死で目の前の現象を、自分の知る知識の範疇で理解しようと努めていた。

 だが、創はそんな彼のちっぽけな抵抗を、容赦なく打ち砕く。

 

「あるいは……これでは?」

 

 創は、光の球をふっと消すと、今度は部屋の中央の何もない空間に向かって、指をすっと動かした。

 彼の指の軌跡に沿って、空間に光の線が走り始める。

 その線は、複雑に絡み合い、やがて一つの巨大な、そして信じられないほど美しい立体的な像を形作った。

 それは、青く輝く球体だった。

 その表面には、見慣れた大陸と、白い雲がゆっくりと渦を巻いている。

 そして、その青い球体の周りを、少し小さな白銀の球体や、赤く燃えるような球体、巨大な輪を持つ球体が、それぞれ異なる軌道を描きながら、荘厳に公転していた。

 太陽系。

 創が、魔法で作り出した、完璧な太陽系のホログラムだった。

 

「こ……これは……!」

 ラングローブは、椅子から立ち上がっていた。

「美しい……! なんと、美しい……! これは、星々を模した、ガラス細工か何かですかな……? いや、違う……これは、光そのもの……!?」

「いいえ」

 創は、静かに首を振った。

「これは、私の故郷の世界の、本当の姿です」

 

 その言葉が、とどめとなった。

 ラングローブの顔から、血の気が引いていく。

 彼は、目の前のこの男が、ただのペテン師でも、大道芸人でもないことを、魂のレベルで理解させられたのだ。

 これは、人間の技ではない。

 神か、悪魔か、あるいは、まさしく「魔法使い」の仕業であると。

 創は、その表情の変化を見逃さなかった。

 潮時だ。

 彼は、パチン、と指を鳴らした。

 その乾いた音と共に、応接室を荘厳に彩っていた太陽系の幻想は、光の粒子となって跡形もなく消え去った。

 後に残されたのは、先ほどまでの喧騒が嘘のような、深い静寂だけだった。

 

 創は、ゆっくりと立ち上がると、完全に凍り付いているラングローブに向かって、静かに問いかけた。

「……お分かりいただけましたかな、ラングローブ殿。私は、魔法使いです。この世界では、極めて希少な存在でしょうがね」

 

 その言葉は、まるで判決宣告のように、ラングローブの心に突き刺さった。

 彼は、しばらく呆然としていたが、やがて、はっと我に返った。

 そして、彼の商人の魂が、この状況がもたらすであろう無限の可能性を瞬時に計算し尽くした。

 目の前のこの男は、歩く金鉱だ。いや、金鉱などという矮小なものではない。未知の、計り知れない価値を持つ、奇跡の源泉そのものだ。

 この男を敵に回してはならない。

 絶対に、この繋がりを逃してはならない。

 ラングローブの態度は、一瞬にして百八十度変わった。

 彼は、慌てて机の向こう側から回り込むと、創の目の前に進み出て、深々と頭を下げた。その動きは、彼の恰幅のいい体躯からは想像もできないほど、俊敏だった。

 

「……な、なるほど、なるほど……! これは、とんだご無礼をいたしました……! 疑いは、完全に、晴れました! 魔法使い様! まさか、このゲオルグ・ラングローブが、生きているうちに本物の魔法使い様にお目にかかれる日が来ようとは……!」

 その声は、驚愕と、畏怖と、そして何よりも抑えきれない興奮に打ち震えていた。

 彼は、顔を上げると、今度は神にでも会ったかのような、恭しい表情で創を見つめた。

「して、その魔法使い様が、この私めに、一体なんの御用でございましょうか……? このラングローブ商会に、何かお役に立てることがあるのでしたら、なんなりと!」

 

 創は、その見事なまでの変わり身の早さに、内心で舌を巻いた。

(……さすがだな。切り替えが早い。だが、これで主導権は完全にこっちが握った)

 彼は、再びソファに腰を下ろすと、さも当然といった態度で告げた。

「ええ。今回は、私の故郷の世界ではありふれているのですが、この世界ではおそらく、大変な価値を持つであろう品を、お持ちしました」

 創は、そう言うと、目の前の黒檀のテーブルの上に、手のひらをかざした。

 そして、次元ポケットから、スーパーで買ってきた「商品」を、一つ、また一つと取り出していく。

 何もない空間から、突如として物体が出現する。

 その光景もまた、ラングローブにとっては魔法以外の何物でもなかった。

 

