僕とクロウが地下室に潜んでから、丸一日が過ぎた。
地上から響いてくる音は、徐々にその性質を変えていった。最初は遠くで聞こえていた破壊音と壁の崩れる轟音。それがやがて、建物を揺るがすほどの雄たけびと、無数の足音、そして、勝利を告げるガリア帝国兵たちの鬨の声へと変わった。
街は、陥落したのだ。
僕は、目を閉じたまま、街中の水へ意識を同調させていた。
広場の石畳の隙間から染み出した雨水が、僕の感覚器官として彼らの様子を覗き見る。勝利に沸き、これから始まる略奪に狂奔する兵士たちの荒々しい足音。打ち捨てられた家屋の扉を蹴破る音。悲鳴。そして、それらを嘲笑う、下卑の声。
この街で繰り広げられている光景が、僕の脳裏に流れ込んでくる。
「……来たか」
向かい側で、壁に寄りかかっていたクロウが、短く呟いた。彼もまた、振動と音で、帝国軍が街の中に入ってきたことを知ったのだろう。
広場に、ぞろぞろと兵士たちが集まってくる。彼らは、略奪した酒樽を担ぎ、あるいは高価そうな装飾品を自慢げに掲げながら、勝利に酔いしれていた。その中心に、馬に乗った一人の将校が姿を現す。
そして、その将校の傍らに、二つの人影があった。
黒い髪に、黒い瞳。
僕と同じ色を持つ、一人の若い男と、一人の女。彼らは、周囲の兵士たちとは明らかに違う空気をまとっていた。兵士たちの喧騒を、どこか冷めた目で見下ろしている。あれが、標的の『異世界人』に違いない。
「見つけた。広場の中央、馬に乗った将校の近く。黒髪の男と女が一人ずつ」
僕が静かに告げると、クロウは通気口の隙間から、慎重に外の様子を窺った。
「……ああ、間違いない。あれが標的だな。思ったよりも俺らと変わんねぇな」
クロウは、忌々しげに舌打ちをした。
異世界人たちは、兵士たちの歓声に応えている。しかし、その姿は、消極的であり、心から喜んでいるようには見えなかった。
やがて、将校が何事かを叫ぶと、兵士たちは再び雄叫びを上げて散っていく。略奪の続きか、あるいは、残党狩りか。広場には、将校と、二人の転移者、そして、護衛と思われる十数人の兵士だけが残された。
「……どうやら、今夜はあそこの建物で宿を取るつもりらしい」
クロウが指差したのは、僕たちが潜むこの屋敷の、ちょうど真向かいにある、ひときわ大きな建物だった。かつては、この街の商業ギルドか、あるいは庁舎として使われていたのだろう。今は、その扉も窓も破壊され、もぬけの殻となっている。
「好都合だな」
僕の水からの情報が、クロウの観測を裏付ける。男と女は、それぞれ別の階の、離れた部屋へと入っていった。護衛の兵士たちは、建物の入り口や階下で、見張りを固めている。
「……どうする? 二人まとめて、ってのは、ちと骨が折れるぞ」
クロウが、僕の顔を見て尋ねてきた。その目は、作戦の最終確認を求めている。
「一人づつやろう」
僕は即答した。二人同時に相手をするのは、リスクが高い。それに、彼らの能力はまだ未知数だ。情報を引き出すためにも、まずは一人を、生きたまま捕らえる必要があった。
「どっちでもいいけど、楽そうな方からやろう。僕が運ぶから、クロウは対象が自発的に外に出たように工作して」
「……へっ。お安い御用だ。俺を誰だと思ってやがる」
クロウは、自信に満ちた笑みを浮かべた。隠蔽工作の腕前は、僕が真似できないくらいには、彼の得意分野だ。。
「夜が更けるのを待つぞ。奴らが勝利の美酒に酔いしれて、眠りに落ちる頃合いが好機だ」
僕たちは、再び、息を殺して闇の中に潜んだ。
地上から聞こえてくる喧騒が、少しずつ遠のいていく。幸運の街の長い、長い夜が、始まろうとしていた。
真夜中のフォルトゥナにて、僕らは動き出す。
勝利の宴に疲れた兵士たちのいびきと、どこかでまだ燻り続けている建物の残骸が、時折崩れる音。そして、どこからともなく流れてくる血と腐臭の匂い。それら全てが、冷たい夜の空気の中に、重く、淀んでいた。
僕とクロウは、地下室から、地下水路へと降りていた。
クロウの案内を頼りに、僕たちは、闇で満たされた空間を音もなく進んでいく。
「さて――やつらの警備が緩いといいんだが…」
クロウが、声を潜めて囁いた。その声は暗い水路の中に消えていく。
やがて、僕たちは目的地である建物の、真下にたどり着いた。
地上へと続く、鉄格子の嵌められた排水溝。
クロウは、手慣れた様子で、懐から取り出したワイヤーの様なものを使い、音もなく鉄格子を外した。僕たちは、そこから這い上がりる。暗い通路のような場所を進むと、厳重な扉があった。その扉をクロウが開けると、屋敷の地下思われる場所へと出れた。
そのまま、屋敷の地上部分へと足を運ぶ。
建物の中は、静まり返っていた。
階下では、数人の見張りが、壁に寄りかかって雑談している。僕たちは彼らの意識の隙間を縫うように、影から影へと移動し、二階へと続く階段を上った。
標的が眠っているのは、二階の奥、一番大きな部屋だ。
扉の前には二人の護衛が立っていたが、彼らもまた、勝利の余韻と疲労からか、油断しきっていた。
