異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第165話

 日本の地下深く、サイト・アスカの隔離チャンバー。

 かつて世界を滅ぼしかけた『神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)』が住まうその場所は、今や日本政府による過剰なまでの接待によって、極上のスイーツ・パラダイスと化していた。

 

 幼女の姿をとった神星龍――シンは、最高級のシルクで作られたクッションに身を沈め、日本中から献上された「プリン」の山を前に、至福の表情を浮かべていた。

 外の世界では、彼女の存在を巡って国際的な陰謀が渦巻いていることなど、彼女にとっては隣の銀河の天気予報ほども興味のないことだった。

 彼女の今の最大の関心事は、このカラメルの苦味と、カスタードの甘味の黄金比率についてのみである。

 

「……ふむ。悪くない。

 ……人間という種は脆弱だが、この『糖分』を練り上げる技術に関しては、銀河でもトップクラスかもしれんのう」

 

 彼女がスプーンを口に運ぼうとした、その時だった。

 

 何の前触れもなかった。

 魔力の揺らぎも、空間の歪みさえも感知できなかった。

 ただ気づけば、「そこ」にいた。

 

 部屋の中央、ふかふかのペルシャ絨毯の上に、一匹の黒猫がちょこんと座っていた。

 夜の闇を凝縮したような艶やかな毛並み。

 そして、全てを見透かすような、底知れない翠色の瞳。

 

「――うわーーーーーッ!!!!! で、出たーーーーーーッ!!!!!」

 

 シンは手に持っていたスプーンを放り投げ、弾かれたようにソファの背もたれまで飛び退いた。

 その顔は恐怖に引きつり、全身の毛が逆立つかのような戦慄が走っている。

 彼女は『Tier 0:理の体現者』。

 この宇宙の物理法則の一つを掌握する高位存在だ。

 だからこそ理解できてしまう。

 目の前にいる、この小さな獣の姿をした「ナニカ」が、自分とは次元の違う圧倒的な上位存在であることを。

 

「……な、なんじゃ、失礼なヤツじゃな……。

 久々に顔を見せに来てやれば、化け物扱いか?」

 

 黒猫は心底心外だというように、髭を震わせた。

 

 ガラスの向こうの監視室から、慌てた様子で橘紗英のアナウンスが入る。

 

『……し、神星龍様、落ち着いてください!

 ……その御方は、我々が以前お話しした「賢者・猫」様です!

 ……決して敵対的な存在では……!』

 

「……け、賢者だと……!?」

 

 シンはソファの陰から恐る恐る顔を出し、黒猫を凝視した。

 彼女の龍としての眼(マナ・アイ)が、黒猫の周囲に渦巻く因果律の情報を読み取ろうとする。

 だが読めない。

 情報がないのではない。

 あまりにも高密度で、あまりにも複雑な「理」が圧縮されすぎていて、彼女の処理能力では解析不能(エラー)を起こしてしまうのだ。

 

「……う、嘘じゃ……!

 ……これが賢者……? ただの魔法使いなどというレベルではないぞ……!

 ……想像通り、いや、想像を遥かに超えておる……!

 ……こやつは、我ら神星存在よりも遥かに上位の……『理』そのものを創り出す側の存在ではないか……ッ!?」

 

 シンはガタガタと震え出した。

 高次元存在にとって、階位(Tier)の差は絶対だ。

 Tier 0の自分にとって、Tier -1以上の存在は文字通りの「創造主」であり、「消去者」に等しい。

 彼らがその気になれば、シンの存在など概念ごと、宇宙の歴史からデリートキー一つで消し去ることができるのだ。

 

「……ひ、ひひぃぃ……!

 ……不敬で消されたくない……!

 ……あわわわ、さっき『出たー』とか言ってしまった……!

