異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
世界が、固唾をのんで見守っていた。
ニューヨーク、ロンドン、パリ、そして東京。
主要都市の巨大スクリーンが、一斉に同じ映像を映し出している。
ホワイトハウスのローズガーデンに、並び立つ二人の男。
アメリカ合衆国大統領、ジェームズ・トンプソンと、日本国内閣総理大臣、宰善茂。
二つの超大国のリーダーが神妙な面持ちで並ぶその姿は、冷戦の終結や、歴史的な条約の調印式を思わせる荘厳さを帯びていた。
だが彼らが、これから語ろうとしているのは政治でも、経済でもない。
人類という種族が、初めて手にする生命の理(ことわり)への介入権についてだった。
「……親愛なる、世界市民の皆様」
トンプソン大統領が、重々しく口を開いた。
「……本日我々日米両政府は、人類の歴史における新たな一歩を、ここに宣言します。
……先日、アーサー・トンプソン元上院議員の命を救った、奇跡の治療法。
……『星見子の遺産』より解読された、古代の叡智。
……我々はこれを、『生体エネルギー感応式・組織再生術』……通称『魔法医療(マジック・メディスン)』と定義し、その技術を国際的に共有、管理するための新たな枠組みを設立いたしました」
フラッシュの嵐が、彼らの顔を白く染める。
宰善総理が、マイクを引き継いだ。
「……その組織の名は、『国際魔法医療機構(IMMO)』。
……本部は東京とワシントンに置かれます。
……この機構の目的は、ただ一つ。
……この、あまりにも強力で、そして未だ未知の部分が多い『魔法』という技術を、人類の幸福のために、正しく、安全に、そして公平に運用することです」
そして宰善は、核心に触れた。
「……この技術は、誰にでも扱えるものではありません。
……高度な医学的知識、強靭な精神力、そして先天的な適性。
……それら全てを兼ね備えた、選ばれし医師だけが、過酷な訓練の果てに習得できるものです。
……故に我々は、厳格な『ライセンス制度』を導入いたします」
スクリーンにIMMOのエンブレム――杖に絡みつく蛇と、それを包み込む光の輪のデザイン――が表示される。
「……『魔法医師(メディカル・メイジ)』。
……それが、このライセンスを持つ者の称号です。
……彼らはIMMOの厳格な管理下で、専用の制御デバイス『スマート・リミッター』を装着し、自らの生命を削りながら、患者の命を救う最前線に立ちます。
……これは特権ではありません。
……人類という種全体の生存を背負う、重すぎる責務なのです」
会見は淡々と、しかし力強く進められた。
魔法は万能ではないこと。
術者には限界があり、一度行使すれば長い休息が必要であること。
そして救える人数には限りがあること。
それらの「不都合な真実」も、包み隠さず公表された。
それはパニックを防ぐための予防線であり、同時に、これから始まる残酷なトリアージ(命の選別)に対する、為政者たちの精一杯の誠意でもあった。
◇
発表の翌日から、世界は一変した。
「魔法医師」という新たな英雄の誕生に、人々は熱狂し、そして縋った。
東京とワシントンに設置されたIMMOの窓口には、世界中から治療を願う嘆願書が、文字通り山のように積み上げられた。
末期癌の患者。
難病に苦しむ子供の親。
戦場で傷ついた兵士。
彼らの祈りは切実で、そしてその数は、あまりにも膨大だった。
その一方で、サイト・アスカの『セクター・グリモワール』では、地獄のような光景が繰り広げられていた。
「魔法医師育成プログラム」。
世界中から選抜されたトップレベルの医師たちが、魔法習得のために集められていたのだ。
「……集中しろ! 疑うな! イメージするんだ!」
指導教官である長谷川教授の怒号が飛ぶ。
広大な講堂で百名近い医師たちが座禅を組み、脂汗を流しながら瞑想している。
彼らは皆、自国では「神の手」と呼ばれるほどの名医たちだ。
だがここでは、彼らは無力な徒弟に過ぎない。
「……くそっ……! なぜだ……! なぜ光が出ない……!」
ドイツから来た脳外科の権威が、拳を床に叩きつける。
論理と理性で生きてきた彼らにとって、「信じることで現実を書き換える」という魔法のプロセスは、あまりにも高い壁だった。
「……先生、力を抜いてください」
その彼に声をかけたのは、日本人医師、御子柴だった。
彼の腕には銀色のブレスレット型リミッターが嵌められている。
彼は既に数多くの命を救ってきた、世界初の「魔法医師」の一人だ。
