異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第152話

 季節は、梅雨に差し掛かろうとしていた。

 異世界『ネオ・ジャパン』の気候は、日本のそれとよく似ているが、海流の関係か、この時期の港町ポルト・リーゼは、視界を遮るほどの濃霧に包まれることが多かった。

 

 エルフのリナから提供された『魔力集積の布』――日本名『アマテラス・マット』の導入により、日本の医療現場における魔力枯渇問題は、最悪の危機を脱しつつあった。

 医師たちは休憩時間に、この布の上で仮眠を取ることで、従来の数倍の速度で魔力を回復させることができるようになったからだ。

 だがそれは、あくまで「対症療法」に過ぎない。

 根本的な解決策――すなわち、魔力の総量そのものを増やすか、外部エネルギーを安全に取り込む技術の確立は、依然として遠い目標のままであった。

 

 そんな、ある日の早朝。

 乳白色の霧が立ち込めるポルト・リーゼの沖合に、一つの「影」が現れた。

 

 ◇

 

「……おい、なんだありゃ?」

 

 早朝の漁に出ようとしていた漁師が、霧の向こうを指差して声を上げた。

 港の警備兵が目を凝らす。

 霧の彼方から、音もなく滑り込んできたのは、一隻の巨大な船だった。

 

 だが、見慣れたアステリア王国の商船でもなければ、日本の金属製の船でもない。

 船体は、黒く変色した古木と、真鍮のような鈍い光を放つ金属が複雑に融合して形作られており、マストにはボロボロになった帆が力なく垂れ下がっている。

 船の側面には、血管のように脈打つ紫色のラインが走っており、不気味な微光を放っていた。

 

 船旗はない。

 人の気配もない。

 ただ、波を切る音だけを響かせて、その幽霊船はゆっくりと、まるで何かに引き寄せられるように桟橋へと近づいてきた。

 

「……緊急事態だ! 日本軍(自衛隊)を呼べ!」

「……あの船の形……まさか、西の『魔導王国』の船か……?」

 

 港は騒然となった。

 

 ◇

 

 アマテラス・ベースから緊急展開した陸上自衛隊・特殊作戦群の分隊と、郷田陸将補、そして防護服に身を包んだ医療班(御子柴医師ら)が現場に到着していた。

 

 船は、港の端にある隔離桟橋に接岸していた。

 近くで見ると、その異様さは際立っていた。

 船体からは、腐敗臭とは違うオゾン臭に似た刺激臭と、甘ったるい香料のような匂いが混じり合って漂ってくる。

 

「……ガイガーカウンター反応なし。

 ……ただし、魔素測定器(マナ・カウンター)の数値が異常です。

 ……通常の自然界の数十倍の濃度を示しています」

 

 防護マスク越しの隊員の報告に、郷田は眉をひそめた。

 

「……放射能汚染ではなく、魔力汚染か。

 ……やはり、タダの漂流船じゃなさそうだな」

 

 隣に立つ東郷交渉官が、双眼鏡を降ろした。

 

「……船体の意匠、間違いありません。

 ……ヴォルフガング殿に見せた資料と一致します。

 西の大国『魔導王国(ソル・アルカディア)』の様式です。

 ……しかし、なぜこんな所に? しかも無人で?」

 

「……中に入ってみるしかあるまい。

 ……生存者がいる可能性もゼロではない。

 ……総員、レベルB防護態勢。突入する」

 

 郷田の合図で、完全武装の隊員たちがタラップを駆け上がった。

 

 ◇

 

 船内は、死の世界だった。

 

 甲板には争った形跡はなかった。

 だが至る所に、「人らしきもの」が転がっていた。

 

「……うわっ……」

 

 先頭を行く隊員が、足元の物体にライトを当てて息を呑む。

 それはミイラだった。

 着ている衣服は、魔導王国のものと思われるローブや革鎧。

 だがその肉体は完全に水分を失い、皮膚が骨に張り付くほどに干からびていた。

 まるで数百年も砂漠に放置されていたかのように。

 

「……死後数週間といったところか?

 ……いや、保存状態が異常だ」

 

 検死のために同行した御子柴医師が、ミイラの手首を掴んだ。

 カサカサ、という乾いた音がする。

 

「……外傷なし。出血の痕跡もなし。

 ……餓死や病死の特徴とも違う。

 ……まるで、体内の水分と『何か』を一瞬で吸い取られたような……」

 

 御子柴は、ミイラの胸元に何かが埋め込まれていた痕跡を見つけた。

 皮膚が裂け、その奥に空洞がある。

 

「……魔石だ。

 ……心臓の近くに魔石を埋め込んでいた跡がある。

 ……だが中身の石は砕け散って、粉になっている……」

 

「……魔石埋め込み手術ですか。

 ……ヴォルフガング殿が言っていた、魔導王国の『技術』の成れの果てか」

 

 郷田は懐中電灯の光を奥へと向けた。

 船内は迷宮のように入り組んでいた。

 壁にはパイプが張り巡らされ、その中を紫色の液体が循環している。

 スチームパンクとバイオハザードを掛け合わせたような、生理的嫌悪感を催す内装だった。

 

