ぼくが一人で歩き始めてから、数週間が経った。一ヶ月は過ぎていないと思うけど、毎日見る木々には飽きていて、時間間隔が曖昧になっている。
そして今、僕は自分の身に起こっている異常性について考えていた。
はじめに異常に気がついたのは、こちらに来てから一週間ほど経ったときだった。
その頃僕は川沿いに森の中を歩いていて、おおよそ1時間程度の間隔で水を飲み、6時間間隔でご飯を食べるサイクルを送っていた。
かなりの距離を歩いていたのだけれども、
とはいえ、最初の数日は大して気にもとめていなかった。
喉が渇かないのも、腹が減らないのも、定期的に栄養を摂取しているからだとか、緊張して生理現象が感じにくくなっているのだとか、運動中は腹が減らないのは、身体的な機能の一つだとか。そんなふうに考えていた。
携帯食料は実は異世界の仙豆みたいな超常的な食べ物なのかな、なんて脳天気なことを考えていた。
流石に、三日目を過ぎたあたりから、便通や利尿すらも無いことに疑問を感じた。だけど、それで腹痛だとかの体調不良があったわけでもないので、問題視していなかった。
6日目にはリュックに入っていた携帯食料が尽きた。水は川から汲んで煮沸してからペットボトルへ移していたので、大丈夫だったけど、これには困ったなーなんて考えてた。
とりあえず、歩きながら食べれそうなものを見つけるか…とか考えて、その日は足を進めた。結果、何も食料は得られなかった。
でも、僕の腹は減らなかった。
7日目。実験的に水も抜いてみたけど、喉の乾きは訪れず、昨日同じような距離を歩けた。
どうやら、僕の体の生理的な機能はうまく働いていないようだ。
あれ…でも、ひたすら歩く現状にとっては、都合がいいからいいか。
僕は、面倒なこの状態について、考えるのをやめた。
というか、この異常を解消する手段を考えついたとして、それを実行する理由がなかった。
それに、僕自身に降りかかった異常性はこれだけではなかったのだ。
2つ目の異常について気がついたのは、偶然だった
当然のようにこの異世界の森には、いわゆる生態系の上部、捕食者と呼ばれる生物がいた。
それは、大きな熊だったり、虎のようなものだったり、人形の巨人のような生物だったり、はたまた、竜のような何かだったりした。
とてもじゃないが、僕の体では太刀打ちできる目算などあるはずもなく、逃げられる保証もない。
だから、基本的に彼等を目にしたら、時間を止めて通り過ぎることにしてた。
ちなみに、しなやかな毛皮や大きな牙、樹木のような皮膚、煌めく鱗は実に見事で、怖かったけど間近で見ると、なんだか懐かしい気持ちになれた。まるで、無邪気な少年時代を思い出させてくれる、アーティファクトのようだと思った。
何度かの遭遇を経験して、僕の危機感は麻痺していたのだろう。それまで、危機的な状況に追い込まれなかったのも原因だと思う。人はそれを慣れとと呼ぶのかもしれない。
目に入ったのに、頭は危険だとわかっていたのに、時間停止を忘れて、そのまま目の前を横切ってしまった。
――でも、特に何もなかった。
黄金に輝く瞳は、捕食者を証明する大きな顎は、こちらを確かに一瞬見た。だけど、顔を背けると、再び捕食行動を開始した。
あ、終わったと思った。だけど、僕は確かに生きていた。
ちなみに、汗一つでなかった。
そして、人とは実に愚かな生き物で、過ぎ去った恐怖体験など、すぐに忘れてしまうようだった。
なんせ僕は、数日後に僕は同じような体験を、再度繰り返す羽目になるのだから。
結果、実に10回のやらかしを経て、僕は
いや、言い訳をさせてほしい。僕だって2回目の恐怖体験以降は、気を使っていたほうだ。
でも、どうやらこの頃に歩いていた地域は、以前の初期地点の森とは危険度が違うようだ。常に、木々の隙間から生物たちが争う音が漏れ出しているし、危険そうな生物との遭遇頻度がとても増えた。
停止して通り過ぎて、大丈夫だと思ったから解除しても、数秒後にはスッと新しい捕食者が現れたりするのだ。
だから僕は悪くない。
とはいえ、結果として自分の安全性を再認識できたのだから、良いことだと思う。
ちなみに、なぜ僕が襲われないかは、まったくわからない。
同じ背丈の猿のような生物が襲われているのを見たことがあるし、なんなら、何でも食べちゃいそうな気持ちの悪い生物にも出会ったのだけど、別に襲われなかった。
