異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
東京、永田町。
総理大臣官邸の地下深くに眠る、プロジェクト・キマイラ作戦司令室。
そこには、これまでとは異質の、重く澱んだ空気が滞留していた。
かつて、未知のアーティファクトの発見に沸き立ち、神の如き力に魅入られ、あるいはその力を御するための策略に目を輝かせていた高揚感は、今の彼らにはない。
あるのは、神の火を盗み出した代償として自らの手を焼き、さらには同胞の手をも焼かねばならなかった者たちの、深い疲労と、逃れようのない罪悪感だった。
『特級医療従事者保護法』の施行。
それは崩壊寸前の医療現場を繋ぎ止めるための劇薬であり、同時に医師たちの良心を鎖で縛る残酷な足枷でもあった。
魔法医(ヒーラー)たちの首に嵌められたリミッター、選別される命、響き渡る慟哭。
その全ての報告がこの司令室に集約され、宰善茂総理大臣の肩にのしかかっていた。
「……時間です、総理」
橘紗英の、氷のように冷徹で、しかしどこか気遣うような声が響いた。
宰善は深く息を吐き出し、顔を上げた。
その瞳には苦悩を飲み込み、次なる決断へと向かう指導者の鋼の意志が宿っていた。
「……うむ。繋いでくれ」
正面の巨大なメインスクリーンにノイズが走り、次いで鮮明な映像が結ばれた。
地球の裏側、ワシントンD.C.。ホワイトハウスのシチュエーションルーム。
そこにはアメリカ合衆国大統領ジェームズ・トンプソンと、その側近たちが、日本側と同様に沈痛な面持ちで並んでいた。
これは日米首脳による緊急極秘会談。
議題は、ただ一つ。
日本が解き放ち、そして今、その制御に苦しんでいる『万能回復魔法』の今後の取り扱いについてである。
「……宰善総理」
トンプソン大統領が静かに口を開いた。
その鷲のような瞳には同盟国のリーダーへの敬意と、そして同じ重荷を背負う者としての同情の色が浮かんでいた。
「……まずは貴国の決断に敬意を表したい。
医師たちの命を守るため、そして医療崩壊を防ぐために、あのような厳しい法を制定せざるを得なかった貴国の苦渋……。
……報告書を読み、胸が痛む思いだ。
それは誰かがやらねばならない汚れ仕事(ダーティー・ワーク)だった」
「……感謝します、トンプソン大統領」
宰善は深々と頭を下げた。
「……ですが、これは我々の未熟さが招いた事態でもあります。
神の奇跡……あの『力』の代償を、我々は甘く見ていました。
魔法とは、ただ唱えれば願いが叶うような都合の良いものではなかった。
それは術者の生命力そのものを燃料として燃やす、諸刃の剣だったのです」
宰善の隣で車椅子に乗った御子柴医師が、画面の向こうのアメリカ人たちに向かって一礼した。
彼もまた、この会議に参考人として招致されていた。
その首には薄い金属製のチョーカー――魔力リミッターが、冷たい光を放っている。
「……ドクター・ミコシバ」
アメリカ側の医療顧問、エヴリン・リード博士が悲痛な声で呼びかけた。
「……貴方の献身と犠牲的行為は、我々科学者にとっての模範です。
ですが……その首の枷を見るのは、やはり辛いものがありますわ」
「……これは必要な措置です、博士」
御子柴は弱々しくも毅然とした声で答えた。
「……我々は放っておけば、自らの命が尽きるまで魔法を使い続けてしまう。
医者という生き物は、そういう因果な性分なのです。
……この枷は我々を死から繋ぎ止める命綱。
そう思うことにしています」
その言葉に、シチュエーションルームの空気が重く沈んだ。
だが感傷に浸っている時間はなかった。
彼らはこの「現実」を前提として、次なる世界戦略を構築しなければならないのだ。
「……さて」
官房長官の綾小路俊輔が、その蛇のような目を細め、本題を切り出した。
彼は感情を排した実務家としての顔を崩さない。
「……トンプソン大統領、そして皆様。
我々日本が直面したこの『魔力枯渇』と『医師の倒壊』という事態は、いずれ貴国アメリカ、ひいては世界中が直面する問題となります。
