異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第168話

 世界は神話と現実の境界が、曖昧になった時代を迎えていた。

 日本が公開した『神星龍(ディバイン・スター・ドラゴン)』、通称シン。

 その銀髪の少女の姿と、かつて東京上空に顕現した巨大な龍の威容は、瞬く間に地球全土の視聴覚をジャックし、新たな宗教的熱狂すら生み出していた。

 だが熱狂は時に、為政者たちの予測を遥かに超えた方向へと暴走する。

 

 事の発端は、中華人民共和国の巨大SNS『ウェイボー』に投稿された、ある一本の動画だった。

 投稿者は「歴史の真実を暴く」を標榜する人気インフルエンサー、『龍の末裔』こと李(リー)。

 数千万人のフォロワーを持つ彼の動画は、公開からわずか数時間で爆発的な再生数を記録した。

 

『――同胞たちよ、目を覚ませ!』

 

 動画の中で李は、熱っぽく語りかける。

 背景には、東京上空に現れた神星龍の画像と、中国の古い掛け軸に描かれた龍の絵が並べられている。

 

『日本政府はこの龍を、「古代日本の守護獣」だと発表した。巫女王ホシミコが遺した遺産だと。だが、よく見てほしい!

 この龍の姿……長い胴体、鹿の角、駱駝の頭、鬼の目、蛇の項、蜃の腹、鯉の鱗、鷹の爪、虎の掌!

 これは、まさしく我が中華文明の象徴である「龍」そのものではないか!』

 

 彼は画面を指差して叫ぶ。

 

『歴史を紐解けば明白だ! 巫女王ホシミコが生きたとされる時代、日本はまだ文明の黎明期にあった。対して我が国は、既に高度な文明を誇っていた。

 もしホシミコが本当に、これほどの神獣を従えていたのだとすれば……それは彼女自身が我が国から渡った高貴な血筋であったか、あるいは我が国の皇帝が東方の島国への返礼として、この龍を「下賜」したと考えるのが自然ではないか!』

 

 論理の飛躍も甚だしい、暴論である。

 だが、ナショナリズムと羨望に火がついた民衆にとって、論理の整合性など二の次だった。

 

『そうだ! 日本が独占している、あの龍は本来、我々のもとに帰るべき存在なのだ!

 日本政府は歴史を捏造し、我々の守護神を盗用している!

 返還を求めよ! 龍を故郷へ!』

 

 この動画は、乾いた草原に放たれた火花のように、中国全土のネット空間を炎上させた。

 コメント欄は、怒りと愛国心で埋め尽くされる。

 

「そうだ! あの龍は中国の龍だ!」

「日本は歴史を直視せよ!」

「ヒメミコは徐福の末裔か、あるいは遣隋使が持ち帰った宝貝の一つに過ぎない!」

「政府は何をしている! 今すぐ日本に抗議しろ!」

 

 その熱気はネットを飛び出し、現実のデモへと発展しかけていた。

 北京の日本大使館前には、龍の絵を掲げた群衆が集まり始めていたのである。

 

 

 北京、中南海。

 中国共産党の中枢機関であるこの場所でも、頭を抱える者たちがいた。

 

 国家主席の腹心であり、対日政策の要である王毅(ワン・イー)政治局常務委員は、窓の外から聞こえてくる微かなシュプレヒコールに、深い深いため息をついた。

 

「……やれやれ。火がつくと早いですな、我が国の民は」

 

 彼は執務室のソファに身を沈め、苦々しい茶を啜った。

 隣には外務大臣の陳(チェン)が、タブレット端末に表示されるネットの炎上具合を見ながら、眉をひそめている。

 

「……対応が遅れれば、党への批判に転嫁されかねません。

 『政府は弱腰だ』、『日本に媚びている』と。

 ……ですが王毅先生。

 本気で日本政府に『龍を返せ』などと要求するわけには、いきませんでしょう?」

 

「……当たり前だ」

 

