異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第40話

 季節は、巡る。

 新田 創(にった はじめ)が、日本政府という最高に優秀で、最高に都合の良い「外注先」に、ポーションと魔石という二つのあまりにも巨大すぎる宿題を丸投げしてから、地球時間にして約一ヶ月が経過していた。

 その間、世界が水面下でどれほどの激動と、混乱と、そして新たな時代の産みの苦しみを経験していたかなど、彼は知る由もなかった。

 なぜなら、彼は、彼自身の言葉通り、ひたすらに「忙しかった」からだ。

 

 東京、中野区。

 あの殺風景だったはずのワンルームマンションは、今やその原型を留めていなかった。

 それは、もはや人の住む部屋ではなかった。

 それは、一つの生態系の、完璧な揺り籠。

 すなわち、「ゲーマーの巣」へと変貌を遂げていた。

 遮光カーテンは、二十四時間固く閉ざされ、部屋の内と外を隔てる絶対的な結界として機能している。その隙間から漏れ入る一筋の光さえも、許さない。

 部屋の唯一の光源は、壁際に設置された三連の巨大なゲーミングモニターが放つ、不健康な、しかし創にとっては何よりも心地よいデジタルの光だけだった。

 床の上には、コンビニ弁当の空き容器、栄養補助食品の空のゼリーパック、そしておびただしい数のエナジードリンクの空き缶が、まるで現代アートのインスタレーションのように積み上げられ、小さな山を形成している。

 空気は、電子機器が発する熱と、インスタント食品の微かな匂い、そして人間の根源的な怠惰の匂いで、飽和していた。

 その生態系の頂点に君臨する捕食者。

 それが、使い古されたゲーミングチェアにその身を沈め、虚ろな、しかしモニターの奥の世界にだけは鋭く焦点を結んだ瞳で座り続ける男、新田創、その人であった。

 

 彼は、忙しかった。

 そう、ひたすらに忙しかったのだ。

 ゲームをしたり。

 ゲームをしたり。

 そして、ゲームをしたりしていた。

 

 PCゲーム『Path of Exile』。

 新シーズン『エクリプス・コンフリクト』が開幕してから、この一ヶ月。

 彼は、文字通り寝食の全てをこのゲームに捧げていた。

 それは、彼にとってはもはやただの娯楽ではなかった。

 あのスキルツリーとスキルジェムに支配された「ゲーム的世界」の法則を、より深く、そしてより効率的に理解するための、必要不可欠な「研究」であり、「業務」だったのだ。

 モニターの中では、彼が心血を注いで育て上げたキャラクターが、神の如き力で、画面を埋め尽くす無数のモンスターを蹂躙していた。

 最強は、アーマースタックビルドだよな、やっぱり。

 彼がたどり着いた結論。

 防御力を極限まで高め、その絶対的な防御力を、そのまま天をも貫く攻撃力へと変換する、究極のビルド。

 彼のキャラクターは、もはや敵のいかなる攻撃も受け付けない。無数の敵の群れの真っ只中を、悠然と歩き、そしてその身から放たれる神々しいオーラだけで、周囲の全てを塵芥へと変えていく。

 その圧倒的な万能感。

 会社員時代、常に他人の評価と顔色を伺い、理不尽な要求に頭を下げ続けてきた彼にとって、この己の知識と努力だけで全てを支配できる世界は、何物にも代えがたい麻薬だった。

 

 そしてもちろん、彼の「業務」は、それだけでは終わらない。

 時々、彼は、その凝り固まった体を動かすために、あのゲーム的世界へと足を運んだ。

 それは、彼にとっては健康のための軽い運動。

 いわば、ラジオ体操のようなものだった。

 彼は、ポータルでヴァイスブルクの宿屋に飛ぶと、そのままダンジョンへと直行する。

 そして、数時間、ゲームでシミュレーションした最新のビルド理論を試しながらモンスターを狩り、そして副産物としてドロップする魔石を、次元ポケットへと回収していく。

 もはや、レベル10になった彼にとって、初心者向けのダンジョンは、ただの作業場だった。

 彼は、魔法学院の魔法と、スキルジェムのスキルを巧みに組み合わせ、最適化された殲滅パターンを構築していた。

 レビテーションで宙に浮きながら、安全な高所から連鎖する稲妻(アーク)をばらまき、一瞬で一つの階層を制圧する。

 そして、床に散らばったおびただしい数の魔石を、これまたレビテーションの力で一箇所に集め、まるで掃除機のように次元ポケットへと吸い込んでいく。

 その一連の流れは、もはや芸術の域に達していた。

 そして、数時間の「体を動かす健康的な運動、兼、魔石回収」を終えると、彼は再びポータルで日本の自室へと帰還する。

 そして、シャワーも浴びずに、再びゲーミングチェアへとその身を沈めるのだ。

 完璧なルーティン。

 彼にとっては、これ以上ない充実した、そして生産的な日々だった。

 

 だが、彼がそんな俗世から隔絶された聖域(サンクチュアリ)で、崇高な「研究」に没頭している間にも。

 外の世界は、彼が撒いた種によって、否応なく、そして劇的に変わり続けていた。

 その変化の兆候は、最初、経済ニュースという最も分かりやすい形で現れた。

 創が、時折出前を頼むために開くニュースサイトの片隅に、そんな見出しが躍り始めていた。

『謎の〝ジャパン・プレミアム〟? 我が国株価、円相場、理由なき異常な高騰続く』

『海外有力投資ファンド、日本市場への投資を一斉に拡大。その背景には何が?』

 創は、そのニュースをちらりと横目で見ながら、鼻で笑った。

(……まあ、そうなるわな)

