異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第143話

 季節は巡り、北の大陸にも遅い春が訪れようとしていた。

 だが、港町ポルト・リーゼにおける「熱気」は、季節の変わり目など物ともせず、むしろ日を追うごとに、その温度を高めていた。

 

 かつては、近隣の島々との細々とした交易と漁業だけで成り立っていた地方都市。

 それが今や、大陸中の商人、冒険者、そして美食家たちが憧れる「約束の地」へと変貌を遂げていたのだ。

 

 その中心にあるのは間違いなく、『日本』――異世界からやってきた、謎多き商人集団の存在だった。

 

 彼らがこの地に拠点、「アマテラス商館」を構えてから数ヶ月。

 この街の風景は、「劇的」という言葉では生温いほどの変革を迎えていた。

 

 ◇

 

 早朝のポルト・リーゼ中央広場。

 まだ太陽が水平線から顔を覗かせたばかりだというのに、そこには既に黒山の人だかりができていた。

 

「おい、今日の入荷は何だ!?」

「砂糖はあるか! 白い悪魔(上白糖)をくれ!」

「俺は塩だ! 岩塩じゃなくて、あのサラサラした『精製塩』を頼む!」

「スパイスセットはまだ残ってるか!? カレー粉もだ!」

 

 人々が押し寄せているのは、日本政府が直営する交易所だ。

 そこで扱われている品々は、この世界の常識を根底から覆すものばかりだった。

 

 まず、価格破壊である。

 

 この世界において、砂糖や香辛料は金と同等の価値を持つ奢侈品(しゃしひん)だった。

 南方の島々から命がけの航海を経て運ばれてくるそれらは、王侯貴族や大商人しか口にできない「富の象徴」であったのだ。

 塩でさえ内陸部では高価な取引対象となり、その純度は低く、灰色に濁った岩塩が一般的だった。

 

 だが、日本が持ち込んだ物資は違った。

 

 透き通るように白く、雑味のない砂糖。

 不純物が一切なく、キメの細かい食卓塩。

 そして、鼻腔を突き抜ける鮮烈な香りを放つ、多種多様な香辛料。

 

 それらが、信じられないほどの安値で供給されたのだ。

 もちろん、現地の相場を崩壊させすぎないよう調整はされていたが、それでも従来の価格の十分の一、物によっては百分の一という破格の値段だった。

 

 それはまさに「革命」だった。

 

「……信じられん。今日もこの行列か」

 

 商館の二階から、その様子を見下ろしていた外務省の東郷は、コーヒーカップを片手に苦笑した。

 彼の横には、警備責任者である郷田陸将補が立っている。

 

「……ええ。

 アマテラス・ベースから定期便で運び込んでいる物資が、右から左へと飛ぶように売れていきます。

 ……日本国内のメーカーに増産を依頼していますが、それでも追いつかないくらいです」

 

「……現地の人々にとって、これは『魔法』以上の衝撃でしょうね」

 

 東郷は眼下の人々の顔を見た。

 そこにあるのは単なる物欲ではない。

「美味しいものを食べたい」「家族に喜んでもらいたい」という、根源的な生への渇望と、それが満たされる喜びだった。

 

「……食文化の爆発か。

 ……我々は、この大陸の胃袋を完全に掴んでしまったようですね」

 

 ◇

 

 街の大通りを歩けば、その変化は鼻で感じ取ることができた。

 

 かつては潮の香りと、魚の内臓の匂い、そして馬糞の臭いが混じり合っていた通り。

 それが今や、えも言われぬ芳香のパレードとなっていた。

 

 屋台からは肉を焼く香ばしい匂いと共に、クミンやコリアンダーのスパイシーな香りが漂ってくる。

 パン屋からは、ふっくらと膨らんだパンの甘い香りと、バターの芳醇な匂いが流れてくる。

 そして広場のカフェ(という文化も日本が持ち込んだ)からは、焙煎されたコーヒーと、甘いホットチョコレートの香りが、人々の足を止める。

 

「いらっしゃい!

 日本のスパイスを使った『串焼き』だよ!

 ピリ辛で、エールが進むぜ!」

 

「こっちは『揚げパン』だ!

 砂糖をたっぷりとまぶした王族の味が、銅貨二枚だ!」

 

 商人たちの掛け声も明るい。

 日本から安く仕入れた調味料を使うことで、彼らは付加価値の高い商品を、庶民の手の届く価格で提供できるようになったのだ。

 薄利多売ではない。

 原価が劇的に下がったおかげで、彼らは利益を確保しつつ、客に最高の味を提供できる。

 まさにWin-Winの関係だった。

 

 そんな賑わいの中を、一際目立つ集団が闊歩していた。

 

 身長二メートル近い狼の獣人、熊の獣人、そして豹の獣人たち。

 西の岩場からやってきた獣人族の行商隊だ。

 かつては人間との接触を最低限にし、警戒心を露わにしていた彼らが、今や我が物顔で人間の街を歩いている。

 