 王毅は鼻で笑った。

 

「……そんなことをすれば、国際社会の笑い者だ。

 それに忘れてはならん。

 我々の火星計画……『火星共同開発イニシアチブ』の命綱を握っているのは、誰だ?」

 

「……日本です。

 ……宇宙船『やまと』の輸送力がなければ、我々の火星コロニー計画は画餅に帰します」

 

「……その通りだ」

 

 王毅は天井を仰いだ。

 日本との関係は今や、かつてないほど複雑で、そして重要だった。

 

 『やまと』の使用権を巡り、あのアメリカと共同戦線を張ってまで日本に圧力をかけたのは記憶に新しい。

 だが、それはあくまで「ビジネス」と「覇権」のゲームだ。

 

 今回のような感情的な、しかも根拠のないオカルト論争で日本を刺激し、『やまと』の使用を拒否されたりすれば、そこそ国益を損なうどころの話ではない。

 

「……めんどくせーことになったな」

 

 王毅は普段は絶対に使わないような俗語を漏らした。

 それほどまでにこの事態は、「ダルい」案件だった。

 

「……ですが民衆のガス抜きは必要です。

 ……放置すれば暴動になりかねません」

 

「……分かっている。

 ……陳、ホットラインを繋げ。

 ……宰善総理と、内々の話をせねばならん」

 

 

 東京、永田町。

 総理大臣官邸の地下危機管理センター。

 ここもまた、中国のネット炎上を受け、重苦しい空気に包まれていた。

 

 メインスクリーンには、中国のインフルエンサーの動画と、日本大使館前のデモの様子が映し出されている。

 

「……『中国の龍』ですか。

 ……まあ、デザイン的には似ていなくもないですが」

 

 官房長官の綾小路俊輔が、扇子で口元を隠して皮肉っぽく笑った。

 

「……それにしても、こじつけが過ぎますな。

 ……返礼品だの、下賜されただの。

 ……彼らの中華思想(ちゅうかしそう)には、いささか閉口しますよ」

 

「……笑い事ではありませんよ、長官」

 

 内閣情報調査室の橘紗英が、冷徹な声で釘を刺す。

 

「……論理が破綻していようと、数億人がそれを信じ叫べば、それは『外交圧力』という物理的な力になります。

 ……現に中国外務省の報道官が定例会見で、『日本の歴史認識と文化財の帰属について懸念を持っている』などと、曖昧ながらも民衆に迎合するコメントを出しました」

 

「……人気取りのためでしょうが、迷惑な話です」

 

 宰善茂総理大臣が、こめかみを押さえた。

 

「……さて、どうしたものか。

 ……こちらとしては『神星龍は日本の守護神である』という公式見解を崩すわけにはいかん。

 ……かといって真っ向から反論すれば、火に油を注ぐことになる」

 

 その時、ホットラインの呼び出し音が鳴り響いた。

 発信元は北京。

 王毅からだ。

 

 宰善は綾小路と顔を見合わせ、深呼吸をしてから回線を開いた。

 

「……もしもし。宰善です」

 

『……宰善総理。王毅です。

 ……いやはや、お互いに「やっかいな客」を抱えて苦労しますな』

 

 モニターの向こうの王毅は、公式の場で見せる鉄仮面のような表情ではなく、どこか疲れた苦労人の顔をしていた。

 

「……やっかいな客とは、ネットの世論のことですかな?」

 

『……ええ。

 ……単刀直入に申し上げます。

 ……今回の騒動、我々としても頭を抱えております。

 ……あのインフルエンサーの妄言を、政府として支持するつもりは毛頭ありません』

 

「……ほう。それは重畳」

 

『……ですが、総理もご存知の通り、数億の民の声を無視することもできんのです。

 ……彼らは「プライド」を求めている。

 ……そこでだ』

 

 王毅は声を潜めた。

 

