異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第153話

 茨城県、筑波研究学園都市地下深く。

 プロジェクト・プロメテウスの中枢サイト・アスカの特別解析室は、針が落ちる音さえ聞こえそうなほどの、張り詰めた緊張感に包まれていた。

 

 分厚い鉛と、呪術的な結界が施された防護ガラスの向こう側。

 隔離チャンバーの中央に鎮座しているのは、先日、ポルト・リーゼ沖の幽霊船から回収された『黒い多面体』だ。

 一辺が一メートルほどの正多面体。

 その表面は、光を吸い込むような漆黒の未知の金属で覆われ、時折、血管のように走る紫色のラインが、不気味な明滅を繰り返している。

 

 長谷川健吾教授は、額に滲む脂汗を拭おうともせず、手元のモニターと、ガラスの向こうの物体を交互に見つめていた。

 彼の背後には、内閣情報調査室の橘紗英、そして政府を代表して東郷交渉官が、息を殺して控えている。

 

「……物理的な解析は限界です」

 

 長谷川の声は、疲労と焦燥でかすれていた。

 

「X線、超音波、魔力共鳴スキャン……あらゆる手段を講じましたが、内部構造はブラックボックスのままです。

 ただ一つ確かなのは、この内部に、とてつもない高密度のエネルギーが圧縮されているということだけ。

 ……下手に物理的に解体しようとすれば、筑波山ごと消し飛びかねない」

 

 橘は冷徹な目で、黒い箱を見据えた。

 

「……科学の手には負えない、ということですね」

 

「悔しいですが、認めざるを得ません。

 これは我々の知る物理法則とは異なる、理(ことわり)で作られています。

 魔導王国……いえ、それ以上の何らかの超技術の産物でしょう」

 

 長谷川は悔しげに唇を噛んだ。

 

「……ならば、切り札を使うしかありません」

 

 橘は傍らに控えていた特殊部隊の隊員に、合図を送った。

 隊員が恭しく捧げ持ってきたのは、古びた羊皮紙の巻物。

 賢者・猫から賜りし、人類には過ぎたる知の道具。

『無限鑑定スクロール』である。

 

「……お願いします、教授」

 

「はい。……では」

 

 長谷川は科学者としてのプライドを、一旦白衣のポケットにねじ込み、震える手でその巻物を受け取った。

 彼は隔離チャンバーのマニピュレーターを操作し、遠隔でスクロールを黒い多面体の上にかざした。

 そしてマイクに向かって、祈るような声で唱えた。

 

「――――鑑定(アナライズ)」

 

 その瞬間。

 チャンバー内が、ドス黒い赤紫色の閃光に染め上げられた。

 これまでの『水』や『魔石』の鑑定の時のような、神聖で美しい光ではない。

 それは見る者の精神を直接削り取るような、禍々しく、そしてどこまでも重苦しい怨念の光だった。

 

 警報音が鳴り響き、モニターの数値が乱高下する中、長谷川の脳内に、そして解析室のメインスクリーンに、

 その絶対的な「真実」が文字となって浮かび上がった。

 

【鑑定結果】

【名称】: 神星封印柩(しんせいふういんきゅう)・第零号『虚空の檻(ヴォイド・ケージ)』

【レアリティ】: カタストロフ(災害級)/禁忌指定アーティファクト

【製造元】: 超古代魔法文明メザドベア・魔導研究所(※現存せず。自滅により滅亡)

 

【効果テキスト】:

 [機能:神性捕縛]

 高次元領域より飛来した『神星存在(デウス・アストロ・ビーイング)』を、物理的・霊的次元の狭間に強制的に固定し、封印する絶対結界生成装置。

 

 [機能:エネルギー濾過・強制搾取]

 封印した神星存在の魂を永劫にわたって砕き、混ぜ、濾過することで、純粋な魔力エネルギーへと変換し、外部へと供給する。

「神を燃料として燃やす炉」。それがこの装置の本質である。

 出力は理論上無限大だが、炉心となる神星存在の精神崩壊に伴い、出力されるエネルギーは年々汚染され、呪いを帯びるようになる。

 