『星見子の遺産』から発見された魔導書によれば、この魔法技術は訓練次第で、一定の素質を持つ者なら誰でも習得可能です。
我々はこの技術をどう扱うべきか。
ここで日米間の合意を形成しておく必要があります」
「……ああ、その通りだ」
トンプソンは頷き、そして難しい顔をした。
「……正直に言おう。
我々アメリカとしても、この『回復魔法』を自国の医療に導入したいという強い要望がある。
……帰還兵の治療、難病の子供たち、そして事故による重傷者。
救える命があるのなら救いたい。それは政治家としての本能だ。
だが……」
彼は御子柴の首輪に視線を向けた。
「……我々の国で、その『首輪型リミッター』を導入するのは……政治的に不可能だ。
人権団体が黙っていないし、世論の反発も凄まじいものになるだろう。
『政府が医師を奴隷化している』と書き立てられるのは目に見えている」
「……でしょうな」
綾小路は予想通りだと言わんばかりに薄く笑った。
「……自由の国アメリカで医師に首輪をつけるなど、リンカーンが墓の下で泣き出すでしょう。
……ですが、制限なしでの魔法行使は、医師の大量死を招く。
これは確定した未来です。
……ではどうされますか?
魔法の導入そのものを諦めますか?」
「……いや、それもできない」
国防長官のソーン元帥が、低い声で唸った。
「……日本だけでこの魔法が使われ、アメリカでは使えないとなれば国民は納得しない。
『なぜ日本人は助かって、我々は死ななければならないのか』と。
……技術の独占は同盟の亀裂を生む。
何より我々軍部としても、野戦病院でのこの魔法の有用性は無視できない」
「……ならば」
エヴリン博士が提案した。
「……形状を変えましょう。
首輪である必要はありません。
……例えば手首や足首に装着する『ブレスレット型』や『アンクレット型』のデバイス。
機能は同じでも、見た目が『医療機器』や『ウェアラブル端末』のようであれば、心理的な抵抗感は大幅に下がります。
……『スマート・リミッター』とでも名付ければ、国民も受け入れやすいはずです」
「……なるほど。見た目の問題ですか」
橘紗英がメモを取る。
「……技術的には可能です。
日本の魔導具開発チームと連携し、より小型で洗練されたデザインのリミッターを開発し、それを日米標準規格としましょう。
……『医師の生命を守るための安全装置』という名目で」
「……うむ。それで頼む」
トンプソンは安堵の息を吐いた。
だが、ここからが本当の難題だった。
「……さて、問題はここからです」
宰善総理が円卓の上の資料を広げた。
そこには世界地図と、各国の諜報機関の動きを示す赤い矢印が無数に記されていた。
「……現在、この回復魔法の技術を保有しているのは、我々日本と共同研究を行っているアメリカだけです。
ですが世界中が、この『奇跡』の存在に気づき始めています。
……中国、ロシア、EU……。
彼らは日本が隠している『何か』が医療に革命をもたらすものであることを嗅ぎつけている。
……いつまでも日米だけでこの技術を独占し続けることは……現実的ではありませんし、国際政治的にも極めて危険です」
「……同感だ」
トンプソンが渋い顔で頷く。
「……『人道の敵』と呼ばれたくはないからな。
……だが、だからといってこの技術を無制限に公開し、世界中にばら撒くわけにもいかない。
……そうだろ、ソーン長官?」
「……イエス、サー」
ソーン元帥がその巨体を前に乗り出し、鋭い眼光をカメラに向けた。
「……宰善総理、綾小路長官。
……貴殿らも理解しているはずだ。
……『魔法』は医療技術であると同時に、極めて強力な『軍事技術』でもあるということを」
会議室の空気が、ピリリと張り詰めた。
「……想像してみたまえ。
……即座に傷を癒やし、何度でも戦線に復帰してくる兵士たち。
……あるいは敵国の要人を暗殺し、自らは魔法で証拠を消し去って逃走する工作員。
……もしこの回復魔法がテロリストや独裁国家の手に渡れば、どうなる?
