異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語 作:パラレル・ゲーマー
日本の地下深く、茨城県筑波研究学園都市の地下要塞『サイト・アスカ』。
その最深部に位置する、神星龍の隔離チャンバー前は、ここ数時間、針のむしろのような緊張感に包まれていた。
なにしろ、この国の、いや、この星の命運を握る最高機密にして、最強の爆弾である『神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)』が、忽然と姿を消してしまったのだから。
もちろん、連れ出したのは、あの「賢者・猫」であることは分かっている。
彼が「少し預かる」と言い残して転移したのだ。
だが、相手は気まぐれな神と、情緒不安定な(元)破壊神である。
「ちょっと観光」と言って出かけたまま、数百年、帰ってこない可能性だってゼロではない。
あるいは、旅先で喧嘩別れして、シンだけが暴走状態で帰ってくる、という悪夢のようなシナリオも、関係者たちの脳裏をよぎっていた。
内閣情報調査室の橘紗英は、腕時計とモニターを交互に睨みつけながら、何度目か分からない深呼吸を繰り返していた。
隣にいる長谷川健吾教授に至っては、拝むように手を組み、ブツブツと何か(おそらく物理学の公式か、経文)を唱えている。
「……予定時刻を過ぎています」
橘の声は硬い。
「……賢者様の『夕方には返す』という言葉、こちらの世界の時間軸での話であれば良いのですが……」
「……異世界との時間流のズレ……相対性理論……いや、魔法的な干渉があれば……」
長谷川が、うわ言のように呟く。
その時だった。
チャンバーの中央、何もない空間が、陽炎のように揺らぎ、光の粒子が渦を巻いた。
警報音が鳴るよりも早く、空間が裂け、そこから二つの影が、転がり落ちるようにして現れた。
「――ほれ、着いたぞ」
「……むう。もう終わりか、名残惜しいのう」
一匹の黒猫と、銀髪の幼女。
賢者・猫と、神星龍シンである。
「……!」
橘は思わずガラスに張り付いた。
無事だ。
五体満足、怪我もなし。
それどころか、シンの顔色は以前よりも艶やかで、その表情には満ち足りた幸福感すら漂っている。
マイクのスイッチを入れ、橘が声をかけた。
「……おかえりなさいませ、賢者様、神星龍様!
……ご無事で何よりです……!
……突然のことで、我々も肝が冷えましたが……」
その必死な声に、シンはきょとんとした顔で振り返った。
その手には、どこかの露店で買ったと思われる、食べかけの焼き菓子が握られている。
『……ん? なんじゃ、騒々しい。
……ワシはただ、この猫……いや、賢者に連れられて、少しばかり「外」の空気を吸ってきただけじゃぞ?
……無断外泊などと、人聞きの悪い』
「……いいえ、ご連絡がなかったので……。
……我々としては、貴方様がいなくなってしまわれたら、国家の存亡に関わりますので……」
橘の言葉に、シンはふんと鼻を鳴らした。
『……心配性な人間どもめ。
……まあよい。
……おかげで、良い気分転換になったわ』
彼女は隣に座る黒猫を見下ろした。
その目には、出発前のような怯えや警戒心はない。
あるのは、同じ「高み」を知る者への親愛と、そして隠しきれない畏敬の念だった。
「……そりゃ良かった。
……まあ、また気が向いたら連れて行ってやるよ」
賢者・猫は大きくあくびをした。
その態度はどこまでも自然体で、相手が世界を滅ぼせる龍神であることを、微塵も感じさせない。
「……さて。ワシはそろそろ帰るかのう。
……家の「ゲーム」のイベントが進んでないからの」
『……げーむ?
……お主、まだ遊び足りんのか?
……底なしの体力じゃな……』
シンは呆れたように首を振ったが、その表情はどこか楽しげだった。
「……橘よ。
……この娘(こ)も、少しは機嫌が直ったようじゃ。
……あとは、お主たちで上手くやってくれ。
……甘い物は、切らすなよ?」
「……は、はい! 承知いたしました!