「……隊長。機関室と思われる区画を発見。

 ……そこに、おぞましいものがあります」

 

 先行偵察隊からの無線が入る。

 郷田たちは、船の心臓部へと向かった。

 

 ◇

 

 機関室の扉を開けた瞬間、強烈な魔力の奔流が彼らを襲った。

 空間が歪んで見えるほどの高濃度マナ。

 その中心に鎮座していたのは、巨大な水晶の塊だった。

 

 高さ三メートルほどの六角柱のクリスタル。

 だがその色は、美しさとは程遠いドス黒く濁った赤紫色をしていた。

 クリスタルには無数のパイプやチューブが接続されており、それらは船内の各部屋――おそらく船員たちの居室へと繋がっているようだった。

 

「……なんだこれは」

 

 長谷川教授が震える手でタブレットを操作し、解析を試みる。

 

「……これは、エンジンであり、同時に『捕食装置』です……」

 

「……捕食?」

 

「……このクリスタルは、燃料である魔石だけじゃなく……。

 ……接続されたパイプを通じて、船員たちの『生体エネルギー(オド)』を強制的に吸い上げ、推進力としての魔力に変換するシステムになっています……!

 ……見てください、この構造。

 ……非常時には乗組員を『予備燃料』として消費するように設計されている……!」

 

「……なっ……!?」

 

 郷田が絶句する。

 御子柴が吐き気を堪えるように口元を押さえた。

 

「……つまり、甲板にいたあのミイラたちは……。

 ……この船を動かすために、生命力を吸い尽くされた結果だと言うのですか……?」

 

「……おそらく。

 ……何らかのトラブルで漂流し、燃料の魔石が尽きた。

 ……そこで自動システムが作動し、あるいは船長が意図的にスイッチを入れ、乗組員全員の命をエネルギーに変換して、ここまで辿り着いた……」

 

 それは技術と呼ぶには、あまりにも冒涜的なシステムだった。

 人間をパーツとしか見なさない極限の効率主義。

 魔導王国の「闇」の一端が、そこに具現化していた。

 

「……なんて連中だ。

 ……こんなものを『技術』と呼んで誇っているのか」

 

 東郷が怒りを滲ませて呟く。

 エルフのリナが「危険だ」と警告した意味が、骨身に染みて理解できた。

 彼らの魔石技術は、人間性を代償にしているのだ。

 

「……隊長!

 船長室にて厳重に封印された『積荷』を発見しました!

 ……どうやら、彼らはこれを運ぶために命を使い潰したようです」

 

 部下からの報告。

 郷田たちは船長室へと急いだ。

 

 ◇

 

 船長室のデスクの上には、乾いたインクで走り書きされた日誌が残されていた。

 言語班が即座に翻訳を試みる。

 

『……我々は……「禁忌の遺物」の回収に成功した……』

『……これは……古代文明の……魔力制御ユニット……』

『……追手から逃げるため……「強制循環モード」を起動する……』

『……部下たちが次々と倒れていく……だが、この箱だけは……本国へ……』

『……だめだ……意識が……陛下……万歳……』

 

 日記は、そこで途切れていた。

 そして、その傍らには鎖で幾重にも巻かれた、重厚な金属製の箱が置かれていた。

 表面には『最高機密』を示すと思われる紋章が刻印されている。

 

「……これが、彼らが命と引き換えにしてでも守りたかったものか」

 

 郷田は慎重に箱に近づいた。

 危険物処理班がスキャンを行う。

 爆発物反応なし。毒物反応なし。

 ただし内部から、極めて純粋で整然とした魔力波長が検出された。

 

「……開けます」

 

 専用の工具で鎖を切断し、蓋を開ける。

 プシュウゥゥ……という気圧調整の音がして、中から冷気が漏れ出した。

 

 緩衝材の中に収まっていたのは、握り拳ほどの大きさの黒い多面体だった。

 素材は不明。石のようでもあり、金属のようでもある。

 その表面には微細な金色のラインが回路のように走り、呼吸するように明滅していた。

 

「……綺麗だ……」

 

 誰かが、思わず呟いた。

 先ほどの機関室のおぞましさとは対照的な、数学的で冷徹な美しさを持つ物体。

 

「……長谷川教授、これは?」

 

「……分かりません。ですが……」

 

 長谷川は魅入られたように、その多面体を観察した。

 

「……これは、あの機関室のような野蛮な装置とはレベルが違います。

 ……魔力の流れを完璧に制御し、増幅し、そして安定化させている……。

 ……おそらく、魔導王国が発掘した『古代文明(ロストテクノロジー)』の遺産……。

 ……いわば、魔力の『CPU』、あるいは『制御チップ』のようなものでしょう」

 

「……制御チップ……」

 

「……ええ。

 ……あの吸血エンジンのような暴走を防ぎ、外部からの魔力を安全に変換・供給するためのキーパーツ……。

 ……もし、これを解析できれば……」

 

 長谷川の目に、科学者としての熱狂が宿る。

 

「……我々が求めている『安全な魔力供給システム』……。

 ……医師たちのリミッターを外すための、最後のピースが手に入るかもしれません」

 

