異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第164話

 新大陸に開かれた『界穿ゲート』。

 その向こう側に築かれつつある開拓都市、通称『新王都(ネオ・グランベル)』の建設は、昼夜を問わず続けられる熱狂的な突貫工事によって、驚異的な速度でその形を成しつつあった。

 テント村は木造の宿舎へと変わり、泥の道は石畳で舗装され、簡易的な土塁は、より強固な木の柵、そして石積みの城壁へと強化されようとしている。

 日本から持ち込まれた物資と、現地で採掘された資源、そして何より、人々の希望という名のエネルギーが、この荒野を文明の灯火へと変えていく。

 

 だが、光が強ければ影もまた濃くなるのが世の理。

 未開の大地とは、すなわち手つかずの自然の驚異が支配する領域であり、そこには人間という種の生存を脅かす「先住者」たちが跋扈(ばっこ)していることを、彼らはすぐに思い知ることになる。

 

 開拓都市の北側に広がる鬱蒼とした原生林。

 『迷わずの森』と仮称されたその森林地帯は、豊富な木材資源と、そして何より、魔石鉱脈へと続くルート上に位置する重要なエリアだった。

 その森の調査と安全確保のため、アステリア王国の至宝『王立宝珠騎士団(ロイヤル・オーダー・オブ・ジェムストーン・ナイツ)』の精鋭部隊が派遣されていた。

 

 先頭を進むのは騎士団長サー・ケイレブ。

 彼は白銀の全身鎧(フルプレート)に身を包み、背中には身の丈ほどもある大剣(グレートソード)を背負っている。

 その右手の甲には、茶褐色の輝きを放つスキルジェム『ヘビー・ストライク』が埋め込まれ、胸元には身体能力を底上げする『フィジカル・ブースト』の輝石が脈打っていた。

 

「……静かすぎるな」

 

 ケイレブは兜のバイザー越しに森の深奥を睨み据え、低く呟いた。

 風の音も、鳥のさえずりさえも聞こえない。

 ただ、樹齢数百年はあろうかという巨木たちが、無言の圧力を放って彼らを見下ろしているだけだ。

 

「……団長。魔力探知(マナ・サーチ)に反応はありませんが……」

 

 副官の騎士が魔導コンパスを見ながら、不安げに報告する。

 

「……生物の気配が、不自然なほどに希薄です。

 まるで何者かを恐れて、隠れているかのような……」

 

「……ああ。私も同感だ」

 

 ケイレブは愛剣の柄に手をかけた。

 歴戦の騎士としての本能が警鐘を鳴らしている。

 ここは、ただの森ではない。

 何かがいる。

 この森の生態系の頂点に君臨する、圧倒的な「何か」が。

 

「……総員、警戒せよ。

 ……陣形を密に。

 魔導士は防御障壁(プロテクション)の準備を怠るな。

 ……来るぞ」

 

 その言葉が空気に溶けるか溶けないかの刹那だった。

 

 ゾクリ。

 

 肌を刺すような殺気が、森の木々を揺らした。

 いや、それは殺気というよりも、もっと純粋で研ぎ澄まされた闘気。

 強者が弱者を踏み潰すために放つ威圧感ではなく、同格の存在を認め、その力を試そうとする武人のごとき覇気だった。

 

「――ッ! 散開!!!」

 

 ケイレブが叫ぶと同時だった。

 彼らが、つい先ほどまで立っていた空間を、一陣の「風」が駆け抜けた。

 

 ドォォォォォォンッ!!!!!

 

 轟音。

 そして爆風。

 目に見えない何かが通り過ぎた余波だけで、直径一メートルはある巨木が数本、飴細工のようにへし折れ、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「……なっ!?」

「……見えなかった……! 何だ、今のは!?」

 

 騎士たちが体勢を立て直そうとする中、土煙の向こうから、ゆっくりとその「影」が姿を現した。

 

 それは人型をしていた。

 だが、人間ではない。

 身長は二メートルを超え、全身が鋼鉄のような光沢を放つ漆黒の体毛で覆われている。

 狼のような頭部。

 だがその瞳には、獣の凶暴さではなく、達人のごとき冷徹な理性の光が宿っていた。

 手には武器を持っていない。

 だが、その鋭く長い爪は、いかなる名刀よりも鋭利な輝きを放っている。

 

 『黒銀の狼男(ウェアウルフ・ロード)』。

 いや、ただの魔獣ではない。

 この大陸の濃厚な魔素を取り込み、独自の進化を遂げた高位の戦闘種族か。

 

「……グルルルゥ……」

 

 狼男は喉を鳴らした。

 それは威嚇ではない。

 獲物を前にした歓喜の笑い声のように聞こえた。

 

「……速いな」

 

 ケイレブは冷や汗を拭いもせず、大剣を構えた。

 今の突撃、完全に反応が遅れた。

 もし直撃を受けていれば、スキルジェムで強化された肉体といえども、ただでは済まなかっただろう。

 

「……総員、手出し無用!」

 

 ケイレブは叫んだ。

 

「……奴の狙いは私だ!

