あなたの能力は時間停止です   作:ハスキー大根

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冷たい石造りの部屋。

時間の感覚は曖昧になっていた。ラクサ村から連れて来られて、馬車に揺られ、いくつかの拠点を経由して、今はこの小さな部屋に落ち着いている。

 

一日に二度運ばれてくる食事に口をつけるのにも理由はない。黒パンと塩気の強いスープ、そしてぬるい水。ただ、出されているから、消費するだけ。

 

時折、この部屋から出されて、長時間質問されることがあるが、それ以外の時間は部屋でじっとしていた。

尋問官たちは、代わる代わる僕の前に座り、同じようなことを繰り返し尋ねた。

 

「お前は何者だ」「どこから来た」「その力は何だ」

 

僕は基本的に黙秘を貫いた。僕の力の根源は、スキル『時間停止』。それはこの世界における僕だけの切り札であり、生命線だ。精霊としての力は、その副産物に過ぎない。

 

ただ、どちらの力についても詳細に話す必要はない。僕が彼らを害することはないが、彼らが僕を害することもできないのだから。特に、『時間停止』につながる情報は落とさないようにした。

それに、この世界には嘘発見器のような道具があるのか知らないため、不用意に口を開くつもりは無かった。

 

だから僕は、彼らにとって都合のいい「精霊使い」の仮面を被り続けることにした。ラクサ村で出会った、あの湖の精霊。彼女との邂逅が、僕にこの便利な隠れ蓑を与えてくれた。

彼らは僕を、特異な精霊使いだと誤解している。それでいいと思った。

 

そして、10回ほど月が昇り、そして落ちた頃。

独房の空気は淀み、壁を伝う雫の音だけが、僕の聴覚に世界の存在を教えてくれていた。思考はどこまでも深く、内へ内へと沈んでいく。ロマナちゃん、ミトラちゃん。――マリアさん。幾人もの村人の顔が、閉じた瞼の裏で明滅する。こんな場所でじっとしていると、死んでもいいかな、なんて考えてしまう。だけど、彼女たちのことを考えると、生き続けないといけないと思った。

 

 

重い鉄の扉が開く音が、その静寂を唐突に破った。現れたのは、見慣れない男だった。これまで僕の世話をしていた人間よりもずっと鋭い目つきをした男が、無言で僕に部屋を出るよう顎で指図する。

 

反抗する理由もないので、僕は静かに立ち上がり、男の指示に従った。

冷たい石の廊下をしばらく歩く。響くのは二対の足音だけ。松明の灯りが、壁に長い影を落としては消える。空気はひどく冷たく、鉄と、そして微かに血の匂いが混じっていた。ここは、人の命が軽く扱われる場所なのだと、肌で感じ取れた。

やがて、一つの扉の前で男は立ち止まり、重々しくそれを開いた。

 

「入れ」

 

促されるままに足を踏み入れると、そこはこれまで僕がいたどの部屋よりも、広く、そして権威的な装飾が施された部屋だった。壁には、緻密な織りのタペストリーが掛けられている。しかし、その色彩は褪せ、所々にほつれが見える。床には深紅の絨毯が敷かれているが、それもまた、多くの人間に踏みつけられ、その輝きを失っていた。

部屋の奥、黒檀で作られた大きな執務机の向こう側で、一人の男が静かにこちらを見ていた。

 

年の頃は四十代だろうか。短く刈り込まれた灰色の髪。顔には幾筋かの深い皺が刻まれ、その瞳は底の知れない湖のように、感情の色を映していなかった。机の上には、羊皮紙の束と、インク壺、そして一つの黒い首輪が置かれている。

 

「私がこの組織を預かっている――そうだな、ゼス、と呼べ」

 

男は静かな声で言った。その声は、長年風に晒された石のように、ひどく乾いていた。

 

「貴様には、我々の組織に加わってもらう。これは決定事項であり、拒否権はない」

 

