正月二日。
なんでも屋「はぴぱれ」の事務所は、妙に“家”の匂いがしていた。
畳の上に、鏡餅(らしきもの)と、みかんの山。
その横で、甘根幸果が腕を組んで仁王立ちしている。
「よし。今日だけは“休み”! ……と言いたいところだけど、正月って、やること多いんだよね」
「休むって言ってたのに、結局仕切ってるじゃないか」
辛木田絆斗があきれた顔で言う。
だが、その手はちゃっかりみかんを剥いていた。
「うるさい。あんたは文句言いながら手伝う係でしょ」
「誰がだ」
その横で、ラキア・アマルガが黙々と湯呑みを並べ、湯気の立つ急須を置いた。
手際が良すぎて、逆にツッコミどころがない。
そして、ショウマは──楽しそうに、こたつ布団を広げていた。
「こたつ、出したら正月っぽくなるよね。寒いしさ。……よいしょ」
「それは認める」幸果がうなずく。「備品としても優秀。……壊さないでね、絶対」
「大丈夫、大丈夫。丁寧に使うよ。みんなも気をつけてね」
ショウマの声は落ち着いていて、どこか安心する。
叱るでもなく、甘やかすでもなく、ただ“ここにいていい”と言ってくれる響き。
そのとき、ドアが勢いよく開いた。
「フハハハハ! 正月という“隙”に付け入り、ここを我が秘密結社holoXの新拠点とする!」
派手なマントを翻し、ラプラス・ダークネスが堂々と踏み込んでくる。
幸果が眉をひそめた。
「……いきなり何? 玄関で靴脱いで。あと声がでかい」
「ぬ、ぬう……っ。なんだその庶民的な作法は……だが、拠点にする以上、ルールは把握せねばならぬ……!」
ラプラスは威厳を保ったまま、きちんと靴を揃えた。
その様子を見て、絆斗が小声で言う。
「……言うことは物騒なのに、意外と素直だな」
ショウマは、まるで当たり前のようにラプラスの上着を受け取った。
「はいはい、ここに掛けとこうね。外、冷えたでしょ。……あったかいの、飲む?」
「む……当然だ。総帥は体調管理も完璧……」
ラプラスはそう言いながら、視線が一点に吸い寄せられていた。
こたつ。
布団のふくらみ。
そこから漂う、抗いがたい温もりの気配。
「……あれは……何だ」
「こたつだよ。入る? 無理しなくていいけど、あったかいよ」
「……こたつ……? ふん。そんなものに総帥が興味を示すと思うなよ。調査だ。調査」
宣言して、ラプラスは足を突っ込んだ。
──五秒。
「……ぬ……」
「どうした? 熱くない? 大丈夫?」
「べ、別に……! な、なかなか……手強い温もりだな……!」
声が震えている。
絆斗が吹き出しかけ、幸果に肘で止められた。
ラプラスはゆっくりと、慎重に、こたつの中へ全身を沈めた。
それはもう、“勝った者の座り方”ではなく、“負けを認めた者の降伏”に近かった。
「……ふ、フハハ……これが日本の正月兵器か……!」
「兵器じゃないよ。うん、でも……気持ちいいでしょ」
ショウマは笑わない。
からかわない。
ただ、自然に隣に座って、みかんを剥く。
その態度が、ラプラスにとっていちばん厄介だった。
世界征服の最大の障害。
そのくせ、いざとなると頼ってしまう相手。
ラプラスは、こたつの中で指先を動かした。
出ようとしてみる。
──動かない。
正確には、動かせるはずなのに“動かしたくない”。
「……ほう」
「出ないの? 足、しびれてない? あとでゆっくり伸ばしな」
「出る必要がないだけだ!」ラプラスは胸を張った。「ここは我が支配下に置いた。こたつは封印の結界……総帥を閉じ込める罠……いや、総帥が逆に結界を掌握したのだ!」
「そっか。じゃあ……“調査”だね。お疲れさま」
「……む」
ショウマがさらっと受け入れるので、ラプラスは逆に言葉に詰まった。
否定されるより、ずっと照れる。
「……みかん、食べる?」
「……食べる」
即答した自分に気づいて、ラプラスは咳払いでごまかした。
そこへ、追加の来客が来た。
「新年早々、総帥が“冬眠”してるって聞いたけど?」
凛とした声とともに現れたのは、鷹嶺ルイ。
続いて、白衣っぽい雰囲気をまとった博衣こよりが目を輝かせる。
「冬眠! 興味深いですね! こたつの温度と封印の相関関係、測定していいですか!?」
さらに、沙花叉クロヱがひらりと入ってきて、こたつを覗き込む。
「総帥、ほんとに出れないの? ウケる」
最後に、風真いろはが頭を下げた。
「お邪魔します。……その、騒がしくしてすみません」
幸果がこめかみを押さえた。
「増えた……。ちょっと待って。うち、正月の集会所じゃないんだけど」
「拠点化は計画通りだ」ラプラスが即座に言う。「フハハハハ!」
言いながら、こたつから一ミリも動かない。
ルイが腕を組み、こたつの中のラプラスを見下ろした。
「総帥。状況報告」
「封印だ。強力な結界により……動けぬ……!」
「……つまり、こたつが気持ちよすぎて動きたくない、と」
「ち、違う!」
こよりがメモを取り始める。
「なるほど、快適性が高いほど“動けない”と錯覚する現象……! これは人間の心理……いえ、総帥の封印が関与している可能性も……!」
「封印は万能じゃないと思うけどね。……でも、寒いのに無理して出なくていいよ。落ち着いて」
ショウマの声は、聞いている側の体温まで上げてしまいそうだった。
