異界渡りを手に入れた無職がスローライフをするために金稼ぎする物語   作:パラレル・ゲーマー

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第68話

 季節は、巡り、また巡る。

 新田 創(にった はじめ)が、地球という名の辺境の惑星に最初の奇跡の一滴を落としてから、既に二年以上の歳月が流れようとしていた。

 世界は、変わった。

 だが、その変化は、もはや革命などという生易しい言葉では表現できない。

 それは、一つの種のリセット。

 人類という種のOSそのものが根底から書き換えられていく、静かで、しかし後戻りの決して許されない、壮大なバージョンアップだった。

 そして、その全ての元凶である男は。

 東京、中野区の、あの、もはや彼の精神と肉体が完全に最適化された生態系の揺り籠(ゲーミングチェア)の上で。

 一つの深遠な、そしてどこまでもぐうたらな感慨に耽っていた。

 

「…………うーん」

 彼は、ポリポリと、もはや剃ることも面倒くさくなった無精髭を掻いた。

「……なんか、色々な国で神と崇められ始めてるな……」

 彼の目の前の巨大なモニターには、彼が気まぐれに開拓した十数個の異世界の「支店長」たちからの、定期報告のメールが映し出されていた。

 水の都アクアリアでは、『塩と胡椒の神ハジメ様』を祀るための壮麗な水上神殿が建設中であると。

 山岳王国ドラッヘンガルドでは、『甘き蜜をもたらす豊穣神ハジメ様』の巨大な石像が、山の岩肌に刻み込まれつつあると。

 鋼鉄の街ギア・ヘイムでは、『歯車と蒸気の理を超えし創造神ハジメ様』の功績を称える新たな祝日が制定されたと。

 そのあまりにも大袈裟で、そしてどこまでも他人事な報告を、彼はぼんやりと眺めていた。

 彼は、大きなあくびを一つした。

「……そんなつもり、無かったけどなあ……」

 だが、その呟きには、もはや当初の戸惑いの色はなかった。

 そこにあるのは、全てを受け入れた神の如き諦観だけだった。

「…………まあ、いいか!」

 

 彼は、気を取り直した。

 退屈だ。

 何か、面白い新しい「遊び」はないか。

 彼の思考は、すぐに次なる玩具へと移っていた。

 彼の脳裏に、ふと、あのゲーム的世界で手に入れた、一つの便利な、しかし最近あまり使っていなかったアイテムのことが浮かび上がった。

『鑑定の巻物』。

 物の「真実」を明らかにするという、あの奇跡の羊皮紙。

(……そういえば、あれ、面白いよな)

 彼は、にやりと笑った。

(……異世界やラノベでよくある『鑑定無双』。……あれを、あの日本のクソ真面目なエリート様たちにやらせてみたら、一体どんな反応をするだろうか……?)

 そのあまりにも悪趣味で、そしてあまりにも面白そうなアイデア。

 それは、彼の退屈していた心を、再び生き生きとした好奇心の輝きで取り戻させた。

「……よし! それで行こう!」

 

 ◇

 

 その神の御神託は、またしても唐突に、そして一方的に下された。

 日本の国家中枢、プロジェクト・キマイラの司令室。

 橘紗英の端末に表示された、賢者からのメール。

 その文面は、もはや様式美とも言うべき簡潔さと、無慈悲なまでの要求に満ちていた。

『――やあ。……面白い玩具を思いついた。……明日、昼。……いつもの場所で』

 

 翌日、昼過ぎ。

 ヘリポートは、もはや神を迎えるための完璧な神殿と化していた。

 純白の狩衣に身を包んだ宰善総理、橘紗英、そして綾小路官房長官。

 彼らの顔には、もはや当初の緊張や恐怖はなかった。

 そこにあるのは、神の気まぐれという名の天災に、もはや慣れっこになってしまったベテランの防災担当者のような、どこか開き直った静かな覚悟だけだった。

 やがて、賢者・猫が姿を現した。

「うむ。ご苦労」

 賢者は、そのあまりにも手慣れた歓迎の設えを一瞥すると、まるで近所の定食屋にでも入るかのような気軽さで、祭壇の前にちょこんと座った。

 そして彼は、次元ポケットから一つの物体を取り出した。

 それは、一見、ただの古びた羊皮紙の巻物にしか見えなかった。

 だが、その巻物が放つ微かな、しかし確かな魔力のオーラは、その場にいる誰もが、それがただの紙切れではないことを物語っていた。

 