 テーブルの上に、まず、美しいピンク色の岩塩の塊が置かれた。

 次に、宝石のようにカットされ、一つ一つが丁寧に紙で包まれた角砂糖の箱。

 そして最後に、小さなガラス瓶に入れられた、黒と白の胡椒の粒と、その粉末。

 それらが、テーブルの上に並べられた。

 ラングローブは、恐る恐るそれらの品々に近づいた。

 最初は、それが何なのか分からず、ただの綺麗な石や、奇妙な植物の種にしか見えなかった。

 だが、彼は商人としての優れた嗅覚で、それらが放つ尋常ではない香りに気づく。

 特に、胡椒の瓶の蓋を開けた瞬間。

 鼻腔を突き抜ける、強烈で、刺激的で、しかし抗いがたいほどに食欲をそそる芳香に、彼の目が大きく見開かれた。

「こ、この香りは……!? 伝説に聞く、東方の国々でしか採れないという『香りの宝石』……胡椒にございますか……!? しかも、これほどまでに強く、豊かな香りがするとは……!」

 

「どうぞ」

 創は、静かに促した。

「味見をしてみてください。特に、その四角い石のようなものが、おすすめです」

 ラングローブは、創の言葉に促され、おそるおそる角砂糖の箱を開けた。

 そして、その中の一つをつまみ上げ、じっと見つめる。

 雪のように白く、完璧な立方体。

 彼は、意を決して、それを口の中に放り込んだ。

 

 次の瞬間。

 ラングローブの世界は、変わった。

 舌の上で、角砂糖がゆっくりと溶けていく。

 そして、彼の脳天を、今まで経験したことのない衝撃が突き抜けた。

 甘い。

 甘い、甘い、甘い!

 これまで彼が知っていたどんな蜂蜜よりも、どんな熟した果物よりも、遥かに純粋で、強烈で、そしてどこまでも洗練された「甘さ」の奔流が、彼の味蕾を、そして脳を支配した。

 一切の雑味がない。ただ、ひたすらに幸福な甘さだけが、口の中いっぱいに広がっていく。

「おお……」

 彼の口から、感嘆のため息が漏れた。

「おおぉぉぉっ! なんという……なんという甘さだ……! そして、なんと純粋な味がするのでしょう……! これは……これは、神々の食べ物に違いありませんな……!」

 彼は、ほとんど絶叫に近い声を上げた。

 その目には、涙さえ浮かんでいる。

 

 彼は、次に塩を舐め、胡椒を僅かにかじり、その度に同じような、あるいはそれ以上の衝撃を受けていた。

 純粋な塩味。複雑で刺激的な辛味。

 どれもが、この世界の王侯貴族でさえ、一生に一度味わえるかどうかという、伝説級の食材だったのだ。

「素晴らしい……! 素晴らしい品物ですぞ、魔法使い様!」

 ラングローブは、もはや興奮を隠そうともせず、創の手を取ってぶんぶんと振った。

「これほどのものを、よくぞ我がラングローブ商会へお持ちくださいました……! これさえあれば、我が商会は、この大陸の全ての富を手にすることも夢ではありますまい!」

 

 創は、その反応に満足げに頷いた。

(よし、食いついた。それも、最高の形で)

 彼は、ラングローブの興奮が冷めやらぬうちに、最後の詰めに入る。

「して、ラングローブ殿。これらの品、あなたの商会で引き取っていただけるという認識で、よろしいですかな?」

「もちろんですとも!」

 ラングローブは、即答した。

「ぜひ、買い取らせていただきたい! つきましては、お値段ですが……!」

 彼は、一度言葉を切ると、ごくりと喉を鳴らし、震える声で告げた。

「ここにございます分、全てを……金貨一万枚で、いかがでしょうか!」

 