 ……す、すみません! 許して! 存在抹消しないでぇぇぇッ!!」

 

 プライドの高い龍神が頭を抱えて蹲る姿は、あまりにも情けなく、そして涙を誘うものだった。

 

「……消さんし、不敬とも思わんわい」

 

 賢者・猫は呆れたようにため息をついた。

 

「……お主、ワシを何だと思っておるんじゃ。

 ……破壊神か何かか?

 ……ワシはただの通りすがりの猫じゃよ」

 

「……そ、そうか……?

 ……本当に消さないか……?

 ……魂ごとリサイクルしたり、しないか……?」

 

「……しない、しない。

 ……まったく、ビビリ過ぎじゃろ。

 ……メザドベアの連中に虐められたのが、よほどトラウマになっておるようじゃな」

 

 賢者はとことこと歩み寄ると、シンの足元で丸くなった。

 

「……いや、だって……」

 シンは涙目で訴える。

「……話すのも不敬になるレベル差があるから怖いんじゃが……。

 ……お主自身が許しても、お主の眷属とか親衛隊とかに、あとで『あの時の態度は何だ』とか言って消されたりしない?

 ……大丈夫? 本当に大丈夫?」

 

「……眷属なんか居ないから大丈夫じゃよ。

 ……ワシはずっと一人(一匹)じゃ。

 ……気楽なもんじゃよ」

 

「……そ、そうなのか……」

 

 シンはようやく少しだけ落ち着きを取り戻した。

 どうやらこの超・上位神は、見た目通り(?)、気さくで権威を振りかざすタイプではないらしい。

 彼女は乱れたドレスを直し、咳払いを一つして、精一杯の威厳を取り繕った。

 

「……コホン。

 ……し、失礼した。

 ……あまりにも規格外の気配がしたものでな。つい取り乱してしまったわ」

 

「……まあよい。

 ……調子狂うのう」

 

 賢者は尻尾をゆらゆらと揺らした。

 

「……それで?

 ……今日は一体、なんの用があって、このようなむさ苦しい地下まで降りてこられたのじゃ?

 ……ワシに用事など、ないはずじゃろう?」

 

「……いや、挨拶とな。

 ……ついでに一緒に『観光』でもしないかと思ってのう」

 

「……観光?」

 

 シンは首を傾げた。

 

「……この狭い地下施設をか?

 ……それとも上の汚れた空気の街をか?

 ……あまり気乗りはせんな」

 

「……いや、もっと遠くじゃよ」

 

 賢者はニヤリと笑った(猫の顔で)。

 

「……異世界観光でも、どうじゃ?」

 

「……異世界……?」

 

 シンは目を丸くした。

 

「……異世界のう……。

 ……日本政府の人間からは聞いておるが、未だに信じられんわ。

 ……次元の壁を越えて自由に行き来するなど……。

 ……我ら神星存在でさえ、数千年かけて星の海を渡るのがやっとなのに……」

 

 彼女は賢者をじっと見つめた。

 

「……まあ、お主ほどの神が言うなら出来るんじゃろうな。

 ……『異界渡り』とやら……。

 ……理屈は分からんが、概念的に座標を書き換えているのか……?」

 

「……まあ、そんなところじゃ。

 ……どうじゃ?

 ここに閉じこもって、プリンばかり食べているのも飽きたじゃろう?

 ……外の空気を吸いに行くのも、悪くはないぞ?」

 

 悪魔の囁きならぬ、神の誘い。

 シンの心が揺れ動く。

 確かにこの地下生活は快適だが、退屈でもある。

 かつて大空を支配していた龍としては、もっと広い世界を見たいという欲求は常にあった。

 

「……ふむ。

 ……まあ、お主が護衛してくれるなら安心か。

 ……よかろう。付き合ってやってもよいぞ」

 

「……うむ。話が早くて助かる」

 

 賢者は立ち上がった。

 そしてガラスの向こうの橘に向かって声をかけた。

 

「……おい、橘。

 ……少し、この神星龍を預かるでな。

 ……夕方には返すから、心配するな」

 

『……は、はい! いってらっしゃいませ!

