異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
茨城県、筑波研究学園都市地下深く。
プロジェクト・プロメテウスの中枢サイト・アスカの特別解析室は、針が落ちる音さえ聞こえそうなほどの、張り詰めた緊張感に包まれていた。
分厚い鉛と、呪術的な結界が施された防護ガラスの向こう側。
隔離チャンバーの中央に鎮座しているのは、先日、ポルト・リーゼ沖の幽霊船から回収された『黒い多面体』だ。
一辺が一メートルほどの正多面体。
その表面は、光を吸い込むような漆黒の未知の金属で覆われ、時折、血管のように走る紫色のラインが、不気味な明滅を繰り返している。
長谷川健吾教授は、額に滲む脂汗を拭おうともせず、手元のモニターと、ガラスの向こうの物体を交互に見つめていた。
彼の背後には、内閣情報調査室の橘紗英、そして政府を代表して東郷交渉官が、息を殺して控えている。
「……物理的な解析は限界です」
長谷川の声は、疲労と焦燥でかすれていた。
「X線、超音波、魔力共鳴スキャン……あらゆる手段を講じましたが、内部構造はブラックボックスのままです。
ただ一つ確かなのは、この内部に、とてつもない高密度のエネルギーが圧縮されているということだけ。
……下手に物理的に解体しようとすれば、筑波山ごと消し飛びかねない」
橘は冷徹な目で、黒い箱を見据えた。
「……科学の手には負えない、ということですね」
「悔しいですが、認めざるを得ません。
これは我々の知る物理法則とは異なる、理(ことわり)で作られています。
魔導王国……いえ、それ以上の何らかの超技術の産物でしょう」
長谷川は悔しげに唇を噛んだ。
「……ならば、切り札を使うしかありません」
橘は傍らに控えていた特殊部隊の隊員に、合図を送った。
隊員が恭しく捧げ持ってきたのは、古びた羊皮紙の巻物。
賢者・猫から賜りし、人類には過ぎたる知の道具。
『無限鑑定スクロール』である。
「……お願いします、教授」
「はい。……では」
長谷川は科学者としてのプライドを、一旦白衣のポケットにねじ込み、震える手でその巻物を受け取った。
彼は隔離チャンバーのマニピュレーターを操作し、遠隔でスクロールを黒い多面体の上にかざした。
そしてマイクに向かって、祈るような声で唱えた。
「――――鑑定(アナライズ)」
その瞬間。
チャンバー内が、ドス黒い赤紫色の閃光に染め上げられた。
これまでの『水』や『魔石』の鑑定の時のような、神聖で美しい光ではない。
それは見る者の精神を直接削り取るような、禍々しく、そしてどこまでも重苦しい怨念の光だった。
警報音が鳴り響き、モニターの数値が乱高下する中、長谷川の脳内に、そして解析室のメインスクリーンに、
その絶対的な「真実」が文字となって浮かび上がった。
【鑑定結果】
【名称】: 神星封印柩(しんせいふういんきゅう)・第零号『虚空の檻(ヴォイド・ケージ)』
【レアリティ】: カタストロフ(災害級)/禁忌指定アーティファクト
【製造元】: 超古代魔法文明メザドベア・魔導研究所(※現存せず。自滅により滅亡)
【効果テキスト】:
[機能:神性捕縛]
高次元領域より飛来した『神星存在(デウス・アストロ・ビーイング)』を、物理的・霊的次元の狭間に強制的に固定し、封印する絶対結界生成装置。
[機能:エネルギー濾過・強制搾取]
封印した神星存在の魂を永劫にわたって砕き、混ぜ、濾過することで、純粋な魔力エネルギーへと変換し、外部へと供給する。
「神を燃料として燃やす炉」。それがこの装置の本質である。
出力は理論上無限大だが、炉心となる神星存在の精神崩壊に伴い、出力されるエネルギーは年々汚染され、呪いを帯びるようになる。
[状態:臨界点突破(クリティカル・ブレイク)]
数千年にわたる過剰稼働、およびメンテナンスの欠如により、封印機構は既に物理的限界を迎えている。
内部の神星存在は、終わりのない苦痛と搾取により完全に発狂済み。
現在の封印維持率は、0.00001%。
外部からの微弱な刺激(例:鑑定魔法による解析スキャン)により、封印は即時崩壊する。
【フレバーテキスト】:
『かつて星を掴もうとした愚かな者たちがいた。
彼らは空から降りてきた美しき龍を捕らえ、その心臓に杭を打ち込み、
その悲鳴を文明の灯火とした。
文明の名はメザドベア。
彼らはその無限のエネルギーによって栄華を極め、
そして発狂した神の、たった一度の「溜め息」によって、
一夜にして歴史から消滅した。
残されたのは、主を失った檻と、
中で憎悪を煮えたぎらせる狂える神のみ。
時を経て、この呪われた遺産を拾い上げた、東の島国の哀れな子らよ。
古代の亡霊の尻拭いをするのは、どうやらお前たちの役目のようだ。
――逃げろ。今すぐに』
「…………………………………………」
最後の一文が表示された瞬間。
長谷川教授の眼鏡が床に落ちて砕けた。
橘紗英の顔から、人間らしい血の気が完全に失せた。
東郷交渉官は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。
「……ま、待ってくれ……」
長谷川が乾いた笑い声を漏らす。
「……なんだこれは……。神を燃料に……?
