異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
日本の地下深く、秘密都市サイト・アスカ。
かつて破壊の限りを尽くし、東京上空を絶望の雷雲で覆い尽くした『神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)』。
その封印された隔離チャンバーの前は、今、奇妙なほどに甘く、そして穏やかなバニラとイチゴの香りに包まれていた。
厳重な防護ガラスと多重結界の向こう側。
かつては無機質な実験室だったその空間は、今や日本政府の威信と予算をかけた最高級ホテルのスイートルームのように改装されていた。
ふかふかのペルシャ絨毯が敷き詰められ、天蓋付きのキングサイズベッドが置かれ、壁には名画のレプリカが飾られている。
そして部屋の中央には、猫足のアンティークテーブルと、それに不釣り合いなほど豪勢なティーセット。
その椅子に優雅に腰掛けているのは、全長数キロメートルの巨龍ではない。
見た目年齢、十歳ほどの透き通るような白磁の肌と、星空を溶かしたような長い銀髪を持つ、あどけない少女だった。
彼女の頭部から伸びる二本の小さな水晶の角と、その瞳に宿る燃えるような深紅の星雲だけが、彼女が人ならざる高次元の存在であることを静かに主張していた。
「……んぐ、むぐ」
少女――人化した神星龍は、目の前に置かれた銀の皿の上のショートケーキを、フォークで器用に突き崩し、小さな口へと運んでいた。
北海道産の純生クリームの濃厚な甘さと、福岡県産あまおうの鮮烈な酸味が口いっぱいに広がる。
彼女の陶器のような頬が、幸福そうに緩んだ。
『……悪くない』
彼女の声は、口を開かなくとも、脳内に直接響く重厚で威厳ある念話だった。
『……このスポンジという生地の気泡の含有率、そしてクリームの滑らかさ。……人間ごときにしては、極めて高度な「食の構築」だ。……糖分と脂質のバランスが、我が思考回路の疲労を心地よく癒やす』
彼女が満足げに頷くのを、ガラス越しに見守る内閣情報調査室の橘紗英と、科学チームリーダーの長谷川健吾教授は、深い安堵の息を漏らした。
日本の存亡をかけた「神の機嫌取り」ミッションは、今のところ成功しているようだ。
長谷川はマイクのスイッチを入れると、恐る恐る声をかけた。
「……あー、神星龍様。……お口に合いましたでしょうか? ……それは都内の有名パティスリーから、国家公務員が列に並んで特別に確保した、『究極のショートケーキ』でして……」
『うむ。苦しゅうない』
神星龍はフォークを置き、ナプキンで口元を拭った。
『……供物としての質は合格点だ。……して? 貴様ら人間が、単に我に菓子を振る舞うためだけに、これほどの手間をかけたわけではあるまい。……その瞳の奥にある渇望と焦燥。……何か願いがあるのだろう?』
鋭い。
幼女の姿をしていても、その洞察力は数万年を生きた神域のものだ。
橘は長谷川に目配せをした。
長谷川は居住まいを正し、緊張した面持ちで手元のタブレット端末を操作した。
ガラス越しのモニターに、複雑な図面が表示される。
「……はい、その通りでございます。お見通しとは恐れ入ります。
……実は、先日回収させていただきました貴方様の封印柩……あの『黒い多面体』に刻まれていた古代の術式について、ご教示願いたいことがありまして」
『……ほう?』
神星龍の赤い瞳が、すうっと細められる。
『……あの忌まわしき檻の術式か。……我を縛り、我から力を搾り取っていた呪いの如き技術だ。……あれに興味を持つとは、貴様らもメザドベアの亡者どもと同じく、破滅を望むか?』
ピリリと空気が張り詰める。
室内の魔素濃度が跳ね上がり、警報装置が小さく鳴き声を上げた。
長谷川は慌てて首を横に振った。
「め、滅相もございません! 我々は決して、貴方様や他の知的生命体を犠牲にするような非人道的な……いえ、非神道的な利用を考えているわけではございません!
