ミラが報告を終えるまで、部屋には沈黙が流れた。クロウは壁に寄りかかったまま腕を組み、僕から視線を外さない。僕は静かにその視線を受け止めていた。
やがて、ミラが司令部との話しを終える。
「報告、完了しました。……追って指示があるとのことです。それまで、待機です」
「待機…ね」
クロウは、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「指示待ちってのは、どうにも性に合わねえ。俺はちっと、喉を潤してくらぁ。お前らも好きにしろ」
彼はそう言うと、乱暴にドアを開けると、部屋を出て行った。扉が閉まる音は、来た時よりは幾分か静かだった。
部屋には、再び僕とミラだけが残された。
気まずい沈黙が、重くのしかかる。
「あ、あの……リン…さん」
先に口を開いたのは、ミラだった。彼女は、まだ少し怯えたような目をしながらも、僕に話しかけてきた。
「はい」
「その……武器とか、何かお持ちですか?」
彼女の意図は、なんとなくわかった。僕は、村から連行されてから、ほとんどを独房のような部屋で過ごしていたため、ろくに装備というものを持っていなかった。
「特にない」
とはいえ、特段武器が必要だとは思っていなかった。戦闘時にも水分はそこら中に存在するのだから、砂漠地帯でもない限り、魔法が使えなくなることなど無いように思えたのだ。
しかし、僕のその言葉は、彼女をさらに不安にさせたようだった。
「その…これから制圧もしくは脅迫任務が課せられる…と思います。目に見える武器などが…あった方が相手も投降に応じる可能性が高いので…」
なるほど。彼女の言うことにも一理ある。確かに、武器を持った人間に脅される方が、従う可能性は高そうだ。
「……わかった。何か探してくる」
僕がそう言うと、ミラは心底ほっとしたような表情を浮かべた。
「は、はい! それがいいと思います! クロウさんも、戻ってくるまでにはまだ時間があるでしょうし……」
僕は頷き、部屋を出た。
外の空気は、ひんやりとしていて、僕の火照った意識を少しだけ冷ましてくれた。
ブリエンツの街は、夕暮れの光に染まり始めていた。
市場の喧騒は少しずつ落ち着きを取り戻し、家路につく人々の影が、石畳の上に長く伸びている。
僕は、あてもなく街を歩きながら、時間をかけて武器を扱っていそうな店を探した。
やがて、鉄を打つ甲高い音が聞こえてくる一角を見つけた。そこには、いくつかの鍛冶屋や武具屋が軒を連ねていた。
いくつかの武具屋に入った後に、その中の一軒、古びた斧の看板が掲げられた店に入る。
店内には、剣や槍、鎧などが所狭しと並べられ、鉄と油の匂いが充満していた。
「へい、いらっしゃい。何かお探しで?」
店の奥から、熊のような大男の店主が現れた。僕の姿を上から下まで値踏みするように見ると、少し意外そうな顔をした。
「ナイフをいくつか」
「ナイフ、ね。護身用かい? それとも、仕事で使うのかい?」
「……仕事用」
僕がそう答えると、店主はニヤリと笑い、カウンターの下から、布に包まれたいくつかのナイフを取り出した。
投擲用のバランスナイフ、皮剥ぎ用の湾曲したナイフ、そして、細身のスティレットなどいくつものナイフがカウンターに置かれる。
僕は、その中から、特に何の変哲もない、長さ十五センチほどの薄刃のナイフを手に取った。
あまり、特徴が無い方が良い気がするし、軽そうなこれがいいかな。
「ほう、そいつかい。見る目があるな、切れ味もいいし、なにより軽い」
店主の口上を、僕は半分聞き流しながら、これを購入する意と、なにか鞘のようなものも欲しいと告げる。
代金を支払った後に、購入したナイフを、腰のベルトに差し、上着で隠す。
これで、少しは
店を出て、再び雑踏の中に戻る。人々が、当たり前のように笑い、怒り、生きている。そして僕はこの汚れ仕事に、手を染めている。
ふと、そんな感傷に浸りながら、僕もクロウみたいに何か食べてから帰ろうかな…と考えていた時だった。
――リンさん
頭の中に、直接、ミラの声が響いた。
――お戻りください。 司令が届きました
僕は、短く息を吐くと、踵を返し、宿屋へと向かった。短い休息は、どうやら終わりらしい。
宿屋の部屋に戻ると、そこには、既にクロウとミラの姿があった。
クロウは、壁に寄りかかり、腕を組んでいる。その顔からは、先ほどの軽薄な笑みは消え、鋭い光が宿っていた。酒の匂いはしない。
クロウが、僕を一瞥するが、何も言わない。
「指示が来ました」
ミラが、ゼスからの命令を僕らに告げる。
「……第一。ブリエンツ領主の暗殺。」
「……第二。商業ギルド会頭、ゲルハルト・シュナイダーに不正に得た利益の全額を国庫に返納させる誓約させること。拒否する場合は排除してかまいません。」