……自爆テロの実行犯が直前まで健康体を維持し、あるいは失敗しても即座に回復して再トライしてくるとしたら?
……拷問で傷ついた捕虜を魔法で回復させては、また拷問する無限の地獄が可能になるとしたら?」
ソーン元帥の言葉は、魔法の持つ負の側面を、残酷なまでに正確に描き出していた。
「……魔法医は、ただのヒーラーではない。
……彼らは戦略物資であり、生体兵器のメンテナンス・ユニットにもなり得るのだ。
……そんな技術を『人道支援』の名の下にコントロールなしで世界に解放するなど自殺行為だ。
……核兵器の拡散防止条約(NPT)と同じく、厳格な管理体制が必要不可欠だ」
「……全くもって、その通りです」
橘が同意する。
「……日本国内においても、魔法医の適性審査は厳格に行っています。
……単に魔力があるだけでなく、高い倫理観と国家への忠誠、そして精神的な安定性が求められます。
……もし精神的に不安定な者がこの力を手に入れ、自らを『神』と錯覚して暴走すれば……取り返しのつかないことになる」
「……だが、広めなければ世界が黙っていない。
……しかし広めれば世界が危険になる。
……ジレンマですな」
綾小路が扇子でトントンと机を叩いた。
「……広めつつ管理する。
……矛盾する二つの命題を同時に解決せねばならない。
……となれば答えは一つしかありません」
彼は全員の顔を見回し、結論を口にした。
「……『免許制』。
……それも日米が主導し、日米が全ての権限を握る、国際的な厳格なライセンス・システムを構築することです」
「……ライセンスか」
トンプソンが呟く。
「……そうだ。
……『魔法医師免許(メディカル・メイジ・ライセンス)』。
……この資格を持たない者の魔法行使を、国際法で固く禁じるのだ」
「……具体的には、どのような基準を設けるおつもりで?」
エヴリン博士が尋ねる。
綾小路は手元の資料をめくりながら答えた。
「……まず第一に、医学的知識の証明。
……正規の医師免許を持つ者でなければ、魔法の習得資格を与えない。
……これは魔法の効率化のためでもあり、同時に『命を救うプロフェッショナル』としての倫理観を担保するためです」
「……合理的ね」
「……第二に、日米合同審査機関による厳重な身辺調査と精神鑑定。
……犯罪歴のある者、過激な思想を持つ者、精神的に不安定な者は徹底的に排除する。
……テロリストに魔法を渡すわけにはいきませんからな」
「……そして第三に」
綾小路はニヤリと笑った。
「……ここが肝心ですが。
……全てのライセンス取得者には、日米が提供する『スマート・リミッター』の装着を義務付ける。
……そしてそのリミッターの制御コードは、我々日米政府が管理する」
「……!」
ソーン元帥が目を見開いた。
「……つまり、もし彼らが我々の意に沿わない行動をとったり、魔法を悪用しようとした場合……」
「……ええ。
……我々は遠隔操作で彼らのリミッターを『ロック』し、その魔法能力を即座に無効化することができる。
……いわば彼らの生殺与奪の権を、我々が握り続けるということです」
そのあまりにも強権的で、そして覇権主義的なシステム。
だがそれは同時に、魔法という未知の力を国際社会に安全に普及させるための、唯一の現実的な解でもあった。
「……キルスイッチ付きの医者か」
トンプソンは苦笑した。
「……世界中から『医療帝国主義だ』と非難されそうだな」
「……言わせておけばよろしい」
宰善総理が静かに、しかし力強く言った。
「……彼らには魔法のノウハウがない。
……教科書(グリモワール)を持っているのは我々だ。