……我々が注目したのは、あの装置が持っていた『魔石(エネルギー源)から純粋な魔力を抽出し、システムに供給する』という変換プロセスの方なのです」
長谷川は必死に言葉を紡いだ。
「……我々は現在、未知のエネルギー源である『魔石』の研究を進めております。……ですが、この石からエネルギーを引き出すには、現状では術者の『意志』による指向性が必要不可欠です。
……そこで我々は考えました。あの封印柩に刻まれていた術式の一部を応用し、魔石から安全かつ効率的に魔力エネルギーだけを抽出し、それを術者……つまり人間に還元(バック)するシステムが作れないかと」
そう。
それが日本政府の、そしてプロジェクト・プロメテウスの次なる悲願だった。
現在、日本が抱える最大の課題は「魔力リソースの絶対量不足」だ。
エルフの布によって回復速度は劇的に上がった。
だが、「一度に使える魔力の上限(タンク容量)」そのものは変わっていない。
大規模な術式や燃費の悪い魔法を行使するには、人間という器はあまりにも小さすぎるのだ。
もし外部バッテリーのように魔石から魔力を供給し、術者の負担を肩代わりするデバイスが開発できれば、魔法の利用効率は飛躍的に向上するはずだ。
神星龍は、じっとその図面を見つめていたが、やがて、ふんと鼻を鳴らした。
『……魔石からエネルギーを抽出し、術者の魔力回路に直結させるか。
……ふむ、理論上は不可能ではない。……メザドベアの連中は、それを我という生体部品を使って大規模に行っていたに過ぎん。原理を縮小すれば、個人用デバイスへの転用も造作もないだろう』
彼女は空になった皿を名残惜しそうに見つめてから、長谷川に向き直った。
『……だが、あまりオススメはせんぞ?』
「……と、おっしゃいますと?」
『……器(うつわ)の問題だ』
神星龍は自らの小さな胸を指差した。
『……人間という種は脆弱だ。……肉体も、精神も、そして魂の許容量もな。
……外部から強制的に魔力を流し込み、己の限界を超えた術式を行使できるようにする……。それは一見便利なように思えるかもしれん。
……だが、それはダムの放流を、細い水路に無理やり流し込むようなものだ。
……回路が焼き切れるぞ?』
彼女の警告は、冷徹な事実だった。
『……限界を超えた力は、必ず代償を求める。……精神の崩壊、肉体の変異、あるいは魂の摩耗。……便利な道具には相応のリスクがあるのだ。
……悪いことは言わん。身の丈に合った自然回復の範囲で、ちまちまと頑張るのが一番だ。
……それが短命な貴様らが長生きするコツだぞ』
長谷川は、うぐっと言葉に詰まった。
正論だ。あまりにも正論すぎる。
神の視点からすれば、人間の魔法への渇望など、幼児が火遊びをしたがるような危うさにしか見えないのだろう。
「……うーん、そうですか……。……やはりリスクが高いですか……。残念です……」
長谷川が肩を落とすと、神星龍は呆れたように眉をひそめた。
『……貴様ら、一体何がしたいのだ?
……今の貴様らの文明レベルを見るに、電気とやらで十分に生活できているではないか。
……なぜ、そこまでして危険な「魔法」の出力向上にこだわる?
……戦争か? ……それとも、また何か愚かな野心でも抱いたか?』
龍の瞳が僅かに険しくなる。
ここで答えを間違えれば、協力はおろか敵対関係になりかねない。
橘紗英がマイクのスイッチを入れ、静かに口を開いた。
「……誤解なきよう申し上げます、神星龍様。
……我々が強大な魔力を必要としているのは、戦いのためでも支配のためでもありません。
……ある『魔法』を安全に、そして多くの人々に使うために、どうしても必要なのです」
『……救うためだと?』
「……はい。……ですが、その説明をするには……まず我々にその魔法を授けてくださった、ある御方についてご説明せねばなりません」
橘は意を決して語り始めた。
賢者・猫。
異世界を渡り歩き、日本に数々のオーパーツをもたらし、そして今、この国を裏から(勝手に)導いている超越者の存在を。
「……その御方は『賢者』と呼ばれております。……猫の姿をして、ふらりと我々の前に現れ、異世界の知識や道具を置いていかれます。
……貴方様の封印されていた遺物も、元はその賢者様が『面白い玩具』として持ち込んだものなのです」
『……猫?』
神星龍は、きょとんとした顔をした。
『……世界を渡る賢者だと? ……馬鹿な。貴様ら、夢物語も大概にせよ』
彼女は鼻で笑った。
『……世界(ディメンション)というものは、そう簡単に移動できるものではない。
……我ら神星存在でさえ、次元の壁を超えるには相応の準備と、命懸けの精神統一、そして膨大なエネルギーを必要とする。