「……おいガレス! こっちの屋台の肉、めちゃくちゃ美味いぞ!」

「……おう。こっちの甘い水(ジュース)も最高だ!」

 

 以前、日本使節団のガイドを務めた狼獣人ガレスが、仲間たちを引き連れて食べ歩きをしていた。

 彼らの背負った籠には、魔物の素材や珍しい鉱石が山のように積まれている。

 それらを日本商館で換金し、その金で美食を楽しんでいるのだ。

 

「……よう、ガレス。また来たのかい」

 

 屋台の親父が親しげに声をかける。

 以前なら武装した獣人の集団など、恐怖の対象でしかなかった。

 だが今や彼らは「金払いの良い上客」であり、「珍しい素材を持ってきてくれるビジネスパートナー」だ。

 

「……ああ。

 日本の連中が『新しい味』を出したって聞いたからな。

 なんでも『マヨネーズ』とかいうソースらしいじゃねえか」

 

「……へへっ、耳が早いな。

 あるよ。ゆで卵につけて食うと……飛ぶぞ」

 

「……くぅーッ! たまんねえな!」

 

 ガレスたちは舌鼓を打つ。

 彼らにとって人間の街は、もはや敵地ではない。

 美食のテーマパークだった。

 

 獣人だけではない。

 フードを目深に被った美しい一団――エルフたちもまた、この街の常連となっていた。

 

 彼女たちの目的は主に「甘味」と「茶葉」、そして「美」だ。

 

「……あら、リナ。貴女も来ていたの?」

 

 街角のカフェで、エルフのリナが同胞たちと遭遇した。

 

「……ええ。

 今日は『新作のスイーツ』が入荷したって噂を聞いてね。

 『ショートケーキ』というらしいわ。

 白くてふわふわで、赤い宝石(イチゴ)が乗っているんですって」

 

「……ショートケーキ……!

 ……なんて魅惑的な響き……」

「……長老様も、こっそりお忍びで来ているらしいわよ」

 

 エルフたちは、その高い魔力と知識で作られたポーションや魔導具を売り、その対価として日本のスイーツや化粧品、そして衣服を買い求めていた。

 特に日本のシャンプーやコンディショナー、スキンケア用品は、美を愛するエルフたちの間で爆発的な人気を博していた。

「日本の商館に行けば、髪が絹のようになる水が手に入る」というのは、今や森の中での常識となっていたのだ。

 

 獣人とエルフ、そして人間。

 かつては互いに不可侵を貫き、時には争っていた種族たちが、今、ポルト・リーゼという一つの鍋の中で、「食欲」と「物欲」というスープによって煮込まれ、混ざり合っていた。

 

 その光景は、まさに文化の交差点(クロスロード)だった。

 

 ◇

 

 そして、この街の繁栄を象徴する、もう一つの勢力が存在した。

 

 東の大国、アステリア王国である。

 

 かつては威圧的な騎士団を送り込み、武力による介入を試みた軍事国家。

 だが、あの伝説の「カレー会談」以来、彼らの態度は百八十度転換していた。

 

 今、ポルト・リーゼの港には、アステリア王国の紋章を掲げた輸送船が、毎日のように入港していた。

 彼らは軍船ではない。商船だ。

 積荷は、アステリア領内で産出される鉄鉱石、魔石、そして羊毛などの特産品。

 

 それらを下ろし、代わりに彼らが満載していくのは――もちろん「カレー」の材料である。

 

 街の一角には、アステリア王国が多額の出資をして建設した、『アステリア・ロイヤル・カレー・ハウス』という長ったらしい名前の高級レストランまでオープンしていた。

 そこは、アステリアの貴族や騎士たちが本場のカレーを味わうために設立した、迎賓館のような施設だった。

 

「……むぅ。

 ……やはり本場のスパイスは、香りが違うな」

 

 レストランの個室で、赤竜騎士団長のヴォルフガングが、大盛りのカツカレー(日本側が新たに伝授したメニューだ)を頬張りながら唸っていた。

 

「……本国で再現しようとしても、何かが違うのだ。

 やはり鮮度か? それとも水か?」

 

「……ヴォルフガング様、あまり食べすぎると、午後の訓練に支障が出ますよ」

 

 副官が苦言を呈するが、その口元にもカレーソースがついている。

 

「……うるさい。

 ……カ・レーは飲み物だ。

 ……それにこれ(トンカツ)だ。

 ……パン粉という魔法の粉を纏わせて揚げた豚肉……。

 ……このサクサク感とジューシーな肉汁、そしてスパイシーなルーの調和……!