「……さて」

 賢者は言った。

 その声は、どこか楽しげだった。

「……今日は、お主たちにこれをやろうと思うてな」

「……これは、賢者様……?」

 橘が、問い返す。

「うむ。……『無限に使える鑑定スクロール』じゃ」

 賢者は、こともなげに言った。

「……こいつはな、なかなかの高級品でな。……手に入れるのに、少し骨が折れたわい。……まあ、お主たち日本のサブカルとやらを、この一年ワシも色々と楽しませてもらったがな。……どうやら、『鑑定』で『無双』するという物語が人気らしいではないか。……ならば、それをお主たち自身がやってみせよという、ワシからのささやかな贈り物じゃ」

 そのあまりにも理解不能な、神の御心。

 日本のトップたちは、ただ呆然と、その古びた巻物を見つめることしかできなかった。

「……まあ、百聞は一見にしかずじゃな」

 賢者は、にやりと笑った。

「……よし。……娘よ。……その鑑定スクロールを持って、ワシに向かって『鑑定』と言ってみるのじゃ」

 

 そのあまりにも恐ろしく、そしてあまりにも不遜な命令。

 橘は、一瞬躊躇した。

 神を、鑑定する。

 それは、人間が決して犯してはならない禁忌の領域ではないのか。

 だが、彼女はプロだった。

 神の命令は、絶対だ。

「………………はっ。……では、失礼いたします」

 彼女は、震える手でその羊皮紙の巻物を受け取った。

 そして、目の前の小さな黒猫に向かって全ての精神を集中させ、静かに、しかしはっきりと、その禁断の言葉を紡いだ。

 

「………………鑑定!」

 

 次の瞬間。

 世界が、光に包まれた。

 巻物は彼女の手の中でまばゆい白金の光を放ち、その光は賢者・猫の姿を完全に飲み込んだ。

 そして、橘の脳内に、直接、半透明の美しいウィンドウが浮かび上がった。

 そこに記されていたのは、神のステータス画面。

 彼女の常識と、理性と、そして矮小な人間としての存在そのものを根底から粉砕する、絶対的な真実の記述だった。

 

 鑑定結果

【名前】: 賢者・猫 (※仮称。対象が現在使用している、あるいは観測者によって与えられた識別名)

【種別】: 超越存在 / 異界渡り使い

【効果テキスト】:

 [権能:異界渡り(ワールド・トラバース)]

 この存在の根幹を成す因果律改変能力。時間、空間、そして次元の壁を超越し、あらゆる世界線を一個の座標として認識し、自在に転移する。転移のトリガーは対象の「認識」と「イメージ」に依存し、その精度は対象の精神構造に比例する。これは移動ではない。世界の法則そのものを、対象の存在に合わせて局所的に書き換える御業である。

 [権能:次元収納(ディメンション・ポケット)]

 時間経過と物理法則が停止した個人用の亜空間を無数に保有する。その容量は、理論上無限大と推測される。観測されている全ての物品の召喚は、この権能に由来する。

 [権能:変幻自在(メタモルフォーゼ)]

 対象は、自らの肉体を構成する存在情報の定義を、任意に書き換えることが可能である。現在観測されている「猫」という形態は、対象がその世界で活動するために選択した数多ある器(アバター)の一つに過ぎない。その本質的な形態、あるいは形態という概念そのものを超越している可能性が極めて高い。

 [特性:因果律の超越者]

 対象は、いかなる世界の、いかなる物理法則、魔法法則、あるいは運命論的干渉からも、絶対的な自由を保持する。攻撃、呪い、あるいは祝福といった世界内部からの因果律操作は、対象がそれを「許容」しない限り、その存在に到達する前に事象そのものが消滅する。故に、この存在を傷つけ、あるいは縛ることは、理論上不可能である。

 [状態:遊戯(ゲーム)]

