異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
東京永田町。
日本の頭脳と権力が集結する総理大臣官邸の地下深く、プロジェクト・キマイラ作戦司令室。
この場所は、過去数年にわたり、人類史を覆すような衝撃的な報告と、それに対応するための瀬戸際の決断が繰り返されてきた「最前線」である。
しかし今日、この部屋を支配していた空気は、いつもの張り詰めた緊張感とは少し異なっていた。
それは、長く暗いトンネルの中で、ようやく出口の光を見出した登山隊のような、安堵と希望が入り混じった空気だった。
円卓を囲むのは、宰善茂総理大臣、橘紗英理事官、綾小路俊輔官房長官。
そして、厚生労働省の事務次官と、医療チーム代表の御子柴医師、科学班の長谷川教授といった面々だ。
彼らの視線は、中央のモニターに映し出された一枚の「布」の画像に注がれていた。
エメラルドグリーンの美しい絹地に、銀糸で複雑な幾何学模様が刺繍された布。
異世界『ネオ・ジャパン』のアマテラス・ベースから緊急輸送されてきた、エルフ族の叡智の結晶である。
「……なるほど。これが『魔力集積の布』ですか」
宰善総理が、感嘆のため息とともに呟いた。
「……報告によれば、この布の上に座っているだけで、大気中のマナを効率よく体内に取り込み、消耗した魔力を急速に回復させることができるとか」
「はい、総理」
橘紗英が、手元のタブレットを操作しながら報告する。
「……現地での検証データ、およびサイト・アスカに持ち込まれた実物を使った予備実験の結果、その効果は疑いようもありません。
従来、魔力枯渇(ガス欠)状態からの自然回復には約一ヶ月を要していましたが、この布を併用することで、その期間を数日……被験者の適性によっては、三日程度まで短縮できることが確認されました」
「……三日か」
宰善の声が弾む。
一ヶ月と三日。
その差は、医療現場においては「絶望」と「希望」ほどの開きがある。
「……これならば、医師たちの回転率を劇的に上げることができます。
過労で倒れる医師を減らし、より多くの患者を救うことができる……。
まさに我々が待ち望んでいた『恵みの雨』ですな」
「……ええ。ですが、そのまま配るわけにはいきません」
綾小路官房長官が、扇子をパチリと鳴らした。
彼の蛇のような瞳は、既にこのアイテムを「政治的」にどう利用するかを計算し尽くしている。
「……賢者様や異世界のエルフから貰った、などと言えば、また余計な騒ぎになります。
……ここは一つ、いつもの手順(ルーチン)で処理しましょう」
「……『星見子の遺産』ですね?」
「……御意。
……『奈良の地下神殿の未解析区画から、古代の医療用寝具が発見された』。
……『解析の結果、生体エネルギーを活性化させ、術者の回復を促す機能があることが判明した』。
……そのようなストーリーで、新たに発見されたアーティファクトとして発表し、配備を進めてください」
「……承知いたしました」
橘が頷く。
既に彼らにとって、神話を捏造することは、呼吸をするのと同じくらい自然な業務となっていた。
「……そして、アメリカへの共有も進めてください」
宰善が付け加えた。
「……国際魔法医療機構(IMMO)を通じて、この布……いや、『ホシミコの癒やしの衣』を、アメリカ側の魔法医師たちにも提供するのだ。
……彼らもまた魔力不足に苦しんでいる同志だ。
……これを渡せば、彼らの日本に対する信頼……そして依存度は、より一層強固なものになるだろう」
「……ふふふ、さすがは総理。
……恩は売れる時に売っておくものですな」
綾小路がニヤリと笑う。
これで、魔法医療におけるボトルネックの一つは解消された。
医師たちは、より安全に、より高頻度で魔法を行使できるようになるだろう。
「……これで、医者の魔力不足の問題は解決できますね」
厚労省の次官が、安堵の表情で言った。
だが、その言葉に対し、御子柴医師は静かに首を横に振った。
「……かね?」