「……治したいという願い。それだけを純粋に保つのです。
医学知識は、あくまで魔法の通り道(パス)を作るための地図に過ぎません。
エンジンとなるのは、貴方の『意志』です」
御子柴のアドバイスを受け、ドイツ人医師は再び目を閉じた。
そして数時間後。
彼の指先に蛍火のような小さな光が灯った瞬間、講堂は歓声に包まれた。
「……できた……! できたぞ……!」
涙を流して喜ぶ老医師の姿。
それは科学の限界を超えた人類が、新たな希望の灯火を手に入れた瞬間だった。
だが習得は、あくまでスタートラインに過ぎない。
彼らを待っていたのは、過酷な現実だった。
魔力枯渇(マナ・バーン)。
魔法行使に伴う、魂が削り取られるような倦怠感と虚脱感。
訓練中の医師たちは次々と倒れ、医務室へと運ばれていく。
それでも彼らは点滴を受けながら、再び立ち上がり、訓練場へと戻っていく。
「……休んでいる暇はない」
「……私の帰りを待っている患者がいるんだ」
その壮絶な姿は、国境を超えた医師としての矜持そのものだった。
◇
そして実戦配備。
世界各地の拠点病院に、IMMO認定の魔法医師たちが派遣された。
彼らは「現代の聖人」として迎えられたが、その実態は聖人というよりは、「生きた医療機器」としての過酷な運用だった。
日本の拠点病院、東都大学医学部附属病院。
その特別治療室の前には、厳重な警備が敷かれていた。
治療を受けられるのは、IMMOの厳正な審査委員会によって選ばれた、ごく少数の患者のみ。
その選定基準は非公開だが、緊急性、社会への貢献度、そして年齢(若年層優先)などが考慮されていると言われている。
待合室の空気は重い。
自分の番号が呼ばれるのを待つ患者と家族たち。
だが今日、呼ばれるのはたったの三人だ。
残りの数百人は、また明日に希望を託して帰らなければならない。
「……番号402番、田中さん」
看護師の声が響く。
呼ばれたのは五歳の少女と、その母親だった。
少女は先天性の心疾患で、余命数ヶ月と宣告されていた。
母親は崩れ落ちそうになるのを必死で堪え、娘の手を引いて治療室へと入っていく。
周囲からは羨望と、そして諦めの混じった溜め息が漏れる。
だが誰も暴れたり、文句を言ったりはしない。
彼らは知っているのだ。
中の医師たちが命を削って魔法を使っていることを。
そしてそのリソースには、絶対的な限界があることを。
治療室の中。
御子柴は少女の胸に手をかざしていた。
彼の手首の『スマート・リミッター』が青く発光している。
魔力残量、正常。バイタル、安定。
「……さあ、由美ちゃん。少し温かくなるよ」
御子柴は優しく微笑むと、詠唱を開始した。
「――再構築(リビルド)。……循環器系、正常化」
淡い緑色の光が溢れ出す。
少女の蒼白だった頬に、瞬く間に血色が戻っていく。
不規則だった心音は、力強いリズムへと変わる。
数分後。
光が収まった時、そこには完全に健康な心臓を持つ少女がいた。
「……ママ、苦しくないよ」
少女の言葉に母親は泣き崩れた。
御子柴は、ふらつく足で壁に手をついた。
リミッターの色が黄色(警告)へと変わる。
強烈な目眩と吐き気が、彼を襲う。
「……先生、大丈夫ですか!?」
「……ああ、問題ない。……次の患者を」
彼は栄養剤を流し込みながら言った。
これが魔法医師の日常だ。
彼らは神ではない。
ただの、少し特殊な技術を持った、疲れ切った人間なのだ。
◇
官邸地下作戦司令室。
宰善総理と綾小路官房長官は、日々の治療報告書に目を通していた。
数字の上では順調だった。
魔法医師の数は日米合わせて百名を超え、治療実績は数千件に達しようとしている。
だがそれでも。
待機リストの患者数は減るどころか、増え続けていた。
「……焼け石に水ですな」
綾小路が苦い顔でコーヒーを啜った。
「……どれだけ医師を増やしても、需要には追いつかない。
……選ばれなかった者たちの不満は、澱のように溜まっていく一方です。
……ネット上では『上級国民だけが助かるシステムだ』という批判も根強い」
「……分かっている」
宰善は重々しく頷いた。
「……だが、それでも。
……ゼロではないのだよ、綾小路君」
彼は一枚の写真を取り上げた。
それは先ほどの少女、田中由美ちゃんが退院の日に、病院の玄関でピースサインをしている写真だった。
その笑顔は、太陽のように輝いている。
「……この子の命は、魔法がなければ失われていた。
……我々の苦渋の決断が、この笑顔を守ったのだ。
……それだけでも我々が地獄に落ちる価値はあると思わんか?」