 ……レベルが違う!

 お前たちでは、見切ることさえできん!」

 

 狼男の視線は、確かにケイレブ一点に注がれていた。

 群れの中で最も強い個体を正確に見抜き、標的として定めたのだ。

 これは狩りではない。

 決闘だ。

 

 ダンッ!

 

 狼男が地を蹴った。

 音速。

 大気が悲鳴を上げ、ソニックブームが発生する。

 視界から消えた狼男は、次の瞬間にはケイレブの懐に潜り込んでいた。

 

「――『鉄壁(アイアン・スキン)』ッ!!」

 

 ケイレブは反射的に防御スキルのジェムを起動させた。

 全身の皮膚が、鋼鉄の硬度を帯びる。

 

 ガギィィィィィンッ!!!

 

 甲高い金属音が森に響き渡る。

 狼男の爪が、ケイレブの胸甲を捉えたのだ。

 ミスリル銀で作られた最高級の鎧が紙のように切り裂かれ、火花が散る。

 だが『鉄壁』の加護が、刃を皮膚の寸前で止めた。

 

「……重いッ……!」

 

 ケイレブはその衝撃に耐えきれず、数メートル後方へと滑った。

 地面に二本の深い溝が刻まれる。

 

 だが、彼は退かない。

 衝撃を殺すと同時に踏み込む。

 

「……貰ったァッ!」

 

 大剣が唸りを上げる。

 『ヘビー・ストライク』。

 さらに『多重攻撃(マルチ・ストライク)』のサポートジェムが輝き、一振りで三連撃の残像を生み出す。

 岩をも砕く剛剣が、狼男の脳天へと振り下ろされる。

 

 しかし。

 

 ヒュンッ。

 

 当たらない。

 狼男は、まるで水のように体を流動させ、剣の軌道を紙一重で躱していた。

 それどころか、剣の側面を爪で軽く叩き、軌道を逸らす余裕さえ見せる。

 

「……なんと……!」

 

 ケイレブの攻撃は空を切り、地面を爆砕しただけだった。

 土煙が舞う中、二つの影が交錯する。

 

 キィン! ガガガッ! ズドォォン!

 

 目にも止まらぬ高速戦闘。

 剣戟の音が途切れることなく響き、その余波だけで周囲の木々が次々となぎ倒されていく。

 それは人間と獣の戦いではない。

 神話の英雄同士の激突のような、超次元のバトルだった。

 

 部下の騎士たちは、ただ呆然とその光景を見守るしかなかった。

 加勢しようにも二人の動きが速すぎて、射線に入ることさえできないのだ。

 魔法を撃てば団長を巻き込んでしまう。

 

「……強い……!

 ……これが新大陸の魔物か……!」

 

 ケイレブは内心で舌を巻いていた。

 彼は賢者から授かったスキルジェムの力により、アステリア王国では無敵を誇っていた。

 大陸最強の騎士という自負もあった。

 だが目の前の獣は、その慢心を嘲笑うかのように、対等、いやそれ以上の力で渡り合ってくる。

 

(……力は互角。だが、速さは奴が上か……!

 ……しかもこちらの『剣技』を見切って、学習している……!?)

 

 狼男は、ただ本能で暴れているのではなかった。

 ケイレブの剣筋を読み、フェイントにはフェイントで返し、魔力が高まる瞬間を狙ってカウンターを合わせてくる。

 高度な知能と、洗練された武術の心得があるのだ。

 

「……ハァ……ハァ……!」

 

 数十合の打ち合いの末、二人は距離を取った。

 ケイレブの鎧はボロボロになり、肩口からは血が滲んでいる。

 狼男の方も無傷ではない。

 脇腹には剣のかすり傷があり、黒い体毛が一部焦げている。

 

 互いに肩で息をしながら睨み合う。

 

「……グルル……」

 

 狼男が口元を歪めた。

 それは威嚇ではない。

 ニヤリと笑ったように見えた。

 

『……面白イ……』

 

 ケイレブの脳内に、直接意思が流れ込んできた。

 言葉ではない。

 闘気を通じた共感のようなものだ。

 

『……人間ニシテハヤルナ。

 ……ソノ光ル石ノ力……悪クナイ』

 

「……貴様……喋れるのか?」

 

 ケイレブが問うと、狼男はフンと鼻を鳴らした。

 

『……我ラハ言葉ヲ持タヌ。拳デ語ルノミ。

 ……ダガ、貴様ノ魂ノ色ハ理解シタ』

 

 狼男はゆっくりと構えを解いた。

 そして、その鋭い爪を収め、背を向けた。

 

「……待て! 逃げる気か!」

 

『……勝負ハ引き分ケダ。

 ……コレ以上ハ互イニ命ヲ削ルダケ。

 ……腹ガ減ッタ。帰ル』

 