自分が認識されていないわけでは無いと思う。捕食者と目が合うことは度々あるのだから。
ちなみに、被捕食者も僕に対して警戒心を抱いていないようだった。鹿みたいな生物とか、ウサギみたいな生物の真横を通っても、微動だにしない。都会の鳩のほうがよっぽど警戒心があるように見えた。
つまるところ、僕はこの森では
3つ目は…というか、細々とした不思議な出来事はいくつあって、まとめきれない。
怪我の治りが早いこととか。よる火の回りに煌めく何かがいることとか。川辺を離れても、いつの間にか戻ってこれることとか。木の棒を倒して行く方向を決めたら、いつも同じ方角を向くこととか。小動物たちが休んでいると寄ってくることとか。疲れが訪れなくなってきていることとか。睡眠を取らなくても、眠くならないこととか。
もーわけわかんない。
というか、自分に都合のいいことしか起きていないので、考えるメリットがなくて放置していたら、いつのまにか不思議現象が積み上がってしまって、ジェンガのように今から解体するのは困難だった。
というか、そんな不思議出来事よりも、もっと面白いことを見つけてしまって、すっかり放置していたというのが正しい。人は自身への不都合は気にするけど、無関係なら気にしなくなる生物だから。
まず、魔法を見つけた。
森で生活する生物たちが、現代物理を無視した現象を引き起こしているのは、幾度も見てきた。
体重を無視したような方向転換や、異常な切れ味の爪などは、純粋にすごいと思える範疇だった。
火を吐いたり、相手を凍らせたり、雷を纏ったり生物を見つけたときは、「ま、まぁ、異世界だし…」と無理やり納得してた。
でも、影に潜んだり、木々を成長させたり、水を意のままに操るような物理法則を完全に無視した現象を目の当たりにすると、これが魔法なんだと実感できた。
そして、それが僕にも使えるんじゃないかと思えてきた。
そう、あの白い空間で話していた人は、
それから僕は、とにかくこの世界の生物を観察した。ここで、僕が生き物として認識されていないという悲しい事実が役に立った。近づいて観察しても、逃げられることは無いのだ。
むしろ、近くに捕食者がいない状況なら、小動物であれば寄ってくる。
そんな中で、僕が一番気に入って観察していたのは、影に潜む蜥蜴だ。体長は20cmもない、スリムな体型で、臆病な性格をしている。
いつの間にか、僕の影に潜んでいて、何がいいのかわからないけど、ずっと同じ旅路を歩んできた。
何度も影に入られていると、いつしか僕の中に不思議な感覚が芽生えてきた。
その感覚を反復して確かめていると、僕は魔法を覚えていた。
蜥蜴とおそろいの影の魔法だ。
とはいえ、今のところ影に潜り込むことはどうやらできないみたいだ。影に手を入れるだけで、ものすごい疲労感に見舞われるし、全身をいれるなんてとてもじゃないが無理だった。
できるのは、影を伸ばしたり、縮めたりして動かすことくらい。あとは手のひらサイズの物を影に入れたり出したりすることができる。
大した能力でもないけど、僕の魔法に対するモチベーションは爆上がりした。
それから、火の魔法や水の魔法といった魔法を次々と身につける日々は実に楽しかった。
それらは、実に小規模な現象だったけど、これまでの常識を打ち破る快感は得難いものだった。
それから、僕は暇な時間をすべてスキルの習得に費やした。
歩いている最中から、寝るときまで。だってやること無かったし。
そしてわかったことがある。
習得できたスキルが大して役に立たないということだ。
例えば水の魔法は、手のひらサイズの水を発生させるだけにとどまったし、身体強化スキルもお気持ち程度の実感しか得られなかった。
これは、スキルで得られる能力の限界なのか。それとも、各スキルには習得レベルなるものが合って、それが低いだけなのか。
どちらにせよ、これ以上、今の僕にできることはあんまりなかった。
この森にいる生き物の超常現象を参考に、真似てみたのだけども、どうやら人間の僕が真似るには限界があるみたいだ。むしろ、使えるだけでも御の字のような気がしてきた。
あ――だれか、魔法を教えてくれる優しいお姉さんなんて現れないかな。
なんて考えながら長いこと森の中を彷徨っていた。
そして、因果推論は成り立たないけど。数日後の僕の目の前には、それはそれは美しい女性がいた。