僕の足元から、二筋の黒い影が伸びる。
影は、まるで生き物のように、二人の護衛の足首に絡みつき、声も出させずに、彼らを闇の中へと引きずり込んだ。
クロウが扉を音もなく開ける。鍵はかかっていないようだ。
僕たちは、するりと部屋の中へ潜り込んだ。
部屋の中は携帯式の寝具、床には前の所有者のものと思われる高価な絨毯が敷かれていた。家具はいくつか残っているが、移動できるものはほとんど残っていない。
そして、標的は、その寝具の上で、苦しそうに寝息を立てていた。
年の頃は、僕よりも少し上くらいだろうか。異世界人――日本人の女性である。
今回の標的だ。
僕が彼女を水で覆い、外部に声が漏れないようにしながら担ぐ。
クロウが、侵入の痕跡を消し、まるで自発的に外へ出たかのように細工をする。
クロウが顎で促し、僕らは再び地下水路へと戻った。
地下水路を抜け、僕たちは、スラム街の一角にある、廃墟と化した建物の地下室へとたどり着いた。
ここは、事前にクロウが確保しておいた、尋問用の隠れ家の一つだ。
対象はどうやら、連れてくる最中に目が覚めてしまったようだ。
僕は彼女を乱暴に床へと転がして、黒い水で作った目隠しを解除する。
「……!」
彼女は、うめき声を上げて、ゆっくりとあたりを見渡す。
そして、自分が置かれた状況を理解すると、僕らを睨みつけた。
「――ここは?」
「静かにしろ。今から、いくつか質問をする。正直に答えなければ、命は無いと思え」
クロウが尋問を開始する。
彼女は、鼻で笑った。
「ふん。殺せるものなら、殺してみなさいよ。どうせ、アルシオンの連中でしょ?どうせ、あなたたちは、もうすぐ死ぬんだから、こんなことしても意味ないわよ」
思ったよりも冷静なようだ
「……ガリア帝国には、何人の異世界人がいる?」
クロウは、彼女の挑発には乗らず、淡々と尋問を始めた。
「さあ? 私が知るわけないでしょ。私は、ただ、命令に従ってるだけよ」
彼女は一貫して、反抗的な態度をとっている。答えたくないことには無言で、もしくははぐらかす言葉を吐く。
「お前のスキルはなんだ。炎を使えることはわかっている」
「……」
「他の転移者のスキルは、なんだ?」
「知らないわよ、そんなこと。他人の能力なんて、興味ないもの」
「なぜ、帝国に従う? 」
「……」
彼女は、常にクロウを睨みつけていた。
その瞳には、決して屈しないという、強い意志が宿っていた。
埒が明かない。そう判断して、僕は顔を隠していた深いフードを取る。
すると、彼女の視線が僕の顔、特に僕の髪と瞳の色へと移動し、その表情がわずかに変化した。
「……あなた……その髪と、その目――」
彼女の声が、震えていた。
怒りや憎悪と、軽蔑に満ちていたその声に、初めて、別の感情が混じった。
それは、驚愕と、そして、信じられないものを見るような、戸惑いの色だった。
「もしかして……日本人……?」
その単語は、僕だけでなく、隣で尋問の様子を黙って見ていたクロウをも、驚かせたようだった。
今度は、クロウの視線が僕に突き刺さるのがわかった。
彼女の表情はそれから一変した。
憎しみに歪んでいたその顔が、まるで、救いの神でも見つけたかのように、歓喜に輝き始めた。
「そうよ! そうに決まってるわ! 同じ日本人じゃない! ねぇ、助けて! 私は、無理やり戦わされてるの! あのくそみたいな奴ら、隷属の術式を刻まれて……! 逆らったら、殺されるのよ!」
――隷属の術式。帝国で使われている奴隷を制御するための魔術の一種だ。僕やクロウの首にはまっている物と似たようなものである。
その様子は一筋の糸を見つけた犍陀多のように見えた。
もしも、僕がこの世界に来た時のままだったら、助けたかもしれない。それくらいの善性は僕も持ち合わせていた。
だが、僕が精霊になった影響は精神にまで及んでいる。その言の葉は荒れる海に石を投げるようなもので、何の意味も持たなかった。
「他の異世界人のスキルは何?」
クロウに代わって僕が話す。彼よりも僕が話す方が、口を開いてくれそうだ。
「…一人は知らないわ。あんまり会わないし、もっと上にいるらしいことしか知らないの。確か、命令か編成か…たしかそっち系のスキルを持ってるって聞いたことがあるわ」
「もう一人は?一緒にいた男だ」
「あいつのスキルは…身体向上系よ。体が強くなるって自慢してくるのよ。ほんっとうるさくて、あいつと一緒に組むのは嫌なのよ。ねぇ、あなた――」
会話をし始めると、徐々に口数が多くなってくる。だが、それを遮ってでも僕には聞きたいことがあった。
「なんで、君たちは一緒にいれる? 他人に、自分のユニークスキルが知られても、いいの?」
それは、この任務が下った時からの疑問。この世界に来た時に渡された紙には、「他人のスキルを見破れ」みたいなことが書かれていたはずだ。他者のスキルを看破し、「願いが叶う石」をもらえば、隷属の術式を破って自由になれるはずだ。
つまり、こいつは理由があって、自発的に他の異世界人と一緒にいる選択をしているのだ。