 ……くれぐれも暴走などなさらぬよう……!』

 

「……分かっておるわ」

 

 賢者はシンに向き直った。

 

「……では行こうか、神星龍!

 ……ああ、そういえば、お主に名前はあるのか?

 ……『神星龍』では、ちと呼びにくいんじゃが」

 

「……名前か」

 

 シンは少し考え込んだ。

 かつての文明では『対象実験体Ω』とか、『炉心』とか呼ばれていただけだ。

 個としての名前など、久しく呼ばれていない。

 

「……まあ、この姿になってからは、人間たちが勝手に『シン』と呼んでおるがな」

 

「……シンか。

 ……いい名じゃな。シンプルでよい。

 ……では、これからはシンと呼ぶぞ」

 

「……うむ。許可しよう」

 

「……では、いくか、シン」

 

 賢者はシンの小さな手を、その肉球でポンと叩いた。

 

「――転移」

 

 世界が反転する。

 サイト・アスカの地下室が、光の彼方へと消え去った。

 

 

 一瞬の浮遊感の後、シンが目を開けると、そこは見たこともない奇妙な空間だった。

 どこまでも広がる銀色の壁。

 空中に浮かぶ半透明のディスプレイ。

 そして窓の外に広がる漆黒の闇と、無数の星々の輝き。

 

「……こ、ここは……?」

 

 シンは周囲を見渡して絶句した。

 

「……宇宙……か?

 ……いや、ここは船の中か?

 ……なんという……凄いテクノロジーを感じるが……」

 

 彼女はかつて高度な魔法文明に囚われていたが、この場所の技術レベルはその比ではないことを本能的に悟った。

 魔力ではない。

 もっと純粋で洗練された、未知のエネルギーがこの空間を支配している。

 

「……ああ、ここは俺の宇宙船だよ。

 ……『テッセラクト・ボイジャー』っていうんだ」

 

 聞き慣れない若い男の声がした。

 シンが振り返ると、そこには先ほどの黒猫はいなかった。

 代わりに立っていたのは、一人の黒髪の青年だった。

 Tシャツにスウェットという、あまりにもラフな格好をした、どこにでもいそうな日本の若者。

 

「……な、なんじゃ?

 ……お主、猫から人間になるのか……?」

 

 シンは目をぱちくりさせた。

 気配は間違いなく、さっきの賢者だ。

 だが姿形が、完全に人間になっている。

 

「……ああ、これね。

 ……異世界だと基本的に、この人間フォームでいるんだよね。

 ……地球で日本政府と接触するときだけ、面倒だから猫フォームで通してるんだ」

 

 青年――新田創は頭を掻きながら苦笑した。

 

「……あっ、これ、日本政府には黙っててね?

 ……あいつら、俺が人間だって知ったら、また面倒なこと言い出しそうだし。

 ……猫のフリしてる方が、何かと都合がいいんだよ」

 

「……はあ。

 ……了解したのじゃ。

 ……神にも世俗の事情というものがあるのじゃな」

 

 シンは納得したように頷いた。

 むしろこの人間の姿の方が、彼女にとっては親しみやすかった。

 あの底知れない黒猫の姿よりも、幾分か「話が通じそう」な気がしたからだ。

 

「……して、ここは宇宙船と言ったか?

 ……お主、こんな物まで持っておるのか。

 ……メザドベアの連中が見たら、泡を吹いて倒れそうじゃな」

 

「……まあね。

 ……ここは俺の別荘みたいなもんだよ。

 ……シンには、ここのワープ許可を出しておくから、時々遊びに来て良いよ。

 ……地球の地下が窮屈になったら、ここで息抜きすればいい」

 

「……なんと!

 ……自由にここに来て良いのか!?」

 

 シンの目が輝いた。

 この閉塞感のない広大な宇宙空間を眺められる場所。

 ここなら、かつて星の海を旅していた頃の気分に浸れるかもしれない。

 

「……うむ! 感謝するぞ、賢者・猫よ!