 [状態:臨界点突破(クリティカル・ブレイク)]

 数千年にわたる過剰稼働、およびメンテナンスの欠如により、封印機構は既に物理的限界を迎えている。

 内部の神星存在は、終わりのない苦痛と搾取により完全に発狂済み。

 現在の封印維持率は、0.00001%。

 外部からの微弱な刺激(例:鑑定魔法による解析スキャン)により、封印は即時崩壊する。

 

【フレバーテキスト】:

『かつて星を掴もうとした愚かな者たちがいた。

 彼らは空から降りてきた美しき龍を捕らえ、その心臓に杭を打ち込み、

 その悲鳴を文明の灯火とした。

 

 文明の名はメザドベア。

 彼らはその無限のエネルギーによって栄華を極め、

 そして発狂した神の、たった一度の「溜め息」によって、

 一夜にして歴史から消滅した。

 

 残されたのは、主を失った檻と、

 中で憎悪を煮えたぎらせる狂える神のみ。

 時を経て、この呪われた遺産を拾い上げた、東の島国の哀れな子らよ。

 古代の亡霊の尻拭いをするのは、どうやらお前たちの役目のようだ。

 

 ――逃げろ。今すぐに』

 

「…………………………………………」

 

 最後の一文が表示された瞬間。

 長谷川教授の眼鏡が床に落ちて砕けた。

 橘紗英の顔から、人間らしい血の気が完全に失せた。

 東郷交渉官は腰を抜かして、その場にへたり込んだ。

 

「……ま、待ってくれ……」

 

 長谷川が乾いた笑い声を漏らす。

 

「……なんだこれは……。神を燃料に……?

 文明を一夜で滅ぼした……?

 しかも封印維持率が……ゼロ……?」

 

 彼の目が、最後の警告文に釘付けになる。

 

『外部からの微弱な刺激により封印は即時崩壊する』。

 

 外部からの刺激。

 すなわち、今我々が行った「鑑定」そのもの。

 

「――――逃げろォォォォォォッ!!!!!!」

 

 長谷川の絶叫と同時だった。

 チャンバーの中の黒い多面体に、ピシリ、という小さな亀裂が入った。

 その亀裂から、目が潰れるほどのまばゆい、しかしどこまでも禍々しい紫色の光が漏れ出した。

 警報音が、悲鳴のような高音へと変わる。

 空間が軋んだ。

 物理的な爆発ではない。

 次元そのものが、内側から食い破られる音。

 

 ズズズズズズズズズズズッ!!!!!!

 

 サイト・アスカ全体が、震度7クラスの激震に見舞われた。

 解析室の防護ガラスが粉々に砕け散り、暴風のような魔力の奔流が吹き荒れる。

 

「きゃあっ!」

 

 橘が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 薄れゆく意識の中で、彼女は見た。

 黒い多面体が完全に砕け散り、その中から、物理的な質量を無視した圧倒的な「何か」が、天井を、そして大地を突き破って、空へと昇っていく様を。

 

 ◇

 

 同時刻。

 東京都心、真っ昼間の上空。

 雲一つない青空が突如として紫色の雷雲に覆われた。

 人々が何事かと空を見上げる中、空間に巨大な亀裂が走り、そこから「それ」は姿を現した。

 

 全長、数キロメートル。

 東京スカイツリーさえも小さく見えるほどの、圧倒的な巨体。

 その姿は龍に似ていた。

 だが生物的な龍ではない。

 星々を散りばめたような半透明の身体。

 背中には銀河の渦を模した六枚の翼。

 そしてその瞳は、狂気と憎悪に燃える二つの赤い超新星だった。

 

『――――GYAAAAAAAOOOOOOOOONNNNNNッ!!!!!!!』

 

 その咆哮は音波となって、東京中のガラス窓を割り、人々の鼓膜を揺さぶった。

 それは、数千年の時を経て解放された神の慟哭であり、世界への呪詛だった。

 

 神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)。

 かつて一つの文明を滅ぼした厄災が、今、日本の首都上空に顕現したのだ。

 

 ◇

 

 総理大臣官邸地下、危機管理センター。

 そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。

 メインスクリーンには、東京上空を優雅に、しかし絶望的に飛翔する神星龍の姿が映し出されている。

 

「……な、なんなんだあれは……!」

 

 宰善総理が震える指でスクリーンを指差す。

 

「……サイト・アスカからの報告によれば……回収した遺物の中から出現したと……!