……それ以外では、稀に発生する次元の裂け目(リフト)に巻き込まれ、ランダムに飛ばされるくらいだ。
……我はてっきり後者で、この辺境の惑星に流れ着いたのだと思っていたが……』
彼女の認識では「世界移動」とは、宇宙規模の大事故か、神話級の大儀式によってのみ成し遂げられる奇跡だった。
気軽に「こんにちは」とやってくるようなものではない。
「……いえ、それが……」
長谷川が恐縮しながら補足する。
「……賢者様は、なんというか……ごく自然にドアを開けるような感覚で現れます。
……以前、月面にも一瞬で移動されましたし……。
……我々の認識では、あのお方は意図的に『ゲート』を作成し、任意の座標に自在に転移されているように見受けられます。
……我々が現在運用している異世界へのゲートも、あのお方が作ってくださったものです」
『……………………は?』
神星龍の動きが止まった。
彼女は空のフォークを持ったまま固まった。
その脳内で、長谷川の言葉が反響する。
意図的に。
自在に。
ゲートを作成。
『……ま、待て。……貴様ら、自分たちが接している存在の大きさを正しく理解しているか?』
彼女の顔から幼女らしい愛らしさが消え、数万年を生きた超越者としての戦慄が浮かび上がった。
『……任意の座標への自在な転移……。……それは単なる空間移動魔法の範疇ではない。
……それは世界の「座標定義」そのものを書き換える権能だ。
……少なくとも『空間の支配者(スペース・ドミネーター)』……いや、それ以上か。
……『任意全能の実行者(アービトラリー・オムニポテント)』……。
……あるいは因果の理から外れた『干渉されざる者(アンタッチャブル・ワン)』の領域だぞ……?』
神星龍の声が微かに震えていた。
彼女は知っていた。
宇宙には、星々を食らう龍や文明を弄ぶ悪魔など、数多の怪物が存在する。
だが、それらでさえ世界の理(ルール)の中で生きている。
しかし、日本政府が語るその「賢者」の振る舞いは、ルールそのものを無視している。
それはゲームの盤上に現れたプレイヤーですらない「何か」だ。
「……ええと、よく分からないんですが……」
長谷川が困ったように頭を掻いた。
「……つまり、賢者・猫様は我々が思っている以上に凄いということですね……?」
『……凄いというレベルではない』
神星龍は深く溜め息をついた。
『……世界に干渉すること自体が稀な高位次元の特異点だ。……そんな存在が、なぜこんな辺境の惑星で猫の真似事などを……? ……理解不能だ』
彼女は頭を振って思考を切り替えた。
これ以上考えても、自分の理解のキャパシティを超えるだけだ。
『……まあよい。……その変わり者の神の話は一旦置いておこう。関わり合いにならんのが一番だ。
……それで? その規格外の神が貴様らに、どんな術式をくれたのだ?』
話を戻された橘は、改めて説明を行った。
「……はい。その賢者様から以前授かった魔法の術式がございます。
……『万能回復魔法』……我々は『概念治癒(コンセプト・ヒール)』と呼んでいますが」
『ほう、概念治癒か』
神星龍の目が丸くなる。
『……それを貴様ら人間ごときに授けたのか?』
「……はい。対象の肉体を損傷する前の『あるべき姿』へと回帰させる魔法です。
……効果は絶大です。失われた手足さえも再生させ、不治の病をも癒やします。
……ですが問題は、その燃費の悪さなのです」
橘の声に、苦渋の色が滲む。
「……現在の我々の医師たちの中でもトップレベルの者であれば、命を削る覚悟で挑めば、人間一人を完全に治療することは可能です。
……ですが、その代償として彼らは全ての魔力を使い果たし、疲弊しきってしまいます。
……エルフの布のおかげで回復は早まりましたが、『一度使えばガス欠になる』という事実は変わりません。
……これでは、助けを求める多くの人々を救うことは不可能なのです。
……医師が魔力切れを起こすことなく、連続して治療を行えるだけの『燃料タンク』が必要なのです」
それを聞いた神星龍は、納得したように頷いた。
『……なるほど。……道理だな。
……概念治癒は肉体の再生などという物理的な治癒ではなく、情報の書き換えを行う神域の術式だ。
……それを人間ごときの魂の器(タンク)で行使すれば、一度で枯渇するのは当たり前だ。
……むしろ死なずに耐えているだけ、大したものだと言える』
彼女はテーブルの上の空になった皿を指先でなぞった。
『……つまり貴様らは、その魔法を安全かつ連続して行使するために、外部電源……すなわち魔石からのエネルギー供給を必要としているわけか』