 それは、悪魔の船から持ち帰った天使の贈り物か、あるいはパンドラの箱か。

 

「……回収だ」

 

 郷田が決断した。

 

「……この船と遺体は、丁重に弔った後、徹底的に調査する。

 ……そして、この遺物は最重要機密としてサイト・アスカへ移送。

 ……魔導王国が血眼になって探している代物だ。

 我々が確保したことは、絶対に漏らすな」

 

「……了解!」

 

 ◇

 

 数日後。

 アマテラス・ベースの隔離ドックに曳航された幽霊船『ナイトメア・オブ・ソル(仮称)』の調査は続いていた。

 御子柴医師による検死報告書は、日本政府の上層部を震撼させた。

 

 報告書には、こう記されていた。

『被験者たちの体内には、後天的に埋め込まれた魔石と神経系を接続する癒着痕が確認された。

 これにより彼らは常人には不可能な魔力行使を可能としていたが、代償として慢性的な激痛と精神汚染に晒されていたと推測される。

 さらに彼らのDNAは魔石からの侵食により変異を起こしており、もはや純粋な人間(ホモ・サピエンス)とは呼べない状態に変質していた』

 

「……ひどい話だ」

 

 報告書を読んだ宰善総理は、深く溜息をついた。

 

「……これが魔法文明の行き着く先か。

 ……人を辞めてまで力を求めるか」

 

「……ええ。

 彼らにとって、魔力を持たぬ人間は改造の素体でしかないのでしょう」

 

 綾小路官房長官は、冷たく言い放った。

 

「……我々が彼らと手を組めば、いずれ国民をこのような実験台に要求される日が来るかもしれない。

 ……ヴォルフガング殿の懸念通り、彼らとは相容れない部分が多すぎますな」

 

「……だが、技術そのものに罪はない」

 

 橘紗英が、回収された『黒い多面体(アーティファクト)』の解析データを提示した。

 

「……長谷川教授のチームが、この遺物の初期解析に成功しました。

 ……これは『マナ・レギュレーター(魔力調整器)』。

 ……周囲の魔力や魔石のエネルギーを吸い上げ、人体に無害な波長に変換して供給する、超高度なフィルター装置です。

 ……魔導王国はこれを組み込んだ新型エンジン、あるいは『王族専用の魔力供給システム』を作ろうとしていたようです」

 

「……ほう。人体に無害な波長に変換か」

 

「……はい。

 ……これをリバースエンジニアリングし、我々の科学技術で再現できれば……。

 ……エルフの布よりも高効率で、かつ魔導王国の非人道的な手術を必要としない『人工魔力供給デバイス』が完成する可能性があります」

 

「……毒を食らわば皿までか」

 

 宰善は苦笑した。

 

「……幽霊船が運んできたのは、呪いではなく我々への試練だったわけだ。

 ……よろしい。

 ……この遺物の解析を最優先に進めよ。

 ……ただし、決して魔導王国の轍(てつ)は踏むな。

 ……人の道を外れてまで魔法を手に入れる必要はない」

 

「……御意」

 

 ◇

 

 一方、魔導王国ソル・アルカディアの王宮深奥。

 水晶の玉座に座る影が、苛立ちを露わにしていた。

 

「……『黒き箱』を積んだ輸送船の反応が消えただと?」

 

「……はっ。東の海域にて信号が途絶えました。

 ……嵐に遭遇したか、あるいは……」

 

「……東だと?

 ……そこには最近、力をつけてきたという『異界の蛮族』どもの拠点があるはずだな」

 

 影は指先で玉座の肘掛けを叩いた。

 カツカツ、という音が冷たい広間に響く。

 

「……あの箱は、我が国の『次世代魔導計画』の要(かなめ)。

 ……失うわけにはいかぬ。

 ……もし蛮族どもがそれを手に入れたのなら……」

 

 影の目が妖しく光った。

 

「……奪い返せ。

 ……そして、神聖なる古代の叡智に触れた罰として、彼らの国ごと消滅させてくれるわ」

 

 海流に乗って届いた「禁忌の積荷」。

 それは日本に、新たな技術への扉を開かせると同時に、最悪の敵の目を決定的にこちらへと向けさせる狼煙となってしまった。

 

 霧の晴れたポルト・リーゼの港で、郷田陸将補は海を見つめていた。

 回収された幽霊船は、防疫上の理由から焼却処分されることになった。

 燃え上がる黒い船体を見ながら、彼は予感していた。

 

「……来るな。

 ……次は死体ではなく、生きた軍隊が」

 

 彼は無線機のスイッチを入れた。

 

「……こちら郷田。

 ……対空・対艦レーダーの出力を最大に上げろ。

 ……警戒レベルを引き上げる。

 ……『西』からの風が強くなるぞ」

 

 日本の異世界開拓史において、一つのターニングポイントとなる事件。

『ポルト・リーゼ幽霊船事件』は、こうして静かに、しかし不気味な余韻を残して幕を閉じた。

 科学と魔法、人道と非道。

 その対立軸が明確になった今、衝突の時は刻一刻と迫っていた。

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