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「あなたの能力は時間停止です」
妙に質感の良い紙にゴシック体で書かれた文字には、現実感のない言葉が書かれていた。
でも、この現状に比べたら幾分か現実感があった。
事の始まりは、帰りのホームルームだった。
担任の先生が長々と連絡事項を話していた。たぶん、今週末から始まる連休についての話だったと思う。
休日には許可がないと入校できないとか、連休中も勉強しないと来年困るだとか、休み明けにテストをするとか。そんな感じのことを喋っていたと思う。
クラスメイトたちは帰りの支度をしながら流し聞きをしていた。
僕もバイトへ直行するか、一度家に変えるかを考えていたところだった。
いや、バイトに行く前に駅前にできたドーナツ屋によってから行くのもいい。連休には混むだろうし、その前に行くのがいいかな――
そんなことを考えていたら、光で覆われた。とても眩しい。
白く、青く、赤く、黒く。
そして、座っていたはずなのに、いつの間にか立っていた。いや、落ちていた。
浮遊感と酩酊感をいくらかの時間過ごした。
体感では数分。もしかしたらもっと長かったのかもしれない。
僕らは真っ白い空間に佇んでいた。空も、壁も、地平線もない真っ白い空間だった。
多くの人はあまりにも現実感のない光景に、唖然としていた。
一方僕は、別のことを考えていた。
僕の脳内は、この後何のドーナツを何種類食べるのか。また、それらの合計金額と財布の差分、および今月のお金事情を計算することが最優先事項で、それ以外のことは瑣事だった。
しばらくして、今日はアーモンドナッツドチョコリングとオールドクラウンがいいと結論が付いたのであたりを見渡した。
周りには教室にある机と机くらいの感覚で、クラスメイトや西村先生がいて、そしてそのさらに外側にも無数の人がいた。
近くの生徒に話しかけようとしたけど、声が出なかった。
周りの人達も、皆同じ用に声が出ないようで、身振り手振りでほかの人とコミュニケーションを取ろうとしている。
――なにこれ。
現実感のない非常事態に対して僕の心は、実に無関心だった。
正直に話すと、これだけ多くの人がいるのだから、誰かがなんとかしてくれるだろ、としか考えていなかった。
だから、ドーナツの脳内会議を再開してしまったのは、明らかに悪手だったとしか言えない。
脳内でワールドドーナツトーナメント(WDT)を開始して、予選から敗者復活、感動の決勝戦を終えてから、もう一度周囲を見渡すと、先ほどとはずいぶんと異なる状況が展開されていた。
前方上部に巨大なスクリーンが投影されていて、そこに映されたきれいな女の人がしゃべっているようだった。WDTのせいですっかり前半?を聞き逃してしまった。
「――では、あなた方には3つの特典を授けます。1つ目はユニークスキル。強力なスキルを活かして、この異世界で立ち回るとよいでしょう。
2つ目は仲間。あなた方はそれぞれ近しい属性をまとめて同じ場所へ召喚します。信頼できる仲間と共に苦難を乗り切ると良でしょう。
最後に、特別に1時間だけ考えを整理する時間も授けます。頑張ってください」
空に映された映像は、ノイズとともに消えて、代わりに巨大なカウントダウンが現れた。カウントダウンは、1時間を測っているようだ。
ざわりと一帯を雑音が支配し始めた。
声が出るようになったみたいだ。
ふと、手元に違和感があった。手のひらを見ると、手帳サイズの紙切れがいつの間にか折りたたまれてあって、そこにはふざけた内容が書かれていた。
――
「あなたはこれから異世界へ転移します。
転移者は、他の転移者のユニークスキルを当てることで、願いを叶える石をもらえます。
ユニークスキルを当てられてしまった者は、すべてのスキルを失います。
願いを叶える石を使って、何を叶えるかは自由です。地球に帰るのも、億万長者になるのも、王様になるのも、あなたの自由です。
この世界に祝福を。
――
読み終わって顔を上げると、周囲のうるささは、一段と大きくなっていた。
クラスメイトたちの数人は読み終わって、西村先生と話を始めていた。
なんか、大事になっているけど、先生もいるし、リーダーシップのあるクラスメイトもいるのだから、なんとかなるかな。
