あなたの能力は時間停止です   作:ハスキー大根

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僕の問いは、静まり返った地下室にじっとりと響いた。

その言葉は淀んだ空気に溶けていく。壁の石から滴る水滴の音だけが、やけに規則正しく時を刻んでいた。

 

隣に立つクロウの気配が、やけに大きく感じられる。彼の視線が、僕の横顔に突き刺さっていた。彼女が口にした日本人という単語。

そして、僕が口にしたユニークスキルという単語。クロウにとっては、その二つの単語が結びつくこと自体、想定外のことなのだろう。彼が疑念の網を張り巡らせているのが伝わってくる。

 

目の前の女は、僕の言葉の意味を理解したようだった。

彼女の顔からは、先ほどまでの媚びるような哀れみを誘う笑みが消え、代わりに値踏みするような光が宿った。

 

「……あなた、やっぱり、そうなのね」

 

彼女は、まるで答え合わせをするかのように呟いた。

湿った空気の中で、彼女の本性ともいえる部分が、ぬるりと姿を現したかのようだった。

 

「他の奴のスキルなんて知らないわ。このくそみたいな術式のせいで、私たちの行動には制限がかけられてるのよ。転移者は、自分のスキルについて、詳しく話すことを禁じられてるの。話そうとすれば、喉が焼けるような激痛が走るの。だから、自分のスキルについては話せないし、逆も同じよ」

 

彼女は、一度言葉を切り、嘲るように唇の端を吊り上げた。その表情には、自らが置かれた不自由な状況への苛立ちと、それを逆手に取る狡猾さが滲んでいた。

 

「それに、スキルなんてどうせ、バレないわ。だって――」

 

その続きの言葉は、僕がこの世界に来てからずっと抱いていた仮説を、確信へと変えるものだった。

 

「正確なスキルの名前なんて、どうせ誰にも当てられっこないんだから」

 

そうだ。

鑑定系のスキルや魔道具、あるいは精神に直接干渉する「読心」のような特殊な能力でも使わない限り、他人のユニークスキルの正確な名称を特定することは極めて難しい。

あの、白い空間で配られた紙には、「他の転移者のユニークスキルを当てる」と書かれていたが、そのルール自体が、ほとんど達成不可能なのだろう。

 

火を自在に操る能力を見て、それが『火炎』なのか、『業火』なのか、『火魔法習得向上』なのか、あるいは、ただの『発火』なのか。

現象からだけでは、そのスキル本質を見抜くことは不可能に近い。

僕の『時間停止』も同様だ。単に、結果だけを見れば、『瞬間移動』のようにも見えるだろうし、『加速』や『アポート』、『移動速度向上』といったスキルとの区別もつかないだろう。

 

スキル名は正しく宣言しなければ、当てたことにはならない。

()()()()()()()()()()()()()が、他の転移者にも適用されるルールかどうかは半信半疑だった。

 

このクソルールが、僕だけでなく他の転移者たちにも等しく適用されている。それを目の前の女が、今、証言してくれた。

 

「ここに来る前……まだ、日本人のグループで固まってた頃にね、そういう話になったのよ」

 

彼女は、ふと、遠い昔を懐かしむように語り続けた。その瞳には一瞬だけ、今はない日々の残滓が映り込んだように見えた。

 

「スキルを安易に使うのは危険だって、慎重な奴がいたんだけどね。でも、結局、本当の名前さえ知られなきゃいいって、そういう結論になったの。だって、そうでも考えなきゃやってられないじゃない。それに、使わなきゃ……あっという間に死ぬもの。この世界は、そういう場所だわ」

 

彼女の言葉の端々に、生き残るために仲間を、そして自分自身を切り捨ててきた人間の、乾いた諦念が滲んでいた。彼女もまた、この理不尽なクソゲーの被害者の一人なのだ。

 

だた、有益な情報はもうない。

 

「――だから、あたしを助けなさい。アルシオンなんてもうすぐ滅びる国よ。泥舟と心中するなんて馬鹿げてるわ」

 

声色を再び甘く変え、彼女は僕を誘う。その瞳は潤み、か細い腕をこちらに伸ばそうとする。先ほどまでの冷たい光は消え、再び、庇護欲をそそる弱々しい女の仮面を被っていた。その変わり身の早さには、もはや感心すら覚える。

 

もういいかな。

そう思って、クロウに目で合図を送り、僕は静かに一歩、後ろへ下がる。僕の役割は終わった。

 

「…終わりか?」

 

僕の隣で、ずっと黙って話を聞いていたクロウが低い声で言った。その響きは、地下室の淀んだ空気よりも、重い宣告だった。

 

「大した情報は、もう出ねえだろ」

 

