「……いやいやいやおかしいでしょこれ」
ショーウインドウに並ぶマカロンを眺めていた沙花叉クロヱの呟きは、誰に届くわけでもなく空気に溶けた。問題はマカロンのクオリティではなく――店内の隅っこに陣取る老人だ。
その格好はコートを身に纏っており、帽子を被っており、その顔を見せない。
だが、帽子の隙間は明らかに人間ではない鯨のようなのが見えた。
(どこの怪しい屋台オヤジよあれ……)
視線が合う。老人はクロヱの視線に気づいた。
(なっなんじゃ、あの子は?さっきからワシを見て?まさかっワシの正体に気づいたか?)
(いやっそれよりも!?まずはこの場をどうするか!)
(……ここはっあえて!堂々と話しかけに行くか!)
デンテは深呼吸を一つし、無造作にズレた帽子を正すと、ゆったりとクロヱのテーブルへ歩み寄った。その動きは大袈裟なほど堂々としていて、どこか偉そうな気配を漂わせている。
「お嬢さん」
その声は低く、けれどどこか艶のあるバリトンだった。クロヱは小さく肩を震わせたが、即座に冷静を装って目線を上げる。
「……なんですか?」
クロヱの返答は淡々としていたが、その瞳には警戒の色が滲んでいる。しかしデンテはそれを意に介さず、席の前に立ったままにこやかに言った。
「お茶でもどうかな?」
クロヱは眉をひそめた。
「は? 急にナンパですか? 私はこれからスイーツを堪能するんです。あなたの相手をしている暇なんてないので、キモいので」
「ガァンっ!」
クロヱの攻撃的な返答にデンテは大袈裟に仰け反った。
(なっなんと無礼な!)
その態度がさらにクロヱの神経を逆撫でした。
「はい? ナンパされるくらいなら店を出ますけど? マジで迷惑なんですよね~」
そう言って席を立とうとしたクロヱの肩を、デンテが大急ぎで掴んだ。
「違う! そうじゃない! 断じてナンパなどではない!」
その必死さにクロヱは一瞬だけ呆気に取られたものの、すぐに冷笑を浮かべる。
「へえ~? じゃあ何だって言うんですか? 家族で出掛けたと思ったら、お父さんの親戚がナンパをしていて――みたいな状況だったらと思うと……マジで怖すぎますよね~。というよりもグラニュートですよねぇ、だったらこちとらショウマを呼ぶぞおらぁ」
「えっ、ショウマ?もしかして、ショウマの友達なの?」
「ダチだからなんだぁ」
「ワシ、ショウマの叔父じゃ」
「・・・マジで」
その言葉に対して、クロヱはジト眼で見る。
そうしていると、周囲からの視線に気づく。
「とりあえずは、なんか騒がしいから少し別の場所で話すか?」
「菓子、奢ったらなぁ」
カフェの奥まった席に移動し、クロヱはマカロンセットを前にぷくっと頬を膨らませていた。デンテが差し出すコーヒーには目もくれず、いちごマカロンにかぶりつく。
「……で、ショウマの何なんですか?」
口いっぱいのマカロンを飲み込み、棘のある口調で尋ねるクロヱ。デンテは帽子を深めに被り直し、くくっと笑いながら答えた。
「大叔父じゃよ。血は繋がっとらんがな」
「血が繋がってなくても『叔父』なんですか? 世間的にはむしろ詐欺師って言いませんか?」
「ほうれ、そんなことを言っていいのか?」
デンテは意味ありげに目を細める。
「ワシとショウマが再会したのも、大きくなって、最近じゃからな。だけど、あのショウマがここまで成長して、しかも友達もいるなんて……感動するわい」
その言葉にクロヱは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにそっぽを向く。
「別に私たちはただの"ビジネスパートナー"みたいなもんですし。ショウマが勝手に絡んでくるだけなんで」
クロヱは顔をしかめたままマカロンを咀嚼した。
「……ま、確かにアイツって放っておけないタイプですけどね。妙に一生懸命だし。あと笑顔が眩しくてちょっとイラっとくる。太陽みたいに暑苦しいんですよねぇ〜」
デンテはくつくつと笑った。
「そうかそうか。それだけ思われとるのは嬉しいのう」
「思ってないですからっ! 変な勘違いしないでください!」
クロヱは椅子を引いて立ち上がりかけたが、デンテの静かな声が止めた。
「ところで……一つ聞いてもいいかの?」
「なによ?」
「ショウマの周りには他にも"友達"がおるようじゃが……あの子は幸せそうにしておるか?」
デンテの問いにクロヱは一瞬固まり、そっとため息をついた。
「……ショウマは"バカ"ですよ。自分のことは後回しで、他人のことばっかり心配して。でもね──そういう馬鹿のおかげで救われることがあるって、私も身をもって知りましたから」
「ほう……」
「だからまぁ……せいぜい"世話の焼ける弟分"くらいには思ってあげてるってことで」
顔を赤く染めながらそう呟くクロヱに、デンテは満足げに目を細めた。
「ふふ……それだけで十分じゃよ」
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デンテの声が柔らかくなる。
「それにしても……あのショウマにこんな友人ができたとはな。昔からワシにとっては甥のようなものじゃったが、まだまだ成長期じゃ」
「ふーん。でもグラニュートって基本みんな自己中なんですよね?」
「まあ否定はせんが……」
デンテがカップを持ち上げる。その仕草は妙に優雅だ。
「ワシらのような年寄りにとって若者が幸福そうに過ごす姿は宝そのものじゃ。特にショウマは……ちょっと危なっかしい子じゃからの。お前さんのようなしっかり者が側にいると安心できるわい」
「誰がしっかり者よ! こっちがどれだけ振り回されてると思ってるんですか!」
クロヱの反論を聞き流しながら、デンテはゆったりとコーヒーを啜る。
「それでもお前さんは毎回付き合ってくれるじゃろ?」
「…………」
沈黙が流れる。クロヱの耳がほんのり赤くなった。
「……たまたまですよ! たまたま都合が良かっただけです!」
「つまり放っておけないということじゃな」
「違いますってば!」
クロヱが憤慨する傍らで、デンテは温かな笑みを浮かべる。
「さてと……そろそろワシは帰るとするか。今日は良い話を聞けたからのう」
デンテが席を立つ。クロヱはマカロンを食べ終えて手を拭きながら尋ねた。
「アンタほんとにショウマの叔父なんですね?」
「ああ、血の繋がりはないが大事な甥じゃよ」
「なら伝えといてください。"無茶は程々に"って。あと……あんまり甘やかすとろくな大人になりませんからね!」
デンテは帽子の縁を軽く押し上げて笑いながら店を出て行った。