淡々と告げられる言葉。それは勧誘などという生易しいものではなく、紛れもない強制だった。

ゼスは、僕が何かを言うのを待たずに話を続ける。

 

「座れ。少し長くなる」

ゼスは椅子を指し示した。僕は言われるがまま、軋む音を立てる木の椅子に腰を下ろす。

「まず、現状を教えてやろう。我がアルシオン王国は、北のガリア帝国との戦争で劣勢を強いられている。多くの国土を奪われ、民は疲弊し、各地で不満の火種が燻っている。帝国の工作員やそれで利益を得る他国の豚どもがそれを煽り、反乱や暴動を引き起こしているのが現状だ」

 

「貴様のいたラクサ村にガリア帝国の軍が攻めてきたのも、これら影響を少なからず受けている」

 

彼の言葉は、僕がこれまでに断片的に聞いていた情報と一致していた。

「我々の仕事は、その火種が燃え広がる前に消して回ることだ。他国の工作員を排除し、国を守るのだ。しかし、そのためには駒が足りん」

 

ゼスは一度言葉を切り、僕の目を真っ直ぐに見た。

「どうやら、貴様は精霊使いのくせに人殺しができるようだな。その力は我々にとって非常に有用だ。

――リスティンの精霊使いどもは、強力な魔法を使えるくせに戦闘ができないという欠点があったわけだ。しかし、貴様にはそれがない。」

 

彼の口から語られる情報は間違っていない。あの村での一件は、監視されていたのだろう。

「魔術研究の実験台として余生を過ごすか、我々の駒として使い潰されるか。貴様が選べるのは、その程度の違いでしかない」

 

ゼスの言葉は冷たい選択を強いてきた。だが、その瞳の奥で揺らめくのは、強い忠誠心か、それともこの国の闇か。それでも、この男が私情ではなく、組織の為に動いていることはわかった。

 

僕が口を開かないと、そのまま男が続ける。

「仕事内容は多岐にわたるが、他国の工作員の特定と、その処分。あるいは、我々が『不要』と判断した者の暗殺。――つまり、世間では『汚れ仕事』と呼ばれる類のものだ」

 

その言葉に、僕の心は僅かにも揺れなかった。

人を殺すことへの抵抗感は、精霊と成った瞬間から抜け落ちていた。それはこの世界では、呼吸をするのと同じくらい、ヒトにとって必然の行為だから。

 

僕は、この男の提案を頭の中で反芻する。

汚れ仕事。それはつまり、王国内の様々な場所へ赴き、様々な人間と接触することを意味する。

今の僕には、情報が足りなすぎる。このあたりの地図。ロマナちゃんたちがどこへ行ったのか。この世界の情勢。ガリア帝国が攻めてきた理由。アルシオン王国は安泰なのか。そして、僕と同じ『異世界人』たちは、今どこで何をしているのか。

 

各地を、組織のバックアップ付きで移動できるというのなら、それは僕にとって悪い話ではなかった。むしろ、好機とさえ言える。この男の駒になりながら、僕は僕の目的を果たせばいい。

 

「……わかった」

 

僕は短く答えた。

ゼスは、無表情にうなずいた。

 

 

「話が早くて助かる。利口な判断だ」

彼は机の上に置かれていた黒い首輪を指先で弾いた。硬質な音が響く。

「まぁ、拒否してもこれで従わせるだけだからな。言っておくが、脱走や命令違反は死をもって償ってもらう。どちらにせよ、貴様はこの首輪がある限り、我々から逃げることなどできない。覚えておけ。」

 

彼はそう言って、首輪を机の引き出しにしまった。

 

「では、君の仲間を紹介しよう。入ってこい」

 

ゼスが声をかけると、部屋の扉が開き、二人の男女が入ってきた。

 