『……表向き我々は、少し強気な声明を出します。

 ……「日本一国による管理体制には疑問がある」とか、「歴史的経緯の再調査を求める」とか。

 ……だがこれは、あくまで国内向けのポーズです。

 ……本気で龍を返せなどと要求するつもりはないし、『やまと』の運行スケジュールに影響を与えるつもりもない。

 ……そこは阿吽の呼吸で理解していただきたい』

 

 要するに、「ごめんね? 民衆がうるさいから一応文句言うけど、気にしないで?」という謝罪電話だった。

 

「……なるほど。

 ……貴国のお立場、理解いたしました。

 ……我々としても『やまと』による火星輸送という最重要プロジェクトを、このような瑣末な感情論で停滞させるつもりはありません」

 

『……感謝します。

 ……いやはや、ヒメミコ様とやらの遺産は魅力的すぎるが故に、罪作りですな』

 

 王毅は自嘲気味に笑い、通信を切った。

 

 モニターが暗転した後、宰善総理は椅子に深く沈み込んだ。

 

「……だそうです」

 

「……食えない古狸め」

 

 綾小路が、扇子をパチリと閉じた。

 

「……『ポーズだ』と言いつつ、あわよくば管理権の一端に食い込もうという下心が見え隠れしますな。

 ……『日本だけに管理させるのはおかしい』という論調は、国際世論を味方につけやすい。

 ……民衆の暴走を利用して、ジャブを打ってきているわけです」

 

「……ええ。

 ……ですが今回は『やまと』という絶対的な切り札が我々にあります」

 

 橘が冷静に分析する。

 

「……彼らが本気で我々を怒らせれば、火星計画が頓挫することを知っている。

 ……だからこそ裏では、こうして詫びを入れてくる。

 ……『やまと』の抑止力は、核兵器以上ですね」

 

「……まあ、そうだな。

 ……だが、シンの存在を公表したのは、やはり失敗だったかもしれん」

 

 宰善は天井を仰いだ。

 

「……『守護龍』というカバーストーリーは完璧だと思っていたが、まさか『起源』を巡って所有権を主張されるとはな。

 ……神話というのは、どの国にも都合よく解釈されるものだ」

 

 そして彼は、ある「可能性」に思い至り、背筋を凍らせた。

 

「……おい、待てよ。

 ……もしこれが神星龍ではなく、『賢者・猫』様の存在を公表していたら、どうなっていたと思う?」

 

 その問いに、室内の空気が一瞬にして凍りついた。

 

 賢者・猫。

 時空を超え、因果律を書き換え、神星龍さえも手懐ける真の超越者。

 そしてその姿は――どこからどう見ても、ただの「黒猫」である。

 

「…………」

 

 綾小路が引きつった笑みを浮かべた。

 

「……おそらくエジプトが『バステト神の再来だ! 返還せよ!』と叫び出し……。

 ……欧州では『魔女の使い魔だ! バチカンで管理すべきだ!』と騒ぎになり……。

 ……中国では『いや、あれは黒き麒麟の変異体だ!』と言い出しかねませんな」

 

「……そして、何より」

 橘が蒼白な顔で付け加える。

「……賢者様ご自身が、そのような騒動を最も嫌っておられます。

 ……もし世界中から追いかけ回されるようなことになれば……。

 ……『面倒くさい』の一言で、この世界を見捨てて去ってしまうかもしれません。

 ……あるいは、鬱陶しい国を地図から消去なさるか……」

 

「……ひぃっ」

 

 想像するだけで胃が痛くなるシナリオだ。

 神星龍の所有権争いなど、可愛いものだと思えるほどに。

 

「……やはりカバーストーリーは正解でしたな」

 

 宰善は額の汗を拭った。

 

「……賢者様の存在は、『古代の巫女王ヒメミコ』という伝説のオブラートに包んで隠し通す。

 ……この方針は未来永劫、堅持せねばならん。

 ……神の実在など、人類には早すぎる劇薬なのだ」

 

「……御意」

 

