異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
日本国政府と、異世界諸国との定例戦略会議。
場所は、アマテラス・ベース内にある大会議室。
重厚な円卓を囲むのは、日本側から東郷交渉官と郷田陸将補。
そして異世界側からは、アステリア王国騎士団長ヴォルフガング、エルフ族の長老代理リナ、そして獣人族の族長ガルドの三名である。
会議の冒頭、東郷が報告したのは、先日ポルト・リーゼ沖で回収された幽霊船と、そこから出現した『神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)』に関する顛末だった。
極秘資料として提示された映像――東京上空を覆う紫の雷雲と、その中に浮かぶ、星々を内包したごとき巨大な龍の姿――を見せられた異世界の代表者たちは、一様に息を呑み、顔色を失っていた。
「……信じられん」
ヴォルフガングが、震える手で自身の髭をさすった。
「……あれが古代文明メザドベアの遺産だというのか。
神話に語られる『星の眷属』を捕らえ、あろうことか『燃料』として使い潰していたとは……。
人間の傲慢さも、そこまで行けば狂気だな」
「……精霊たちの悲鳴が聞こえるようだわ」
エルフのリナは痛ましげに胸を押さえている。
「……あのような高位の存在を、狭い箱に閉じ込め、数千年も尊厳を奪い続けるなんて……。
その龍が発狂し、全てを滅ぼそうとしたのも無理はないわね」
獣人のガルドは、鋭い牙を剥き出しにして唸った。
「……気に入らねえ話だ。
強い者を敬うのが俺たちの流儀だ。
それを道具扱いするなんざ、戦士の風上にも置けねえ。
……で、その怒り狂った神様は、どうなったんだ?」
「……日本本国の特殊部隊と、賢者様の介入により、なんとか説得に成功しました」
東郷は冷や汗を拭う仕草を見せながら答えた。
「……ただ、龍は『元の世界(こちらの世界)』への帰還を強く拒絶しました。
もし戻れば、怒りで我を忘れ、メザドベア文明どころか、この世界に生きる全ての生命を焼き尽くしてしまうだろうと。
……現在は、自らの意思で封印状態に戻り、地球の地下深くで眠りについています」
その言葉を聞いた瞬間、三人は心底安堵したように、深い深いため息をついた。
「……感謝する、東郷殿」
ヴォルフガングが深々と頭を下げた。
「……もしその龍が、こちらの世界に放たれていたら……今頃、我々アステリア王国も、エルフの森も、獣人の里も、等しく灰になっていただろう。
……貴国がその厄災を食い止め、あまつさえ自国で引き受けてくれたという英断に、騎士として最大限の敬意と感謝を表する」
「……ええ、本当に」
リナもまた、真剣な眼差しで頷いた。
「……それは私たちの手に負える存在ではないわ。
……日本政府の勇気ある決断が、私たちの世界を救ったのよ」
「……いえ、単純にこちらのためでもありますから」
東郷は謙遜して苦笑した。
「……我々としても、ここで築き上げた友好関係や拠点が消滅するのは困ります。
それに、龍が暴れれば地球にも被害が出ますから。
……利害が一致した結果ですよ」
重苦しい空気が、少しだけ和らぐ。
神話級の危機の回避。
その事実は、日本と異世界連合の絆を、より一層強固なものにしたようだった。
「……さて。神様の話はここまでにして、現実的な『悪魔』の話に移ろうか」
郷田陸将補が、地図をモニターに映し出し、話題を切り替えた。
地図には、アステリア王国の交易港『ポルト・リーゼ』と、その西側に位置する大国『魔導王国ソル・アルカディア』の国境線が示されている。
「……以前から懸念されていた件ですが、情報が確度を増しました。
魔導王国が、ポルト・リーゼへの派兵を計画しているとの噂……恐らく本当でしょう」
「……やはり来たか」
ヴォルフガングが険しい顔で地図を睨んだ。
「……ポルト・リーゼは自由貿易都市であり、アステリアの直轄領ではないが、我が国の経済の要衝だ。
……そして今や、日本との交易の玄関口でもある。
……魔導王国の狙いは、その富と、そして日本からもたらされる『技術』の独占だろうな」
「……ええ。幽霊船の一件もありました。
彼らは、なりふり構わず古代の遺物や未知の技術を収集しようとしています」
東郷が補足する。
「……もしポルト・リーゼが制圧されれば、我々の補給線も脅かされます。
……日本政府としては、武力による現状変更は断じて容認できません」
「……うむ。我々としても、指をくわえて見ているつもりはない」
ヴォルフガングが力強く宣言した。
「……ポルト・リーゼは自治領だが、防衛協定がある。
アステリア王国として、正規軍の精鋭騎士団を派遣する予定だ。
……陸路からの侵攻に対しては、我々が壁となる」
「……海はどうするの?」
リナが静かに問いかけた。
「……魔導王国は、空飛ぶ船や強力な魔導船を持っているわ。
……海からの封鎖や砲撃を受けたら、街はひとたまりもないわよ」
「……それについては、我々エルフにお任せを」
彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「……海の上では、私たちの得意な『森の魔法』は使えないけれど……『風』は操れるわ。
……彼らの船の帆を裂き、進路を狂わせ、嵐を呼んで一網打尽にすることは造作もない。
……エルフの里から、風使いの守護兵団を派遣するわ」
「……へっ。魔法使い様方は優雅でいいな」
ガルドが獰猛に笑った。
「……だが嵐で足止めした船に、誰がとどめを刺すんだ?