……技術も、教育システムも、そしてリミッターという安全装置も、全て我々が握っている。
……文句があるなら、自分たちでゼロから魔法を開発してみろと言えばいい。
……もちろん、その間に何人が病で死ぬことになるかは知りませんがね」
総理の言葉には、かつてのような迷いはなかった。
彼は泥を被る覚悟を決めていた。
賢者から託されたこの世界を混沌に陥れないために。
秩序を守るためには、時には傲慢な管理者となることも辞さない。
「……分かりました」
トンプソン大統領が決断を下した。
「……その案で行こう。
……『国際魔法医療機構(IMMO)』を設立し、本部は東京とワシントンに置く。
……理事は日米から選出し、全ての決定権を我々が持つ。
……加盟国には我々の基準で選抜された医師にのみ、魔法の教育とリミッターを提供する。
……これで魔法の拡散を防ぎつつ、人道支援という名目も立つ」
「……ありがとうございます、大統領」
日米の首脳たちは画面越しに固い握手を交わした(つもりになった)。
こうして新たな世界のルールが決まった。
魔法は、選ばれし者だけの特権となる。
日米の承認印が押された首輪(リミッター)を受け入れた者だけが、神の御業を行使することを許される。
それは医療の平等という理想からは程遠い、管理された奇跡の配給システムだった。
だがそれが今の狂った世界で、秩序を保つためのギリギリの妥協点だったのだ。
会議の終わり際、御子柴医師が静かに手を挙げた。
「……一つだけ、よろしいでしょうか」
「……何かな、ドクター」
「……その『リミッター』ですが。
……緊急時、例えば大規模災害や、どうしても救わねばならない命が目の前にある時。
……医師自身の判断で一時的に制限を解除する機能……『オーバードライブ』モードの実装を検討していただけないでしょうか」
その言葉に、綾小路が眉をひそめた。
「……それは医師の命を危険に晒すことになりますぞ」
「……分かっています」
御子柴はまっすぐにカメラを見据えた。
「……ですが我々は医者です。
……自分の命を削ってでも患者を救いたいと願う瞬間が必ずあります。
……その最後の誇りまで、システムに奪われたくはないのです」
沈黙が流れた。
やがてエヴリン博士が静かに口を開いた。
「……私は賛成です。
……ただし使用後は強制的に長期間のロックダウンが発生し、二度と復帰できないかもしれないという重いペナルティ付きで」
「……検討しましょう」
橘が答えた。
「……『英雄的行為』のための最後の切り札として。
……技術班に仕様を詰めさせます」
「……感謝します」
御子柴は深く頭を下げた。
会議は終わった。
モニターの電源が落ち、司令室に静寂が戻る。
彼らは成し遂げた。
魔法という猛獣に首輪をつけるための、檻を完成させたのだ。
だが彼らは知っていた。
どんなに厳重な檻を作っても、一度放たれた獣は決して大人しく飼い慣らされるだけではないことを。
世界中で魔法医たちが誕生し、その奇跡が日常となるにつれ、必ず新たな問題、新たな欲望、そして新たな悲劇が生まれるだろう。
それでも彼らは進むしかない。
賢者が開いた扉の先へ。
泥にまみれながら、人間としての知恵と尊厳をかけて。
宰善総理は、誰もいなくなった円卓で一人呟いた。
「……賢者様。
……貴方様は、この光景を笑って見ておられるのでしょうか。
……それとも、『人間もなかなかやるではないか』と、少しは褒めてくださるのでしょうか……」
その問いに答える声はなかった。
ただ地下深くの空調の音だけが、低く響いているだけだった。