 その、あまりにもあっさりとした幕引き。

 狼男は振り返りもせず、森の奥へと歩き出した。

 その背中には、「また遊んでやるよ」と言わんばかりの余裕が漂っていた。

 

「…………」

 

 ケイレブは剣を下ろした。

 追撃する気にはなれなかった。

 いや、追撃したところで勝てる保証はどこにもない。

 相手は明らかに手加減していたのだ。

 『殺し合い』ではなく、『腕試し』を楽しんでいただけだと、肌で感じ取っていたからだ。

 

「……団長!」

「……ご無事ですか!?」

 

 狼男の気配が完全に消えたことを確認してから、部下たちが駆け寄ってきた。

 ケイレブはガクリと膝をつき、大きく息を吐き出した。

 

「……ああ。……なんとかな。

 ……だが、肝が冷えたぞ」

 

 彼は破壊された周囲の惨状を見渡した。

 半径五十メートルにわたり木々はなぎ倒され、地面はクレーターだらけになっている。

 たった一匹の魔物との遭遇戦で、これだ。

 

「……強いな……。

 ……この大陸の生態系は、我々の常識を遥かに超えている」

 

 ケイレブは血の滲む肩を押さえながら立ち上がった。

 その表情は厳しく引き締まっていた。

 

「……聞いたか、皆の者。

 ……奴は敵意を持っていなかった。

 ……ただ通りすがりに『強そうな気配』を感じて、じゃれついてきただけだ」

 

「……じゃ、じゃれついただけ……?

 ……あれで、ですか……?」

 

 若い騎士が、へし折られた巨木を見て絶句する。

 

「……そうだ。

 ……奴にとっては遊びでも、我々にとっては災害だ。

 ……一般市民が遭遇すれば、逃げることさえできずに肉塊にされるだろう」

 

 ケイレブは決断した。

 

「……即時撤退する!

 ……そして王都へ報告だ!

 ……この森は、まだ人が立ち入っていい領域ではない!」

 

 ◇

 

 その頃、街の方角から騒ぎを聞きつけた別の騎士団員たちが駆けつけてきた。

 彼らは森の中から響く轟音と衝撃波に驚き、全速力でやってきたのだ。

 

「……団長! 何事ですか!

 ……爆発音が聞こえましたが!」

 

「……遅かったな。もう終わったよ」

 

 ケイレブはボロボロの鎧を脱ぎ捨てながら答えた。

 そして集まってきた騎士たち全員に向かって、厳格な命令を下した。

 

「……通達だ!

 ……直ちに開拓民たちに布告を出せ!

 ……『迷わずの森』への立ち入りを、当分の間、全面的に禁止する!」

 

「……えっ? 立ち入り禁止ですか?

 ……しかし木材の調達や薬草の採取で、多くの商人が森に入りたがっていますが……」

 

「……許可するな!」

 

 ケイレブは一喝した。

 

「……この森は魔物の縄張りだ。

 ……それも我々が知るゴブリンやオークのレベルではない。

 ……『将軍級』の戦闘力を持つ魔獣が当たり前のように徘徊している魔境だと思え!」

 

 彼は自らの傷ついた体を示した。

 あの無敵を誇った宝珠騎士団長が、一対一でこれほどの深手を負ったという事実。

 それだけで事態の深刻さは十分に伝わった。

 

「……な、なるほど……。

 ……承知いたしました!

 ……直ちに立て札を立て、見張りを配置します!

 ……『危険区域につき立入禁止』と!」

 

「……ああ、頼む。

 ……幸い彼らは好戦的ではないようだ。

 ……こちらから縄張りを荒らさなければ、街まで攻め込んでくることはないだろう。

 ……だが刺激すれば、どうなるか分からん」

 

 ケイレブは森の奥――狼男が消えていった闇を見つめた。

 

「……我々は少し、調子に乗っていたようだな。

 ……ここは我々の庭ではない。

 ……彼らの庭の片隅を、間借りさせてもらっているに過ぎないのだ」

 

 新大陸の開拓は順調な滑り出しを見せていた。

 だが、この一件は人間たちに冷や水を浴びせると同時に、重要な教訓を与えた。

 

 未知の世界には、未知の脅威がある。

 魔法の力を手に入れたからといって、人間が食物連鎖の頂点に立ったわけではないのだと。

 

 その日の夕方。

 開拓都市の広場には、新しい掲示板が立てられた。

 

『警告! 北の森への立ち入りを禁ず!

 音速で動く狼男が出没中!

 命が惜しければ、近づくな!』

 

 市民たちはその看板を見て恐怖に震えながらも、どこかワクワクした表情で噂し合った。

「へえ、そんな強い魔物がいるのか」

「やっぱり新大陸はすげえな」

「いつか俺も強くなって挑んでみたいなあ」

 

 彼らの冒険心は、恐怖ごときでは萎縮しない。

 むしろ、その危険こそがこの新天地の魅力の一部なのだから。

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