 ……お主、意外といい奴じゃな!」

 

「……はは、どうも。

 ……じゃあ、どこに行く?

 ……色々と世界はあるけど」

 

 創は空中にホログラムの地図を展開した。

 そこには彼がこれまでに開拓してきた、数々の異世界へのゲートが表示されている。

 

「……オススメは、ここかな」

 

 彼が指差したのは、一つの大陸の地図だった。

 

「……『新大陸』へのゲートが出来て、今、一番盛り上がってる場所だ。

 ……『グランベル王国』っていう国が管理してるんだけど、毎日がお祭り騒ぎだよ。

 ……最近は日本から持ち込んだ文化も混ざって、カオスで面白いことになってる」

 

「……ふむ。

 ……活気のある場所か。悪くないのう。

 ……じゃあ、そこでいいぞ」

 

 シンは頷いた。

 そして、最も重要な質問を口にした。

 

「……ところで、そこには『甘い物』はあるのか!?」

 

 彼女の瞳が、獲物を狙う肉食獣のように鋭く光る。

 日本での生活ですっかりスイーツ中毒になってしまった彼女にとって、それは死活問題だった。

 

「……あー、甘い物かあ……」

 

 創は少し困った顔をした。

 

「……一応、砂糖や香辛料は俺が卸してるから、それなりにはあるけど……。

 ……食事に関しては、まだ発展途上だね。

 ……日本のコンビニスイーツみたいなレベルのものは、まだ期待しない方がいいかな。

 ……『王の慈悲のクッキー』とか、『雲のパン』とかはあるけど」

 

「……むぅ。

 ……それは少し残念じゃな。

 ……旅の醍醐味は、その土地の甘味にあるというのに」

 

 シンは露骨にがっかりした顔をした。

 その姿を見て創は苦笑した。

(……こいつ、本当に神様か? ただの食いしん坊な子供にしか見えないんだが……)

 

「……まあ、そんな顔するなって」

 

 創はパチンと指を鳴らした。

 その瞬間、何もない空間から甘い香りが漂い始めた。

 そしてシンの目の前のテーブルに、忽然と一つの皿が現れた。

 

 そこに乗っていたのは、美しい三層のスポンジと、真っ白なクリーム、そして宝石のようなイチゴで飾られた、完璧なショートケーキだった。

 

「……こ、これは……!!」

 

 シンの表情が一瞬でパアッと明るくなった。

 彼女はフォークをひったくり、ケーキを一口食べた。

 

「……んん~~~~ッ!!!

 ……美味い!!!

 ……これじゃ! この味じゃ!

 ……スポンジのしっとり感と、クリームの軽やかさ……!

 ……物質創造で、ここまで完璧な味を再現するとは……!

 ……上位神は、やはり凄いのう……!」

 

 彼女は感動のあまり震えていた。

 創の能力を完全に「美味しいものを出すための力」として認識した瞬間だった。

 

「……よし! 気力が充実したぞ!

 ……賢者・猫よ、案内せい!

 ……そのグランベル王国とやらに、ワシの祝福を与えに行ってやろうではないか!」

 

 ケーキを平らげたシンは、鼻息も荒く立ち上がった。

 その手には、ちゃっかりとお代わりのケーキ皿が握られている。

 

「……はいはい。

 ……じゃあ、行きますか」

 

 創は苦笑しながら、異界渡りを発動させた。

 

「……とりあえず向こうでは、正体を隠して『俺の遠い親戚の子供』ってことにしておくから。

 ……いきなりドラゴンになったり、ビーム撃ったりしないでね?」

 

「……うむ、心得ておる。

 ……ワシも、お忍びの旅というやつを楽しみたいからのう」

 

 最強の神と、最恐の(元)破壊神の、奇妙な二人旅が始まろうとしていた。

 グランベル王国の人々はまだ知らない。

 今日、彼らの街に、歴史を揺るがすほどの「大食い」が舞い降りることを。

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