「……フン。総理もロマンチストですな」
綾小路は皮肉っぽく笑ったが、その目元は少しだけ緩んでいた。
その時、橘紗英が入室してきた。
彼女の手には、タブレット端末が握られている。
「……総理。
……世論調査の最新データが出ました。
……それと、アメリカ大使館前で行われているデモの映像も」
「……デモか。また抗議集会かね?」
「……いえ」
橘は珍しく柔らかな表情で、首を横に振った。
「……感謝の集会です」
彼女がモニターに映像を映し出す。
そこには夜のアメリカ大使館前、そして日本の厚生労働省前で、数千人の人々がキャンドルを手に集まっている光景が映し出されていた。
彼らは怒号を上げているわけでも、プラカードを振り回しているわけでもない。
ただ静かにキャンドルの火を見つめ、祈りを捧げている。
その中には治療を受けて回復した患者たち、そして治療が間に合わず家族を亡くした遺族たちの姿もあった。
一人の女性がマイクを握ってスピーチをしていた。
彼女は先日亡くなった夫の遺影を抱いていた。
「……私の夫は、選ばれませんでした。
……魔法の順番を待っている間に、息を引き取りました」
群衆が静まり返る。
批判が来るかと、誰もが身構えた。
だが彼女は続けた。
「……でも私は感謝しています。
……夫は最期まで希望を持っていました。
……『もしかしたら治るかもしれない』。その希望が、彼の最期の日々をどれほど輝かせてくれたか。
……そして隣のベッドの若い方が魔法で治って退院していくのを見て、夫は言いました。
『良かった。未来がある人が助かって本当に良かった』と」
彼女は涙を拭った。
「……魔法医師の先生方、政府の方々。
……どうか自分を責めないでください。
……あなた方が戦っていることを、私たちは知っています。
……先生方が倒れるまで治療を続けてくれていることを、私たちは知っています。
……全ての命を救えなくても、救われた命があるという事実が、私たちに、残された者にとっても希望なのです。
……どうかこれからも。
……一人でも多くの命を、その手で掴み取ってください」
会場から、静かな、しかし温かい拍手が巻き起こった。
キャンドルの光が、夜の闇を優しく照らし出していた。
「………………」
司令室は沈黙に包まれた。
宰善総理は眼鏡を外し、目頭を押さえた。
綾小路は扇子で顔を隠し、天井を仰いだ。
橘はモニターを見つめたまま、微動だにしない。
「……民衆は、我々が思うよりも、ずっと賢く、そして強いな」
宰善が震える声で呟いた。
「……我々は批判を恐れ、責任を回避することばかり考えていた。
……だが彼らは見ていてくれたのだな。
……我々の無様な、しかし必死な足掻きを」
「……ええ」
綾小路が静かに言った。
「……救えなかった命への罪悪感は消えません。
……ですが、その罪を背負ってでも進む勇気を、彼らから与えられた気がします」
彼らは救われたのだ。
神の奇跡によってではなく、名もなき民衆の寛容と感謝の心によって。
この日を境に、IMMOの活動はさらに加速した。
日米だけでなく欧州やアジアからも優秀な医師を受け入れ、魔法医師の育成プログラムを拡大。
さらに魔法を使えない一般の医師たちによるサポート体制も強化された。
「魔法は最後の切り札。まずは既存の医療で全力を尽くす」というトリアージの原則が徹底され、医療全体の質の底上げが行われた。
そして現場の医師たちにも変化が起きた。
リミッターの警告音が鳴るギリギリまで、いや時にはそれを超えて治療を続けようとする医師たちを、患者や家族が止めるようになったのだ。
「先生、もう休んでください」
「私の番は明日でいい。だから先生は倒れないで」
互いに労り合い、限られたリソースを分かち合おうとする、新たな倫理観が生まれつつあった。
神の不在の世界で、人間たちはもがき、苦しみながらも、自らの足で歩もうとしていた。
完璧ではない。
残酷な選別は続き、救われない命は消えていく。
だがそこには確かに「希望」があった。
宰善総理はデスクの引き出しから、一枚の書きかけの書を取り出した。
そこには、かつて賢者の言葉を受けて記した国家目標が書かれていた。
『その御心に値する希望を咲かせる存在であれ』
彼はその横に、新たな一文を書き加えた。
『――共に泣き、共に笑い、共に生きる国であれ』
彼は筆を置き、窓の外に広がる東京の夜景を見つめた。
その光の一つ一つに、懸命に生きる人々の営みがある。
神の奇跡がなくとも、その光は十分に美しかった。