 アーティファクトの暴走です!」

 

「ば、馬鹿な!

 あんな怪獣映画みたいなものが、現実に……!?」

 

 防衛大臣の岩城が、顔面蒼白で叫ぶ。

 

「……自衛隊を出せ!

 いや、在日米軍にも支援を……!

 核を使わねば倒せんぞ、あんなものは!」

 

「待ってください!」

 

 傷だらけの姿で通信モニターに橘紗英が割り込んだ。

 彼女は崩壊したサイト・アスカの瓦礫の中から、必死に通信を繋いでいた。

 

「……攻撃は絶対にダメです!

 あの龍は、ただの生物ではありません!

 『神星存在』……高次元のエネルギー生命体です!

 通常兵器など通用しないどころか、下手に刺激すれば、そのエネルギーだけで関東平野が消滅します!」

 

「ではどうしろと言うんだ!

 指をくわえて見ていろと!?」

 

「……カバーストーリーです」

 

 官房長官の綾小路が、青ざめた顔で、しかし必死に理性を保って言った。

 

「……今すぐ公式声明を出すのです。

 ……あれはホシミコ女王の遺産の一つ『守護聖獣』であると。

 ……封印が解け、現代に蘇ったのだと……。

 ……敵ではない、味方なのだと……!」

 

「……そ、そんな嘘が通じるか!

 見ろ、あの禍々しいオーラを!

 どう見ても人類を滅ぼしに来た魔王だぞ!」

 

 政府首脳がパニックに陥り、思考が停止しかけた、その時だった。

 司令室の空間が、ふわりと揺らいだ。

 そして円卓の中央に、いつもの黒猫が音もなく姿を現した。

 

「……やれやれ。……とんでもないものを掘り出しおったな、お主らは」

 

 その、あまりにも日常的な、そしてどこまでも呑気な声。

 全員の視線が、救世主を見るように、彼に集中した。

 

「け、賢者様……ッ!!」

 

 宰善総理が泣き崩れんばかりの勢いで駆け寄った。

 

「……た、助けてください!

 あ、あれは一体……!?」

 

「うむ。……見ておったぞ」

 

 賢者・猫――新田創は、スクリーンの中の巨大な龍を、まるで近所の野良猫でも見るような目で見上げた。

 

「……『神星龍(デウス・ドラゴ)』じゃな。

 ……遥か彼方の異世界、メザドベア文明が、その傲慢さ故に捕らえ、使い潰そうとした哀れな神じゃよ。

 ……鑑定結果の通り、中身は完全にイカれておるがな」

 

「……イ、イカれている……?」

 

「うむ。……数千年も電池代わりにされて、毎日毎日エネルギーを搾り取られておったんじゃ。

 ……発狂もするわな。

 ……今のあやつは、理性のないエネルギーの塊。

 ……放っておけば、その憎悪のままに、この星の文明を根こそぎ焼き払うかもしれんのう」

 

 その言葉に、司令室に絶望的な沈黙が落ちた。

 文明を焼き払う。

 この日本が、いや人類が、今日終わる。

 

「……そ、そんな……。

 何か手立てはないのですか……?」

 

 橘が祈るように問う。

 

「……再封印ですか?