文明を一夜で滅ぼした……?
しかも封印維持率が……ゼロ……?」
彼の目が、最後の警告文に釘付けになる。
『外部からの微弱な刺激により封印は即時崩壊する』。
外部からの刺激。
すなわち、今我々が行った「鑑定」そのもの。
「――――逃げろォォォォォォッ!!!!!!」
長谷川の絶叫と同時だった。
チャンバーの中の黒い多面体に、ピシリ、という小さな亀裂が入った。
その亀裂から、目が潰れるほどのまばゆい、しかしどこまでも禍々しい紫色の光が漏れ出した。
警報音が、悲鳴のような高音へと変わる。
空間が軋んだ。
物理的な爆発ではない。
次元そのものが、内側から食い破られる音。
ズズズズズズズズズズズッ!!!!!!
サイト・アスカ全体が、震度7クラスの激震に見舞われた。
解析室の防護ガラスが粉々に砕け散り、暴風のような魔力の奔流が吹き荒れる。
「きゃあっ!」
橘が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
薄れゆく意識の中で、彼女は見た。
黒い多面体が完全に砕け散り、その中から、物理的な質量を無視した圧倒的な「何か」が、天井を、そして大地を突き破って、空へと昇っていく様を。
◇
同時刻。
東京都心、真っ昼間の上空。
雲一つない青空が突如として紫色の雷雲に覆われた。
人々が何事かと空を見上げる中、空間に巨大な亀裂が走り、そこから「それ」は姿を現した。
全長、数キロメートル。
東京スカイツリーさえも小さく見えるほどの、圧倒的な巨体。
その姿は龍に似ていた。
だが生物的な龍ではない。
星々を散りばめたような半透明の身体。
背中には銀河の渦を模した六枚の翼。
そしてその瞳は、狂気と憎悪に燃える二つの赤い超新星だった。
『――――GYAAAAAAAOOOOOOOOONNNNNNッ!!!!!!!』
その咆哮は音波となって、東京中のガラス窓を割り、人々の鼓膜を揺さぶった。
それは、数千年の時を経て解放された神の慟哭であり、世界への呪詛だった。
神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)。
かつて一つの文明を滅ぼした厄災が、今、日本の首都上空に顕現したのだ。
◇
総理大臣官邸地下、危機管理センター。
そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。
メインスクリーンには、東京上空を優雅に、しかし絶望的に飛翔する神星龍の姿が映し出されている。
「……な、なんなんだあれは……!」
宰善総理が震える指でスクリーンを指差す。
「……サイト・アスカからの報告によれば……回収した遺物の中から出現したと……!
アーティファクトの暴走です!」
「ば、馬鹿な!
あんな怪獣映画みたいなものが、現実に……!?」
防衛大臣の岩城が、顔面蒼白で叫ぶ。
「……自衛隊を出せ!
いや、在日米軍にも支援を……!
核を使わねば倒せんぞ、あんなものは!」
「待ってください!」
傷だらけの姿で通信モニターに橘紗英が割り込んだ。
彼女は崩壊したサイト・アスカの瓦礫の中から、必死に通信を繋いでいた。
「……攻撃は絶対にダメです!
あの龍は、ただの生物ではありません!
『神星存在』……高次元のエネルギー生命体です!
通常兵器など通用しないどころか、下手に刺激すれば、そのエネルギーだけで関東平野が消滅します!」
「ではどうしろと言うんだ!
指をくわえて見ていろと!?」
「……カバーストーリーです」
官房長官の綾小路が、青ざめた顔で、しかし必死に理性を保って言った。
「……今すぐ公式声明を出すのです。
……あれはホシミコ女王の遺産の一つ『守護聖獣』であると。
……封印が解け、現代に蘇ったのだと……。
……敵ではない、味方なのだと……!」
「……そ、そんな嘘が通じるか!
見ろ、あの禍々しいオーラを!
どう見ても人類を滅ぼしに来た魔王だぞ!」
政府首脳がパニックに陥り、思考が停止しかけた、その時だった。
司令室の空間が、ふわりと揺らいだ。
そして円卓の中央に、いつもの黒猫が音もなく姿を現した。
「……やれやれ。……とんでもないものを掘り出しおったな、お主らは」
その、あまりにも日常的な、そしてどこまでも呑気な声。
全員の視線が、救世主を見るように、彼に集中した。
「け、賢者様……ッ!!」
宰善総理が泣き崩れんばかりの勢いで駆け寄った。
「……た、助けてください!