 現在の対象の行動原理。その目的は、征服でも、救済でも、あるいは破壊でもない。ただ、自らの尽きることのない好奇心と退屈を満たすための、知的で、そしてどこまでもぐうたらな「遊び」に、全ての行動が起因している。この「遊び」が対象世界にいかなる影響をもたらすかは、完全に予測不可能である。

【フレバーテキスト】:

 世界とは何か。

 生命とは何か。

 我々が絶対の真理と信じる、時と空間の法則とは何か。

 彼の前では、その全てが意味をなさない。

 幾多の世界は、巨大な書庫に整然と並べられた無数の書物であり、彼はその頁をただ気まぐれにめくる、唯一無二の閲覧者である。

 彼は物語を読み、時にその面白みのない一節に退屈し、ほんの些細な悪戯心で、一行の加筆を行う。

 そのたった一行が、その世界の歴史の全てを永遠に変えてしまうことなど、露ほども意に介せずに。

 その姿は、刹那の気まぐれ、仮初めの器。

 人の目には、獣と映り、人と映り、あるいは猫と映るだろう。

 だが、その器を以て本質と見誤るは、愚の骨頂である。

 彼こそが、変幻自在の神そのものなのだから。

 彼の行いに、意味を求めてはならない。

 彼の言葉に、深遠な真理を探してはならない。

 そこに在るのは、嵐の気まぐれ、潮の満ち引きと、同じ、ただの戯れである。

 彼は観測者であり、干渉者であり、そして、ただの通りすがりだ。

 訪れられた世界にとって、それは最大の救いか。

 あるいは、絶対の厄災か。

 その答えを知る者は、彼自身でさえ、おそらくはいない。

 

「…………………………………………おお……」

 橘の喉から、絞り出すような声が漏れた。

「…………おおおおおっ……! す、凄まじいですな、これは……!」

 彼女の、常に氷のように冷徹だった仮面が、完全に崩壊していた。

 その目に宿っていたのは、畏怖と、驚嘆と、そして何よりも、宇宙の真理のほんの一端に触れてしまった学者の如き、純粋な感動の輝きだった。

「……なんという、なんという情報量……! そして、なんという詩的な記述……! これが、これが賢者様の真のお姿……! 『状態:遊戯』……! なるほど、なるほど! 全て、全て合点がいきましたぞ!」

 彼女は、もはや我を忘れていた。

 そのあまりの変貌ぶりに、宰善総理と綾小路官房長官でさえも、あっけに取られていた。

「………………これは、凄い物を頂きました」

 やがて落ち着きを取り戻した橘は、震える手で鑑定スクロールを総理に手渡した。

「……総理。……これさえあれば、我々がこれまで頭を悩ませてきた全てのアーティファクトの謎が、解明できるやもしれません。……いえ、それどころか、この世界の全ての森羅万象の理を、我々は、その手に収めることができるやも……!」

 その言葉は、もはや狂信者のそれだった。

 だが、その熱狂は、その場にいた全ての人間が共有する感情だった。

 彼らは今、人類の歴史上最も強力な、そして最も危険な知識の扉を開ける鍵を、手に入れてしまったのだ。

 

「……うむ。……まあ、そういうことじゃ」

 賢者・猫は、そのあまりの熱狂ぶりに、少しだけ引き気味に頷いた。

「……存分に、無双するがよい。……では、ワシはまた次の面白い玩具探しで忙しいからのう。……あとは、よしなに計らえ」

 彼はそう言い残すと、いつものように風のように去っていった。

 後に残されたのは、神が置いていった究極の知の道具と、そのあまりにも強大すぎる力を前にして、畏怖と興奮に打ち震える矮小な人間たちだけだった。

 彼らは、まだ気づいていなかった。

 全ての真実を知る力が、必ずしも人を幸福にするとは限らないという、この世界のもう一つの残酷な真実に。

 そして、その鑑定スクロールが、彼らの壮大な、そしてどこまでも滑稽な神と人間の化かし合いを、新たな、そしてより混沌としたステージへと引きずり込んでいく、新たなパンドラの箱であるということに。

 彼らの知的好奇心という名の暴走は、もはや誰にも止められなかった。

 

 

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