というか、これって地球に帰ったら時間軸はどうなってるのかな。行方不明扱いになったら、家族は心配するだろうし、バイト先の店長には迷惑をかけてしまう。
悲鳴とどよめきが少し離れたところから聞こえた。顔を向けると、少年の手のひらから炎が上がっているのが見えた。
能力…もう使えるんだ。てっきり、ここから転移した先でしか使えないと思ってた。
そこからは、阿鼻叫喚の嵐だった。数十人、数百人が能力を使用し始めて、周囲の人をケガさせたりして悲鳴と怒号が飛び交った。
とりあえず周囲の声が煩かったので、時間を止めた。
使おうと思ったら、まるで知っていたかのように使えた。へんな気分。
とっさに時間を止めてしまったけど、どうしようか。
というか、ゲームバランスが壊れている。時間停止って。
んークソゲーっぽいな。
もしくは、僕の物語始まっちゃうのかな――とか、能天気なことを考えてた。そんなはず無いのに。
少しネガティブになった思考を取り払って、状況を整理してみる。
もしかしたら、僕だけがこんなチートスキルを持っていると結論づけるのは早急かもしれない。
他の人達のスキルも、僕と同じかそれ以上の性能だった場合には、話が変わってくる。
というか、今のうちに他の人の紙を確認できたら、かなり優位に立ち回れる。少なくとも途中でスキルを失って、異世界に身一つで放り出される自体は避けれそうだ。
そう思って、隣の子の手から紙を取るときに、おかしなものが目に入った。
空に浮かんでいる
ほら、やっぱりクソゲーの始まりだ。
一時間じゃ一人あたり10秒で確認しても、360人も見れない。急がないと。
――急いで他人の能力の確認をしたけど、それは途中で中断された。
再び、浮遊感と酩酊感に襲われて――
スッと、足元が急に現実感を帯びると、ずっしりとした重力を足が、体が感じる。
急激な重力は、貧血のときのような立ち眩みを僕にもたらした。
その場に膝をついて呼吸を落ち着かせる。
足元には、古そうな皮のリュックが置いてあった。
顔を上げると、そこはちょっとした土の広場で、僕と同じ用に多くのクラスメイトたちがしゃがみ込んでいた。
広場は森に囲まれていて、THE 遭難って感じの空間に放り出されたようだ。
ここは威厳ある王城の召喚の間とかにしほしかった。最低限の文明すら感じられないとか。
でも、逆にいいのかもしれない。王様に召喚されて、よくわからない間に奴隷契約を結ばれるとか、物語ではありがちな展開だし。
呼吸が整うと、スキルを発動させた。
とりあえず、手の中にある紙は処分しないとな...
足元のリュックを開くと、いくつかの携帯食料とライター、500mlの水が入ったペットボトル、ナイフ、携帯シャベル、金属製の深めの皿が2つ、巻かれた紐、包帯、錠剤、ファンタジー世界の服装が上下セットで2着、肌着が数枚、見たことのない硬貨が数十枚入っていた。
服や硬貨があるってことは、人里が合ってそこへたどり着くことが想定されてる…と信じたい。
というか、明らかに何日かはサバイバルをしろと言わんばかりの、装備が入っている。
停止して静寂に包まれた世界を、リュックを背負って森の中へ入っていく。
数百メートルは歩いて、特段目印のない場所まで歩いてきた。
植生や、昆虫などを見る感じ、本当に異世界に来ちゃったみたいだ。
しゃがんで、リュックを下ろし、ライターを取り出す。
スキルが書かれてた紙を千切って…燃やそうとしたけど火がつかない。
湿気てるのかと思ったけど、どうやら時間停止が原因みたいだ。
この停止空間の仕様は検証しないといけないなぁ。
とりあえず、スキルを解除して紙切れを燃やす。煙はほとんど出てない。
出ても、この生い茂った木々の中じゃ、ほとんど見えないと思う。
すべて燃え尽きたことを確認すると、シャベルで穴をほって、灰を埋める。
万が一、復元系のスキルがいたら、厄介だな。とりあえず、クラスメイトにはいないことを確認してあるけど。
でも、自分で持ってるよりははるかにリスクは減るから、ここで処分するのが吉。
そんなことを考えながら、手とひざについた土を払って、時間を止めると、広場の方へ歩き出した。
――