……本日は、お連れいただきありがとうございました!」
橘と長谷川が深々と頭を下げる中、賢者・猫は尻尾を振って、再び空間の彼方へと消え去った。
後に残されたのは、満足げに焼き菓子の最後の一口を頬張る幼女と、安堵で腰が抜けそうになっている人間たちだけだった。
『……ふぁあ。
……腹も膨れたし、眠くなってきたのう。
……おい、人間。
……寝床を整えよ。
……今日は良い夢が見られそうじゃ』
シンはそう言うと、天蓋付きのベッドへと潜り込んでいった。
その寝顔は、数千年の封印の怨嗟など微塵も感じさせない、ただの無邪気な子供のそれだった。
◇
数時間後。東京、永田町。
総理大臣官邸の地下深く、プロジェクト・キマイラ作戦司令室。
深夜にもかかわらず、そこには日本の最高意思決定機関のメンバーが勢揃いしていた。
宰善茂総理大臣、綾小路俊輔官房長官、そしてサイト・アスカから急いで戻った橘紗英。
テーブルの上には冷めたコーヒーと、今回の「神星龍一時失踪事案」に関する詳細な報告書が置かれている。
「……まずは、神星龍が無事に帰還したことを喜びましょう」
宰善総理が、重い空気を払拭するように口火を切った。
その顔には深い疲労の色が刻まれているが、目は鋭く光っている。
「……もし彼女が戻らなかったら、あるいは暴走状態で戻っていたら……今頃、我々は日本沈没のカウントダウンを聞いていたかもしれませんからな」
「……ええ、全くです」
橘が頷く。
「……現場からの報告によれば、神星龍――シンの精神状態は極めて安定しています。
……賢者様との『異世界旅行』は、彼女のストレス解消、そして人間(我々)に対する敵意の軟化に、劇的な効果をもたらしたようです」
「……毒を以て毒を制すとは言いますが……」
綾小路が苦笑混じりに扇子を開いた。
「……神を以て神を制す、ですかな。
……あの賢者様が、まさかベビーシッターまでこなされるとは。
……あの方の『守備範囲』の広さには、改めて感服いたしますな」
「……さて」
宰善は話題を切り替えた。
ここからが今日の本題だ。
「……今回の件で、我々は二つの重要な『事実』を確認しました。
……一つは、賢者・猫様の『格』について。
……もう一つは、神星龍シンの『扱い』についてです」
総理は橘を見た。
「……橘君。
……サイト・アスカの監視カメラと音声ログ解析は済んでいるね?」
「……はい。
……特に注目すべきは、賢者様が現れた瞬間の神星龍の反応です」
橘はモニターに映像を映し出した。
そこには、あの尊大な龍神が黒猫の姿を見た瞬間に顔を引きつらせ、ソファの裏に隠れようとする情けない姿が記録されていた。
『……うわーーーーーッ!!!!! で出たーーーーーーッ!!!!!』
『……不敬で消されたくない……!』
『……こやつは、我ら神星存在よりも遥かに上位の……『理』そのものを創り出す側の存在ではないか……ッ!?』
音声ログから再生されるシンの悲鳴。
それを聞いて、会議室の空気が凍りついた。
「……『理を創り出す側』……ですか」
綾小路が低く呻いた。
「……我々はこれまで、賢者様を『高度な魔法文明の住人』、あるいは『異世界の超越者』として認識しておりましたが……。
……どうやら、その認識さえも甘かったようですな」
「……ええ」
橘が神妙な面持ちで続ける。
「……神星龍は、かつて一つの文明を滅ぼし、星の海を渡った高次元生命体です。
……その彼女が、これほどまでに怯え、絶対的な服従の姿勢を見せる相手。
……賢者様は単なる『魔法使い』ではありません。
……おそらくは神話級の……いや、神話そのものを書き換える権限を持った、宇宙的特異点(コズミック・シンギュラリティ)と呼ぶべき存在です」
シンギュラリティ。
因果律の特異点。
日本政府がこれまで「便利なお隣さん」感覚で付き合ってきた相手は、触れるだけで世界を消滅させかねない、究極のアンタッチャブルだったのだ。
「……どうしますか、総理?」
綾小路が問うた。
「……相手の『格』が違いすぎると判明した今、これまでの対応を変えますか?
……より恭しく、より慎重に……。
……神殿でも建てて、毎朝夕に祈りを捧げますか?」
その皮肉めいた問いに、宰善はしばし目を閉じ、腕を組んで考え込んだ。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「……いや。
……今更、変えても仕方がないだろう」
「……ほう?」
「……考えてもみたまえ。
……あの方は、これまで我々に対して神として崇められることを求めたことがあったか?