 金貨一万枚。

 その数字が、どれほどの価値を持つのか、創には全く見当もつかなかった。

 だが、この狸親父が、最大限の誠意(と、将来への投資)を込めて、いきなりふっかけてきた金額であることは間違いない。

(……ここで欲をかいて、さらに値段を吊り上げるのは得策じゃないな。価値が分からんのは、こっちも同じだ。最初の取引としては、破格の条件と見ていいだろう。金貨の品質や純度は、後で日本に持ち帰って、政府の専門家どもに分析させればいい)

 創は、瞬時にそう判断した。

 彼は、少しだけ考えるふりをしてから、やれやれといった風に肩をすくめてみせた。

「……ふむ。私の故郷では、子供の駄菓子ほどの価値もない品々なのですがね。まあ、郷に入っては郷に従え、と申しますか。結構です。その条件で、お譲りいたしましょう」

 その、あまりにもスケールの違う言葉に、ラングローブは再び戦慄を覚えた。

 

「ありがとうございます!」

 ラングローブは、深々と頭を下げた。

「それで、魔法使い様。今後も、これらの品を……?」

「ええ。そのつもりです」

 創は、ラングローブの言葉を待っていたかのように頷いた。

「今後も、定期的にこれらの品を、あなたの商会にだけ、独占的に卸したいと考えているのですが、いかがですかな?」

「独占……!?」

 その言葉に、ラングローブの目が商人のそれに戻り、ギラリと輝いた。

「もちろんですとも! 是非とも、お願いしたい! 香辛料や砂糖、塩は、貴族たちの食卓を彩るだけでなく、保存食にも使える究極の消耗品! 我が国での販売はもちろん、他国との外交カードとしても、絶大な効果を発揮するでしょう! これさえあれば、我がラングローブ商会は、王家さえも意のままに……!」

 ラングローブは、そこまで言って、はっと口をつぐんだ。

 だが、その野心は、隠しようもなく創に伝わっていた。

(……なるほど、結構腹の底まで読んでるな。この商人は、やはり当たりだ。ただの金儲けで終わらせる気はないらしい)

 創は、内心でほくそ笑んだ。

 

「では、商談成立、ということでよろしいですな」

「ええ、ええ! もちろんですとも!」

 ラングローブは、何度も何度も頷いた。

 創は、立ち上がると、最後に一つ、思い出したように付け加えた。

「ああ、そうだ。ラングローブ殿。商談成立の証、というわけではないのですが、一つ、お願いがある」

「なんなりと、お申し付けください!」

「ここに参ります途中、この商会の場所を、親切に教えてくれた男がおりましてね。石工のジャック、と名乗っておりました。彼に、ささやかな礼がしたい」

 創は、にやりと笑った。

「つきましては、今夜、彼がいるであろう酒場の客全員に、最高の酒と食事を振る舞っても、まだお釣りがくるくらいの金貨を、この場で先んじて頂けませんか」

 

 その、あまりにも粋な要求に。

 ラングローブは、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに破顔一笑した。

「はっはっはっは! それは素晴らしい! 実に、素晴らしいお考えですな、魔法使い様! このような幸運を我が商会に運んできてくれた恩人に、礼を尽くさねば、商人として名が廃ります! 分かりました! すぐに、ご用意させましょう!」

 ラングローブは、心底感心したようだった。

 目の前の魔法使いは、ただ強大な力を持つだけでなく、義理人情にも厚い、器の大きな人物であると、彼は完全に誤解したのだ。

 彼は、部屋の隅にあるベルを鳴らし、すぐに部下を呼びつけた。

 そして、金庫から最高の純度を誇る王家発行の金貨を、袋に詰められるだけ詰めて持ってくるように命じた。

 

 やがて、部下が息を切らしながら、ずしりと重そうな革袋をいくつも盆に乗せて運んできた。

「魔法使い様。お納めください。これで、酒場の一つや二つ、丸ごと買い取れるかと存じます」

 ラングローブは、その中の一つを創に手渡した。

 ずしり、とした重み。

 革袋の口から、眩い黄金色の輝きが覗いている。

 創は、その重みを確かめながら、満足げに頷いた。

 彼の異世界ビジネスは、今、最高の形でスタートを切ったのだ。

 彼は、約束を果たすため、そして自らの成功を祝う祝杯をあげるため、陽気な猪亭の場所を思い浮かべながら、ラングローブの丁重な見送りを受け、商会を後にするのだった。

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