 当然だった。

 病と老化を克服し、無限のクリーンエネルギーを手にする可能性。

 そんなSF小説のような未来が、今、この国の地下の研究所で現実のものとなろうとしているのだ。

 その情報の、ほんの僅かな断片が漏れ出しただけで、世界のマネーは敏感に反応する。

 

 やがて、その波は、経済の世界から政治の世界へと波及し始めた。

 彼が、ゲームの合間に惰性で流していたテレビの政治討論番組では、連日、同じようなテーマが議論されていた。

『激論! 日本政府は、何を隠しているのか!?』

 画面の中では、大学教授や政治評論家といった物知り顔の男たちが、ああでもない、こうでもないと、憶測の限りを尽くしていた。

「……いや、ですからね。これは、間違いなく政府が何かとてつもない技術的ブレークスルーを隠している証拠ですよ! おそらくは、常温核融合か、あるいはそれに匹敵する新エネルギー技術でしょう!」

「馬鹿なことを言ってはいけません。そんなものが存在するなら、アメリカが黙っているはずがない。私が入手した情報によれば、これは防衛省の管轄下で開発が進められている、新型のAI兵器に関する何かですよ」

「いずれにせよ! 国民への説明責任が、果たされていない! 政府は直ちに情報を開示し、国会で議論すべきだ!」

 そんな喧騒をBGMにしながら。

 創は、カップ焼きそばの湯切りをしていた。

「……うーん。そろそろ、バレたかなあ……?」

 彼は、ぼんやりと思った。

「……まあでも、意外と持った方じゃないかな」

 その感想は、まるで他人事だった。

 自分が引き起こした世界的混乱の渦の中心にいながら、彼の心は、これからソースをかけるカップ焼きそばのことでいっぱいだった。

 

 そして、その日は訪れた。

 彼が、いつものようにPoEの世界で神々の領域に挑んでいた、その時。

 現実世界の片隅で、あのフリーメールの着信を告げる小さなアイコンが、控えめに点滅した。

「……あ?」

 創は、眉をひそめた。

 クライアントからの急な仕様変更の連絡ほど、忌々しいものはない。

 彼は、心の中で悪態をつきながら、しぶしぶゲームのウィンドウを切り替えた。

 案の定、差出人は橘紗英だった。

 その文面は、これまで以上に簡潔で、そして切迫した空気を漂わせていた。

 

 件名:【緊急連絡:状況の変化について】

 本文:

『賢者様。各国の情報機関による我が国への諜報活動が、想定を超えるレベルで活発化しております。

 このままでは、我々が構築した情報防衛網が突破されるのも、時間の問題と判断いたしました。

 つきましては、近日中に、我々が策定したカバーストーリーを、世界に向けて公式に発表する可能性がございます。

 最終的なご裁可を仰ぎたく存じますが、いかがいたしましょうか』

 

 そのあまりにも深刻な内容のメールを読んで。

 創は、ただ一言。

「……めんどくさ」

 と、呟いた。

 そして、彼はキーボードを叩いた。

 その返信に要した時間は、わずか十秒。

 

『ok。頑張ってね』

 

 彼は、それだけを打ち込むと、何のためらいもなく送信ボタンをクリックした。

 そして、即座にPoEの世界へと帰還した。

 彼の頭の中は、もはや日本の国家安全保障のことなど、一欠片も残っていなかった。

 先ほど中断したボスの攻撃パターンと、次なるスキル回しのことで、いっぱいだったのだ。

「……よし。ゲームに戻ろう!」

 

 そのあまりにも無責任で、そしてあまりにもぐうたらな神の御託宣を受け取った官邸の地下深く、プロジェクト・プロメテウスの司令室が、どれほどの混乱と、そして最終的には奇妙な安堵に包まれたかなど、彼は知る由もなかった。

 橘紗英は、そのあまりにも短い返信をモニターに表示させたまま、数分間、完全に凍り付いていた。

 そして、やがて、彼女の常に氷のように冷徹だった唇の端に、ふっと、自嘲と、そして諦観が入り混じった微かな笑みが浮かんだ。

(……そう。そうでしたわね。あのお方は、そういうお方だった……。我々矮小なる人間が、国家の存亡を懸けてどれほど足掻こうとも、あのお方にとっては、ただの退屈しのぎの盤上の出来事に過ぎないのだ……)

 彼女は、悟った。

 そして、その悟りは、不思議と彼女の肩の荷を少しだけ軽くした。

 我々は、神の駒ではない。

 我々は、神が飽きて捨ててしまわぬよう、この面白い舞台を必死で盛り上げ続ける、道化師なのだと。

 彼女は、背筋を伸ばした。

「……総理に連絡。賢者様のご裁可は、得られたと。これより、プロジェクト・キマイラは、最終実行フェーズへと移行します」

 

 そして、創が再びPoEの世界で新たなユニークアイテムを手に入れ、歓喜の雄叫びを上げていた数日後。

 世界は、震撼した。

 

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