……否だ。
……あの方が求めたのは、常に『面白い玩具』と『美味しい食事』、そして『対等に近い会話』だった」
宰善は賢者とのこれまでのやり取りを思い返した。
彼は決して、ひれ伏すことを強要しなかった。
むしろ、人間が必死に知恵を絞り、あがく様を面白がっていた。
「……あの方は、我々の『必死さ』と『滑稽さ』を愛しておられるのだ。
……それを今更、畏まって距離を置くような真似をすれば……。
……かえって『つまらん』と見限られる恐れがある」
「……なるほど。
……『友達』としての距離感を保つことこそが、最強の安全保障というわけですな」
綾小路が納得したように頷く。
「……それに、今回のログを見る限り、賢者様は神星龍に対しても『ワシはただの猫じゃ』と仰っておられた。
……あの方は、自身の正体を特別視されることを、あまり好まれないようだ。
……ならば我々も、これまで通り『偉大なる協力者』として接するのが、礼儀というものだろう」
「……承知いたしました」
橘がメモを取る。
「……賢者様への対応は現状維持(ステイ)。
……ただし、その『機嫌を損ねない』という最優先事項の重要度は、レベル・アルファからレベル・オメガへ引き上げます。
……あの方を怒らせることは、即ち日本の、いや地球の消滅を意味すると、関係者全員に徹底させます」
レベル・オメガ。
国家存亡の機と同義の最高警戒レベルだ。
それが、一匹の猫の「ご機嫌取り」に適用される。
滑稽だが、笑えない現実だった。
「……さて、次の議題だ」
宰善は資料をめくった。
そこには、幼女姿の神星龍の写真と、彼女が本来の姿(巨龍)で東京上空に現れた際の不鮮明な写真が並べられていた。
「……神星龍シンの存在についてだ。
……これを国民……そして世界に、どう説明するか」
出現時の騒動は、まだ記憶に新しい。
東京の空を覆った紫の雲と、その中に見えた巨大な影。
ネット上では「怪獣出現か?」「新兵器の実験か?」「ホシミコの遺産が暴走した?」と様々な憶測が飛び交っている。
これ以上、沈黙を守るのは限界だった。
「……開示しましょう」
綾小路があっさりと言った。
「……隠し立てするには、あまりにも目撃者が多すぎました。
……それに、我々の『プロジェクト・キマイラ』……ホシミコ神話の物語を補強するためにも、彼女の存在は利用価値があります」
「……利用価値ですか」
「……ええ。
……我々のシナリオでは、ホシミコ女王は古代の叡智と共に、それを守る『守護者』を遺したことになっています。
……アメリカ大統領にも、そう説明しましたな」
「……『守護龍』ですね」
「……左様。
……あの龍は、破壊神でも、宇宙怪獣でもない。
……古代の日本を守るために封印されていた、聖なる守護獣であると。
……そして現代の日本が危機(という設定)に瀕している今、封印が解かれ、我々に力を貸してくれることになったのだと」
「……なるほど。
……ポジティブなイメージで上書きするわけですね」
宰善は頷いた。
恐怖の対象を、信仰と憧れの対象へとすり替える。
情報操作の基本だ。
「……幸い、今の彼女(シン)の姿は、あのような愛らしい少女です。
……龍の姿のままではパニックになりますが、人の姿であれば、国民の受け入れも容易でしょう。
……『龍の化身』として紹介すれば、サブカルチャーに親しんだ日本国民なら、むしろ熱狂的に歓迎するかもしれません」
「……『ロリババア』属性というやつですな」
権田原氏(サブカル評論家)の入れ知恵を思い出し、宰善は苦笑した。
「……ただし」
橘が釘を刺す。
「……記者会見などは避けるべきです」
「……理由は?」
「……リスクが高すぎます。
……神星龍様は見た目は少女ですが、中身は数万年を生きた超越者。
……そして何より、我々現代社会の常識に疎く、口が軽い」
橘は頭を抱えるような仕草をした。
「……もし生放送で、うっかり『異世界』のことや『メザドベア文明』のこと、あるいは『日本政府からプリンを貰って手懐けられた』などと口走られたら……。
……我々が積み上げてきたカバーストーリーは、一瞬で崩壊します」