 ……これぞ戦士の活力源!」

 

 アステリア王国は今や、日本にとって最大の「お得意様(ロイヤル・カスタマー)」となっていた。

 彼らは国を挙げて日本の食文化を取り入れ、その見返りとして、日本が必要とする地下資源や魔石を惜しみなく提供していた。

 かつての軍事的な緊張感はどこへやら、今では「今月の新作メニュー」の情報を巡って、外交官同士が熱い議論を交わすほどの蜜月関係を築いていた。

 

 ◇

 

 そんなポルト・リーゼの賑わいを、領主の館から満足げに眺めている男がいた。

 この街の領主、マクシミリアン伯爵である。

 

「……ふふふ。

 ……笑いが止まらんとは、このことだな」

 

 彼はワイングラス(中身は、日本から贈られた最高級の赤ワインだ)を傾けながら、執事に語りかけた。

 

「……見ろ、あの人の波を。

 ……アステリアの貴族、獣人の戦士、エルフの賢者、そして大陸中から集まった商人たち。

 ……彼らが落としていく税収だけで、我が家の金庫はパンクしそうだ」

 

「……左様でございますな、旦那様。

 ……港の拡張工事も順調ですし、倉庫の増設も急がせております。

 ……ポルト・リーゼは今や大陸一の商業都市となりつつあります」

 

「……全くだ。

 ……あの時、日本の商人たちを受け入れて正解だった。

 ……彼らは単なる商人ではない。

 ……『繁栄』そのものを運んでくる福の神だ」

 

 伯爵は東郷たちに対する感謝の念を新たにしていた。

 日本がもたらしたのは物資だけではない。

「自由な交易」と「多種族間の交流」という、新しい価値観だった。

 この街は、その実験場として空前の成功を収めていたのだ。

 

 ◇

 

 その頃、アマテラス・ベースの司令室では。

 東郷が日本本国との定期報告を行っていた。

 

「……はい、宰善総理。

 ……現地の状況は極めて順調です。

 ……ポルト・リーゼは、完全に我々の経済圏に組み込まれました。

 ……現地通貨(金貨・銀貨)の回収率も、目標を上回っています」

 

『……うむ、ご苦労。

 ……報告書は読んだが、凄まじいな。

 ……食文化の侵略……いや、普及が、ここまで効果的だとは』

 

 モニターの向こうで、宰善総理が感心したように頷く。

 

「……ええ。

 ……武力で制圧するよりも、胃袋を掴む方が、遥かに低コストで、かつ永続的な支配……いえ、友好関係を築けます。

 ……アステリア王国などは、もはや日本の調味料なしでは国家機能が麻痺するレベルかと」

 

『……はっはっは。

 ……兵糧攻めならぬ、美食攻めか。

 ……まあ相手も喜んでいるなら、良しとしよう』

 

「……ただ一つ、懸念材料が」

 

 東郷が表情を引き締めた。

 

「……この街の繁栄が、あまりにも目立ちすぎています。

 ……大陸の他の勢力、特に中央の『教国』や西の『魔導帝国』といった大国が、この異常な経済成長に疑念を抱き始めているという情報があります。

 ……単なる交易都市の発展としては、不自然すぎると」

 

『……ふむ。

 ……まあ、それも時間の問題だとは思っていたがな。

 ……出る杭は打たれるか』

 

「……はい。

 ……近いうちに、彼らからの接触、あるいは干渉があるかもしれません。

 ……特に教国は『異教の技術』や『未知の魔導』に対して排他的な教義を持っていると聞きます。

 ……我々の科学技術や、亜人との共存政策を異端視する可能性があります」

 

『……なるほど。

 ……宗教的な対立は、食欲よりも厄介かもしれんな』

 

 宰善総理の声が、少しだけ低くなる。

 

『……だが我々には、賢者様という後ろ盾と、自衛隊という実力がある。

 ……そして何より、既に現地には獣人やエルフ、アステリア王国という強固な味方がいる。

 ……外交とは仲間を増やすゲームだ。

 ……我々は既に、この大陸で孤立してはいない』

 

「……おっしゃる通りです。

 ……万が一の時は、彼らと連携して対処します」

 

『……頼むぞ。

 ……まあ最悪の場合は……』

 

 総理が悪戯っぽく笑った。

 

『……その教国の偉いさんにも、カレーとショートケーキを食わせてやれば黙るかもしれんがな』

 

「……ふふ、確かに。

 ……その準備もしておきましょう」

 

 東郷も笑った。

 

 ポルト・リーゼの繁栄。

 それは、日本の異世界開拓が次のフェーズへと移行したことを告げる狼煙だった。

 経済的な基盤は固まった。

 文化的な浸透も進んだ。

 

 次に来るのは、政治的、あるいは宗教的な摩擦かもしれない。

 だが今の彼らには恐れはなかった。

 彼らの背後には圧倒的な物量と、美食という最強の武器、そして何より、種族を超えた「美味しい笑顔」のネットワークがあるのだから。

 

 夕暮れの港町。

 市場から流れる食欲をそそる匂いと、人々の笑い声。

 その中心で、日本の国旗が異世界の風にはためいていた。

 

 平和で、美味しくて、そしてどこまでも強かな「侵略」は、今日も続いていく。

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