あ、あれは一体……!?」
「うむ。……見ておったぞ」
賢者・猫――新田創は、スクリーンの中の巨大な龍を、まるで近所の野良猫でも見るような目で見上げた。
「……『神星龍(デウス・ドラゴ)』じゃな。
……遥か彼方の異世界、メザドベア文明が、その傲慢さ故に捕らえ、使い潰そうとした哀れな神じゃよ。
……鑑定結果の通り、中身は完全にイカれておるがな」
「……イ、イカれている……?」
「うむ。……数千年も電池代わりにされて、毎日毎日エネルギーを搾り取られておったんじゃ。
……発狂もするわな。
……今のあやつは、理性のないエネルギーの塊。
……放っておけば、その憎悪のままに、この星の文明を根こそぎ焼き払うかもしれんのう」
その言葉に、司令室に絶望的な沈黙が落ちた。
文明を焼き払う。
この日本が、いや人類が、今日終わる。
「……そ、そんな……。
何か手立てはないのですか……?」
橘が祈るように問う。
「……再封印ですか?
それとも討伐……?」
「……討伐は無理じゃな。
……あやつを殺せば、その体内に圧縮されたエネルギーが暴走し、地球ごと吹き飛ぶじゃろう。
……再封印も、あの壊れた柩(ひつ)では、もう不可能じゃ」
「……で、では……」
「……『対話』じゃよ」
賢者は、こともなげに言った。
「……対話?」
「うむ。……あやつは発狂してはおるが、元は高度な知性を持つ高次元生命体じゃ。
……そして、この世界には便利な道具があるじゃろう?」
彼は自らの耳元を指差した。
「……『万能言語翻訳機』。
……お主たちにくれてやった、あのイヤリングじゃよ」
「……!」
全員がハッとした。
「……あれを使えば、あやつの言葉が分かる。
……そして、あやつの魂の声を聞き、その怒りを鎮めることができれば……あるいは、おとなしく帰ってくれるかもしれん」
「……か、帰る?
どこへ?」
「……宇宙(そら)へじゃよ。
……あやつにとって、この地球はただの監獄じゃ。
……鎖さえ解ければ、さっさと故郷の星へ帰りたいはずじゃからのう」
一筋の光明が見えた。
だがすぐに、現実的な問題が立ち塞がった。
「……し、しかし賢者様!」
岩城防衛大臣が叫んだ。
「……奴は高度一万メートル以上の上空を飛んでいるのです!
……どうやって近づいて対話をするのですか!?
……戦闘機で近づけば、攻撃とみなされて撃墜されるのがオチです!」
「ふむ。……それもそうじゃな」
賢者はポリポリと耳の後ろを掻いた。
「……仕方が無い。……少しばかり、手を貸してやろう」
彼は司令室のモニターに、サイト・アスカで待機している特殊部隊――例の魔法訓練を受けていた選抜メンバーたち――の姿を映し出した。
「……あの連中は、多少なりとも『因果律』をいじる素養があるようじゃな。
……ならば、ワシが一時的に権能を貸与(リース)してやれば、空くらいは飛べるようになるじゃろう」
「……えっ?」
「……いいか、よく聞け。
……今からワシが、彼らの『飛行魔法(フライ)』の術式を強制的に書き換えて、アップデートする。
……時間制限付きじゃが、あの龍と同じ高度まで、生身で飛翔できるようになるはずじゃ。
……彼らに翻訳機を持たせ、交渉に行かせるのじゃ」
その、あまりにも無茶な、しかしそれ以外に道のない提案。
宰善総理は決断した。
「……やりましょう。
……他に手はありません」
彼はマイクを握りしめ、サイト・アスカの生き残りの部隊に直接命令を下した。
「……総理だ。
……特殊作戦群『チーム・グリモワール』に通達!
……これより、対・神星龍交渉作戦を開始する!
……装備は軽装!
武器は持つな!
……持つのは『万能言語翻訳機』と、そして君たちの勇気だけだ!」
『……りょ、了解!』
隊長の声が微かに震えながらも、力強く返ってきた。
賢者・猫が、その場で両手をパン、と叩いた。
「……よし、術式展開。
……対象、チーム・グリモワール全五名。
……権能『天翔ける翼』、一時付与(グラント)!」
その瞬間、モニターの向こう側で隊員たちの体が、まばゆい青い光に包まれた。
彼らの背中に、魔力で構成された光の翼が出現する。
『……う、浮いた!
……体が軽い!』
『……これなら行けるぞ!』
「……急げよ」
賢者はニヤリと笑った。
「……効果時間は三十分じゃ。
……それまでに話をつけてこんと、真っ逆さまじゃぞ」
「……そ、総員、発進ッ!!」
隊長の号令と共に、五人の魔法兵士たちが、崩壊したサイト・アスカの天井の大穴から、一斉に空へと飛び立った。
彼らは音速を超える速度で大気を切り裂き、東京の空を覆う紫色の雷雲の中へと突入していく。
その先で待つのは、狂える神。
人類の命運を賭けた史上空前の空中交渉が、今、始まろうとしていた。