部屋が、しんと静まり返った。
領主の暗殺。しかし、それを命じているのは、国の暗部組織。つまりそれが、この国のやり方。
「……なるほどな。腐った頭をすげ替えて、胴体はそのまま使うってわけか」
クロウが、吐き捨てるように言った。
「で、役割分担はどうする? 領主の館は、警備が固えぞ。潜入するなら、俺一人の方がやりやすい」
「じゃあ、僕は商業ギルドを担当するよ」
僕がそう言うと、クロウは訝しげな目を僕に向けた。
「おい、新入り。てめえ、本当に一人でやれんのか? ゲルハルトの屋敷は、傭兵を何人も雇ってるって話だぞ」
「問題ない」
僕の即答に、クロウは一瞬言葉を詰まらせた。だが、僕の目を見て、何かを察したように、ふっと息を漏らした。
「……まあ、いい。初回だからな、特別に信じてやる。だが、しくじるなよ。てめぇの尻ぬぐいなんぞ御免だぞ」
「ミラ」
クロウは、ミラの方を向いた。
「お前は、こいつのサポートをしてやれ。それと、早朝には街を出れるように、馬車を一台、手配しとけ」
「は、はい。 分かりました!」
ミラは、こくこくと力強く頷いた。
「時間はねぇ。さっさと作戦にとりかかるぞ」
クロウの言葉を合図に、僕たちはそれぞれの作業を始めた。
部屋の窓から見える空は、既に深い藍色に染まり、星が瞬き始めていた。
真夜中のブリエンツは、昼間の喧騒が嘘のように、静まり返っていた。
石畳の道を、冷たい夜風が吹き抜けていく。
僕は闇の中を静かに移動していた。
――最初の目標は、あそこの屋敷です
ミラの囁きが僕の頭の中に響く。間取りや護衛の数、家族構成などを僕に伝えてくれる。
水の気配から僕も探ることはできるが、探りながらの移動は難しいのでとてもありがたかった。
――何かあれば、すぐに撤退してください
「分かった」
僕は、ミラの指示に従い、闇の中を移動する。
そして、ゲルハルト・シュナイダーの屋敷の前に立つ。
彼の屋敷は巨大で、まるで要塞のようだった。警備の数かなりいるらしい。
でも、僕にとっては関係がない。
僕は、影から影へと、音もなく移動する。
影となった黒い水が、護衛たちを一人、また一人と、闇へと沈めていく。彼らは、自分が何に襲われたのかも理解できないだろう。
やがて、僕はゲルハルトの書斎へとたどり着いた。
彼は、灯りの下で、書類の整理をしていた様だった。僕が後ろ手でドアを叩くと、やっと気配に気づき、顔を上げる。
こんな深夜まで、作業とは…商人というのも大変らしい。
「……何者だ」
彼は、ヨハンのように取り乱すことなく、低い声で尋ねてきた。その目には強い警戒心と、計算高い光が宿っていた。
「……今回の件から手を引け」
「手を引け? ふん、面白い冗談を言う。金が目当てか? それとも、どこぞの貴族が放った犬か?」
ゲルハルトは、椅子から立ち上がると、隠し持っていた短剣を手に取った。
「どちらにせよ、生かして帰すつもりはない」
彼は、素早い動きで、僕の心臓めがけて短剣を突き出してきた。熟練した動き。
座っていた姿からは、想像できないほどの腕前なのがわかった。
つまり、彼の地位は修羅場をくぐって築き上げてきたものなのだろう。
だが、その刃は、僕の胸に触れる寸前で、ぴたりと止まった。
いや、止まったのではない。僕の体に、まるで水面に落ちる石のように、吸い込まれていく。
「……な……」
ゲルハルトの顔が、初めて驚愕に歪んだ。
短剣は、僕の体の中に完全に沈み、そして、消えた。
そして、腰のナイフを彼に頬に滑らせる。
「……化け物め」
彼は諦めて、そう呟いた。
そのあと、僕は彼に誓約書を書かせた。
それで任務は終わりだ。
思ってたよりも、楽かもしれない。それが僕の感想だった。
東の空が、白み始める頃。
僕たちは、街の外れに停められた馬車に乗り込み、ブリエンツの街を後にした。
御者台には、既にクロウが座っていた。
「時間通りだな」
僕が荷台に乗り込むと、彼は短くそう言った。
僕も、無言で頷く。
馬車が、ゆっくりと動き出す。
荷台の中では、ミラが、疲れた表情を浮かべて眠っていた。
しばらく、沈黙が続いた。
やがて、クロウが、前を向いたまま、ぽつりと呟いた。
「……おい、新入り」
「僕の名前はリンだよ」
「……リン。この先も、この仕事を続けるつもりか?」
その問いに、僕は、どう答えるべきか、少しだけ迷った。
「そう…だよ」
僕がそう言うと、クロウは、鼻で笑った。
「へっ精々早死にしねえようにしろよ」
彼はそれ以上、何も聞いてこなかった。
ただ、その横顔は来た道よりも幾分か不機嫌そうではなかった。
こうして、僕の最初の任務が終わった。
馬車は、朝焼けに染まる道を進んでいく。