クロウは、ゆっくりと腰のナイフに手をかけた。使い込まれた革の鞘と、硬い柄を握り込む、乾いた音が微かに響く。その指の動きには一切の躊躇いがなく、まるで、熟練の職人が道具を手に取るような、当たり前の所作だった。

 

その動作に女の顔が、さっと青ざめる。血の気が引いていくのが、薄暗い中でもはっきりと分かった。彼女の瞳に本物の恐怖が宿る。

 

「ま、待って! 待ちなさいよ! 私を殺したって、何の意味もないわ! 帝国には、私なんかより、ずっと強いユニークスキルを持った奴らが、まだ何人もいるのよ!」

 

彼女は必死の形相で叫んだ。命乞いの言葉が、堰を切ったように溢れ出す。その声は金切り声となって、狭い地下室の壁に反響した。

 

「私が死ねば、今度は、そいつらが前線に出てくるだけ! そうなったら、アルシオンなんて、一日で消し炭よ! 本当よ! あいつらは、私なんかより、ずっと容赦がないんだから!」

 

必死に自分の価値を、生かしておくことのメリットを訴えようとしている。だがその言葉は、クロウの心を動かすには、あまりにも空虚だった。

 

「今なら、まだ間に合う! 私を見逃してくれれば、帝国に戻って、あなたのことを黙っていてあげる! 仲間にしてくれてもいいのよ!? 悪いようにはしない! だから――」

 

ひゅっ、と。夜の静寂を鋭く切り裂く、短い風切り音。

それは、命を刈り取るためだけに最適化された音だった。

 

そして、ごぷり、という、濡れた音が、静かな地下室に響いた。

 

女の金切り声が、途中で、奇妙な音に変わる。

彼女の目は信じられないものを見たかのように、大きく見開かれて固まっていた。クロウの顔でも、僕の顔でもなく、ただ虚空を見つめている。

その白い喉には一本の赤い線が走り、そこから、じわり、じわりと、命そのものが溢れ出していく。

 

「……あ……が……」

 

女の口から、意味のない泡と、赤黒い血の塊が溢れ出す。

彼女は助けを求めるように、僕に手を伸ばした。その指先は、虚しく宙を掻き、やがて力なく床に落ちる。その瞳に映っていた光が、まるで蝋燭の火が消えるように失われた。

 

やがて、彼女の体から完全に力が抜けていく。

糸の切れた人形のようにがくりと首を垂れたその体は、ただの肉の塊となった。

 

地下室に鉄錆の匂いがゆっくりと、そして確実に広がっていく。

 

僕はその光景を黙って見ていた。

これ以上、情報を引き出すのは困難であり、生かしておくにはリスクが高すぎる。

 

「……さて、と」

 

クロウは、まるで道端の石でも蹴飛ばしたかのように、平然とした様子で言った。

彼は、布切れでナイフに付着した血を無造作に拭うと、それを鞘に収めた。

 

「もう一人も、さっさと片付けちまうぞ。夜が明ける前に、このクソみたいな街とは、おさらばだ」

 

彼にとっては、いつもの任務と大差ないのだろう。敵を排除し、次の目的に向かう。ただ、それだけだ。その割り切り方が、僕らがこの世界で生き抜いてきた証だった。

 

僕も頷いて、立ち上がろうとした。

その、瞬間だった。

 

――まずい。

 

僕は街中の水たまりを通して、明確な危険を察知した。

女が死んだ、その直後。地上の広場にいた兵士たちが、一斉に騒がしくなる様子を、水を通して知る。

怒声、金属音、慌ただしい足音。夜の静寂は、完全に破られていた。

 

夜中にもかかわらず、即座に編成が組まれ、兵士たちが僕たちを探し出そうと動き出した。

その数は数十。いや、もっと多い。百は超えているかもしれない。松明の光が、街のあちこちで揺れ、包囲網が形成されていくのが分かった。

 

「…どうした?」

 

僕の動きが止まったことに気づき、クロウが、訝しげな顔でこちらを見た。彼の鋭い目が、僕の表情の変化を捉えていた。

 

「女がいなくなったことに、気づかれたらしい」

僕の言葉にクロウの顔色が変わった。冗談を言っているのではないと、瞬時に理解したのだろう。

 

「死んだことにも気づかれたかもしれない。帝国の隷属の術式には、生死を感知する機能も組み込まれていたのかも」

 

僕はありえる可能性を口にする。

 

彼は素早く、外の様子を窺うために部屋の扉から出ていく。そして、すぐに戻ってきた。その顔には焦りの色が浮かんでいた。

 

「――オイ! 本当じゃねぇか。これじゃ、もう一人は無理か?」

 