……大砲の撃ち合いなんて、まどろっこしい真似は、俺たちの性には合わねえ」
彼は拳をバキバキと鳴らした。
「……そこは、俺たち獣人の出番だろ?
……俺の部下の守護兵たちを、小舟で敵船に接舷させる。
……乗り込んでしまえば、こっちのもんだ。
……狭い船内での白兵戦なら、魔導師なんぞ紙切れみてぇに引き裂いてやるぜ。
……蹂躙してやるよ」
三者三様の頼もしい言葉。
騎士の防御力、エルフの広域魔法、獣人の近接戦闘力。
それらが連携すれば、魔導王国の軍勢といえども、容易には手出しできないだろう。
「……心強い限りです」
郷田が深く頷いた。
「……我々自衛隊も、後方支援と情報収集、そして万が一の際の『抑止力』として展開します。
……勝ち戦には乗らなくてはなりませんからね」
「……うむ! 結束は固まったな!」
ヴォルフガングが満足げに卓を叩いた。
「……魔導王国の野望、我らの絆で打ち砕いてくれようぞ!」
「……ええ。私たちの森と海を守るために」
「……暴れる場所を提供してくれて、感謝するぜ!」
防衛方針は定まった。
重苦しい会議の空気は一転して、勝利を確信した明るいものへと変わっていた。
「……さて。難しい話はこれくらいにして」
東郷がにこやかに時計を見た。
「……そろそろ昼食の時間です。
……今日は、これからの共闘を祝して、日本から特別な料理を取り寄せております」
「……ほう? 日本の料理か。それは楽しみだ」
ヴォルフガングの目が輝く。
彼らは既にカレーやラーメンといった、日本の「魔性の味」の虜になっている。
新たな料理への期待値は、天井知らずだった。
◇
別室に案内された彼らを待っていたのは、白木の美しいカウンターと、そこに立つ法被(はっぴ)姿の職人たちだった。
そして、ネタケースの中に並ぶ、色とりどりの魚の切り身。
「……これは?」
リナが不思議そうに首を傾げた。
「……魚よね?
……焼いてもいないし、煮てもいないようだけれど……」
「……本日のメニューは『寿司(スシ)』です」
東郷が誇らしげに紹介した。
「……スシ? なんだそれは?」
「……酢と塩と砂糖で味付けしたご飯――これを『シャリ』と呼びます――と、
新鮮な魚介類や肉、野菜などの具材――こちらは『ネタ』と呼びます――を組み合わせた、和食の代表格です。
……我が国で古くから愛されている伝統料理ですよ」
「……む? ということは……」
ヴォルフガングが、ネタケースの中のマグロを凝視した。
「……この魚は『生』なのか?」
「……はい。その通りです」
「……生魚か……」
三人の顔に、一瞬、戸惑いと警戒の色が走った。
この世界において、魚を生で食べるという習慣はほとんどない。
保存技術が未発達なため、生食は食中毒や寄生虫のリスクと同義だからだ。
ガルドが鼻をひくつかせた。
「……俺たちは獣人だから生肉も食うが……人間が食うのか? 腹壊さねえか?」
「……ご安心ください」
東郷は自信満々に言った。
「……日本には、魚を生食するための高度な衛生管理技術と流通システムがあります。
……まずは一口。
……食べてみてください。世界が変わりますよ」
職人――大将が、流れるような手つきで握った一貫が、彼らの目の前の皿に置かれた。
ルビーのように赤く輝く、マグロの赤身。
「……では失礼して」
ヴォルフガングは恐る恐る箸を伸ばした。
教えられた通り、小皿に入った黒い液体――醤油に、ネタの端を少しだけつける。
そして口へと運んだ。
もぐ。
咀嚼した瞬間、ヴォルフガングの動きが止まった。
彼の見開かれた目の中で、驚きが歓喜へと変わっていく。
「…………ほう!」
彼は思わず声を漏らした。
「……これは……!