「……確かに」
宰善は顔をしかめた。
あの幼女がカメラの前で「日本の菓子は宇宙一じゃ!」などと言い出す姿が、容易に想像できる。
それはそれで平和だが、国家の威信としては大問題だ。
「……では、メディアへの露出は制限するとして……。
……どうやって存在を公表する?」
「……映像と写真、そして政府広報による一方的な発表に留めましょう」
綾小路が提案した。
「……『サイト・アスカの奥深くで、守護龍の化身が眠りから覚めた』というナレーションと共に、神秘的な映像を公開するのです。
……彼女が祈りを捧げる姿や、日本の平和を願う言葉(台本あり)を語る姿を編集して流す。
……直接のインタビューは『長い眠りからの覚醒直後で不安定なため』とでも言って断ればいい」
「……編集された映像か。
……それなら、ボロが出る心配もないな」
「……ええ。
……そして彼女を『日本の守護神』としてアイコン化するのです。
……そうすれば、他国も容易には手出しできなくなります。
……『日本には生きた神がついている』と思わせることができれば……」
「……抑止力になるか」
宰善は深く頷いた。
核兵器以上の抑止力。
それが、ショートケーキで買収された幼女だとは、誰も思うまい。
「……よし、決まりだ。
……神星龍シンの存在を『ホシミコの守護龍』として公表する。
……ただし、接触は厳しく制限し、情報は我々がコントロールする。
……橘君、彼女への根回しは頼めるか?」
「……はい。
……『美味しいお菓子と、ふかふかのベッドを用意する代わりに、カメラの前で少しだけ演技をしてほしい』と言えば、二つ返事で承諾していただけるかと」
「……ははは。安い神様だ」
司令室に、少しだけ安堵の笑いが漏れた。
◇
数日後。
日本政府は、再び世界を驚愕させる発表を行った。
『――緊急発表。
サイト・アスカにて、ホシミコ女王の遺産を守護する「聖なる存在」の覚醒を確認。
その姿は伝説に語られる龍の化身であり、現在は人の姿をとって我々と対話を行っている――』
テレビ画面に映し出されたのは、純白の巫女装束(政府が用意したコスプレ)に身を包み、神秘的な祭壇の前で静かに佇む、銀髪の美少女の姿だった。
その深紅の瞳は、この世ならざる叡智と慈愛(と、撮影後のオヤツへの期待)に満ちている。
『……我が名は、シン。
……古の約定に従い、この日ノ本を守るために目覚めた。
……民よ、恐れることはない。
……我は常に、そなたらと共に在る……』
その映像美と、少女の圧倒的なカリスマ性(なにせ本物の神だ)に、日本中が、いや世界中が釘付けになった。
「……か、神様だ……!」
「……本当に、いたんだ……!」
「……あんな可愛い子が、あの巨大な龍に変身するの!?」
「……萌え……いや、尊い……!」
ネット上では瞬く間に『シン様ファンクラブ』が結成され、彼女のイラストや考察が溢れかえった。
海外メディアも「日本の新たな象徴」「生ける伝説」として、大々的に報道した。
その熱狂を、サイト・アスカの個室で高級メロンをスプーンですくいながら眺めていたシンは、満足げに鼻を鳴らした。
「……ふむ。
……人間どもも、なかなか見る目があるではないか。
……『尊い』とは崇拝の言葉か?
……悪くない響きじゃ」
彼女の足元では、賢者・猫が呆れたようにあくびをしていた。
「……調子に乗るなよ、シン。
……あまり目立ちすぎると、また面倒な奴らが寄ってくるぞ」
「……ふん。その時は、お主が追い払ってくれるのじゃろう?
……ワシの飼い主(スポンサー)としてな」
「……誰が飼い主だ。
……まったく、手のかかるペットを拾ったもんだ」
賢者は苦笑しつつも、その光景を悪い気はせずに眺めていた。
こうして日本には、新たな「神」が加わった。
彼女の存在は、日本政府の描く「キマイラ神話」をより強固なものにし、世界の目を一層、日本へと釘付けにすることになる。
だが、それは同時に、新たな火種を生むことにもなるのだが……。
それは、まだ少し先の話である。
今はただ、平和な(?)おやつの時間が流れていた。