地上では、闇の中を松明の光が、いくつも、まるで意志を持った生き物のように揺らめいている。

兵士たちが、剣を抜き、家々を回り、僕たちの痕跡を血眼になって探している。

 

「……くそ。さっさと逃げるぞ」

 

クロウの声が、緊張に強張っていた。彼の判断は早い。

僕たちは互いに頷き合うと、地下水路へと続く隠された通路へと向かった。

 

 

 

地下水路の中は完全な闇だった。

地上から漏れ聞こえていた喧騒は、分厚い石壁と、絶え間なく流れる水の音に遮られ、ほとんど聞こえない。

ただ、僕たちの歩く音だけが単調に響いていた。

 

僕たちは、ぬるりとした足場と壁を伝って、慎重に進んでいく。

クロウが先導し、僕が後方と周囲を警戒する。水脈を通して、僕は広範囲の敵の動きを探る。

 

時折、帝国軍の兵士に遭遇した。彼らもまた、水路を捜索しているのだ。やり過ごせる場合は、隠れて身をひそめる。

それ以外の場合、つまり、発見が避けられないと判断した場合は、速やかに始末する。幸いにも、僕の方が彼らよりもずっと索敵範囲が広いから、常に先手をとることができた。

 

グネグネと、まるで蛇のように敵の包囲網を抜ける。回り道を繰り返し、時には一度地上に出て、別の場所から再度水路に入ることもあった。

直線距離で進めば、一時間もかからないはずの道のりを、僕たちはもう数時間も歩き続けていた。精神的な緊張が、じわじわと僕たちを蝕んでいく。

 

 

そして、ついに、敵の包囲網はどうやら突破したようだった。

この先に敵兵の気配はない。

 

その後もしばらく、僕たちは無言で歩き続けた。安堵と疲労が入り混じった、重い沈黙だった。

不意に前を歩いていたクロウが口を開いた。

 

「……おい、リン」

 

彼は振り返らないまま低い声で言った。

その声は水音に混じって、くぐもって聞こえる。だが、その中には無視できない重さが含まれていた。

 

「……なに」

僕は短く応える。心臓が少しだけ速く脈打つのを感じた。

 

「お前……やっぱり、異世界人じゃねぇか」

 

その言葉は、問いかけの形をしていたが、その響きは確信に満ちていた。

尋問の時の僕の言葉。そして、あの女の反応。それら全てが疑念を確信へと変えたのだろう。

 

僕の答えを、クロウは静かに待っている。彼の背中が壁のように大きく見えた。

 

ここで、嘘をつくこともできた。

精霊から聞いた知識だ、とかなんとか、適当な言い訳を捻り出すことも。そうすれば、この場は丸く収まるのかもしれない。

 

だが、僕はそうしなかった。

彼にはこれまで、何度も助けられてきた。背中を預けて、共にいくつもの死線を越えてきた。

この2年以上の濃密な時間は、彼のことを仲間として認め始めていた。

この男に嘘をつくのは違う。そう思った。

 

「……そうじゃないなんて、言った覚えはない」

 

僕は肯定も否定もしなかった。

ただ、事実だけを静かに告げた。それは僕なりの誠意の示し方。

 

僕の答えに、クロウはしばらくの間、黙り込んでいた。

彼の背中が何を考えているのか、僕にはわからなかった。怒っているのか、呆れているのか、それとも。

ただ、彼の周りの空気がぴりぴりと、張り詰めていくのを感じた。まるで、嵐の前の静けさのようだった。

 

やがて、彼はゆっくりと、こちらを振り返った。

完全な闇の中で彼の瞳がギラリと、獣のように光るのが見えた。その光に僕は息を呑む。

 

「……そうかよ!」

 

彼の口から漏れたのは、それだけだった。

だが、その短い言葉には様々な感情が、濁流のように渦巻いていた。

驚き、怒り、そして、ほんの少しの、失望。あるいは、裏切られたという思いか。

 

「……くせえ――あーやっと外に出れる」

 

前方、水路の終わりから微かな光が差し込んでいるのが見えた。夜が明け、朝の光が地下の闇を終わらせようとしていた。

クロウの声には、いつものような軽薄さも、皮肉もなかった。ただ、心の奥底から絞り出したような、生々しい響きがあった。

 

「くそが」

 

彼は一言、そう吐き捨てると、また無言で前を向いて歩き始めた。

その足取りは、先ほどよりも少しだけ乱暴だった。水飛沫が高く上がる。

 

僕もまた、無言で彼の後に続いた。

僕たちの間に、気まずい沈黙が重く横たわる。

だけど、不思議とその沈黙は冷たくは無かった。それは、奇妙な温かみを帯びていたから。

 

僕たちは夜明けの光に向かって歩き続けた。

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