風がそよぐ午後の公園。広々とした芝生エリアの隅にある古いベンチに、博衣こよりはひとり座っていた。足元にはカラフルなリュック。手には最新号の学術雑誌が開かれている。ページの隙間からは、付箋紙と折り畳まれた実験記録用紙がのぞいていた。
「う~ん……この論文、着眼点は面白いけどデータが浅すぎるなぁ」
眉根を寄せて唸りながらページを繰るその横顔は、白衣の裾から伸びる尻尾が時折パタパタと上下するのと相まって、どう見ても「天才科学者」らしい風格だ。ただひとつ違うのは、
「よしっ!今度の研究テーマはコレに決まり!『スナック菓子から抽出可能な疑似バイタルエナジー』!」
目を爛々と輝かせ、独り言というには大きい声で叫んだ彼女の周りには、すでに空になったドーナツ箱とチョコバーの包み紙が積まれていた。
そこへ、スーツ姿の男性が通りかかった。
「……失礼。騒々しくて申し訳ありませんね」
落ち着いた声に振り向いたこよりは、初めて他人の存在に気づいたようにぱちぱちと瞬きをした。
「あ!こんにちは!」
男は苦笑しながら首を振った。
「邪魔をしたようです。すぐ離れましょう」
「えー!全然構わないですよ~!むしろ話し相手が欲しかったところですし!」
リュックをゴソゴソと漁って水筒を取り出すこより。中身は当然自作の試飲液なのだが、彼女はさりげなくそれをベンチに置いて自分用にペットボトルの紅茶を差し出した。
「はい、どうぞ」
「……ありがとうございます」
受け取って一口含むと、彼はほんの僅かに目を見開いた。紅茶ではなかった。柑橘系の香りがするハーブティー。
「自家製でしょうか」
「はいっ!ストレス軽減効果バッチリのオリジナルブレンドです!」
得意げに胸を張るこより。その無邪気さが却ってニエルブの警戒心を煽った。この女性の行動原理は「純粋に楽しそうだから」「役立ちそうだから」に偏っているように思えた。
「ところで何を読んでいらっしゃるのですか?」
「え?ああ……これですか!」
こよりは弾かれたように雑誌を掲げた。
「『食品摂取による一時的エネルギーレベルの上昇現象に関する考察』っていう論文です!最近食べ物のエネルギーって本当に興味深いんですよ!お菓子を食べると急にやる気が出るのって単なる心理的効果だと思ってたら……実は微量だけど体内のATP生成速度が実測値で5%もアップしてて!」
「……実測値?」
ニエルブの眉がわずかに動いた。こよりはニコニコと説明を続ける。
「はい!こよが自分で開発した簡易型代謝計を使って測定したんです!チョコと飴とグミで比べたらグミが一番数値高くて!」
彼女はリュックからクリップボードを取り出した。そこにはびっしりと数字が並ぶグラフが貼り付けられている。見たところ統計処理もきちんと施されていた。
「グミは噛む時間が長いから唾液分泌が多くて消化酵素も活性化するんじゃないかな~って思ったんですけど、どう思いますか?」
ニエルブは無言でグラフを睨んだ。数字は確かに整然としている。だがその端々に見えるのは――彼女が自宅(正確には『秘密基地』)で試行錯誤した痕跡。市販の部品を改造した記録、思いつきで書き足したメモ。「失敗作」マークのついた実験番号。
「……あなたは」
彼女を見上げた。
「…なに、僕も最近、お菓子に関する研究をしていてね」
「本当ですか!どんなお菓子ですか」
「…そうだね、プリンを――」
「プリン!それ美味しそうですね!」
ニエルブは、思わず吹き出してしまった。
「ごめんなさい、笑ってしまって」
「いえいえ、大丈夫です!」
(この人は、僕の研究を食い入るように見てくる。でも僕の事については一切何も聞いて来ない)
ふとニエルブの脳裏に先日出会ったラプラスという少女の姿が過った。
(あの子も僕と同じ天才だと思っていたが――)
だが目の前のこよりは、もっと自由だ。純粋だ。知識欲に駆られた獣のように研究に飛び込むが、成果が無くても笑う。
そんなことより――自分が作り出した実験。
それを見せるのは、どこか後ろめたさがあった。
自分があまり見られたくないと感じてしまうのだ。
(それが僕と彼女との差なんだな)
そんな事をニエルブは感じていた。
「そうだ。この研究のデータを見せてくれないかな」
ニエルブの言葉にこよりは笑顔で頷き、グラフを渡した。
その様子を見ていたニエルヴはどこか懐かしい気持ちとなった。
「それでは僕は次の実験準備があるので、これで失礼します」
「こちらこそありがとうございました」
ニエルブはそう言ってこよりがその場を去って行く姿を見送るのだった。
「…刺激があったね、おかげで、ゴチゾウの研究も進んだ。酸賀さんやデンテ叔父さん以外にもね」