「……はい。その通りです。
……病に苦しむ多くの人々を救うため、どうしてもこの技術が必要なのです」
橘の真摯な眼差し。
神星龍は、しばし沈黙した。
彼女はかつて自らの力を搾取され、同胞を殺された記憶を持つ。
力とは常に、誰かを傷つけるために使われてきた。
だが、この小さな人間たちは、その力を「救済」のために使いたいと言う。
そして、その背後には、自分さえも及ばぬ未知の「賢者」がいる。
『……ふん』
彼女は小さく笑った。
『……良かろう。
……その「賢者」とやらへの敬意と、貴様らの殊勝な心がけに免じて、知恵を貸してやる』
「……! ありがとうございます!」
『……だが、警告した通り、魔力を直接体内に流し込むのは危険だ。
……だから、術式を組み込んだ「道具(デバイス)」を介在させるのだ』
神星龍は空中に指先で光の図形を描き始めた。
それは複雑怪奇な魔法陣と、精密な機械図面が融合したような未知の設計図だった。
『……これだ。
……身体に装着するタイプの手甲(ガントレット)だ。
……この手甲の甲の部分にスロットを設ける。
……そこに規格化された魔石を嵌め込むのだ』
光の図面が回転し、構造を明らかにする。
『……術者が魔法を行使する際、この手甲が魔石からエネルギーを吸い上げ、術者の魔力波長に合わせて変換(コンバート)し、術式へと供給する。
……術者自身の魔力は、あくまで「着火剤(トリガー)」としてのみ使用される。
……これならば、術者の身体への負担は最小限で済む。
……魔力切れでへばることもなくなるだろう』
「……なるほど……! バッテリーパックのようなものですね!」
長谷川が食い入るように図面を見つめる。
これは、これまでの日本の魔導工学を一気に数百年進める技術だ。
「……魔石は使い捨てですか?」
『……うむ。
……使用済みになると、魔石は光を失い、ただの石ころになる。
……そうしたら、カートリッジのように交換すればいい』
神星龍は長谷川の方を見た。
『……この機構を実現するには、魔力伝導率の高い特殊な金属加工と、ミクロン単位の魔術回路の刻印が必要だ。
……魔法文明の技術だけでは難しいかもしれんが……。
……この星をスキャンした感じだと、貴様らの「科学」とやら、特に工業技術はかなり発達しているようだな。
……ナノ単位の微細加工も出来るようだし、今の貴様らなら作れるだろう』
「……はい! 我が国の技術力をもってすれば、必ず!」
長谷川は武者震いした。
日本の精密加工技術と、異世界の魔法技術の融合。
これぞプロジェクト・プロメテウスの真骨頂だ。
『……一つ、試しに作ってみろ。
……上手くいけば、貴様らの言う「万能回復魔法」も実用レベルで運用できるようになるだろう』
「……感謝いたします、神星龍様!」
橘と長谷川は深々と頭を下げた。
これは医療革命の決定打となる技術だ。
魔石さえあれば、高度な魔法を誰もが使えるようになる未来。
それは、エネルギー革命に続く、魔法産業革命の幕開けだった。
だが神星龍は、釘を刺すように言った。
その赤い瞳が厳しく光る。
『……ただし、忘れるな。
……これを使っても、人間には限界があるぞ』
彼女の声が重く響く。
『……道具がいかに優れていようと、それを使うのは脆弱な人の心だ。
……強すぎる力は心を狂わせる。
……無限の魔力を手にしたと錯覚し、神の領域に土足で踏み込めば……。
……その時こそ、貴様らは破滅するだろう。
……メザドベアの二の舞にならぬよう、ゆめゆめ忘れるでないぞ』
その忠告は、かつて文明の滅亡を見届けた者の、重い遺言のように響いた。
橘は背筋を伸ばし、真っ直ぐに龍を見つめ返した。
「……肝に銘じます。
……我々はこの力を決して過信せず、驕らず、人の幸福のためにのみ使うことを、ここに誓います」
『……フン。……口だけなら、何とでも言える。
……まあ、見届けさせてもらうさ。……ここからな』
神星龍は再びフォークを手に取り、おかわりとして運ばれてきたモンブランに目を輝かせた。
『……とりあえず今は、これだ。……この栗の甘露煮というやつは、なかなか乙な味だな』
神様はどうやら、日本のスイーツにご満悦のようだった。
危機は去り、新たな知恵が授けられた。
日本政府と地下に住まう龍との奇妙な共存関係は、甘いお菓子と技術供与によって、意外にも良好に滑り出したのであった。
この『魔石式魔力供給手甲(マナ・ガントレット)』の開発が、日本の医療、そして世界情勢にどのような波紋を広げることになるのか。
それはまだ、誰も知らない未来の話である。