ライブ会場のバックステージは熱気に包まれていた。巨大モニターが脈打ち、照明スタッフが最終チェックの声を響かせる中、井上ショウマはホログラム投影機のメンテナンスに奔走していた。
「ショウマさん!北側の投影機が同期ズレ起こしてるよ!」
「了解っ!」
蛍光色のスタッフベストを翻し、彼は弾丸のように駆け出す。大型機材を片手で担ぎ上げながら角を曲がった時──ぶつかる寸前、一人の女性が仁王立ちしていた。
「んあっ?! ちょっとー!スタッフ!ちゃんと前見て走って!」
「わっ!ごめんなさい!大丈夫ですか?」
ショウマが慌てて停まると、女は鼻を鳴らして腕を組んだ。ピンクの海賊帽に星型のピアス。豊満な胸部を強調するミニスカートとニーハイブーツ──いかにも宝鐘マリンといった出で立ちである。
「私は今日のメインゲストだぞー?お前新人?教育係呼んでこい!」
「ゲスト……って、有名な方なんですか?すみません、俺、こういうのはあんまり知らないから……」
「え?」
マリンの目が点になる。ショウマは照れ笑いを浮かべて頭をかいた。
「ホロライブ?ってグループの話はラプラスちゃんから少し聞いてますけど、メンバーの名前までは詳しくなくて……。ええと、あなたはもしかしてアイドルの方ですか?」
「ちょっと待って!今の時代に私を知らない人が存在するの?! 私はねぇ!宝鐘マリン船長様だぞー! そこの坊や!私の船に乗らないか~?夜通し楽しもうぞ~♡」
マリンは慣れたノリでウインクと投げキッスを放つ。スタッフたちは「また始まった」と苦笑いするが──ショウマはきょとんと首を傾げた。
「夜通し?じゃあ漁師さんですか?!お魚たくさん釣ってそうですね!」
「──は?」
会場スタッフ一同の息が止まる。マリンは頬を引き攣らせながら、
「……い、いやぁ船長として日夜荒波に立ち向かってるんだよ~。例えばアソコの潮風が強かったりするんだ~。分かる?」
「アソコ……?俺、海に来たのは、あんまりないんですが、風が強いんですね……!」
ショウマは真剣な顔で頷いた。マリンの喉から奇妙な音が漏れる。
「待って!今『潮風』を潮風って意味で捉えてるでしょ?! 違う!潮の満ち干じゃないんだよ!!」
「潮の満ち干……?それなら知ってますよ!貝殻拾ったりしました!」
「ピュアすぎるぅぅう!!!」
マリンは両手で顔を覆った。ショウマは心配そうに覗き込む。
「具合悪いですか?医務室呼びましょうか?」
「違う!私の心臓が握り潰されたの!! そっか……ホロメンのこと何も知らない……ってことは下ネタ免疫もないってことだよね? うわぁ……罪悪感がすごい……!」
「下ネタ?あぁ!母さんがいつも言ってました!『汚い言葉は使うな』って!」
「親御さんGood Job!!!!」
マリンは壁に向かって崩れ落ちた。だが数秒後、咳払いをして立ち上がる。
「よし!決めた!今日から君はマリン艦隊の航海士見習い!名前は?!」
「井上ショウマです!」
「了解!ショウマ航海士!君には今から私専属のトイレ付き添い役を命ずる!!」
「えっ!? 俺トイレの修理担当じゃないですよ?」
「ちがーう!女子トイレが不安で入りづらいときにお兄ちゃんスタンバイしてくれってことぉ!」
「不安……?でも俺男子トイレしか使ったことないです……」
「うわぁぁあやっぱダメだこの子ぉぉ!!!」
マリンが頭を抱えてしゃがみ込んだ瞬間──
「おーいウマショー!機材チェック終わった?早くグッズコーナー手伝ってぇ!」
金髪の幸果が手を振って呼びに来た。ショウマは敬礼する。
「今行きます!それじゃ船長さんもまた後で!」
「……またねショウマ航海士……。でも私……もう君にエッチな冗談言えないかもしれない……」
マリンはそう呟きながら、静かに舞台袖へ歩き去った。