「まただ! お前はいつもそうやって現実を突きつけてくる! 世界征服の雰囲気を壊すな!」
「雰囲気も大事だよね。うんうん。……でも、まずは安全。こたつでケガしたら、もったいないよ」
「する!」
ラプラスの返事が勢いだけで、内容が追いついていない。
クロヱが腹を抱えた。
「ねえねえ、引っ張り出せばいいじゃん。力ずくで」
「危ないからだめ」幸果が即座に言った。「備品が壊れる」
「備品が最優先なの、草」
「草じゃない。予算」
絆斗が口を挟む。
「つーか、ほんとに出れないなら、手ぇ貸すぞ」
「誰の手を借りるか!」ラプラスは即拒否──しようとして、こたつの温もりが背中を撫でた瞬間、声が弱まった。
「……い、いや……その……」
ショウマが視線だけで気づく。
“恥ずかしい”が先に立って、助けを言えない。
ショウマは、わざと大きく息を吐いた。
場の熱を下げるみたいに、落ち着いた声で言う。
「うん。無理しなくていいよ。出なくても、いい」
「は?」
ルイが眉を上げ、こよりがペンを止め、クロヱが「えっ」と間抜けな声を出す。
幸果は不意を突かれた顔をして、ラキアだけが静かに湯呑みを追加した。
ショウマは、こたつの上にみかんを置き、湯気の立つお茶を置いた。
それから、当たり前のように言う。
「今日は正月だしね。ここでゆっくりしよ。……総帥の“調査”、続けてもいいよ」
ラプラスはきょとんとした。
救出。
解除。
攻略。
そういう“勝ち負け”の言葉を想定していたのに、ショウマは別の道を選んだ。
こたつの中にいることを、失敗じゃなくて、ただの“今”にしてしまう。
「……総帥の威厳が……」
「威厳、大事だね。うん。だからさ、みんな。総帥は今、“正月文化の調査”をしてる。邪魔しないであげよ」
「調査……?」いろはが復唱する。
「そう。総帥は真面目だから、ちゃんと調べてから動くんだよ」
クロヱがニヤニヤした。
「総帥、仕事熱心じゃん」
「当然だ!」ラプラスがすかさず乗る。「そうだ! これは調査だ! 我が支配のために、こたつの弱点を探っているのだ!」
「弱点、あるの?」
「……ある!」
こよりが目を輝かせる。
「弱点の仮説、立てましょう! 例えば“みかん補給”が過剰になると満足してしまい、逆に出たくなくなるとか!」
「それ弱点じゃなくて強化かもね。……でも、楽しいからいいや」
ショウマの返しが優しすぎて、ラプラスはまた照れた。
ルイが深くため息をついたが、座った。
いろはも座り、幸果も「まあ……正月だし」と折れた。
絆斗は最後まで渋っていたが、ラキアが無言で湯呑みを差し出したので、受け取って座った。
座った瞬間、こたつの魔力に顔がゆるむ。
「……くそ、これは……」
「でしょ」幸果が勝ち誇る。「これが正月」
空気が落ち着いた。
騒ぎが止まり、こたつの中のラプラスも、ようやく呼吸が整う。
そのとき、ショウマが小声で言った。
「出る? ……足、しびれてない? ゆっくりでいいよ」
ラプラスは一瞬、ショウマだけを見る。
周りの視線はない。
笑われない。
急かされない。
「……出られる」
小さく言って、ラプラスはこたつの布団を持ち上げた。
すっと足が動く。
まるで最初から封印なんて無かったみたいに。
「……ほらな。封印は解析した」
「うん、さすが。……寒くない? 上着、取ってくるよ」
ショウマが立ちかけると、ラプラスはあわてて手を振った。
「い、いい! 総帥は平気だ!」
「そっか。じゃあ、お茶だけでも飲んで。喉、乾くでしょ」
……優しい。
優しすぎて、反論の矛先が鈍る。
こよりが拍手した。
「解除成功! 総帥の封印耐性、データ取れました!」
「取るな!」
クロヱがラプラスの肩を叩く。
「総帥、偉いじゃん。出れたじゃん」
「偉いに決まっている!」
ルイが冷静に宣言する。
「では、会議を再開。新年の行動指針──」
「うん、会議はまた今度ね」ショウマが先に言った。「今日は正月。みんな、あったかいもの食べよ」
「……総帥が言うなら仕方ない」ルイが言い直した。
いろはがにこやかにうなずく。
幸果は呆れながらも、みかんを追加した。
こうして、拠点化騒動は一旦落ち着いた。
誰も壊さなかった。
備品も守られた。
世界征服も、たぶん、保留。
──数分後。
ショウマが台所から戻ると、こたつ布団が少しだけ持ち上がっていて、そこからラプラスのマントが覗いていた。
「……総帥?」
布団の中から、もごもご声。
「……潜入調査の続行だ……」
「そっか。寒いもんね。……無理しないでね。のぼせたら、ちゃんと言って」
「入ってない! これは……撤退ではない! 再占領だ!」
ショウマは笑わずに、こたつの上にみかんを置いた。
「うんうん。再占領、頑張って。補給線、維持するね」
「……うむ。よい」
返事が小さい。
でも、さっきよりずっと素直だった。
こたつの中。
誰にも怪物扱いされない場所。
ショウマが作った、当たり前の温度。
ラプラスは、それが世界征服の最大の障害だと知っている。
同時に──いざという時に、いちばん頼ってしまう相手だとも知っている。
そしてショウマは、そんなラプラスを、少し年上のお兄さんみたいに、落ち着いた声で受け止め続ける。
正月の空気は、ゆっくりとこたつの中へ沈んでいった。
外は寒いのに、ここだけ妙に、やさしかった。