彼の問いかけに、室内の空気が再び引き締まる。
「……確かに、この布は素晴らしい発明です。
……ですが、それで全てが解決するわけではありません。
……根本的な問題……すなわち『需要と供給の圧倒的な不均衡』は、依然として残ったままです」
御子柴は、自身の腕に嵌められた『スマート・リミッター』を撫でた。
「……いくら回復が早まっても、魔法医師の数は限られています。
……対して、救いを求める患者の数は、数千万人、数億人……。
……魔法だけで全ての病を癒やすことなど、物理的に不可能です。
……我々が魔法を使えるようになったからといって、医療全体が魔法に依存してしまっては、待っているのは破綻だけです」
「……その通りだ」
宰善総理が重々しく頷いた。
「……魔法は、あくまで『最後の切り札』。
……日常的な医療、あるいは魔法を使わずとも治せる病については、別のアプローチが必要だ。
……そうだな、長谷川君?」
「……はい、総理!」
話を振られた長谷川教授が、待っていましたとばかりに立ち上がった。
彼の手には、分厚いファイルが握られている。
「……我々科学班は、魔法(因果律改変)の研究と並行して、もう一つの重要なプロジェクトを進めておりました。
……それは『異世界資源の医学的応用』による、地道な、しかし確実な『医療改革』です!」
「……医療改革ですか?」
厚労省の次官が聞き返す。
「……ええ。
……我々は、賢者様が持ち帰られたサンプル、そしてアマテラス・ベースの調査隊が現地で採取した膨大な動植物や鉱物のデータを解析してきました。
……その中には、魔法を使わずとも、現代医学では治療困難な病状を改善しうる、驚くべき『薬効』を持った素材が多数含まれているのです!」
長谷川はスクリーンを切り替えた。
そこには、見たこともない形状の植物や、淡く光る石の画像が次々と表示された。
「……例えば、これをご覧ください」
彼が指し示したのは、紫色の葉を持つ、一見するとただの雑草のような植物だった。
「……これは、異世界のエルフの森周辺に自生している『紫煙草(しえんそう)』の一種です。
……現地では長老たちが記憶力を保つために、茶として飲用しているものですが……。
……成分分析の結果、この草に含まれる特殊なアルカロイドが、脳内のアミロイドベータの蓄積を阻害し、さらに損傷した神経伝達回路を修復する作用を持つことが判明しました」
「……アミロイドベータ……神経回路の修復……」
御子柴が目を見開く。
「……まさか、それは……」
「……はい。
……アルツハイマー型認知症、およびその他の認知機能障害に対して、劇的な改善効果が見込めます」
室内がどよめいた。
認知症。
それは、超高齢化社会を迎えた日本にとって、癌と並ぶ最大の社会的課題であり、多くの家族を苦しめている現代の病魔だ。
これまでの薬は進行を遅らせるのが精一杯で、根本的な治療法は確立されていなかった。
「……動物実験、およびごく少数の臨床試験では、既に有意なデータが出ています。
……煎じて飲む、あるいは成分を抽出して錠剤化することで、進行を止めるどころか、失われた認知機能を取り戻す傾向さえ見られました。
……これは魔法のように『一瞬で治る』わけではありません。
……数ヶ月、数年と飲み続ける必要があります。
……ですが、魔法使いの手を借りずとも、薬として大量生産し、全国の薬局で処方することが可能なのです!」
「……おお……!」
宰善総理が身を乗り出した。
「……それは魔法以上の福音かもしれん……。
……認知症が薬で治るとなれば、介護問題、医療費問題、労働力不足……我が国の抱える多くの社会問題が、一気に解決に向かうぞ!」
「……それだけではありません」
長谷川は自信満々に次のスライドを表示した。
そこには、あのアマテラス・ベースのダンジョンや新大陸の鉱脈から大量に採掘されている『魔石』の画像があった。
「……次はこれです。
……『鑑定スクロール』によって『C級魔石』と鑑定される、比較的小型で純度の低い魔石です」
「……C級?