 彼らは改めて、プロジェクト・キマイラ(隠蔽工作)の重要性を再認識した。

 だが、目の前の中国の騒動は、どうにかせねばならない。

 

「……さて、中国のガス抜きですが」

 

 綾小路が提案した。

 

「……かつてアメリカのトンプソン大統領が来日した際、神星龍様と『面談』なさいましたな。

 ……あれと同じことを、中国の特使にもさせてはいかがですかな?」

 

「……面談ですか」

 

「……ええ。

 ……『龍は日本の守護神だが、中華の友人を拒むものではない』という建前で、王毅あたりをサイト・アスカに招待するのです。

 ……そして幼女姿のシン様と、少しお話ししてもらう。

 ……もちろん会話の内容は、我々が厳重にコントロールしますが」

 

「……なるほど」

 

 宰善は顎を撫でた。

 

「……『中国の要人が龍神と謁見した』という事実は、彼らの面子を立てることになる。

 ……『日本は独占しているわけではない』というポーズにもなる。

 ……そして、シン様ご本人の口から『ワシはここが気に入っておる』と言っていただければ、帰属問題も沈静化するでしょう」

 

「……ですね。

 ……それに、あの神星龍様のことです。

 ……『中華料理のフルコース』でも献上させれば、上機嫌で会ってくださるでしょう」

 

 橘が少し呆れたように言った。

 最強の龍神の買収価格が「美味しいご飯」であることを、彼らは熟知していた。

 

「……よし、それでいこう」

 

 宰善は決断した。

 

「……すぐに中国政府に打診しろ。

 ……『特別謁見』の場を設けると。

 ……ただしカメラはなしだ。公式記録は、我々が編集したもののみとする。

 ……シン様が余計なことを口走らないよう、事前の『おやつ』は弾んでおけよ」

 

「……承知いたしました」

 

 こうして、神と人間の滑稽で切実な外交劇が、また一つ幕を開けることになった。

 

 

 その頃。

 サイト・アスカの隔離チャンバー。

 

 神星龍シンは、タブレット端末で動画を見ていた。

 画面の中では中国のインフルエンサーが熱っぽく「龍は中国のものだ!」と叫んでいる(自動翻訳字幕付き)。

 

『……ふん。騒がしい奴らよ』

 

 シンは興味なさそうに鼻を鳴らした。

 

『……我は誰のものでもないわ。

 ……強いて言えば、宇宙(そら)のものじゃ。

 ……今は、この狭い部屋と甘い菓子が気に入っておるから、ここに居るだけでのう』

 

 彼女はスプーンで巨大な杏仁豆腐(中華街から取り寄せた最高級品)をすくった。

 プルプルと震える白い塊を口に含むと、陶然とした表情になる。

 

『……んんっ!

 ……この滑らかな舌触り……そしてクコの実の香り……!

 ……中華の菓子も、なかなかどうして侮れんのう!』

 

 彼女の思考回路は、既に「国籍問題」よりも「次のスイーツ」に占有されていた。

 

『……聞けば、中国という国には「点心」という無限に湧き出る小料理の儀式があるそうではないか。

 ……餃子、焼売、胡麻団子……。

 ……ジュルリ……』

 

 神星龍は涎を拭った。

 

『……おい、橘よ。

 ……中国の人間が来ると聞いたぞ。

 ……その時は必ず「本場の点心職人」を連れてくるように伝えよ。

 ……さもなくば、面会は拒否するぞ?』

 

 監視室でそれを聞いていた橘は、深く深くため息をついた。

 

(……この神様、本当にチョロい……いや、寛大でいらっしゃいますね……)

 

 彼女は王毅への連絡事項に、「※最高級の点心職人を同伴のこと」という外交文書としては前代未聞の注釈を書き加えるのだった。

 

 世界の運命は今日も、神様の食欲によって回っている。

 日中関係の緊張緩和は、熱々の小籠包によって成されることだろう。

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