 それとも討伐……?」

 

「……討伐は無理じゃな。

 ……あやつを殺せば、その体内に圧縮されたエネルギーが暴走し、地球ごと吹き飛ぶじゃろう。

 ……再封印も、あの壊れた柩(ひつ)では、もう不可能じゃ」

 

「……で、では……」

 

「……『対話』じゃよ」

 

 賢者は、こともなげに言った。

 

「……対話?」

 

「うむ。……あやつは発狂してはおるが、元は高度な知性を持つ高次元生命体じゃ。

 ……そして、この世界には便利な道具があるじゃろう?」

 

 彼は自らの耳元を指差した。

 

「……『万能言語翻訳機』。

 ……お主たちにくれてやった、あのイヤリングじゃよ」

 

「……!」

 

 全員がハッとした。

 

「……あれを使えば、あやつの言葉が分かる。

 ……そして、あやつの魂の声を聞き、その怒りを鎮めることができれば……あるいは、おとなしく帰ってくれるかもしれん」

 

「……か、帰る?

 どこへ?」

 

「……宇宙(そら)へじゃよ。

 ……あやつにとって、この地球はただの監獄じゃ。

 ……鎖さえ解ければ、さっさと故郷の星へ帰りたいはずじゃからのう」

 

 一筋の光明が見えた。

 だがすぐに、現実的な問題が立ち塞がった。

 

「……し、しかし賢者様!」

 

 岩城防衛大臣が叫んだ。

 

「……奴は高度一万メートル以上の上空を飛んでいるのです!

 ……どうやって近づいて対話をするのですか!?

 ……戦闘機で近づけば、攻撃とみなされて撃墜されるのがオチです!」

 

「ふむ。……それもそうじゃな」

 

 賢者はポリポリと耳の後ろを掻いた。

 

「……仕方が無い。……少しばかり、手を貸してやろう」

 

 彼は司令室のモニターに、サイト・アスカで待機している特殊部隊――例の魔法訓練を受けていた選抜メンバーたち――の姿を映し出した。

 

「……あの連中は、多少なりとも『因果律』をいじる素養があるようじゃな。

 ……ならば、ワシが一時的に権能を貸与(リース)してやれば、空くらいは飛べるようになるじゃろう」

 

「……えっ?」

 

「……いいか、よく聞け。

 ……今からワシが、彼らの『飛行魔法(フライ)』の術式を強制的に書き換えて、アップデートする。

 ……時間制限付きじゃが、あの龍と同じ高度まで、生身で飛翔できるようになるはずじゃ。

 ……彼らに翻訳機を持たせ、交渉に行かせるのじゃ」

 

 その、あまりにも無茶な、しかしそれ以外に道のない提案。

 宰善総理は決断した。

 

「……やりましょう。

 ……他に手はありません」

 

 彼はマイクを握りしめ、サイト・アスカの生き残りの部隊に直接命令を下した。

 

「……総理だ。

 ……特殊作戦群『チーム・グリモワール』に通達!

 ……これより、対・神星龍交渉作戦を開始する!

 ……装備は軽装!

 武器は持つな!

 ……持つのは『万能言語翻訳機』と、そして君たちの勇気だけだ!」

 

『……りょ、了解!』

 

 隊長の声が微かに震えながらも、力強く返ってきた。

 

 賢者・猫が、その場で両手をパン、と叩いた。

 

「……よし、術式展開。

 ……対象、チーム・グリモワール全五名。

 ……権能『天翔ける翼』、一時付与(グラント)!」

 

 その瞬間、モニターの向こう側で隊員たちの体が、まばゆい青い光に包まれた。

 彼らの背中に、魔力で構成された光の翼が出現する。

 

『……う、浮いた!

 ……体が軽い!』

 

『……これなら行けるぞ!』

 

「……急げよ」

 

 賢者はニヤリと笑った。

 

「……効果時間は三十分じゃ。

 ……それまでに話をつけてこんと、真っ逆さまじゃぞ」

 

「……そ、総員、発進ッ!!」

 

 隊長の号令と共に、五人の魔法兵士たちが、崩壊したサイト・アスカの天井の大穴から、一斉に空へと飛び立った。

 彼らは音速を超える速度で大気を切り裂き、東京の空を覆う紫色の雷雲の中へと突入していく。

 

 その先で待つのは、狂える神。

 人類の命運を賭けた史上空前の空中交渉が、今、始まろうとしていた。

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