一人は僕より一回りくらい年を取った男だった。ひどく曲がった鷲鼻が、猛禽類を思わせる。黒い革鎧を擦り切れるほど着こなし、腰にはワイヤーなどの道具がじゃらじゃらとぶら下がっている。その態度はひどく尊大で、僕を一瞥すると、まるで汚物でも見るかのような目で鼻を鳴らした。

 

「へっ。また追加要員かよ。今度こそは使えるんだろうなぁ、ゼスさんよ」

 

男は、ゼスに対しては辛うじて敬語を使いながらも、その口調は軽薄そのものだった。彼の視線が、僕の全身を舐めるように動く。

 

「なんだ、このガキは。またどっかのお貴族様が、戦争ごっこでもしに来たのか? 言っとくがな、前の奴は半日で泣き言を言って逃げ出したぜんだぜ。ここは遊び場じゃねえんだ」

 

男は僕の目の前まで来ると、挑発的に顔を近づけてきた。汗と鉄の匂いがする。

 

「せいぜい、俺の足を引っ張んなよ、新入り」

そして、僕の返事を待つこともなく、吐き捨てるように言って踵を返し、さっさと部屋を出て行ってしまった。扉が閉まる乱暴な音が、彼の苛立ちを物語っていた。

 

もう一人は、小柄な女性だった。簡素なローブを深く被り、顔はほとんど見えない。彼女は部屋に入ってくるなり、僕の姿を認めると、びくりと肩を震わせた。その手には、小さなリュートが握られている。

 

「な、なな、なんでぇ……聞いてた話と違いますぅ……」

 

か細い声が、ローブの奥からくぐもって聞こえる。彼女は僕から視線を逸らし、俯いてしまう。その体は小刻みに震えていた。

直感的に彼女が精霊と契約していることがわかる。音楽を司る、陽気な精霊だ。だが今、その精霊たちは沈黙している。僕が内包する、闇と水の静かで冷たい気配に呑まれて、息を潜めているのだ。つまり、彼女は、精霊を通して、僕という存在そのものに本能的な恐れを抱いているらしい。

彼女もまた、僕と目を合わせることなく、お辞儀ともつかないぎこちない動きをすると、逃げるように部屋を後にした。

 

歪な二人組だな、というの彼らを見た最初の感想だった。

 

「男の方はクロウ。元は名の知れた盗賊団の頭だ。貴族邸への窃盗で捕まり、死刑になるところを俺が拾ってやった。開錠、潜入、尾行、変装、詐欺。態度は悪いが、腕は確かだ」

 

ゼスは、二人のことを淡々と説明する。その声には、彼らへの評価と、道具としての期待が滲んでいた。

 

「そしてもう一人はミラ。精霊使いだ。直接的な戦闘力はないが、広範囲に情報を拡散させたり、逆に特定の情報を集めたりすることができる。撹乱や情報操作においては、よい働きをする」

 

「基本的な任務は、貴様とクロウの二人で遂行してもらうことになる。実働部隊というわけだ。ミラは、私や司令部との連絡役、および後方支援を担当する。いいな」

 

友達を作りに来たわけじゃない。仕事仲間だ。彼らが僕をどう思おうと、僕が彼らをどう感じようと、任務を遂行する上で支障がなければ、それでいい。

クロウの潜入技術と、ミラの情報収集能力。そして、僕の戦闘能力。確かに、組み合わせとしては悪くない。互いに干渉せず、それぞれの役割を機械的にこなせばいい。

馴れ合うつもりもない。僕は彼らを駒として使い、彼らもまた、僕を駒として使えばいい。

 

「わかった。仕事ができれば、それでいい」

 

僕は、先ほどと同じ言葉を繰り返した。その言葉に、今度は何の感情も乗せずに。

僕の答えに、ゼスは満足げに頷いた。

「よろしい。では、リン。今日から貴様も我々の一員だ。最初の任務はすぐに下されるだろう。それまで、割り当てられた部屋で待機しておけ」

 

こうして、僕の新たな日常が始まった。

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