……F級が熱や光を出す燃料用でしたな。C級とは?」
「……はい。
……賢者様の鑑定によれば、このC級魔石は『清浄化』と『活性化』の特性を持っています。
……エネルギー源としては不安定で使いにくいのですが、これを特殊な溶液に浸し、魔力を水溶液へと転写する製法を確立しました」
画面には、青く透き通った液体の入った目薬の容器が映し出された。
「……名付けて『魔石点眼液(マジック・ドロップ)』。
……この目薬を一日一回点眼することで、眼球の水晶体や網膜の細胞が活性化し、その機能を最適化します」
「……最適化とは?」
「……具体的には、視力の回復です。
……近視、乱視、老眼。
……これらが、約一ヶ月の継続使用で劇的に改善します。
……眼鏡やコンタクトレンズが不要になるレベルまで、視力が戻るのです」
「……なっ!?」
眼鏡をかけていた綾小路が、思わず自分の眼鏡に手をやった。
「……視力が戻る……?」
「……はい。
……さらに驚くべきことに、初期の白内障や緑内障に対しても、進行を停止させ、あるいは濁りを薄くする効果が確認されています。
……失明の危機にある多くの人々を、手術なしで救える可能性があるのです!」
「……なんと……」
御子柴が絶句する。
「……目の病気は、QOL(生活の質)に直結します。
……それらが、ただの目薬で治るとなれば……」
「……ええ。
……現代人は目を酷使しています。
……この目薬の需要は計り知れません。
……しかも原料となるC級魔石は、向こうの世界では『ありふれた石』として大量に採掘可能です。
……コストも安く、国民全員に行き渡らせることも夢ではありません」
長谷川は次々と、新たな「医療改革」の種を提示していった。
獣人の集落で手に入れた『竜の骨の粉末』は、骨粗鬆症を完治させ、折れた骨を鋼鉄のように強くするサプリメントに。
新大陸のジャングルで発見された『痺れ花』の蜜は、副作用のない最強の麻酔薬・鎮痛剤に。
エルフの森の『聖水』は、アトピー性皮膚炎や火傷の痕を綺麗に消し去るスキンケアローションに。
それらは、魔法使い(ドクター・メイジ)の力を必要としない。
工場で生産し、薬局で販売し、誰もが手軽に利用できる「製品」だった。
「……素晴らしい」
宰善総理は深く感嘆した。
「……これこそが真の『医療改革』だ。
……万能回復魔法は、確かに奇跡だ。だが、それはあまりにも特別すぎて、日常を支える土台にはなり得ない。
……対して、これらの薬草や魔石製品は地味だが、確実に国民一人一人の生活を底上げする」
「……はい」
御子柴が医師としての顔で頷いた。
「……魔法に頼り切るのではなく、こうした地道な発見と応用を積み重ねていくこと。
……それこそが、人類がこの『異世界』という未知の領域と向き合う正しい姿勢なのかもしれません。
……魔法は救急救命や難手術のための『切り札』として温存し、日常的な疾患や慢性病は、これらの新薬で対応する。
……そうやって役割分担ができれば、医療崩壊も防げるでしょう」
「……よし」
宰善は決断した。
「……進めよう。
……この『異世界医療開発プロジェクト』を国家戦略特区の最優先事項に指定する。
……製薬会社、大学、そしてアマテラス・ベースの調査隊を総動員して、一日も早い実用化を目指すのだ」
彼は未来を見据えて言った。
「……そうだな。
……治せる物を地道に見つけていく必要があるな……。
……魔法使いが倒れなくても済む世界を、我々の科学と努力で作るのだ」
「……御意!」
司令室の空気は熱を帯びていた。
それは、神に縋るだけの無力感ではない。
自らの手で未来を切り拓こうとする、人間の知恵と意志の熱気だった。
綾小路が手元の資料に目を落としながら呟く。
「……ふむ。
……認知症が治るお茶に、目が良くなる目薬、骨が強くなる粉末か。
……これらが市場に出れば、我が国の高齢者はますます元気になりますな。
……『人生百年時代』どころか、『生涯現役時代』が到来しそうです」
「……年金制度の設計を見直さねばなりませんね」
厚労省の次官が青い顔をするが、その口元は笑っていた。
元気な高齢者が増えることは、国にとって喜ばしい悩みだ。
「……それに、これらは輸出もできます」
橘が冷徹に、しかし明るい展望を語る。
「……魔法の技術供与は政治的なリスクが高いですが、これら『医薬品』や『健康食品』としての輸出なら、ハードルは低い。
……世界中の人々が、日本のドラッグストアに殺到することになるでしょう。
……経済効果は計り知れません」
「……全くだ。
……賢者様は『商売』と言っておられたが、我々も負けてはいられんな」
宰善総理は笑った。
こうして日本は、新たなステージへと進み出した。
神の奇跡(魔法)と、人の知恵(科学)。
その二つを両輪として、世界をより良く、より健康にするための壮大な実験が加速していく。
アマテラス・ベースでは今日も、学者たちが目を皿のようにして、新種の草花や鉱石を探し回っていることだろう。
彼らが拾い上げる何気ない石ころや雑草が、明日の誰かの命を救うかもしれないのだ。
それは、派手な魔法の光よりも、もっと暖かく、もっと確かな希望の光だった。