生だからと警戒したが……美味い!
……魚の生臭さは全くない。
むしろ濃厚な旨味が口いっぱいに広がる!
……そして、この酢飯の爽やかな酸味が、魚の脂を絶妙に中和し、後味をさっぱりとさせている!
……何より、この黒い液体……『ショウユ』と言ったか?
これが素晴らしい!
魚の味を何倍にも引き立てているぞ!」
「……本当ね」
リナも目を丸くして、口元を押さえた。
「……繊細な味だわ。
……生の魚が、こんなに柔らかくて甘いなんて……。
……まるで、海の恵みそのものを食べているようだわ」
「……うめえッ!」
ガルドは手づかみで放り込み、豪快に咀嚼した。
「……焼いた魚とは全然違うな!
……プリプリしてて、噛めば噛むほど味が出る!
……これなら、いくらでも食えるぞ!」
彼らの反応を見て、大将がニカっと笑った。
「……へい、お気に召していただけて光栄です!
……さあ、どんどん握りますよ!」
そこからは怒涛の寿司ラッシュだった。
「……鮭・サーモンです!」
鮮やかなオレンジ色の身。
口の中でとろける、脂の甘み。
「……中トロです!」
赤身の旨味と脂の甘みが、完璧なバランスで融合した至高の一貫。
「……炙りサーモンです!」
バーナーで表面を炙られ、香ばしい香りが食欲をそそる。
「……ねぎとろです!」
叩いたマグロの滑らかさと、ネギのシャキシャキ感が絶妙なアクセント。
「……大トロです!」
口に入れた瞬間、体温で溶けて消える脂の爆弾。
「……いくらです!」
プチプチと弾ける食感と、濃厚な海の宝石。
「……鯛です! 甘エビです! エンガワです! ホタテです!」
次々と出される海の幸のパレードに、異世界の英雄たちは完全に理性を失っていた。
「……ハハハ! 凄いな! どれもこれも味が違う!」
ヴォルフガングが子供のように笑う。
「……この『大トロ』というのは危険だ……。
口に入れた瞬間に消えてしまったぞ!?
魔法か!?」
「……そうですね。生魚がこんなに美味しいなんて……。
私の森の民としての常識が覆されたわ」
リナはホタテの甘みにうっとりとしている。
「……おい、大将! この『炙り』ってやつ、もっとくれ!
生なのに香ばしいってのは反則だろ!」
ガルドの皿には、既にタワーのような山ができている。
「……そうだな。こちらの世界では、生は腹を壊すと言われているからな」
ヴォルフガングが、ふと我に返って言った。
「……これだけの鮮度を保ち、安全に食せるようにする技術……。
……日本という国は、食に対してどれだけ情熱を注いでいるのだ」
「……ハハハ。食は我々の文化の根幹ですから」
郷田がお茶をすすりながら笑った。
「……適切に処置し、管理された環境であれば、生食は最高の贅沢になります。
……ただし」
彼は少しだけ真面目な顔で釘を刺した。
「……ここ以外で真似して、川魚や海の魚を生で食べるのは絶対に止めてくださいね。
……カレーと違って、生食は寄生虫や細菌のリスクが非常に高いですから。
我々の技術と管理があって、初めて成立する料理です」
「……うむ。肝に銘じておこう」
ヴォルフガングは深く頷いた。
「……この味は、日本という国との友好の証として、心に刻むだけにしておくよ」
「……でも、またここに食べに来てもいいのかしら?」
リナが期待に満ちた目で尋ねる。
「……もちろんですよ」
東郷が答えた。
神星龍の脅威は去り、魔導王国の侵攻に対しても強固な同盟が結ばれた。
そして今、彼らの目の前には、平和と友好を象徴するような色鮮やかな寿司の皿が積み上げられている。
美味しいものを共に食べる。
それだけで、種族や世界の壁を超えて、心は一つになれるのだ。
宴は、まだしばらく続きそうだった。
日本の「スシ」外交は、今回も大勝利を収めたようである。