広場へ出る前に時間停止を解除して、歩き始める。一応、北方向とは違う方向から広場に入る。
森を抜けると、何人かのクラスメイトたちと担任が、立ち上がって話し合いをしていた。
森から出てきた僕の茂みをかき分ける音に反応して、数人こちらを見ている。
「七瀬か。ーーーこれで、一応全員の安否は確認できたな」
担任の西村先生がこちらを見ながら、クラスメイトたちと会話を続けていた。
近くの人の密度が低そうな場所に腰を下ろす。
少しづつ現実感が脳内を支配してきた。すこし距離を歩いたのが良かったのかもしれない。
もしくは、啜り泣いている女子の声が、夢じゃないことを認識させてくれてるのかな。
とはいえ、今後の行動はどうするべきか。
なんか白い空間で、女の人が重要そうな話をしていたのだけども、ほとんど聞いてなかった。
配られた紙には、奪い合いを推奨するようなことが書かれていたけど、どうするかな。
奪えば願いが叶うか。
正直言うと、叶えたい願いはある。
それが叶えられるとは、達成されるとは思ってもないけども。それがもしも叶えられるのであれば、僕にはそれを成し遂げる必要がある。
行動を起こすのが吉か、それとも様子見か――
なんか…考えるの面倒になってきたな
「――ん。――七瀬くん!」
肩を揺さぶられて、並行して頭もシェイクされる。意識が強制的に覚醒された。
「ほら立って。行くよ」
ついでに手を引いて、立ち上がらせてもらったのは、クラス委員の中野さん。
あたりを見渡すと、数名のグループ事に話し合いをしたり、森の中へ入っていくのが見える。
すこし眠ってたみたいだ。
「ごめん。話聞いてなかった。なに?」
とりあえず、中野さんに状況を聞いてみた。
「もぉー!話はちゃんと聞かないとだめだよ」
少し怒っているみたいだけど、説明をしてくれた。
「周辺を探索ことになったんだよ。私と理恵ちゃんと、七瀬くんと早川くんの四人で向こうの方を探索するの」
そう言いながら中野さんは右前方を指差す。既に、他の二人は森に入る手前で僕らを待っていた。
一人は三好さんで、すこしうるさいイメージが有る子だ。早川くんは、気が弱そうな男子生徒だ。中野さん以外の二人とは、ほとんどしゃべったこと無い。
4人で森の中を歩きながら、中野さんに会話を振る。
「何を探すの?」
「水場と、食べ物、あと道とかあれば探すようにって。…西村先生と桑田くんたちが方針を決めてくれたの」
先の集まりは、どうやら方針を会議していたらしい。
リーダーシップがある人がいてよかった。先生がいたのも大きいのかな。
「水と食料と安全が確保できたら、人の居そうな方向に進むんだって。移動に有利なスキル?がある人は優先的に、今後の探索班に割り振られるみたい」
へー。
なるほど。とりあえず、僕の方針は決まった。
適当に話を合わせて、森を進んでいく。
しばらくして周囲から、他のクラスメイトの気配がしなくなったところで、足を止める。
「――どうしたの?」
一番うしろを歩いていた僕がついてこないのに、気づいて中野さんたちが振り返る。
「悪いけど…一人で行動するね」
できるだけ申し訳無さそうな顔で答える。
「っ何言ってんのよあんた!勝手な行動とったら、香があとで怒られるのよ!」
すかさず、三好さんが僕に怒鳴ってくる。どうやら彼女は僕のことがあまり好きではないらしい。
よく中野さんの世話になっていることは無関係ではないと思う。
「――そうだよ。それに一人で行動して迷子になったら、みんなと合流できないかもしれないよ」
そんな中野さんは、僕の心配をしてくれたみたい。まっすぐ見つめる目をそらすのが難しい。
彼女の瞳を覗き込まないように、返答を返す。
彼女の能力は読心。その能力がどの程度のものなのかは、わからない。深層心理や無意識下の考えまで読めるのか、もしくは、表層の今考えていることしか読めないのか。
すくなくともこのクラスメイトの中で一番厄介なスキルであることは確認済みだった。
つまり、彼女がいるから今後一緒に行動できない。
「そうじゃなくて、一人で街を探すよ」
そう言って、左に曲がって彼らとは違う方向へ歩き始めた。
去り際に見た中野さんの表情は、心做しか悔しそうな感じがした。
後ろでは、三人が話し合う声が聞こえてたけど、木々の木漏れ日に紛れて静寂となった。